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恋愛なんてものは、もうしたくもない。
高校三年になったばかりのまだ肌寒い四月。二年間通い慣れ親しんだ通学路とは全く別の新たな通学路を一人とぼとぼと歩きながら、私はまるで地面に何かとんでもない不幸な目に合わされたのかと思われるであろうほどに地面を睨みつけながら歩いていた。勿論新たな通学路が憎い訳でもないし、気に入らない訳でもない。そんなことでひたすら地面を睨み付けながら歩く人間がいたなら、どれだけ器の小さい人間なんだと呆れてしまう。お前の器は底に穴が空いてるんじゃないかと、肩を竦めて。しかし、そうでないなら私は何故地面をひたすら睨み付けながら歩いているのか。それは先に述べたように、恋愛というものに多大過ぎる程の嫌悪感を抱いているからだった。
そもそも私が新しい通学路を歩くことになった訳を知っていただきたい。私は先月行われた終業式のその日まで秀徳高校に通っていて、そこで私はそれなりに幸せでそれなりに甘酸っぱい高校生活を送っていた。というのもその頃の私はまだ恋愛というものに嫌悪感を抱いておらず、むしろ恋人までいたほどだったのである。それも、中学からの慣れ親しんだ、努力家で頭も良い、学内でも人気の高かった彼、宮地清志である。友達の延長のような付き合いをしていたせいか、彼はまるで私を女と思っていないかのような扱いを度々繰り返したが、私はそれでも構わなかった。好きという感情が確かにそこにあったからこそ、私は例え肩を組んだかと思いきやそのまま腕で首をしめられようと、ペットボトルの蓋を開けてくれたかと思いきやそのまま中の水を盛大にかけられようと、そのせいで濡れた制服から彼が貸してくれたジャージに着替えようとすればまだ腕を通していなかったジャージの袖を顔の前で結ばれ前を見えなくされようと、乗り切ってこれたのだ。
だがしかし、そんな私に友人がとんでもない一言をこぼすのと、両親からこれまたとんでもない一言を投げられたのは、宮地清志と付き合いだして一年と二カ月が過ぎた、終業式間近の日のことだった。昼間、友人は私に言った。あんた、ほんとに愛されてんの?と。そして、その夜両親は言った。ごめんねなまえ、もしかしたら通学時間がすんごく長くなるかも、と。友人のそれは、昼間の私にはさして気にならない一言だった。何せ先に述べたような付き合いだ、周りから恋人らしくないと言われることは慣れている。それ程酷い扱いだったのだ。しかし、夜になり通学時間が長くなるかもしれない所以を聞いた時、父が神奈川に転勤になりそれに伴い単身赴任ではなく私達家族と転居を考えていると聞いた時、考えたのだ。もしも、もしもだ。転校することになった時、彼はどうするのだろうかと。私が長い通学時間よりも神奈川にある高校を選び遠距離になってしまったら、彼はどうするのだろうかと。
それからの行動は早かった。翌日私は私が三時間目の後の休憩時間に購買で買っておいたメロンパンを宮地清志に奪われながら、彼に問いかけた。私を愛しているか?と。彼が少しでもそれらしい反応をすれば、私はそれを信じて長くなるらしい通学時間に耐えようと考えていた。彼の頷きや肯定の一言で、それは耐えられるものだと考えていた。


「は?何言ってんだよ。轢いてからトドメさすぞ」


それがなんということだ。轢くぞに加えてトドメまで追加されてしまったではないか。その時の私の心情を、どうか察して欲しい。がらがらと音を立てたのは私の心ではなく、机に頬杖をついていた私の腕が思わず滑り筆箱を落としたせいだったが、まさに私の心はそれに似た音を立てんばかりであった。おまけに舌打ちまでプレゼントされ、メロンパンは奪われ、私は呆然と彼を見つめる。そんな私に彼はあろうことか、見んなよブス、と中学生並の、いや、小学生並の悪口を吐き出したのだった。


「あ、そっか。そうなんだ。うん、ごめん。ほんとごめん。うん、じゃあばいばい。さよならだね」

「は……?」


スイッチがどこで入ったのか分からないが、私はメロンパンが彼の口に消えていくのを見つめながら、つらつらとそう述べ、すくっと立ち上がった。同じ教室内で昼食をとっていた生徒達がぎょっとこちらを向いたことはすぐに気付いたが、私は構わずすたすたと教室から出て行く。
きっと彼は冗談だと思ったのか、いや、それとも本気だろうと何も思わなかったのか。私達が友達の延長のような付き合いをしていたように、このようなふざけた茶番は度々あった。誰がてめえみてえな女好きになるか!と言われたらじゃあ別れましょうさようなら!と言い返して、次の日には普通に一緒に食事をしたし、別れるか、と問われ、わーお、と答えてほんの少しの間を置いた後に何事もなかったかのように次のデートの予定の話をしだすような関係だった。だがそれは、私が彼は私をちゃんと好いている、と思っていたころの話である。


