気紛れに動く階段がいつもよりももっと気紛れにそっぽを向いているように思えたのは、私が早く早くと焦っていたからだろうか。じれるようにその場で三度目の足踏みをして漸く階段は私の方を向き、ぴたりと動きを止めた。跳ねるように階段を駆け上り廊下を曲がれば、角の突き当たりの部屋の扉に金と銀のリボンが巻かれたリースが飾られていて、その上に座る金の鳥がちらりと私を見下ろした。
コココン、と軽くノックをして、ハシバミ色の鞄を抱え直す。乱れた前髪を整えてはみたが、どうにも天井を向いてしまって直らないので、直ぐに諦め金の鳥を見つめていた。鳥が、またちらりと私を見下ろした。
きい、と錆びた鉄が擦れる音と共に、扉がゆっくりと開く。甘いミルクティーの香りと共にそこからひょっこり現れたのは灰色混じりの髭を赤いリボンで結んだダンブルドア先生で、私は前髪を最後にもうひとなでして彼に向き直った。


「おお、待っていたぞ」

「ダンブルドア先生、こんにちは」

「こんにちは。さあさ、ラヴィー、寒かったろう、早く入りなさい。待ち人が眠りこけてしまう前にの」


飛行訓練の授業が終わるなりサミュエルに別れを告げて大急ぎできたつもりだったが、どうやら私の大急ぎは待ち人、ランスロット・ニーデルが船を漕ぎはじめるには十分なものだったらしい。ダンブルドア先生に背中を押されミルクティーの香りに足を踏み入れれば、小さな暖炉の前にある一人掛けのソファーの上で今まさに大海原に出掛けようとしているブルネットの頭が見えて、思わず足音を立ててはいけないと立ち止まってしまった。


「これ、ミスターニーデル、旅に出るのは夜にしておきなさい」


ぱちん。暖炉の火が弾けると同時にダンブルドア先生が手を叩き、ブルネットの頭がびくりと揺れた。少し癖のある髪がぴょこりと跳ねて、ブルネットは慌てたように立ち上がる。バーガンディー色をした冬用の分厚いローブを翻して此方を振り返ったのは、右頬に大きな一本筋の傷がある男の人だった。


「おお、待ってたよ!君がニナ・ラヴィーか!」

「あ、あの、は、初めまして……!」

「ああ、初めまして、会えて嬉しいよ、ニナ!僕はランスロット・ニーデル、ランスと呼んでくれ!」

「はい、ランス、ランスさん……!」

「今日はお呼び頂きありがとう!確かハッフルパフのアンディの紹介だったね!よろしく頼むよ!」

「はい、あの、よろしくお願いします……!」


私なら十歩は欲しいその距離を彼はたったの三歩で無かったものにしてしまい、バーガンディーの下からぬっと伸びてきた大きな手で私の右手を包み込む。ゆっくりと、そして大きく上下に振られる右手に戸惑いながら頷いていれば、彼は満足そうに口を引き伸ばして笑った。頬の一本筋が引っ張られ、す、と伸びる。


「さっ、どんな魔法道具をお求めかな?自慢じゃないが僕の腕は確かだよ!無理難題じゃあ無い限り、時間さえくれれば作ってみせる」

「これこれ、ミスターニーデル、そう焦るでない。まずはラヴィーを座らせておやりなさい」

「あっと、それは失礼。さ、ニナ、そこに座って。まずは何が欲しいか聞きながら僕の魔法道具を見せてあげよう!」


少し大きな口からぽんぽんと間を空けずに言葉が飛び出してきて、それを私が受け取るより早く彼はまた言葉をぽんぽんと此方へ放り投げてくる。受け取りきれずに転がったそれはダンブルドア先生が直ぐに拾ってくれたが、それでも私は追いつけない。いつの間にか目の前には先程までブルネットが船を漕いでいたソファーとは別の一人掛けのソファーが置かれていて、その前にはテーブルまで置かれている。
さあ、と導かれるままにソファーに座り、私はハシバミ色を抱き締める。ランスさんは自分が座っていたソファーの前に置かれていた革の鞄を手に、テーブルの前に立っていた。


