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幼い紅明と年下従者の話。捏造注意。



「私なんかを護っても仕方ありません。私にあてがわれた時点で、お前には輝かしい未来など夢見ることも許されないのです……」


決して日当たりの良くない薄暗い部屋によく合うその陰気臭い声と台詞は、当時齢八つであった紅明皇子が初めて私に向けて吐き出した言葉であった。
はしたなくも寝台の上で書物を広げ、日の光など浴びてやるものかとばかりに頭から掛け布をかぶり、伸びに伸びた紅い前髪の隙間から覗きこむようにして紅明様は扉の前に立つ私に目を向けた。彼より三つ下の私はつい二日前に彼に付き従うようにと父から命じられた身であったため、彼のその言葉の持つ意味とやらを隅から隅まで理解することは出来なかった。ただ思ったのは、何を馬鹿なことを、という失礼極まりない蔑みのこもったそれだけである。


「……紅明皇子、わたくしにははかりかねるお言葉であります」

「そのままの意味ですよ。私なんかの従者になるなんて、可哀想だと、そういう意味です」

「はあ……かわいそう、でございますか」


たった三つ。されど三つ。物心つく頃には剣を弓を槍をと握らされていた私より、彼はきっと重くて黒くて汚いものを沢山飲み下してきたのだろう。だからこそ彼はぼそぼそと陰気臭いとはいえとても八つとは思えないほど滑らかに話すことが出来るし、長い前髪の隙間から濁った目を私に向け、掛け布をすっぽり被るのだ。父が皇帝の弟君であり、そしてそこから理解できる彼の地位を思えば彼がそうなることは由緒ある武官の家の出である私にも理解することが出来た。そう、五つの私でも、分かることだった。


「…………しつれいをしょうちでお言葉をかえします、紅明皇子」

「……何ですか」


紅明皇子が身体を動かせば、彼を囲うように寝台の上に積まれていた書物がどさどさと音を立てて落ちていく。一つ二つと巻物が床を転がり私の足下にやってきたが、私はそれを拾わずただ紅明皇子の目を見ていた。主と易々と目を合わせるなど、考えてもみれば我が家では斬首に値するが。


「わたくしはけっしてかわいそうなどではございませぬ」

「……お前はまだ分かっていない。私は王座に座す可能性が低いんです。いいえ、低いどころかあり得ません。あり得ないんですよ」

「ですが、わたくしはかわいそうなどではございませぬ。わたくしは、むしろしあわせものにございます」


掛け布がすとんと頭から落ち、乱れた紅い髪の全貌が姿を現す。今すぐにでも御髪を整えねば、と慌てて部屋の隅でうすらと埃を被っていた鏡面台から櫛と結紐を手に取り、目をしばたかせる紅明皇子に駆け寄る。失礼いたしますと一礼してから彼の紅い髪に櫛を差し込んだが、紅明皇子の御髪はなんとも頑固者だった。
髪が途中で切れてしまわぬようにとそっと櫛を滑らせながら、ほつれた髪は指先でほどいていく。もっと大人の世話好きな侍女がする仕事のはずだが、今この場にそんなものはいない。この場じゃなくてもいやしない。彼にはたった数人の従者が、彼の弟君である紅覇皇子と共にあてがわれているだけなのである。その数人もまだ幼い紅覇皇子に付きっきり。本来はお付きの従者が一人乃至数人は付くのだが、彼の場合はそれが私なのである。彼の御髪を整えてくれる大人など、ここにはいないのだ。


「……お前は頭がおかしい」

「…………おか、しい、ですか」

「おかしい、おかしいに決まっています。私なんかにあてがわれ出世も望めないというのに、幸せ者だなんて、そんなっ、そんな筈がない!」


ぷちぷち、と紅明皇子の御髪が切れて櫛に絡みついてしまったのは決して私のせいではない。紅明皇子が顔を歪めて真っ赤にし、勢いよく私を振り返ったからだ。
紅い前髪の隙間から、紅明皇子は年端もいかぬ私を睨みつける。睨みつけたかと思うと紅明皇子は嘘を吐くな、私なんて、兄様ならまだしも、私なんて、そんな嘘を、とぼそぼそと陰気臭い声で並べていく。まるでお前は嘘吐きだとばかりの言われように五つの私は鼻の奥がつんと痛むのを感じたが、それでも泣くことはしなかった。
私は五つの子でも、彼の、紅明皇子の従者であり、右将軍李青龍の血族なのだ。


