short | ナノ



高校生にもなってわんわん声を上げて泣く事になろうとは、私を泣かせた張本人である花宮君や周りで練習を行っていた部員達、そして私と花宮君の言い合いを傍観していた古橋君達はおろか、私でさえも思いもしなかった。
いらない。花宮君のその一言は、彼のしつこいいびりや嫌味に耐え、何度試合について行きたいと頼んでもその度に断られ、それでも仲間を支えねばと挫けそうになる心を何とか奮い立たせていた私の頑張りを無碍にし、ぽきりと折ってしまうには充分過ぎるもので。ずびずびと鼻を啜りながら渡り廊下を歩いて帰ろうとしていた私を鬼のような形相で追いかけて捕まえてきた彼に、あれは嘘だ、あんな事思ってない、と必死に弁明されたが、それでもその一言は私の心にずどんと大きな穴をあけてしまった。手をとってバスケ部の元へ連れて帰られたことや、その日の帰り道で古橋君達がやたらとお菓子を買い与えてくれたことは嬉しかったが、その穴は未だ埋まっちゃいない。


「……き、来ちゃった」


だからだろうか。いつもなら花宮君に無理矢理に言いくるめられ練習試合にも公式試合にも決して顔を出さなかったというのに、彼等に黙ってこっそりと本日の練習試合の相手である高校、秀徳高校まで来てしまったのは。
原君がお揃いと言って私にくれたよく分からない兎のぬいぐるみのキーホルダーが揺れるスクールバックをリュックのように背負い、私は制服の上から着ていたジャージの上着のチボタンを閉める。それから私は辺りをきょろきょろと見回した。誰も、いない、はず。


「み、見つからなきゃセーフ、だよね」


落ち着け、落ち着け私。心を落ち着かせようとスカートのプリーツを撫でながら、何度も心の中で自分に言い聞かせる。いっそのこと見つかった時の為に下もジャージでくれば良かっただろうか。だが、私はバスケ部用のジャージは上着しか持っていない。しかもこれはそもそも花宮君のお下がりだ。私もみんなみたいにジャージ欲しい、と一年の秋にボヤいたのを彼は覚えていて、一年の終わりに彼は新しいのを買うから、と今私が着ているこのジャージを私にくれたのだ。花宮君は、とても優しい。私が少しでもバスケ部内で過ごしやすくなるようにと、彼はいつも気をつかってくれていた。重い荷物は何も言わずに持ってくれたし、部員達の会話に無言で手招きして混ぜてくれたりもした。花宮君は、本当に、優しいのだ。
なんて、今になって彼の優しさを思い出し、私はふるふると首を横に振る。彼は優しい。優しいが、それとこれはまた別だ。彼なりに何か考えがあって、私を試合に連れて行かないということは分かっている。分かっているが、彼がその考えを言わないのだから私には納得のしようがない。納得のしようがないのだから、私は来てしまった。


「……ちょっと見たら、帰る。ほんのちょっと、覗くだけ……!」


そう自分に言い聞かせて、私はスクールバックを背負い直す。それから一度大きく深呼吸をして、ゆっくり目を閉じた。
ほんのちょっとだけ。ほんのちょっと、見たら、大人しく帰ろう。私はただ、花宮君達が、花宮君が、バスケをしている姿を、見たいだけ。見たかっただけ。


「よし!行くぞー!」

「おー、頑張れー」

「え、」

「ん?」

「……えっ!?」


ぱっと目をあけてそう意気込んだ瞬間真後ろから聞こえてきた声に、私は勢いよく振り返る。するとそこにはにこにこと楽しそうに笑いながら私を見つめるつり目がちな黒髪の男の子がいて、私は思わず目を見開いた。
彼が誰なのか、私は知っている。そしてこの状況がまずいことも、知っている。


「あんた霧崎の子?だよな?んで、バスケ部?ていうか、そうだよな。ジャージがそうだし」

「おわ、え、うえ、」

「もしかして迷った?なら俺と行こっか!連れてってやるよ!」

「ひい!?ちっ、ちちちちがいますすみません違います帰ります!」

「えっ、何で!連れてってやるって!ほんと!心配すんなって!手ぇ出したりしないからさ!」


そう言って秀徳のレギュラーである彼、一年の高尾君は私の手を花宮君がするよりも強引に私の手をひっつかみ、引きつった悲鳴を上げる私を引きずるようにして体育館へと向かったのだった。






