short | ナノ



「お前だけは手放し難いな」


サソリさんがそんな事を言ったのは、私がいつものように彼の傀儡の背中を乗り越え、彼の膝小僧に顎を乗せるようにしてしがみついた時だった。
当時まだ六つだった私は、九つも上の彼の言葉を理解するには頭が足りず、ただひたすらに彼の呟くように小さな声で紡がれた言葉を理解しようと、彼の膝小僧の上で頭を傾ける。しかし彼は端から私が理解することなど期待していなかったのだろう。いつものように私の尻が乗った足の甲を少し上に傾けて、私を床から浮かしてぶらりぶらりと横に揺らした。今思えば彼の細い身体の何処にそんな力があったのだろうかと甚だ疑問であるが、当時の私はその行為を何ら不思議に思わなかった。傀儡部隊に所属していた父が亡くなった四つの時から、彼と私はこうしていたのだ。父のいない寂しさを父がいた待機所で埋めようとする度に彼にしがみついて、そうしていたのだ。一年を過ぎた頃には、それは特に理由のないじゃれあいという行為に変わっていたが。
ぶらりぶらりと私を揺らしながら、サソリさんは私をじっと見下ろす。彼が漸くゆっくりと動きを止めたのは、サソリさん、と私が彼の名を呟いた時だった。


「ねえ、サソリさん」

「……何だ」

「サソリさんは、何処か行っちゃうの?」


一瞬。ほんの一瞬だった。彼は気怠げな瞳を瞠目させ、微かに唇を震わせ私を見下ろした。しかし、それは言葉通り一瞬で、彼は直ぐにいつもの気怠げな瞳を私に向ける。彼は、何も言わなかった。
膝小僧から顎を外して立ち上がり、椅子に腰掛けていた彼の膝によじ登る。父と違い華奢な肩に手を這わせば、サソリさんは黙って私の手をとった。十五と六つの違いは、何だろうか。手の大きさ、手の柔らかさ。身長、体重の違い。知識の量。見てきた景色。それから、殺めた人の数。


「私はね、ずっとサソリさんとこうしてたいな」

「………………」

「サソリさんのこと、だいすきだよ」

「…………そうか」


ぽつりと小さく呟いた彼はそれきり何も言わないで、私の小さな手をやわく握るだけだった。ぽてりと彼の肩に頬を預けて、繋がれた手を見つめるサソリさんの横顔を見て、私は何を考えていただろう。今となっては思い出せないが、思い出せないということは特に大したことは考えてなかった証である。ただ思い出せるのは、繋がれた手を見つめる彼の瞳が、ひたすらに真っ直ぐだったことだけである。まるで、焼き付けんとするばかりに。


「サソリさん、明日も任務無いんでしょう?」

「………………」

「明日も、ここ来る?明日も、遊んでくれる?」


彼と私が遊んでいたのか、この行為は遊びという概念に当てはまるのか、それは分からない。そもそも、彼がどうして私に構ってくれていたのかも、私は分からない。家族のいない私を、自分と重ねて同情していたのだろうか。それとも私がそうだったように、寂しさを埋めようとしていたのだろうか。それともただの、気紛れだったのだろうか。
こくりとも頷かず、何も言わず、サソリさんは私を静かに抱き寄せた。彼の真っ赤に燃える短い髪が頬に触れ、それから柔らかな彼の頬が私の頬に重なる。少しだけ冷たく感じたのは、きっと私が子供体温だったからだ。そんな私の頬に頬擦りし、彼が笑っていたことを、触れあった頬で感じ取っていた。結局彼は、それから何も喋らず私と意味の分からない触れ合いをするのみだった。