「わたくしは、うそはつきませぬ」

「嘘です、嘘、嘘ばかり……、嘘を言うな!」

「うそなどではありませぬ、わたくしはしあわせものにございま、す!」

「ぐっ!?」


櫛に絡まる紅い髪を摘まみとり、このままでは御髪を整えられないと紅明皇子の顔を無理矢理前に向かせる。泣きはしない。泣きはしないが、私は五つだった。ほんの少しだけ、やけになっていた。
まるで大きな毛の塊のようなその髪に櫛を通しながら、その髪の下に隠れている紅明皇子の背中を撫でる。細過ぎるそれに思わず眉を寄せたが、私は一度奥歯をかみしめ唾を飲み下した。紅明皇子の背中は、ほんの少し震えているように思えた。


「わたくしは、おんなです。おんなは、おんななんかは、従者にはなれぬと、兄上にいわれました」


背中から手を離し、その手で髪を梳く。それから櫛を置き髪を一つにまとめ、結紐で結び上げる。


「ですが、わたくしは従者になれました。あなた様にはみとめられていないかもしれませぬが、今、わたくしは、従者なのです」


着崩れていた召し物の襟を後ろから直し、後で掛け布を洗おうと寝台のわきにそれを追いやる。それから紅明皇子の前にまわり膝をつけば、彼は私をじっと見下ろして小さく小さく何かを囁いた。それが何と言ったのか、私には分からない。もしかすると何も言わなかったのかもしれない。けれど、重たくて真っ黒で汚いものを飲み下すような顔は、していなかった。


「あなた様がなにものであろうと、わたくしにはかんけいありませぬ」


そっと拳を合わせて頭を下げれば、紅明皇子は寝台の上で息をのむ。その息づかいを聞きながら目を閉じて、私は言葉を続けた。


「わたくしは、あなた様の従者になることができ、ほんとうにしあわせものにございます」


ぐずぐずと、紅明皇子が鼻を啜る音が聞こえる。何故泣くのか分からないが、私は慌てて立ち上がり鏡面台の引き出しから手拭いを引っ張り出し、彼の顔に押しつけた。
私よりも大きな彼が、賢い彼が、泣いている。陰気臭い声でぼそぼそと話していた彼が、声も上げずに泣いている。紅い前髪の隙間からぼろぼろ落ちていく涙に胸が痛んで仕方ない。


「わ、私は、決して良い身分ではありませんよっ」

「なにをおっしゃいますか。あなた様は皇子ですよ」

「下から数えた方が早いんです、そっ、その意味が、分かるでしょう」

「わかりませぬ。わたくしにはわかりませぬ」


しゃくりを上げる紅明皇子の鼻を拭き頬を拭き、頭を左右に振る。真っ赤に充血した目が私をじっと見つめてきたが、否定することを止めない。
紅明皇子のか細い指が私の手に触れたので、涙を拭うのを一度止める。ひやりと冷たい指先は、先ほどの背中のように震えているように思えた。


「わたくしの皇子は、あなた様だけなのです。わたくしには、あなた様だけなのです」


煌帝国の皇子ともあろうお方が目の前で鼻水を垂らしているだなんて。五つの私にはその事の重大さに気付けぬまま紅明皇子の鼻水を拭う。悲しいのか苦しいのかそれとも怒りなのか、兎にも角にもぎゅっと眉を寄せて大人しく私に鼻水を拭われる紅明皇子が決して悪い人ではないのだと分かったのはこの日のことで。


「わたくしのいのち、あなた様のためだけに。紅明皇子」

「……約束ですよ。私がどれだけ堕ちようと、お前は私から離れてはならない」


そして、儚くも小さく笑った紅明皇子に、一生涯を捧げようと誓ったのもこの日のことなのであった。
まさか、彼の離れてはならないという言葉がどれほど重いものかも五つの私は知らなかったのである。




「お前は、私のものなのですね」




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