「おー、はいはいさようなら」


きっかけとなった友人の言葉。生まれたほんの少しの綻びを埋める為に投げかけた問い。それに対する彼の言葉。私の頭はすぐさま長くなるらしい通学時間を選択肢からすぱーん!と外し、引っ越した先にある近場の高校に転入しようと決めたのだった。


「……カップル滅びろよほんとに……」


そして、時は流れて今。終業式のその日に何事もなかったかのように帰るぞーと話しかけてきた彼が私の抱える転校先でも元気でねという意味のこもったクラスメートからの花束を見て、心底驚いたような顔をしていたのを思い出しながら地面を睨みつけている。理由はそう、私が一年と二カ月も付き合っていた彼とは醸し出すことのなかったその桃色の空気を全開で歩く周りの恋人達が、憎いからだ。恋愛中な彼等彼女等が、心底、憎いからだ!
私は何とも思われていなかったというのに、別れたばかりだというのに、ちくしょう!ぐっと奥歯をかみしめて、私は地面を睨みつけるのを止めて前を見据える。そして堂々とした足取りで校門をくぐり、クラス分けの結果が張られた掲示板にわき目もふらず教室へ向かう。春休み中に母と転入手続きを済ませた私は、自分の所属するクラスなどとうに聞かされていたのだ。


「あ、おは、……よー?」

「おはよう」


教室に入ってきた私を友人と勘違いしたのか、挨拶をしてきた女子に笑顔つきで挨拶を返す。あんな子いたっけ?いやいない。そんな視線をびしびしと感じながらも、私はまだ人も疎らな教室内の一番ど真ん中の席を陣取った。何故ならこれも、教師に言われていたことである。お前は教室の真ん中の席に座っとけ、と。
鞄を机の上に置いたまま、ちらちら向けられる視線に気付かないふりをして窓から見える景色に目を向ける。運動場を突っ切って登校してくる生徒の中に幾人もの恋人達が見えて、私はぎりぎりと奥歯を噛みしめた。滅びろ。ほんと滅びろ。私にその幸せそうな空気を見せつけないでくれ!


「あれ、おかしいな、可愛い子の名前は全員把握してたつもりだけど、まさかこんなとびきり可愛い女の子を見逃していたなんて……」


そう、心の中でひたすら懇願していた時だった。
視界に影がかかり、上から低い声が降ってくる。しかも、とんでもない言葉で。
何事だろうかと顔を上げると、私の机に手をついて、私を見下ろす男子が一人。切れ長な涼しげな瞳を持つ彼は運動部なのだろう、スポーツバッグを肩にかけていた。見た目はいたって好青年な彼の口から今の言葉が飛び出してきたとは思えず、私はきょろきょろと辺りを見回す。誰だ。誰が言ったんだ。今のとんでもなく甘ったるい言葉、誰が言ったんだ。そして誰に言ったんだ。私は元恋人にですら、ほんの少しの甘い言葉をかけてもらえなかったんだぞ!


「……ふっ、ねえ、俺、君に言ったんだけど?」

「…………え」


ぎりぎりと通学路よろしく奥歯を噛みしめ甘い言葉をかけられたであろう誰かを探していたら、ふ、と優しい笑い声が降ってきた。その声にそろそろと目線を上げるとやはりそこには切れ長の瞳を持つ男子がいて、彼はその目を優しく細めて私を見つめていた。
よくよく考えてもみれば、至近距離から声がしたのだ。例え彼がいたって普通の好青年に見えるため甘い言葉を吐きそうになくとも、彼が口にしたと考えるのが当たり前だろう。そしてそんな彼は私の目の前に立っているのだから、私に対して言ったのだと考えるのもまた当たり前のことで。
そこまで考えて、私の今の一連の動きがとてつもなく恥ずかしいことに思えてきて、忽ち顔が熱くなる。何てことだ、宮地清志に散々な扱いを受けてきたせいで甘い言葉は自分には無縁のものだと思い込んでしまっていた。終業式のあの日ですら花束を持ち彼の誘いを断って帰ろうとした私に向かって、冗談言ってると轢くぞ、と暴言を吐かれた私には、とてもとても、無縁なものだと。因みに私は花束について問われたので転校するからと答えただけであって、冗談は言っていない。


