short | ナノ


「おいそこの女。その汚え髪型をどうにかしろ」

「……兵士長こそ、そのちっせえ身長の割にでっけえ態度をどうにかしろや、です」


訓練兵団を卒業してまだ三日と経たない新兵達を壁の外に連れ出すのは如何なものだろうか、と、エルヴィンに問うたのは昨夜のこと。磨き抜かれたせいで蝋の灯りにゆらゆらと光るカップを片手にエルヴィンは肩を竦めたが、決して意見を覆そうとはしなかった。面白い子が入りそうだ、とつい一週間前に言っていたあの言葉は叶わなかったのだろうか。彼奴を上機嫌にさせるほどの期待の新人をわざわざ殺すような真似をするとは到底思えず、今期入団した三十余名の調査兵は不作なのかと溜息を飲み込んだのだ。だが、それも良かったのかもしれない。いざという時に戦える人間を、わざわざ壁の外へ放り出す事は無い。壁の中でぬくぬくと育ちながら、自身の寿命を全うするのも一つの道である。自ら死を選ぶ必要性など、これっぽっちとしてないのだ。
そう、諦めにも似た溜息を再度飲み込んだのが、昨夜のこと。
これっぽっちとして期待もせず、しかし今日、今からわざわざ壁の外を選んだ新兵達はどんな人間なのだろうか、と興味が沸いたのは、先程のこと。巨大樹の森を調査するためだけの壁外調査に、さして人数は要らないとエルヴィンは考えたのだろう。それでもしっかりと新兵を隊列に加えている辺り、早く一人前になれというエルヴィンの意思が伺える。馬に跨がりいつもの半分以下の数の隊列を組む兵団の中、ぽつりぽつりと不安でたまらないという顔をした新兵を視線で追いながら、自分の隊列の元へと馬を進めていれば、ざっくりと鋏で適当に前髪を切り落としたかのような見知らぬ女がいた。短すぎる前髪の中、いっそ後ろで纏めている髪とともに縛ってしまえと思うような長さの前髪が数房混じっており、どうにもそれが気になった俺は擦れ違いざまに女に言葉を吐き捨てた。しかし、女はあろうことか見た目に違わぬ汚い言葉を俺に返し、形の良いエメラルドグリーンの瞳を不機嫌そうに細めたのだった。


「……てめえ、死にたいのか」

「はっ、死にたきゃとっくに死んでるって、です」


わざわざ殺すような真似を、と、昨夜彼奴に思ったことを撤回しよう。死ねとは決して思わないが、初めて目にする巨人に小便でも漏らせば良い。それから、弱い自分に後悔しろ。
ぎらぎらとした瞳で睨みつけてきた女に一つの舌打ちを残し、自分を待つ隊列へと馬を進める。背中に女の舌打ちが刺さったが、生きて帰れる保障のない新兵の女にそれ以上構っている時間は無い。さっさとビビって泣きわめけば良いのだ。一人そんな事を考えながら、俺は遅いよ!と此方に手を振るハンジの元に手綱を向けた。

それが、終えるには早すぎる本日の壁外調査の前の出来事である。


「おいエルヴィン、あの女はどの班に入れるつもりだ?」


昨夜と同じカップを片手に俺を振り返るエルヴィンに、さっさと脱ぎ捨てたい血で汚れた隊服のまま問いかける。俺を振り返ったエルヴィンの横顔は消えかけた蝋の灯りに頼りなく照らされ、細められた視線の訴える真意は掴めなかった。
そんな目の前の男が総員撤退と声を荒げたのは、壁を出て一時間程進み、予定通り巨大樹の森を調査している時のことだった。先頭を走る隊列が突然現れた奇行種の群れによって蹴り飛ばされ、いつもより早く撤退の合図が出されたのだ。
横から勢いよく蹴り飛ばされ宙を舞い、巨大樹に叩きつけられた兵士の中に、何人の新兵がいたのだろう。俺の後ろを駆ける隊列から幾つかの悲鳴が聞こえて、俺は舌打ちを隠せなかった。こいつらを生きて帰してやりたいのは山々だったが、運の悪いことに蹴り飛ばされた中に腕利きの兵士がいたのである。自分一人で今そばにいる新兵達を守ってやれるとは到底思えず、離れた場所を走るエルヴィンの隊列を見る。手伝えと叫びたいところだったが、残念なことに右方からも巨人の群れが此方へと迫ってきていた。


