「お帰りニナ、俺の可愛い妹よ」


サミュエルの華奢で骨ばった手を借りながら紅い汽車を降りて、ひやりと冷たい霧が立ち込める薄暗い森を無人の馬車で越えた先に待ち受けていたものは、ちかちかと細やかな煌めきが舞い飛ぶような笑顔と、呆れたようなうんざり顔だった。
馬もいないのにどうして馬車は進むのだろう。それも、時折地面に生える草や折れた枝を気にするように、不規則に止まりながら。同じ馬車に乗ったミネルバとサミュエルと三人で話し込みながらも少し遅めの夕食をとるために大広間に足を踏み入れた途端、柔らかなものが私を包み込んだ。は、と息を止めて顔を上げるとそこにあるのは笑顔とうんざり顔で、それもいつもと正反対のものだから、私は顔に当たる柔らかなそれ、オリーブ色のセーターに手を当てながら首を傾げることしか出来なかった。


「妹……妹……?」

「ああ、お前と俺は兄妹だ」

「…………あっ、同じ、同じダークブラウンの髪と瞳だからですか?」

「ニック!やめろ!ニナは素直なんだぞお前と違って!」


そう言って、オリーブ色のセーターの中から私を引っ張り出したのは、うんざり顔をした彼、アンドリュー先輩だった。
私を離しながらも手を伸ばして頭を撫でてきた笑顔のニコラス先輩を、ミネルバとサミュエルが目をまん丸くして見つめる。やあやあお帰り、と太ったゴーストが二人の間をすり抜けても二人のまん丸い目はニコラス先輩に向けられていたので、私はアンドリュー先輩に腕を掴まれたままニコラス先輩を見上げた。とても綺麗なダークブラウンが、私を見下ろしてくる。


「クリスマスプレゼント、最高だった。ありがとうな」

「あ、あの、ニコラス先輩も、ニコラス先輩からのプレゼントも、素敵でしたっ」

「だろう。素敵だったろう。お前は分かってる。アンディとは違って分かってるな。アンディのプレゼントなんか信じられないぜ?限定でも何でもない詰め合わせだ、馬鹿かよ」

「俺の悪口を放り込むのはやめろ!」


ニコラス先輩がゆっくりと睫毛を揺らすかのように瞬きをする度に、ダークブラウンの瞳が大広間にぷかぷかと浮かぶ灯りを飲み込んできらりと光る。いつもの背の高い真っ白な蝋燭ではなく小さな金色の蝋燭が浮かぶのは、クリスマス休暇の間はこれを使っていたんじゃないか、と少し離れた場所にあるテーブルに座ったイアンが隣に座るジャックに言っていたので、きっとそうなのだろう。ニコラス先輩のたっぷりとした睫毛の奥に、クリスマスの灯りがまだ残っている気がした。


「おや、珍しいな。ニコラスが女の子を口説いているなんて」


頬を赤らめて眉をつり上げていたアンドリュー先輩の向こうで、イアンが藍色の後ろ姿をした彼の持つ銀皿に大鍋のように大きなパイを切り分けるのを眺めていれば、するりと聞きなれた声が滑り込んでくる。あ、と嫌そうに低く声を漏らしたのはミネルバで、私は振り返るよりも先にそれが誰なのか分かってしまった。


「遅かったな、アル。どこで妖精追っかけてたんだよ」

「いや、レイブンクローの妖精を追い掛けてたんだけどね、駄目だ。褒めたら突っ返してくるし、触れさせてもくれない」


仕方無いから一人で汽車も馬車も満喫したよ、と笑うブロンド、アルヴィ先輩が、ミネルバとサミュエルの間で肩を竦めながらそこにいた。
ぐ、とミネルバの眉の間に深い深い溝が出来て、サミュエルのグレーの瞳が居心地悪そうに床と爪先とそれからテーブルを行ったり来たりする。くすんだ赤毛の前髪を引っ張ったサミュエルは、何も見えないようにしているようだった。


「お前は本当に懲りないよな……自覚がある分ニックより良いけどよ」

「ああ、まあそうだな。それもそうだ」

「なんの話だよ、それ」

「アルはニックより女の子を泣かせないって話だよ」

「そういうことだ」


アルヴィ先輩が長い前髪を耳にかけながら私の頭を軽く触れるように撫でて、それからニコラス先輩の肩を叩く。ニコラス先輩は直ぐそばに浮いていた蝋燭を指で弾きながら、私を見て肩を竦めた。
アルヴィ先輩も、ニコラス先輩も、とても優しいのに女の子を泣かせてしまうのだろうか。アンドリュー先輩に腕を掴まれたまま、ダークブラウンとブロンドの頭を見つめれば、ニナ、と空いた左腕を引っ張られる。ミネルバの細くて綺麗な指が、私の指に絡まった。