「高尾、お前は忘れ物を取りに帰ったのではなかったのか」

「え?だから取ってきたじゃん、ほら、携帯とタオル」

「……今あそこで宮地先輩に睨まれている女は何なのだよ?」

「ああ、さっき校門で拾った!霧崎第一の子!」

「……怯えているようだが?」


そう言ってかちゃりと眼鏡を上げ、眉を寄せながら体育館の隅の人影を見つめたのは俺が今朝必死こいて自転車を漕ぎ此処まで送ってきてやった真ちゃんだった。
あ?やんのか?あ?轢くぞ?とばかりに、いや、実際言いながら体育館の隅で彼女、なまえちゃんを睨みつける宮地先輩は、不機嫌極まりない。というのも、彼は今日の練習試合の相手である霧崎第一を良く思っておらず、そこのマネージャーであろう彼女にも良い印象を持っていないからだ。彼女は必死に違うから帰らせてくれと頼み込んできたのだが、体育館に着くなり部員からの誰だという視線を浴びるなり反射のように霧崎第一バスケ部のマネージャーみょうじなまえです!と自己紹介してしまったのだから、とんだ可愛い馬鹿である。


「あんな可愛いマネージャーいるとか、良いよなー」

「……それは兎も角、肝心のバスケ部の連中はまだなのか」

「あー、もう来るんじゃね?多分」


顔を真っ青にして汗をだらだら流すなまえちゃんは、時折俺を恨めしそうに見つめてきたが、俺はそれに気付かぬふりをして笑顔で彼女に手を振ってやる。そのたびに彼女は泣きそうな顔をして情けない声を出すのだが、彼女は一体何がどうしてあんなに怯えているのだろう。まさか、バスケ部のジャージを着てはいるが、ただの追っかけとかだろうか。それがバレるとまずい、とかだろうか。


「おい、お前、髪結ばねえのか……」

「ひぃっ!?な、何ですか?えっ!?」

「人の話はしっかり聞けよ!パイナップル、……いやスイカ、も固えな、桃だ。木村、桃持ってこい!」

「優しいのかどうか分かんねえな」


今や霧崎第一など関係なく妙な絡みを始めた宮地先輩をぼんやりと眺めながら、一人そんなことを考える。もしもそうなら、それはそれで見ている此方は楽しいが、彼女が少し可哀想でもある。が、どうなのだろう。そもそもあの怯え方は、尋常じゃないというか。
ぐるぐるとそんなことを考えていれば、どうやら練習試合相手の霧崎第一のバスケ部が到着したらしい。体育館に向かって近づいてくる声に隣にいた真ちゃんも気付き、入り口に目を向ける。開け放されたドアの向こうに見えた人影は、不敵な笑みを浮かべていた。


「こんにちは、霧崎第一高校バスケ部です。今日はよろしくお願い、し、ま、」


と、思えば、ドアをくぐり靴を脱ぐ部員達と、一番先頭に立って此方に頭を下げた主将であろう男の顔が、見る見るうちに驚きの色に染まっていく。その視線の先は言わずもがな宮地先輩に絡まれて半泣きになっていたなまえちゃんで、彼は肩から下げていたスポーツバックをどさりと落とし、ぽかんと口をあけた。彼の後ろにいた男が膨らませていたガムが、ぱん!と勢いよく割れる。


「は、花宮、くっ、」

「……!なまえ!」


どうやら鞄を落とした男の名は、花宮さんというらしい。今にも泣き出しそうな情けない声で花宮君、と彼女が口にしたことにより、花宮さんは弾かれるように駆け出し、宮地先輩の元から彼女を奪う。それに続くように他の部員達まで彼女にわらわらと駆け寄っていくもんだから、少なくとも彼女はバスケ部に関わりの深い人物であることは確かだった。やはり、マネージャーだったのだろう。


「なまえ!何で来たんだよ!」

「う、ご、ごめんなざいいいいっ」

「な、くな!泣くな!バァカ!」

「だ、だっで、うああっ、怒らないでよお、」


何が何だか分からない。急に彼女を奪われ不機嫌さを隠そうともしない宮地先輩がひとまず距離をとろうと俺と真ちゃんの方に避難してきて、他の先輩達も遠目に霧崎第一の様子をうかがっている。しかし、当の本人達は俺達の視線に気付いているのかいないのか、なまえちゃんを取り囲んで此方を見ようともしない。本当に、何が何だか分からない。


