黎明の月 | ナノ



「え、ええ?じゃあ何でこの時はこの術を…ていうか何て読むのこれ」

「あれ、これって何て術だっけか」


図書室に置かれた一番大きな六人用の机を陣取って、千影とはっちゃんが教科書を睨みながらぶつぶつと呟く。そんな二人に兵助と図書委員の当番で図書室にいた雷蔵が困ったように笑いながら、だからこれは、と説明していくが、二人は全く同じ瞬間に首を傾げ、顔を見合わせていた。そんな二人を、俺は資料を選ぶふりをしながら眺める。


「勘右衛門、何であいつら連れて来たんだよ」


雷蔵が困ってるだろ、とつまらなさそうに唇を尖らせた三郎に、俺は思わず苦笑する。初めこそ俺と兵助の部屋で千影と二人で勉強をすると話が進んでいたのだが、俺はどうせなら皆で図書室でやろうと申し出たのだ。
未だに教科書の内容が理解出来ず頭を抱える千影を見やり、俺は小さく笑ってみせた。


「だって、辛いじゃん」


二人になったら、俺、言っちゃいそうだし。俺がそう言った瞬間、三郎はほんの少しだけ悲しそうに眉を下げて、そして俺の肩を叩いた。


「…今だけだよ」

「多分、だろ?」


俺がからかうように言っても、三郎は笑わなかった。笑ってはいたけれど、本当の笑顔ではなかった。
ああ、上手くいかないなあ。











「…何で読み書きってこんなに難しいんだろうね。不思議だ」

「俺は千影が何でそんなに字が下手なのか不思議だけど」


隣で教科書を持ちながらうなだれるはっちゃんを、私はじろりと睨み付けた。私が必死に復習したことを筆で紙に書き付けながら記憶に焼き付けようとしているのに、酷いことを言う。
まあまあ、と雷蔵に肩を叩かれて、私は気を取り直して教科書の頁を一枚捲った。それ違うだろ、と兵助に頭を叩かれ続けたせいではっちゃんも疲れているのだと自分に言い聞かせながら。


「うーん…雷蔵、隠法ってなんだっけ…」

「ああ、それはさっきの頁に…、ほら、書いてる」

「止まって隠れる…。あれ?じゃあ動いて隠れるのが…」

「遁法だよ」


何だったっけ、と頭を捻っていれば、不意に右後ろから声がして、驚いて振り返れば隣に腰を下ろそうとしていた勘ちゃんがいた。ずっと何かの資料を探しながら三郎と話をしていたが、どうやら終わったらしい。
進んだ?と優しく笑って尋ねてくる勘ちゃんに、私と雷蔵は思わず顔を見合わせ苦笑いしてみせる。それに全てを察したのか、勘ちゃんは微かに口元をひきつらせた。


「まあ、うん、少しは…。ね、雷蔵?」

「あはは、うん、まあ少しはね」

「…まあ、千影は読み書きも勉強しなきゃならないからね」


後は俺が教えるから雷蔵はもう当番に戻りなよ、と笑いながら勘ちゃんは私の教科書を手にとって、雷蔵を見やる。そう、雷蔵はわざわざ教科書を手に唸る私を見かねて当番の仕事を放って私に教えてくれていたのだ。


「雷蔵、ありがとう」

「ううん、いいんだ。僕も復習になったし」


じゃあ頑張ってね、と言って当番に戻っていった雷蔵を見送って、私は一度短く息を吐いて勘ちゃんと一緒になって教科書を覗き込む。書かれている内容は勘ちゃんからすると基礎の基礎できっと難しいものではないのだろうが、私からすると信じられないほど難しい。使われている字からして難しい。


「よし、じゃあ千影に問題です」

「へ、」


ぱたん、勘ちゃんはくノ一の友を閉じて私を見やる。突然のことに目を丸くする私をよそに、勘ちゃんは続ける。


「隠法は幾つの種類に分けられる?」

「あー…、…九つ」

「正解。じゃあ、それ全部言ってみて?」

「ええっ…、と、鶉隠れ、草葉隠れ、木葉隠れに…、狸隠れと狐隠れ…、隠れ笠と…、観音隠れ…、柴隠れ…。…今幾つ言った?」


指折り数えていたはずなのに、頭の中から記憶を引っ張り出すのに夢中でいつの間にか指は止まっていて、幾つ言ったのかを忘れてしまった。困ったように勘ちゃんを見やれば、勘ちゃんは可笑しそうに笑いながらあと一つだよ、と人差し指を立てる。
あと一つ、と言われ、私は腕を組みながら必死に考える。しかし、なかなか答えが出て来ない。


「千影、これは読める?」


そう言って、勘ちゃんは私の手に握られたままだった筆を取り、何も書かれていない紙にその筆を滑らせる。
一瞬だった。一瞬、勘ちゃんの手が私の手に触れた。ただそれだけの事なのに、私の思考は何故か停止してしまう。


「千影?どうかした?」

「あ、な、何でもない、うん」

「そう?…で、これ、読める?」


不思議そうに首を傾げた勘ちゃんに、私は慌てて首を振り、勘ちゃんの指差したその先を見やる。くさかんむり、に、衰える。その文字は、庄左ヱ門達一年は組のみんなで私に読み書きを教えてくれた時、確かに書いた記憶があった。


「み、の…?あ、蓑隠れ!」

「そう、あったりー」


へらりと笑った勘ちゃんが、良くできましたと言いながら私の頭を軽く撫でてきて、私は一度息を止め、それでも何でも無いふりをして同じように笑ってみせた。
私の頭から離れた勘ちゃんの手が、次はどの問題を出そうかと教科書の頁を捲っていく。私はそんな勘ちゃんをぼんやりと視界に留めながら、誰にも気付かれないように奥歯を噛み締めた。


「あ、じゃあ次はこれにしようかな」


薄く笑った勘ちゃんの言葉を聞きながら、私は真剣にそれを聞いているかのような顔を作り、考える。
いつも平気で手を繋ぐ勘ちゃんの手が触れただけで、勘ちゃんの手が私の頭を撫でただけで、何故こんなにも苦しいのか。私は、考える。










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