「あ、あの、私……?」

「うん、そう、きみ。会ったことがあったら本当に悪いんだけどさ」

「あ、ううん、あのね、私今日転校してきたから」

「どうりで!そうだと思ったよ、だって君みたいに可愛い女の子の名前を知らない筈がないからね!」


目の前の彼は興奮気味にそう言って、私の前の席に一度スポーツバッグを置き、一瞬動きを止め、それから何故だか私の右隣にスポーツバッグを置き直す。新学期であり始業式の今日はまだ特に席順が決まっていないため転校生以外の私は皆それぞれ自由に座っているが、彼はどうやら私の前ではなく右隣を選んだらしい。それが妙に胸を高ぶらせて、私はにこりとこちらに笑みを浮かべた彼から目を逸らせなかった。そして彼もまた、私から目を逸らさない。
スポーツバッグを机の上にそのままにして彼が椅子をこちらに向けて座ったので、私も椅子を動かして彼と向かい合う。すると彼が一瞬目を見開き、教室内がざわついた。まずい、男子にがっつくような女だと思われただろうか。そんな考えが頭を過ぎったが、どうやらそれは杞憂らしかった。どこからともなく森山が頑張ってるぞ!と小さな拍手が送られ、目の前の彼は一層笑みを深めて私と距離を縮めようと椅子をがたりと動かし、私の膝と彼の膝が触れ合った。おお、とまたどこからともなく拍手が送られてきたが、私は触れ合う膝に驚きを隠せない。


「え、え?」

「俺、森山由孝。君の名前を訊いても良いかな……」

「あ、みょうじなまえ、です」

「みょうじなまえさんか、見た目通り可愛い名前だね、みょうじさん」

「あ、名前で呼んでくれて構わないよ?」

「なん……だって……!?」


どうやら先程から拍手を送られている森山という人物は目の前の彼だったらしく、かっと目を見開き口元をおさえる彼、森山由孝君に再び小さな拍手が送られる。何なんだ。一体何なんだ。何がどうして彼はこんなにも応援されているんだ。私が応援されたのは確か、あの暴言ばかりの彼にプロレスばりの技をかけられた時くらいだ。


「じゃ、じゃあ俺、なまえちゃんって呼ぶね!だからなまえちゃんも由孝って呼んでくれて構わないから!いや、呼んで!呼んでください!」

「あ、う、うん。よろしくね、由孝君」

「由孝君頂きました……!」


苦い思い出がしゅっと頭を通り過ぎていったと同時に、目の前の彼もとい由孝君は拳を突き上げる。その行動に周りから落胆のような声が聞こえてくるが、私は由孝君の行動が新鮮過ぎて、不思議と楽しくなってきていた。
今思えば、私は宮地清志と毎日のように一緒にいたわりに、恋人らしいことは何一つしていなかったように思う。肩を組んできたかと思えば首を絞めてくるような男だ。ろくに手を繋いだこともないし、甘い雰囲気になったこともない。デートというものはそれなりにしていたが、映画を見ながら手を重ねたことは一度だって無かったし、食事に行けばいつも彼に半分奪われていた。
私は、こうして、膝を突き合わせて座るなんて、したこと、ない。


「ねえなまえちゃん……こんなこと言うのは何だけど、俺、君が此処に転校してきたのは運命なんだと思う……」


こんなに、優しく笑いかけられたことだって、なかった。
ああ止めろ森山。誰かがそう言って、頭を抱えたのが視界の端に映る。いつの間にか由孝君は私の膝にあった私の手を握っていて、ぐっと距離が縮まっていた。



「ねえ、なまえちゃん、俺のこともっと知りたいと思わない……?」


大きな手。冷たくて、固い手のひら。すっぽりと私の手を包んでしまうそれに胸がどきどきして、そんな私に由孝君はとどめをさすように優しい笑みでそう問いかける。
いつ鐘がなったのだろう。教壇から頬杖をついた教師の視線が送られてくるし、席につき事の成り行きを見守っているクラスメートからの視線も此方に集中している。しかし、それに気付いても私は彼の手を振り払うことが出来なかった。
私は今朝まで、いや、つい十分程前まで、恋愛なんてもうしたくないのだと、通学路を睨みつけながら歩いていた。しかしそれは、どうやら間違いだったらしい。初めて感じる激しい動悸が勘違いでないのなら、これは、もしや、


「ま、まずは友達から、ゆっくり、知っていきたいです……!」

「っしゃー!前向きな友達から、いただきましたーっ!」


もしや、恋、なのでは。
おおおお!とざわついた教室内で、私は由孝君に手を握られたままそんなことを考えていた。その時の私はまさかこれから宮地清志による謎の執拗な嫌がらせにあい、そんな宮地清志に妙に張り合いひたすら私をときめかせる由孝君にいよいよ本気で恋をしてしまうとは思いもしなかったのである。








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