サソリさんと最後に会った六つの頃の記憶を思い出したのは、それから十九年が経ったある日の事だった。傀儡部隊に所属する上忍となった私はその日意味もなく里を出て、ただひたすらに砂漠を練り歩いていた。振り返れば遠くに蜃気楼のように揺れる我が里をぼんやりと眺め、つい先日風影に就任したばかりの青年を思い浮かべる。それと同時に、もしもあの夜、彼がこの里を去らずにいたのなら、彼が風影になっていたのだろうか、という考えが頭を過ぎった。
父がいた傀儡部隊の待機所で、私を待つかのように部屋の隅で傀儡の手入れをしていた彼。私が駆け寄れば傀儡で近寄るなとばかりに邪魔をするくせに、いざ私が彼に触れれば途端に諦めた彼。足にしがみついた私を、ぶらりぶらりと横に揺らして見下ろす彼。それから、何にも言わずにただ私を抱きしめて、里を抜けた彼。
今まで幾度か分からないほど彼の事を思い出してはいたが、彼が里を抜けたあの日のことを思い出すのは随分と久し振りで、何故だかとても苦しくなった。風影があの青年になったと同時に、時の流れを感じてしまったからなのかもしれない。私は二十を五年も過ぎていて、見掛けは随分と大人になってしまった。しかし、中身はきっとあの日のまま何も変わっちゃいない。砂を巻き起こす強い風と共に現れた彼のように、私は何も変わっちゃいない。


「……随分と久しいな」


渇いた砂が頬にへばりつき、吹き付ける力を弱めた風が血の匂いを鼻に運ぶ。砂が入らぬようにときつく閉じていた目を開けるとそこにはあの日と寸分違わぬ姿をしたサソリさんが立っていて、二十五の私は情けないことにその場にへたりと座り込んでしまった。気怠げな瞳が、ほんの少しだけ見開かれたことを、私は見逃さなかった。
彼が抜け忍になったと聞かされたのは、あの日から数日経ってからだった。彼を見つけ次第殺せと言われたのは、下忍になって直ぐだった。彼は一体どのような悪人になってしまったのか。当時の私は相も変わらず頭が追いついておらず、記憶に残る彼と暁である彼を結びつけることが出来ずにいた。しかし、彼は今まさに、目の前にいる。暁である証の衣を纏い、私の目の前にいた。あの日と変わらぬ姿のまま、そこにいた。


「たまたま通りがかったが、やっぱりなまえだった、」


その瞬間の事を、私は今もよく思い出せない。
気が付けばぐちゃぐちゃでどろどろとした感情の波が体中を駆けめぐり、私の涙腺を決壊させていた。ぼろぼろと涙をこぼすのは、実に十九年ぶりだっただろう。彼が去ったと知らされて以来とんと姿を見せていなかった雫が呼びもしないのに次々と溢れ出し、私は只々自分に驚くばかりだった。
ぴたりと言葉を紡ぐことを止めたサソリさんが、微かに開かれた唇から吐息をこぼす。ざり、と砂を踏みしめて距離を縮めたのは、サソリさんだった。


「……デカくなったな」

「サソリ、さ、」

「…………泣くな。益々手放し難くなる」


似たような言葉を、私は聞いたことがあった。しかしその時は目の前の事にまさにいっぱいいっぱいで、それがいつどのようにして言われたのかまで、詳しく記憶の糸を辿ることは出来なかった。
頬に触れた指がとても冷たくて、私はとっさに彼の手をとる。私が彼を捕まえて殺すと、彼は考えなかったのだろうか。陶器のように滑らかな指を彼は自ら絡ませて、その場に立ち尽くしたまま繋がれたその手を見下ろしていた。


「……なまえ」


頭上を、大きな鳥が飛んでいく。里ではおろか、生まれてこの方見たことのない不可思議な鳥が私達に陰を作り、サソリさんの表情は見えなくなった。
繋がれた手がするりと解け、ぼろぼろと涙がこぼれる。行かないでくれと言いたくて堪らないのに、言葉に出来なかった。言葉にしたところでどうにもならないことを分かっていたから、言葉になんて出来なかった。
また泣き出した私の頬を陶器のような指が滑り、私はとうとう嗚咽を漏らす。彼はきっと見た目はあの日のままでも、中身は随分と大人になっていたのだろう。見た目と裏腹に子供のままの私の頭を静かに撫でて、それから彼は再度口にした。やはり手放し難いな、と。


「なまえ、死ぬなよ」


手放し難いのなら、手放さないでくれ。どうか私を殺すなりなんなり、してくれ。嗚咽を漏らしながら、私は唇を噛みしめきつく目を閉じる。そして次に目を開けた時、彼はもうどこにもいなかった。
そんな彼が死んだと聞かされたのは、暁によって攫われた風影を木ノ葉の忍が救った、その日から一年が過ぎた日のことだった。