「駄目よ、こんな人達の話を聞いちゃ。さあ、あっちで何か温かいものでも食べましょう」

「おいおい、俺を一緒にされちゃあ困るぜグリフィンドール生さん!」


もう片手でサミュエルの肘のあたりを掴んだミネルバが、アンドリュー先輩を押し退けるようにして、蝋燭の下を潜るように私達を引っ張って空いたテーブルへと向かう。あ、とニコラス先輩が声を上げて私達を振り返ったが、ミネルバの眉の間にある深い深い溝がずっとそこに居座っていたので、私は立ち止まらずにミネルバの手を握り返した。
私よりずっと大きな歩幅で前を歩くミネルバを、サミュエルと二人でついていく。ストロベリーブロンドと赤毛と、それから藍色の頭を通り過ぎても、ミネルバの足は止まらない。五つ目の金色の蝋燭の下を潜って漸くミネルバの足が止まったのは、ダンブルドア先生が座る直ぐ前のテーブルだった。


「あの人達、本当に上級生かしら。エインズワース先輩は兎も角、あの人まであんなに馴れ馴れしいだなんて」

「あの人、あの人って、ニコラス先輩のこと?」

「……ええ、そうよ。ニコラス・ブラウンのことよ」


私、あの人は他よりまともな人かと思ってたけれど。
ミネルバはぼそりとそう言って、スカートの皺を伸ばしながら席に着く。向かい側に回り込んで私の正面に座ったサミュエルのグレーの瞳が、すっと大広間を泳ぐ。その先にいたアンドリュー先輩とニコラス先輩はアルヴィ先輩を挟んで肩を組みながら、大広間を大股で出ていくところだった。
ニコラス・ブラウン。ダークブラウンの瞳と髪によく似合う、甘いチョコレートが好きなニコラス先輩らしい名前だ。ぶつぶつと何かを呟きながらミネルバに差し出されたホットミルクを受け取って、私は前に座るくすんだ赤毛を見る。長い前髪の隙間から覗くグレーの瞳が私に気付いて、ほんの少しだけ優しく細められた。


「ニナ、どうかした?」

「ううん、何でもないの、何でもないのよ」


ただ、ホグワーツに帰って来たのだと、そう思っただけで。
ホットミルクと一緒に言葉を飲み下して笑えば、サミュエルは不思議そうな顔をしたけれど、それでも何も訊いてはこなかった。
ぶつぶつと小さく低く呟くミネルバを横目に見れば、私に向かってゴブレットを掲げるダンブルドア先生が見えて、私はそうっとホットミルクを掲げた。金色の蝋燭の小さな火が、ゆらゆらと揺れていた。






「よーアンディ!今から練習か?頑張れよ、頭から落っこちねえようにな!」

「おお、そりゃどうも。俺が無事に生きられるように祈っててくれよな」

「ばーか、破ったカーテンでも頭に巻いて守っとけ!」

「そ、それを誰から聞いた……!?ニックか、ニック!ニコラース!」


わはは!と大きな笑い声に、私は今の今まで赤いインクが走るレポートにべったりとへばり付けていた視線をゆるゆると上げる。クリスマス休暇が終わったばかりだと言うのに上級生はつい昨日までも授業があったかのようにいつも通りで、視界のまん真ん中に入ったアンドリュー先輩もその通りだった。
ふう、と、私と同じようにアンドリュー先輩を見ていたミネルバが、テーブルの向こう側でため息を吐く。向かいに座る彼女の手には私が贈ったインク瓶と羽根ペンが置かれていて、思わず頬がほんの少しだけゆるむ。それでも、ほんの少し。


「何だか、今日は疲れちゃったわ、私」

「うん、うん、私も……」

「クリスマス休暇はとても良いものだったけれど、休暇の後の授業は少しだけ上の空になるわね」


ほら、教科書の内容だって全然頭に入らない。
大広間から出ていったアンドリュー先輩の手にブルーグレーのグローブが握られていたことを確かめて、それからミネルバの手元を見る。は、と私が息を止めてしまったのは私がうんと集中して教科書を読みながらレポートを書いている時よりも、上の空だと言って額を押さえたミネルバが書いたレポートの方が、例えひっくり返して見たとしても良く書けているからだった。
今日提出して、先程たまたま廊下でビンズ先生から返された魔法史のレポートを、そろりと丸めてテーブルの下に隠す。ビンズ先生の少しだけ右に曲がった赤い文字が走る私のレポートは、ひっくり返しても、斜めに見ても良く書けてはいない。試しに逆さまにしてみれば、まるで悪戯描きの地図に見えた。


「あ、そうだニナ、明日の夕食、先に食べててくれるかしら。悪いんだけど……」

「ん、うん、良いよ、大丈夫だよ。グリフィンドールの子と食べるの?」

「そんなわけ、いいえ、違うの、ビンズ先生に訊きたいことが山程あるから、それなら明日の午後の授業が終わったあとに来なさいって言われたのよ。……あっ、ニナも良かったら」

