黎明の月 | ナノ



「よっ、と!」

「うおわっ、!?」


どさり、私に投げ飛ばされたはっちゃんが地面に尻餅をつき、涙目になりながら私を見た。その視線にわざと気付かないふりをして、凄いね千影ちゃん、と声をかけてくれた雷蔵に笑顔を返す。


「お前なあ…、男を投げ飛ばすとかありかよ…」

「だって組み手の授業だもん」

「だからってお前…!」


投げ飛ばされたはっちゃんが悪いんでしょ、と笑いながら、私は頭の隅でちらちらと姿を見せる不安を追い出そうと周りで組み手を続ける生徒を眺めた。大丈夫、まだ大丈夫なはず。引けはとらないはずだ。
だがしかし、私は先程からやたらと感じる視線に冷や汗を流す。雷蔵との組み手を終え、何も言わずじっと私を見てくる三郎の視線に。


「おい、千影」

「っ、な、なに?三郎」


わざわざ一歩踏み出して声をかけてきた三郎に、私の口元は引きつってしまう。まさか三郎は気付いているのだろうか?いや、そんな馬鹿な。まさかはっちゃんとの一回の組み手で三郎が気付くはずは、


「お前、組み手苦手だろ」


気付かれていた。
え、と口を開けて固まるはっちゃんと雷蔵をよそに、三郎はにやりと笑って私を見ていた。私はただただ、引きつり笑いを返すばかり。
それは、久しぶりの実技の授業でのことだった。











「え、千影組み手苦手なの?」

「いや、正しくは山とか林以外だと戦うのが苦手っていうか…」

「それはもっと駄目だろ」


ぐさり。後ろから呟かれた三郎の言葉が胸に刺さった。思わず俯いて唇を噛み締めていれば、勘ちゃんが気にしちゃ駄目だよと笑いながら私の頭を撫でてくれ、私は勘ちゃんの優しさに胸を打たれる。
しかし、三郎の言葉は正しいのだ。山や林、兎に角木がある場所なら戦い慣れているし、山犬達も存分に協力してくれ私にとっては有利だ。けれど、いつもいつも戦う場所がそことは限らない。例え木の無い平地でも勝てなければいけないのだ。


「まあはっちゃんは負けてたけどね」

「うっ、」

「まあ千影が力任せに投げただけだけどな」

「ううっ、」


雷蔵の言葉にはっちゃんが傷付き、三郎の言葉に私が傷付く。そんな私達には興味が無いのかはたまた呆れているのか、兵助は勘ちゃんの隣で何処かよそを向いていた。それがまた傷付いてしまうのだが、それに兵助は気付かない。


「まあまあ、千影はそれを克服するために今運動場にいるんでしょ?」

「…うん」

「なら、しっかり鍛えなきゃ。三郎は強いから、油断しないでね」


勘ちゃんの言葉の通り、私はこの弱点、いや他にも読み書きが苦手だとか弱点はあるが、兎に角今は何処でだって勝てるようになるために私達は運動場にいた。それに何と、三郎が自ら組み手の練習相手を申し出てくれたのだ。
勘ちゃんに励まされながら、私は眠たそうに欠伸を漏らした三郎と向き合う。どうやらはっちゃんもはっちゃんで私に投げられた事に傷付いたのか、兵助と組み手をするらしく、二人も妙に真剣な顔で向き合っていた。


「千影、何時でもかかって来いよ?」

「いいい言われなくても…!」

「千影、どもってるよ。気をしっかり」


勘ちゃんの言葉に、私は短く息を吐きながら頷く。隣ではもうすでにはっちゃんと兵助が組み手を始めており、雷蔵が楽しげにそれを眺めていた。
ぎゅ、と唇を一度噛み締めて、いつの間にか握り締めていた拳をゆるめる。力が入り過ぎると動きが鈍るとお師匠様に怒鳴られたのを、思い出した。


