黎明の月 | ナノ




「うわわっ!?」

「っ、と、大丈夫!?」

「はっ、はい、ありがとうございます…!」


飛んでくる戦輪を苦無で弾きながら、地面から飛び出していた木の根に足を引っ掛け転びかけた藤色の髪の子を空いた左手で支える。男の子が慌てたように体勢を整えたのを確認して、私は男の子の手を掴んで走り出す。先ほどから何度も転びそうになっているこの子は、私が引っ張っていった方が良さそうだ。


「数馬!千影先輩!こっちです!」


頭上から降ってきた孫兵君の言葉に、私は目の前の木に苦無を突き刺し、枝の上に飛び乗った。左手で数馬君というらしい彼を引っ張り上げて、私は上を見やる。私達よりも随分と高い位置にのぼっていたらしい孫兵君達が、小さく頷いて何かを地面に向かって投げた。その何かは地面にぶつかるなり、勢いよく辺りに煙を充満させ、先を見えなくさせた。どうやら煙幕弾だったらしい。


「くっ、何処に行った…!?」

「…よし、今のうちに上に」

「は、はいっ」


追ってきていた戦輪の彼は、煙幕によって私達を見失ったらしい。頷いた数馬君が木をよじ登っていくのを見守りながら、私は苦無を懐に片付ける。大丈夫か、と手をとられ孫兵君達のもとにたどり着いた数馬君を確認し、私は空を仰ぐ。木々の隙間から鷹之進が見えて、私は一人頷きながら木の枝から枝へと飛び移った。









「孫兵、あれは誰?」

「あれは千影先輩と同じ編入生の斉藤タカ丸先輩です。本当は六年生と同い年なんですが、忍者の経験がない編入生なので四年生なんです」

「じゃあ、あの石火矢をユリコとか言いながら撫でてる人は?」

「田村三木ヱ門先輩です。見ての通り、火器が好きな人です。火器の腕は確かなので少し厄介かもしれませんね」

「じゃあ、あの平滝夜叉丸とかいう人の隣の人は?」

「綾部喜八郎先輩です。あの人は蛸壺や落とし穴を掘ったり、とにかく罠を作るのが上手いのでかなり危険ですね」


僕のことは呼び捨てで構いませんよ、と左門が言い出してくれたおかげで、僕まで敬称を付けずに呼んでくれることになり、僕の気分は上々だった。他の皆まで呼び捨てというのは少し面白くないが、まあこの際良しとしよう。
なるほどなるほど、と呟きながら、千影先輩は僕達のいる木の下で何か話し合っているらしい四人を難しい顔で見下ろす。しかしその横顔は何処か楽しそうにも見えて、僕は思わず首を傾げた。


「千影先輩、楽しいんですか?」

「え?あ、いや、まあ、…山が好きだからね」

「そうなんですか?」

「うん。私、ずっと山で暮らしてたから」


確かに、少し楽しいかもしれない。へらりと笑いながら、千影先輩は頬をかいた。その笑みは何か懐かしいものを見つけたかのように優しく、柔らかい。
孫兵、と名を呼ばれ、僕はひとつ高い位置に伸びる枝の上にいた作兵衛を見上げた。作兵衛に縄で捕獲されている三之助と左門は呑気に空を仰いでいた。どうした?と問い掛ければ、作兵衛は困ったような顔で下を見下ろす。


「このまま此処にいても気付かれるぞ」

「まあな…。けど、動くと直ぐに気付かれる」

「どうする?いっそ正面から行くか?」

人数はこっちの方が多いんだし。そう呟いた作兵衛の言うとおり、確かに人数は多い。だが、相手の方には遠距離に効く戦輪や更に攻撃力のある石火矢があるのだ。迂闊に動けば直ぐに返り討ちにあってしまう。それに、例え近距離戦に持ち込めたとしても、何処に綾部先輩の蛸壺や罠があるか分からないのでは戦おうにも戦えない。
一体どうすれば良いんだ、とため息を吐けば、隣にいた千影先輩が、くい、と僕の忍装束の袖を引っ張ってきた。


「どうしました?」

「ちょっと、私が行ってみても良いかな…」

「…千影先輩一人で戦うんですか?」

「うん、私一人で」


上手く倒せれば上々、倒せなくても、その間に皆は逃げれば良いし。千影先輩の言葉に、僕は思わず首を振る。


「駄目ですよっ、そんな危険な賭けみたいなこと」

「千影先輩一人だなんて、危なすぎます」

「そ、そうですよ千影先輩、みんなで生き残りましょうよっ…」


ずっと聞いていたのだろう、僕の言葉に続いて、直ぐ向かいの枝の上にいた藤内と数馬が千影先輩に訴える。すると千影先輩は困ったように頭をかいて、助けを求めるように作兵衛を見上げた。


「…なら、みんなで行きます?」

「でもなあ…。みんながやられたら意味無いし…」

「千影先輩一人がやられるのも嫌です」

「…んー…、」


作兵衛と僕の言葉に、千影先輩は腕を組みながら唸る。しかし、そのまま諦めてくれ、という僕の願いも虚しく、千影先輩はじゃあ、と笑いながら小さく手を上げた。


「私がとりあえず行くからさ、上から援護してよ」

「で、ですから一人ではっ…」

「平気平気、危なくなったら孫兵が助けてくれればいいんだし」

「…確かに、上からの攻撃は不意打ちにもなりますからね」

「作兵衛、」


何言ってるんだよ、と僕が作兵衛を睨み付けている間に、千影先輩はすっかりその気になってしまったらしい。ごそごそと自らの懐に手を突っ込み、嬉しそうに何かを取り出した。首にかけていたらしい麻紐の先に何か細い筒状のものがついているそれは、どうやら笛らしい。