「いっ、行かないっ、私、行かないっ」

「……そう、まあ、そう言うとは思ってたわ……」


慌てて断った私にミネルバは大して気分を悪くしたわけでもなく、大きく肩を竦めて分かってたわと口をすぼめた。テーブルの下に隠したレポートがくしゃりと音を立てたので、私はそれを誤魔化すように無理矢理口をぎゅっと閉じる。トムの頭にそうっと宿り木のリースを乗せる時よりも、口に力が入ってしまった。


「……ニナ、何かあったの?」


けれど、それはどうやら何の意味もなかったようだ。今大広間に来たらしいサミュエルが、鞄を肩にかけて私を見下ろしながら、くすんだ赤毛の下でグレーの綺麗な瞳を丸くしている。そのグレーをぐるりと囲う長い睫毛が瞬きをする度に震えて、私はぱちんと口元を手で隠しながら首を振り、サミュエルの長くてたっぷりとした睫毛を見つめた。目の下に薄い影を作る睫毛は、それを隠す前髪よりも薄い色をしている。
かさ、とレポートが床に落ちて、サミュエルが私の隣に鞄を下ろしながらレポートに手を伸ばした。あ、と私が声を上げると同時にグレーの瞳は右に曲がった赤い文字を見付けて、それから私の隣に腰を下ろした。此方を振り返るその瞳が、困ったように笑っている。


「僕もさっき廊下で返されたんだ……。今度図書室で一緒に直そうか。ね?」

「……うん。ありがと、ありがとう、サミュエル……」

「明後日は天文学もあるし、天文学のレポートも見直したいよね」


ミネルバに聞こえないように小さな声でそう言ったのは、きっとこのレポートがミネルバに見付かると彼女のよく通る声がちくちくとした棘を持って私を動けなくさせると知っているからだ。そして、スウェーデンで一番長い杖を作った魔女の事や、魔法省の部署や煙突飛行が家庭に普及しない理由なんかを年号と一緒になってミネルバの口からぽんぽんと出てくるのを頭をくるくると回しながら聞かなくてはならなくなってしまうことも、知っているのだ。
まるで秘密の地図を渡すようにレポートを親指ほどの細さに丸めて、サミュエルはそれをテーブルの下でそっと私に手渡す。足元に置いていたハシバミ色の鞄を引っ張って、音を立てないように静かにしまった。


「あ、ねえ、メイフィールド、明日の午後の授業が終わったらビンズ先生の所に行くのだけれど、貴方はどう?行かない?」

「僕?うーん、そうだな……」

「因みに授業で聞き逃したところも喜んで教えてくださるそうよ」

「あ、本当に?それじゃあ、少しだけ顔を出すよ。少し、だけ、」


ミネルバとサミュエルが話している間にハシバミ色にレポートをしまいこんで、サミュエルの長い足にぶつかって邪魔になったりしないようにと椅子の上に乗せる。勢いよく乗せすぎたのか、拍子にぽろりと鞄から羽根ペンが後ろに落っこちてしまって、私は慌てて体を捻って羽根ペンに手を伸ばす。すると視界の端にあった冬用の分厚いローブが身動ぎし、私がそれに触れるより早く、サミュエルの真っ白い手がハシバミ色の羽根ペンを掴んだ。
途端、真っ白い指先が、ふるりと震える。コーラルピンクの爪の先が羽根を掠めて、ハシバミ色の羽根ペンはまた床に落ちてしまった。


「……あ、ご、めん」

「ううん、ううん、平気よ。平気。ほら、ちゃんと届いたもの」

「いや、その、違うんだ、」


サミュエルの手から滑り落ちたそれを拾い上げてみせれば、何故だか彼はグレーの瞳を彼方此方へとざぶざぶ泳がせて、それからテーブルの上のローストポテトのお皿でぴたりと止まる。長い睫毛が確かめるように重なって、私が羽根ペンを鞄にしまいこんで漸く彼は目を開けた。
サミュエルの薄い唇から、細く息がもれる。蝋燭の火を揺らすことも出来ないような、細い息だった。


「サミュエル、サミュエル、どうかした?」

「メイフィールド、貴方酷い顔色よ」


膝に置かれていたサミュエルの手を取れば、サミュエルは一度口を閉じ、私の手を握り返す。グレーの瞳が私を見つめるけれど、その瞳は直ぐにテーブルへと逃げてしまった。


「……平気、ごめん、何でも無いんだ。何でも無いよ」

「…………サミュエル、寒くない?あのね、温かいミルクを飲むと、とっても、とっても楽になるから。蜂蜜、蜂蜜を入れるとね、とっても美味しいから」

「うん、ありがとうニナ」


でも、平気。
テーブルの向こう側で、ミネルバが二つのゴブレットに蜂蜜を垂らす。きっと一つは私の物でもう一つは目の前で真っ青な顔をして笑う彼の物なのだろうけれど、それが彼の身体を温めることは出来ないのだろう。サミュエルはそれっきり何も言わず、真っ白い頬の奥に青い血が流れているかのように顔を青ざめさせて、何も食べずに大広間から出ていってしまったのだった。
細められたグレーの瞳が最後に泳ぎ着いたのは、ハシバミ色の鞄の上だった。




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