short | ナノ
「なんで駄目なの。私も行きたい」
「駄目だ。来るな。絶対来るな」
「行きたい行きたい行きたい!行きたい!」
「うっせえんだよバァカ!来んなっつってんだろ!」
ああ、彼奴らまたやってる。
バッシュと床が擦れ合う高い音の響く体育館の隅っこで、すっかり恒例となってしまった花宮とみょうじの押し問答を横目に、俺はこっそりボールを抱えながらため息を吐いた。時折体育館のすぐ隣のテニスコートから、またやってんぞ、と男テニの部員達が彼等の様子をのぞき込んできていたが、今の花宮にはそんな外野に優等生の外面を被る暇すら存在しない。まあ、普段から優秀な彼の事だから、こんな事で優等生という肩書きは崩れたりしないのだろうが。
「古橋ぃ、さっさとパス練終わらせようぜ」
「……あれを見てる方が面白いだろ」
「……古橋悪趣味ぃ。あんなの毎回おんなじじゃん」
ほんと悪趣味、と再度原は呟くが、悪趣味だと言いながら俺の隣に立ち二人の様子を大人しく眺めるお前は一体何なんだ。心の中で悪態吐きながら無言で原のわき腹を殴れば、まあまあ、と原は笑いながらその場に座るよう俺を促した。原と並んで座り眺める花宮の不機嫌極まりないその横顔は、一年が見れば顔を青ざめさせて怯えてしまうだろう。が、しかし、今はパス練の真っ最中である。今の花宮を見ているのは、それをサボっている俺と原しかいない。
「何で駄目なの!私も行きたい!行きたい!」
「しつけえ!お前しつけえな!駄目だっつってんだろうが!」
「……行きたいっ!です!」
「だぁから!駄目だ!」
「何で駄目なの!練習試合にもマネージャーは必要じゃんか!行かせてよ!」
「うっせえ!いらねえから来るな!絶対にだ!」
「いらなっ、」
よく飽きないよね、あの二人。
原が呟いたので、そうだな、とだけ返して抱えていたボールに視線を落とす。胡座をかいた足にそれを置き直して珍しく真面目にパス練をする瀬戸と山崎は、いつもと同じ二人のやり取りに飽きてしまったのだろう。ちらりと横目で彼等を見れば、瀬戸と山崎は隣にいる原のように呆れ半分の顔をしていた。
行きたい、行かせないの攻防が始まったのはいつだったか。初めの頃はマネージャーらしく練習試合の度についてきては選手を労り、相手校にも挨拶をし、俺達を見守ってくれていたように思う。しかし、その記憶は今や失われつつある。というのも、最初こそ猫被っていた花宮の悪童っぷりが顕著に出始めるにつれ、彼はみょうじに来るなと言い始めたのだ。初めて花宮に怒鳴られた日のみょうじの落ち込みようは、それはそれは酷いものだった。今でこそ呆れ顔をしている原と山崎が、おろおろと狼狽えながらみょうじを取り囲み慰めるくらいには。
しかし、俺達は一度だってみょうじをべっこんべこんに落ち込ませた花宮を責めた事は無い。彼が弁明をしなくとも、みょうじを練習試合や公式試合に連れて行きたくない理由は分かっていたのだから。きっと、分かっていないのは彼女、みょうじ一人。
「いら、ないとか、何で、そんなことっ、」
「………………」
が、しかし、今のは花宮の言い方が悪かっただろう。
ついてくるなと何度も言われその度に怒り落ち込んでいた彼女だったが、彼女はいつも最後には理由も聞かされぬままに自ら折れて、大人しく従ってきた。泣いたことなんて、無かった。無かったのだが、今の言葉はみょうじにとってとてつもない打撃となったらしい。見る見るうちに彼女の瞳に涙の膜がはり、駄々をこねていた彼女の口がぐにゃりと歪む。花宮が息を飲むのと瀬戸と山崎が此方に駆けてくるのは、ほぼ同時だった。
「わ、わたじは、う、うわあああっ!」
なんて汚い泣きかただろう。女子ならもっと静かに涙を流すとか、そういう泣きかたがあるだろうに。余程、感情が高ぶっていたのだろうか。
体育館にみょうじの叫び声に近い泣き声が響いて、今まで黙ってパス練をしていた部員たちの目が花宮とみょうじに向けられる。俺の後ろまで駆けてきて、それ以上進もうとしない瀬戸と山崎は、あーあ、とため息をこぼしていた。そしてそれに続いて俺と原がため息をこぼした瞬間、みょうじは相も変わらず汚い泣きかたで体育館を飛び出していった。
事の始終を見守っていた男テニの部員がぽかんと口をあけている中、花宮は何も言わずにそんなみょうじを見送るだけだった。
「…………今のは言い過ぎたんじゃね?流石に」
「……うっせ」
「まあ、花宮の言いたい事は分かるけどよ……」
原と山崎の言葉に、俺と瀬戸は頷く。みょうじの泣き声が聞こえなくなった体育館は、今の出来事を無かったことにするかのようにまたバッシュと床の擦れる音を響かせ始め、花宮と俺達だけが動けずにいた。
「言ってしまえば良い。それであいつは納得するんだ」
「……絶対言わねえ」
「けど、そしたらみょうじは部活に来なくなるぞ」
「………………今から連れ戻してくるっつうの」
花宮を責めた事など、一度だってない。誰一人として、これから先も。彼が何を考え誰を思ってそうしているか、バスケ部全員が分かっていたから。やはり、みょうじ一人を除いてだが。
俺の言葉に不機嫌そうに舌打ちを残して、花宮は体育館を静かに出て行く。きっと俺達の視界から消えた今、彼は全速力でみょうじを探しに走り出しているのだろう。そうする理由もまた、誰もが知っていた。知らぬ筈が無かった。
「マネージャーがいるってバレたらなまえが危ないって、言えば良くね?」
「……花宮は素直じゃないからな」
「……練習試合の帰りにみょうじが泣かされたら、あいつ絶対切れるだろうしな。こえー」
「ザキも切れるっしょ、流石に」
「ああ!?俺も!?……いやいや、お前こそ」
「はー?俺?俺は切れないよ。ぶち切れるよ」
「何が違うんだ、それは」
そう、彼が彼女を学校の外に連れていかない理由を、俺達はみんな、知っている。知っているから、責められない。
キュッ、とバッシュが床を踏み込む音を聞きながら、やんややんやと言い合う原達にため息を吐いて、今頃花宮に捕まりぼろぼろと泣いているだろうみょうじを頭に思い浮かべる。花宮が素直にお前が心配だと告げてしまえば楽なのに、そうはいかないのは花宮の俺達とは違う彼女への想いが邪魔をするからなのだと、それもまた知っていた。
足元に置いていたボールを手に取り、未だお前も切れるだのあいつも切れるだの言い合っている原と山崎の頭を小突き、瀬戸の背中を押す。俺達の心配も知らずに行きたい行きたいと駄々をこねるみょうじがとても大切な仲間だと、これもやはりみんなが知っていた。
「ほら、花宮達が戻ってくるぞ」
「へーい」
暢気に返事をした原に山崎が眉を寄せ、俺はそんな二人を見ながら瀬戸にボールを渡す。今日はきっと、みょうじを元気付けるため帰りが遅くなるだろうと思いながら。
不機嫌そうな顔をした花宮がずびずびと鼻を啜るみょうじの手を掴んで戻ってきたのは、それから一分もしないうちのことだった。