「じゃーん、犬笛」

「犬笛?」

「うん、いつもは指笛なんだけど、気付かれると悪いから、ね」


そう言って、千影先輩は犬笛らしいそれを口に当て、それに息を吹き込んだ。それは本当に犬笛だったらしく、心なしか耳がきんと痛むだけで、何の音も聞こえなかった。
犬笛を懐に戻しながら、もう行こうかな、と千影先輩はゆっくりと立ち上がり、下を見下ろす。千影先輩にもう引く気はないらしく、千影先輩はへらりと笑いながら苦無を取り出した。


「みんな、危なくなったら援護よろしくね」

「…はい」

「気をつけて下さいね」


僕が渋々頷けば、作兵衛が上から声を掛ける。そんな作兵衛に笑って頷きながら、千影先輩は僕の頭を一撫でして隣の木からまた隣の木へと素早く飛び移り、音もなく着実に相手との距離を詰めていく。やけに身軽な千影先輩の顔は、えらく楽しそうだった。


「だ、大丈夫かなっ…」

「数馬、手裏剣出して、構えておこう」


藤内の言葉と同時に、千影先輩はタカ丸先輩の後ろの木の枝の上で一度止まり、ちらりと此方を見上げてきた。ぱちりと視線が合ったその瞬間、千影先輩は薄く笑って木から飛び降りた。そして、それはまさに一瞬の出来事だった。タカ丸先輩の忍装束の襟首をひっ掴み、何時でも撃てるよう準備されていた石火矢をわざと滝夜叉丸先輩の方へと蹴飛ばしたのだ。


「うわわわっ!?」

「た、タカ丸さんっ!って、ユリコー!!」

「うおわっ!?い、石火矢が!」

「おやまあ、いつの間に」


慌てて転がってきた石火矢を避け、滝夜叉丸先輩が懐から戦輪を取り出した瞬間、千影先輩はタカ丸先輩を滝夜叉丸先輩目掛けて突き飛ばし、そばにあった木を蹴って宙に舞う。ひらりと身を翻し降り立ったのは、石火矢が倒されたことに嘆き冷静さを失った田村先輩の後ろだった。


「一人目」

「わっ、!?」

「なっ、三木ヱ門!」


タカ丸先輩を受け止めながら、千影先輩に突き飛ばされた田村先輩へと滝夜叉丸先輩が焦ったように手を伸ばした。しかし、田村先輩は目の前にあったらしい綾部先輩が用意したのであろう蛸壺へと落ちていった。突然穴のあいた地面に驚いていれば、千影先輩は小さく笑ってまた木を蹴り宙を舞い、枝から枝へと飛び移る。その動きには一切無駄がなく、そして飛び抜けていた。


「すっげ…、まるで野生だな、千影先輩…」


作兵衛の呟きに、僕は思わず頷いてしまう。山が好きだとは言っていたが、まさか山で戦うのも得意だったとは。
たん、とわざと滝夜叉丸先輩の目の前に着地して、千影先輩は薄く笑う。それに気を悪くしたのか、滝夜叉丸先輩はくるりと戦輪を回し始めた。僕は思わず、懐から苦無と手裏剣を取り出す。


「なかなかやるようだな…。しかしこの私には勝てないぞ…!」

「…やってみる?」


千影先輩の言葉の後、滝夜叉丸先輩の戦輪が飛ぶ。しかし、千影先輩はにやりと笑ってそれを避け、また枝の上に飛び乗った。そして、小さく呟く。来たよ、と。


「何が来たと言うのだ?戯言を言いおって」

「あらら、聞こえないの?この足音が」


まあ、別に良いけどね。へらりと笑って、千影先輩はまた飛んできた戦輪を避けるように隣の木に飛び移る。
荒い息遣いと、地面を蹴る足音が辺りに響き始める。思わず身をかがめて、僕は何が来るのか目を凝らした。


「咬んじゃ駄目よ、絶対に」


千影先輩の呟きと同時に、草むらから一斉に山犬が飛び出してきた。そして山犬達は威嚇をするように呻りながら滝夜叉丸先輩とタカ丸先輩を取り囲んだかと思うと、勢いよく二人に飛びかかる。


「うわわあ〜っ!?」

「ちょ、ま、タカ丸さっ…!」


驚いたタカ丸先輩が滝夜叉丸先輩を巻き込んで、姿勢を崩す。その先には、先程田村先輩が落ちていった穴があり、いち早くそれに気付いた滝夜叉丸先輩はさっと顔を青ざめさせた。しかし、どうにもならない。二人は勢いよく穴へと真っ逆さまに落ちていった。
少し離れた場所で、山犬に取り囲まれながら両手を上げた綾部先輩の前に、千影先輩が着地する。途端に千影先輩にすり寄っていく山犬達に、千影先輩は笑いながら山犬達の頭を代わる代わる撫で、綾部先輩を見やった。


「さて、私にはあと六人味方がいるけど、どうする?」

「…あーあ、」


僕も三年生と一緒が良かったな、なんて言いながら綾部先輩は僕らを見上げてきて、小さくため息を吐きながら自ら穴に飛び込んだ。ぐえっ、という誰かが踏みつぶされた声を確認し、千影先輩は僕らを見上げる。そして、へらりと嬉しそうに笑った。


「やったよー」

「…僕らの出番、ありませんでしたね」


遠くから学園の鐘の音が聞こえてきて、僕は作兵衛と顔を見合わせ苦笑しながら頬をかいたのだった。











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