「なーにやってんの!アレックス!」


思わず奥歯を噛んだ、その時だった。右方の巨大の群れがなぎ倒されたと思えば、俺の遙か上空を何かが勢いよく飛び越えていき、楽しげな声が響いたのは。ぱたぱたと、隊服に血が降ってくる。
弾かれるように振り返ると青ざめた顔で後方に手を伸ばす背の高い男が見えて、その視線の先を追えば先頭を走る奇行種の足首を切り落とす小さな影があり、目をひんむいた。隊服に落ちてきた血は、あの影が握る刃についていた巨人のものだろう。そいつは地面に足をつけるなりガスを噴かせ、一瞬で上空へと跳んだそれは巨大樹を蹴り、一気に方向を変えて起きあがろうとする奇行種の首もとを抉るように切り落とし、未だ伸ばされていた手へと自分の手を伸ばす。
どっ、と新兵の男の後ろに乗った女は、今朝俺が小便でも漏らせば良いと思っていたあの女だった。


「見たのか、リヴァイ。どうだ、面白い子だったろう?」

「…………躾のしがいがありそうな餓鬼だ」


男の肩に手を乗せ、後ろから追いかけてくる残りの巨人の群れを暢気に振り返っていた女の横顔を思い出す。生意気な餓鬼は好きじゃないが、あの女が従順な犬になったらどれほど気分が良いだろう。少なくとも、壁外調査で死ぬ仲間は減る筈だ。
カップをソーサーに戻したエルヴィンが俺の後ろの扉を見つめたので、俺もそれにつられるように扉を見る。耳を澄ましてみれば聞き慣れた騒がしい声が近付いてきて、思わずエルヴィンを見た。エルヴィンは、小さく笑っていた。


「入るよ!エルヴィン!」


バンッ!と勢いよく開いた扉を潜り、見慣れた眼鏡が部屋に踏み行ってくる。その手に逃がすまいと捕まえられた人物に直ぐに気付き、此方を見ようとしたエメラルドグリーンから逃れるように目を逸らした。


「遅かったね、ハンジ。それからなまえ」

「いやあ、この子があまりにも巨人のことを知らないからさ、少し教えてあげてたら時間が経っちゃって!」

「そうか。なまえは座学は苦手だったらしいからな。……なまえ、初めての壁外調査はどうだった?」


視界の端で、女、なまえがハンジの手を振り払う。かつ、とブーツの底を踏み鳴らしてエルヴィンに向き直ったそいつは、馬から下りてみると随分小柄な女だった。不機嫌そうに寄せられた眉に一言二言小言を言っても良いものだと思われるが、エルヴィンはそれについては何も言わない。思いの外、エルヴィンは女を気に入っているようだった。


「巨人は思ってたより弱かった。あんなものに人類が脅かされてるなんて、馬鹿みたい。だと、思った、です」


相も変わらず汚い言葉遣いで、女はそう吐き捨てる。たった三日前に調査兵団に入団した女の言葉とは思えないが、巨大樹の森での活躍ぶりを目にしてしまったため、舐めんなと後ろから頭を殴ることは出来ない。初めての壁外調査にしては、女は充分すぎる活躍を見せたのだ。ただ、今思えばこいつはアレックスとかいう男を助けに来ただけにも見えたが。


「そうか。それは頼もしい。だが、君はもっと強くなれる。もっと沢山の巨人を、その手で倒すことが出来る」

「…………」

「そこにいる、リヴァイの班に入ればね」


金髪の長身の男を思い出していれば突然話が俺へと向けられ、俺はエルヴィンを見る。女に微笑を向けるエルヴィンは、俺が此処に話しに来なくとも初めから女を俺の班に入れるつもりだったのだろう。俺を気遣うような素振りは微塵も見せず、真っ直ぐに女を見つめていた。隣に立つハンジだけが、残念そうな顔をしている。
エメラルドグリーンのアーモンドの形をした瞳が俺を見る。ゆらゆらと揺れる灯りに照らされた短すぎる前髪の下で、眉がぎゅっと寄せられた。


「こんな男の下とか、絶対嫌だね」


窓から入る隙間風に、蝋の火が大きく揺れる。俺とエルヴィンが固まる中、女、なまえは不機嫌さを剥き出しに歯を思い切り噛みしめ、ダンッ!と床を踏みつけ、乱暴に敬礼をして踵を返した。ただ一人そんな女の行動について行けたハンジがじゃあ私の班に!と叫びながら女を追って部屋を出て行ったが、俺は何も言えなかった。
あー。エルヴィンが戸惑ったような声を上げたので、俺はエルヴィンを見る。頬をかきながら俺を見るエルヴィンの瞳は、ゆらゆらと揺れていた。


「……だ、そうだ、リヴァイ。すまない」

「……ハッ。俺の班に入りてえと思わせるまでだ」


アレックスー!と女が廊下であの新兵の名を叫ぶのを聞きながら、俺はエルヴィンに背を向けた。廊下に出ると、女はハンジから逃げるように金髪の男の背に負ぶさり、走れ走れと声を上げているところだった。












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