「あんだけ来るなっつっただろ!分かんねえのかてめえは!このっ、バァカ!」

「だ、だっで、だっ、て、」

「だって?何だ?あ?言ってみろ、ほら、言え!」


座り込んでわあわあ泣くなまえちゃんの手を掴んで揺さぶる花宮さんの形相が恐ろしく、俺は同意を求めるように真ちゃんを見る。すると真ちゃんはそっと俺から目をそらし、宮地先輩を見た。彼は不機嫌そうに、小さく小さく呟いた。あいつ、みゆみゆに似てる、と。この人の頭も、何が何だか分からない。
ずびっとなまえちゃんが鼻をかんで、花宮さんとやらを見上げる。立ったまま彼女を見下ろす部員達と座り込んで泣きながら彼等を見上げるその姿は何とも異様で、これから練習試合をするとは思えない光景だった。


「だって、見たかったっ……」

「何がだ」


きゅ、と下唇を噛みしめた彼女の手を掴んだまま、花宮さんは低い声で問いかける。あからさまに威圧しているが、それでも彼女は負けじと彼を見上げて、睨み返そうと眉を寄せた。ただ、ぼろぼろと、涙がこぼれてはいるが。


「花宮君達が、花宮君がっ、バスケしてるかっこいいとこ、見たかっただけなのにいいいっ!」


またわあわあ泣き出したなまえちゃんに、彼女の手を掴んでいた花宮さんが目を丸くしたのが見えた。まさかそんな事を言われるとは思いもしなかったのだろう。まじで、と先ほどガムを破裂させていた男が呟いたのを皮切りに、彼女の手を掴んだまま動かない花宮さん以外の部員が戸惑ったように、そして照れくさそうに視線を交わらせる。一人だけ死んだような目をしていたが、多分彼も照れている、はず。
ううう、ぐ、と何とも言えない声を出し、なまえちゃんは唇をかんで俯く。手をとられているせいで涙が拭えず、赤らんだ頬を何度も何度も涙が伝って落ちていった。


「い、いらないとか、言わないでよっ……」

「………………」

「わっ、私、マネージャー、なんだよ?」

「……ああ」

「試合とか、応援したい、みんなのかっこいいとこ、わだじも見だいよおおおっ……!」


なんて泣き方だ。言っていることは可愛いが、なんて泣き方だ。顔は可愛いのに、勿体ない。
すとん。ぼたぼたと大粒の涙を流す彼女の手を掴んだまま、花宮さんはその場にしゃがみ込む。ずびぃっと汚く鼻を啜りながら彼女はそんな花宮さんを見つめるが、花宮さんは黙りこくって口を開こうとしない。その代わり、彼も彼で目の前のなまえちゃんをじっと見つめていた。
おかしいな。俺、今日の相手校には悪童がいるって聞いてたんだけど。おかしいな。何だこの空気。そろりと隣を見ると、真ちゃんは視界のピントを合わせたいのか合わせたくないのか何なのか、ひたすらに眼鏡のフレームを押したり下げたり繰り返し、不機嫌そうに彼等を見ていた。おかしいな。もうよく分からない。


「……花宮、もう諦めろよ」

「……うっせえよ古橋。黙ってろ」


とん、と花宮さんの肩を叩いて謎の沈黙を破ったのは彼の直ぐ後ろにいた死んだような目の人で、花宮さんはあからさまに眉を寄せながらそんな彼をにらみ上げる。


「おい、なまえ」

「……あい」

「ちゃきっと返事しやがれ」

「はいいいっ」


掴んでいた手をぶんっと勢いよく縦に振って、なまえちゃんの頭がその振動で揺れる。花宮さんはそんななまえちゃんの頭を空いた手でがしりと鷲掴み、おい、と周りから声をかけられようとその手を話さなかった。


「……見たいか、試合」

「……み、見たいっ」

「どんな試合するか、分かってて言ってんのか」

「しっ、てるよ、マネージャーだもん、知ってる!」

「……それでも、見たいのかよ……」


そろそろと、頭を掴んでいた花宮さんの手が彼女の頬におりてきて、手を乱暴に掴んでいたそれは、いつの間にか指が絡められていた。頬に移動した手が彼女の涙を優しく拭った所で真ちゃんがさっと顔を逸らして勢いよく後ろを向いたので、ああ、なるほどな、と俺は漸く一人納得した。
壁にかかった時計を見れば、練習試合が始まっている筈の時間である。後ろにいる宮地さんがほんの少しだけイラついたように舌打ちをしたが、彼は何も言わなかった。


「は、花宮のかっこいいとこ、見たいです……!」

「……そうかよ」


ぎゅっと握られた二人の手に、宮地さんが小さな声で、みゆみゆが……と呟いたのは、恐らくなまえちゃんを溺愛しているであろう花宮さんには言わないでおこう。












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