黎明の月 | ナノ



「うう、暑い……」


くノたま長屋の廊下に寝転がり、私は呟く。前掛けに忍装束の袴だけという格好で、風通しも良く陰になっている場所だというのに暑くて暑くて仕方なかった。
まるで昨夜のことが夢のようだな。孫兵が見せてくれた蛍の光を思い出しながら、私は額にじとりとかいた汗を拭う。そしてそのままその手をかざして、私はそれをじっと見やった。


「……また見たいな……」


そして、早く会いたい。孫兵にも、はっちゃんや兵助、雷蔵に三郎。そして、勘ちゃんに。
かざした手を握り締めて、繋いだ手の感覚を思い出してみる。勘ちゃんの手はいつも優しく私の手を包んでくれるし、温かく、優しい気持ちになれる。いつも、私を守ってくれる、愛しい手だ。


「…っ、ああもう!だめだめ、まだまだ夏休みは長いんだから!」


そんな事を考えていれば急に胸が苦しくなって、私はいらぬ思いをかき消そうと頭を振った。しかし、妙な寂しさは消えなくて、私はゆっくりと上体を起こし小さくため息を吐いた。どうやら一人でぼうっとしていると、寂しさは募るばかりのようだ。


「…そういえば、六年生は帰ってないって誰か言ってたっけ…」


確か、鍛錬があるとかで学園に残っていたはず。ふいにそれを思い出し、私は辺りを見回す。一人でこうしていても暇なだけなのだから、中在家先輩か立花先輩にでも勉強を教えてもらうべきだろうか。
ならば早いところ二人を探しに行こう。そう思い立ち上がろうとした瞬間、ちくちくとした視線を不意に感じ、私は思わず弾かれたように其方を振り返る。しかし振り向いた先にあるのはくノたま長屋と運動場を仕切る塀だけで、他に何も無い。


「…き、の、せい…?」


気のせいだろうか、と首を傾げたその瞬間、ひょこり、と塀から見覚えのある癖のある髪と踏鋤が覗いて、私は深く息を吐いた。なんだ、彼か、と。そしてその髪と踏鋤の持ち主は、そんな私に気付いているのかいないのか、呑気にこちらに手を振ってくる。


「千影せーんぱい、あっそびっましょー」

「…喜八郎…、元気だね…」











「で、なん、で、こんな遊びをっ…!」

「何か言いましたかあ?」

「いや、だからっ、何で、こんな遊び、をっ…!」


がつん、と苦無が地面の底の石に当たって跳ね返る。それに私はため息を吐いたが、真後ろで土が崩れてこぬようぺたぺたと手を這わす喜八郎はそんな私を無視し、ひたすら蛸壺の形を整えていた。私と同じように前掛けと袴だけの姿の喜八郎の白い腕は、すでに泥だらけだ。
ああ、これが喜八郎にとっての遊びだなんて油断した。暇じゃなければ良いかと思い頷いたものの、まさかこんなに重労働な遊びだったとは。


「喜八郎、もう掘れないよー…」

「…じゃあこれは完成ですねえ。千影先輩と掘ったので千影ちゃん一号と名付けましょう」

「私の名前そのままじゃんか」

「…駄目ですか?」


そう言いながらくるりと此方を振り返った喜八郎が拗ねたように唇を尖らせるものだから、私は思わず駄目だと言いかけた口を塞いでしまう。喜八郎はまるで小さな子供のように上手く甘えるから、強く言えないのだ。
けど、私の名前はなあ。嫌だなあ。なんて苦無を置いて悩んでいれば、喜八郎の中ではすでにこの話は終わってしまったのだろう。千影先輩、と私の名を呼び、喜八郎は自身が座るその隣を叩いた。此処に座れという意味だろう。


「なに?どうしたの?」


問うてみても、喜八郎は答えない。それどころか膝を抱え、また私を無視して空を見上げ始めた。
一体何なのだろうか。そう疑問に思いながら私は大人しく喜八郎の隣に座り直し、同じように空を見上げてみた。蛸壺の穴からは丸い空しか見えなくて、空がやけに遠く感じた。


「千影先輩」

「んー…?」

「千影ちゃん一号、涼しいでしょう?」


こてり、喜八郎が首を傾げる。そんな喜八郎に、私は思わず目を丸くした。喜八郎の目は、何故だか期待に輝いているように見える。


「え、う、うん、まあ」


確かに、言われてみれば涼しいかもしれない。風はほんの少ししか入ってこないものの、周りの土壁は少し湿っているためひやりとしているし、太陽の日差しも当たらない。喜八郎の言うとおり、涼しかった。
ぎこちなく頷いた私に、喜八郎は唇で薄く半月を描く。そして、癖のある髪を揺らしながらぴたりと私に寄り添ってきた。私と同じように前掛け姿のせいで剥き出しにされた腕が触れ合い、喜八郎の体温が伝わってくる。微かに温かいそれも、不快じゃなかった。


「千影先輩、暑そうだったから…」

「へ?」


喜八郎の言葉に、私は隣に座る彼を振り返る。しかし喜八郎は相変わらず空を見上げるだけで、何も答えなかった。
ああ、そうか。喜八郎は私を気遣って。


「…ありがとうね、喜八郎」


すっごく涼しいよ。へらりと笑って、私は喜八郎の頭を撫でる。手は少し泥で汚れていたけれど、喜八郎の髪には既に泥が付いていたから良いだろう。
柔らかな喜八郎の髪を撫で、私は空を見上げる。夏の空は、やけに青かった。


「……だから、千影先輩のこと好きなんですよねー……」


一緒に蛸壺も掘ってくれるし、頭も撫でてくれますもん。小さく呟かれたその言葉は、青い空に吸い込まれていった。そして、私の胸にもちゃんと。







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