なんて、私はどうして、忍界大戦真っ只中の今のこの状況でそんな事を思い出しているのだろうか、と、我ながら呆れてしまう。呆れてしまうものの、どうしようもない。ぼろぼろと溢れる涙だって、どうしようもない。まさか奇襲部隊として最初に出会った敵陣に、サソリさんがいるなんて思いもしなかったのだ。
部隊長であるカンクロウが機々三発で捕らえたサソリさんに、私はよろよろと歩み寄る。戦争中に、こんなことをしている暇はない。少しでも多くの敵を倒して、勝たねばならないのだ。私は、私達は、勝たねばならないのだ。


「サソリ、さん、」

「なまえ……お前にはよく会うな……」


私は、勝たなくては、ならないのだろうか。
よく会うなんて、嘘ばかり。貴方が里を去ってからこうして会うのは、今で漸く二度目ではないか。貴方はあの日、死んだではないか。
ぼろぼろ涙をこぼす私に、カンクロウは何も言わない。隣で捕らえられているもう一人の暁は何かを叫んでいるが、私の耳には言葉として入ってこない。


「サソリさん、死んだん、ですか」

「……ああ」

「私、サソリさんは、人傀儡になったから、死なないって、思ってました」

「…………そうか」


ひやり。冷たい檻に手をつけて、私は中から響く声に耳を傾ける。ぽつりぽつりと確かめるように短い言葉を返す姿は目に見えないが、私が瞼をおろせばその姿は簡単に思い浮かべることが出来た。
脳裏に焼き付いて離れないサソリさんの姿を思い浮かべ、檻に手を這わす。かり、とそこに爪を立てれば少しの間を置いて中から同じように爪を立てた音がして、私はぼろぼろ泣きながらそこに手を合わせた。冷たい檻越しに合わさった手を、彼は見ているだろうか。あの日と同じ真っ直ぐな瞳で、見てくれているだろうか。


「サソリ、さん、サソリさんっ……」

「………………」

「サソリさ、ん……」


檻に額をつける。冷たい檻越しに、額のあたりでぺたぺたと音が響く。撫でているつもりだとしたら、大正解だ。私の涙腺は限界というものを忘れ、はたはたと地面を濡らしていった。それが彼に伝わっているのか、ただの勘なのかは分からないが、小さな声が中から響く。泣くな、という声は、微かに震えていた気がした。
どうしてあの日、幼い私を連れて行ってくれなかったのか。どうしてあの日、見掛けだけは大人になった私を連れて行ってくれなかったのか。どうして貴方は、幼い私を突き放さず手をとってくれていたのか。どうして貴方は、あの日私を抱きしめたのか。どうして、どうして私は、あの日も今も、何も言えないのか。
足にしがみついた私を、ぶらりぶらりと横に揺らす彼は、何を考えていたのだろう。泣くな、と再度檻の中から声がして、私は彼の膝小僧から見上げた彼の端正な顔を思い出す。気怠げな瞳は私をじっと見下ろして、何も言わずゆっくりと私を揺らすばかり。私は、今も、昔も、何も知らない。あの頬擦りの意味だって、知らない。


「サソリ、さん、」

「…………」

「大好き、大好きだよ、ずっと、ずっと大好きだった、今だって」


ぺたり。檻の中から、彼の手が唇に触れる。冷たいそこに唇を這わせ、私は目を開けた。ぼろぼろと溢れる涙は、もう気にならなかった。
足下を見下ろして、幼い私を思い浮かべる。六つの私を抱きしめて、彼は何を感じたのだろう。考えたところで到底答えは出そうにないが、それでも、彼が私と同じ気持ちなら良いなと、そんなことを考えた。


「……サソリさん」

「…………何だ」


冷たい檻に頬を寄せる。ぶらりぶらりと揺られる感覚を思い出し、彼の名を呼ぶ。あの日のまま。何もかも、あの日のままだ。私は何も、変わっちゃいない。幼い、六つの頃のまま。私はずっと、彼を好きなまま。


「手放さ、ないで。この戦争が終わったら、きっと追いかけるから、今度はちゃんと、」


私を一緒に、連れて行ってね。
震える声で言い切って、私は檻に爪を立てる。彼は今、何を考えどんな顔をしているだろう。呆れたような顔をして、ふざけたことを言うなと思っているかもしれない。それでも、私は良かった。彼はあの日のように何も言わなかったが、確かに私と同じように爪を立てたのだから。








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