黎明の月 | ナノ



「なんだ、また泣いてたのか?」

「…泣いてないよ、私、泣いてないもん」



人のざわめきが、耳に上手く入らない。入ったところで煩わしいだけだというのに、私はそれが欲しくて欲しくて仕方なかったのだ。私もそのざわめきに、入りたかったのだ。
まだ幼さの残る笑顔で、千太郎が私の手を握る。彼の視線の先には確かに私と同じものがあったというのに、笑いながら手をとり合う親子がいたというのに、彼は平気だとでも言うように笑ったのだ。本当は平気なはずが無いのに、いつも笑ったのだ。


「大丈夫、俺がいるよ」


だから、帰ろう。
柔らかな指が私の手を包み、彼は歩き出す。私と同じ癖のある髪が一歩先で揺れるのを、私はいつも見ていた。それを見れば、安心出来た。私の手をひき歩いてくれる人がこんなにもそばにいるのだと。

千太郎は、それを一度だって感じられなかったというのに。私はいつも、貴方の後ろばかり。










荒く息をする山犬達の後を追いかけながら、私は生い茂る木々の隙間から覗く空を見た。夕日はまだ沈みそうにないが、あまり時間が掛かると直に夜になってしまうだろう。学園の周りにある山には山賊はあまり出ないと先程聞いてきたが、全く出ないかと言われれば頷けないと土井先生が言っていた。
まだ町にいるか、それともやはり誰かに。そこまで考えて、私は嫌な考えを頭から追い出すように首を横に振り、前を見据えて走る。手に握り締めた乱太郎から受け取ったきり丸の手拭いに、手汗が滲む。早く見つけなければと思えば思うほど、嫌な汗が流れた。


「あ、」


先を走っていた山犬達がぴたりと止まり、私は乱れ始めた息を整えながら走る速度をゆるめた。きゅう、と鼻を鳴らしながら此方に歩み寄ってきた一匹の山犬の影に膝を抱え込んで小さく丸まる彼、きり丸がいて、私は思わず息を呑んだ。まさか、怪我でもしているのだろうか。
きり丸に群がり確かめるように匂いを嗅ぐ山犬達の間に入り、私はきり丸の肩に触れる。血の臭いはしないものの、その肩は夏が近付いているというのに酷く冷え切っていた。


「…きり丸、?」


小さく呟くように彼の名を口にすれば、きり丸はゆっくりと顔を上げ、そのつり上がった瞳に私をうつした。赤らんだ顔は熱ではなく、泣きはらしたからだと涙に濡れた目が訴えている。
慌ててきり丸の涙を拭えば、我先にと山犬達がきり丸の頬を舐めだす。それに驚いたのだろうか、きり丸は目を丸くし一瞬笑ったものの、直ぐにその笑顔は崩れてしまう。


「きり丸、どうしたの、何処か痛いの?」

「……っ、」


ぽたりときり丸の瞳から零れた涙は、夕日に染まり血のように見え、私は思わず息を止めた。苦しげに歪むきり丸の顔が千太郎と重なって、胸が嫌に騒いだ。
深く息を吐いて、私はきり丸の隣に腰を下ろし肩を抱く。きり丸は何も言わず、ゆっくりとその身を私に預けてきた。


「痛いところは、ない?」

「っ、は、い」

「そう……。なら良いよ。良かった」


震える肩を出来る限り優しく撫でれば、きり丸は千影先輩と私の名を呟きながら私を見上げてきた。それに小さく笑い返しながらどうしたの?と問いかければ、きり丸はぎゅ、と私の首に腕を回し抱きついてきた。そんなきり丸をゆっくりと抱き上げて、膝の上に乗せてやる。まだ小さな彼は軽くて、儚げで、このまま消えてしまうんじゃないかと思ってしまい、私は思わず逃がさないように、消えないようにとその背に腕を回した。


「お、俺っ、お使い、長引い、ちゃって…」

「…うん」

「慌てて帰ろうと、したらっ、たまたま、手、繋ぐっ、親子がいてっ…」


その言葉に、私は唇を噛み締める。ゆるく背中を撫でてやれば、きり丸の涙が私の肩口をじわりと濡らした。


「それ、でっ、ちょっと、寂しいって、お、思ってたらっ、学園が、」

「……………」

「学園、がっ、夕日で、燃えてる、みたいっ、で…」


彼はきっと、私と同じなのだろう。戦で家も両親も、失ったのだろう。
この場所から見える学園は、きり丸が言うように確かに夕日で赤く燃えているようで、私は思わず強く目を閉じた。遠い記憶の中に人と家が燃える臭いがまだそこにあって、涙が出そうになった。


「…大丈夫、大丈夫だよ、きり丸」


いつか私が言われた言葉を、私は囁く。どうしようもない恐怖に震えるきり丸にその言葉が届いていたのかは分からなかったが、私はただその言葉を繰り返した。
まるで、自らに言い聞かせるように。


「大丈夫だよ、学園は無くならない。無くなったり、しない」


だって私は、まだ、弱い。
私よりも鮮明に記憶に焼き付いているであろう両親との優しい思い出に、それを塗り潰してしまうような戦火の記憶があるこの小さな彼でさえ、今まで一人で生きてきたというのに。支えはあれども、その苦しみを胸に残したままで沢山の幸せそうな親子を見てきたというのに。私は、今も、まだ。
ぎゅ、ときり丸を抱き締めて、私は必死に溢れ出そうとする涙を堪える。しかしそれは無駄だったらしく、きり丸の肩にぽたりと落ち、吸い込まれていった。弱さは吸い込まれず、膨らむばかりだというのに。


「無くなったり、しない…。絶対、無くならない…」


皆が、いる。ぽつりと呟いて、私はきり丸を抱き上げてゆっくりと立ち上がる。肩口に顔をうずめて鼻を啜るきり丸の震えは、いつの間にか止まっていた。


「みんながいる。みんなが、待ってるよ」

「…は、いっ…」

「だから、帰ろ」


学園を燃やすように照らしていた夕日が漸く沈んでいくのを見ながら、私は上手く歩けない足で必死に学園まで歩いた。何度も自分の弱さを噛み締めながら、歩いた。

強くなりたい、せめて、この子の手をひいて歩けるように。いつか千太郎が、私の前を歩いてくれたように。










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