「じゃ、行くよっ」

「ああ。力任せは無しだからな」

「わわわ、わ、分かってるよ!」

「千影、またどもってるよ」


勘ちゃんが後ろで苦笑するのが目に浮かぶが、私は気を取り直して三郎に向かって足を踏み出し、一気に距離を縮めて懐に入る。このまま足を払って倒そう、と思ったものの、三郎がにやりと笑って私より先に足を出して来たので慌てて一歩後ずさった。


「お、避けるのに跳ばなかったな」

「跳んでたらその間の攻撃が避けられないからね」

「…ふふん、やるじゃないか」


まるで人を小馬鹿にしたような三郎の笑みに、私は眉をひそめる。瞬間、隣で組み手をしていたはっちゃんが勢いよく吹っ飛んで、私は思わず驚いて集中を途切らしてしまった。


「余所見か?千影」

「わわっ、」


一瞬の隙だというのに、三郎は一気に間合いを詰めて私の胸倉を掴んできた。慌てて三郎の腕を掴み引き離そうとするも、三郎の腕は離れない。


「わ、わっ、」

「慌てても何も変わらないぞ、」


ほら。三郎がそう言った瞬間、私はぐるりと視界が回って体が宙に浮くのを感じた。来るであろう衝撃に目を閉じかけたが、最後の最後まで敵から目を逸らすなというお師匠様の言葉が不意に蘇り、私は逆さまの世界で三郎の顔をしっかりと見据えた。
三郎は、私から目を逸らして地面に倒れたままのはっちゃんを見ていた。


「っ、うりゃ!」

「うおっ!?」


私の胸倉を掴んでいた三郎の手を思い切り引っ張って、私は背中で地面に着地しながら、姿勢を崩し私の方へと倒れてくる三郎のお腹を右足で思い切り蹴飛ばす。力任せは無しと言われたが、一応考えての行動だからありだろう。
右足が三郎のお腹にめり込むのを感じながら、私は慌てて腕で上体を起こし、お腹を抱えながら後ろに後ずさった三郎とにらみ合う。


「っ、やるなっ…!」

「は、ははっ、でも正直危なかった…!」

「…だが、私の勝ちだぞ?」

「え、?なん、」


何で?そう言うつもりだったが、私は自身の左足を見て思わず頭を抱えた。なんと私の左足の忍装束の袴が、いつの間にか苦無で地面に貼り付けられていたのだから。
最後の最後で油断したな、と笑う三郎は、きっとわざと余所見をしたのだろう。三郎の強さはきっとその集中力にあり、組み手の最中に余所見をするなんて有り得ないはずだ。そんな事を考えながら、私は袴に刺さった苦無を抜き取り三郎に投げて寄越す。三郎は満足げに笑っていた。


「忍は使えるものは何でも使う。組み手の最中もな」

「…それって、動物もありかな?」

「…授業では止めといた方が良いな」


だが、普段なら構わないだろう。そう言いながら、三郎は未だ地面に座ったままの私の肩を叩き、大分良かったぞ、と呟いた。そして何事も無かったかのように、気を失っているのであろうはっちゃんのもとへと駆けて行った。


「千影、お疲れ様」

「…勘ちゃん」

「凄かったね、千影の蹴り。三郎涙目だったよ」


千影は気付いてなかったみたいだけど、と言って勘ちゃんが笑ったので私は思わず三郎を振り返る。三郎は雷蔵と兵助と一緒になってはっちゃんの顔を覗き込みながら、痛そうにお腹をさすっていた。
くしゃり、勘ちゃんが私の頭を撫でる。優しく笑う勘ちゃんは、私を励ましているつもりなのだろう。


「落ち込まないで、まだまだ強くなれるよ。大丈夫」

「…うん、私、頑張る」


なのに、何故だか胸がむず痒い。少しだけ、苦しい。
へらりと笑って、私は頭に乗せられていた勘ちゃんの手をとって立ち上がる。はっちゃんのところへ行こう、と手を引けば勘ちゃんは笑って頷いてくれた。胸はもう、苦しくなかった。

それから、目を覚ましたはっちゃんが暫く泣きながら飼育小屋に籠もって私達はおろか、生物委員の皆にまで心配されるのはあと半刻後の話。










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