「どんな物が欲しいのかな?ドラゴンの革や薬草類は大体揃ってるよ!親への贈り物?それとも友人への贈り物?可愛らしいのが良いか、それとも実用性のあるものか」


ぽんぽんと言葉を吐き出しながら、ランスさんはテーブルに動くドラゴンの模型や銀の大鍋、それからインク瓶や羊皮紙をテーブルに並べていく。きゅ、と蓋をあけられたインク瓶からは薄い緑の煙が立ち上り、辺りいっぱいに丘の上のような匂いが広がった。思わずぱっと口を手で押さえ彼を見ると、彼はまた満足そうに笑い、インク瓶を私に差し出してくる。


「ニナ、何か頭に思い浮かべてごらん」

「な、何か、何か……?」

「何でも良いよ、何でも良いけど、出来れば嗅いでいて嫌な気持ちにならない匂いのするものにするといい」


ほら、と言って、彼はテーブルの向こう側から私の手にインク瓶を握らせてきて、縁のすぐ下でたぷりと揺れるインクに気を配りながら、私は天井を見上げる。ぷかぷかと、頭の中にはロンドンの外れにある自分の家が浮かび上がった。そこにはトムが甘過ぎると文句を言った花が浮かんでいて、私の部屋から廊下へと、廊下からトムの部屋へと入り込んでいく。とても優しい匂いのするトムの部屋に浮かぶあの花は、ほんの少しだけ匂いを和らげそこに浮かんでいた。
ぷわり。インク瓶から薄い白色の煙が立ち上り、丘の上の匂いは消えていく。代わりに満たした匂いは、私が思い描いたトムの部屋のそれだった。


「わあっ……!すごい、すごい!」

「ほう、何とも甘い優しい匂いじゃの」

「喜んでもらえて良かったよ!さ、インク瓶をテーブルに置いて、君の好きなこの匂いに包まれてゆっくり考えようじゃないか」


大きな手がインク瓶をさらって、彼は薄い白色の煙が立ち上るそれをテーブルの端に置く。私が頭の中で花を浮かべている間に彼の鞄の中身はおおかたテーブルに並べられていたらしく、大きな木箱やロケットペンダント、それからラッピング用のリボンや包装紙までそこに並べられていた。
一番隅に置かれた藍色の包装紙の上を、きらりと星が流れていく。ランスさんは頬の一本筋をひとかきして、両腕を大きく広げて見せた。


「誰に、どんな気持ちを込めて、どんな物を贈りたいんだ?ニナの願いを僕が叶えてあげよう!さあ、言ってごらん」


まるでこれから演劇でも始まるかのような不思議な感覚で、私はテーブルの上に並ぶ魔法道具らしいそれらを眺め、それからランスさんのブルネットの髪を見上げる。私と同じような短い前髪は、これまた同じようにぴょこりと天井向いて跳ねていて、私は自分の前髪をそっと撫でつける。


「相も変わらず底抜けに明るいのう、ミスターニーデル。ラヴィー、ミルクティーはいかがかな?」

「あ、ありがとう、ございます」

「……ダンブルドア先生、話の腰を折るのは止めて下さいよ。貴重なお客様なんですから!」


誰に、どんな気持ちを込めて、どんな物を贈るか。ランスさんの大きく良く響く声が目の前で弾けて、私は大きく瞬きをしながらダンブルドア先生からティーカップを受け取る。何の装飾もない真っ白なティーカップの中でゆらゆらと揺れるミルクティーを一口飲めば、たちまち胸の辺りに火が灯ったかのように熱くなった。きっと、魔法のかかった何かが入っているのだ。
藍色の包装紙の上を、また星が流れていく。ちらりと頭の隅っこで何かが私を手招きしたが、私はハシバミ色の鞄を足下におろしながら不満げな顔をしてダンブルドア先生を見るランスさんを見上げた。


「……あの、私、私の弟に、贈りたいん、です」

「弟……?そうか、弟か!良いお姉さんだね」

「でも、あの、私、クリスマスプレゼント、贈るの初めてで」

「初めて?……まあそりゃあ、子どものうちから兄弟に贈るのは珍しいが……。僕なんか成人した今も贈るつもりはないよ」


ほんの少しだけばつが悪そうに眉を下げ、ランスさんは頭をかく。癖のあるブルネットがくしゃくしゃになってしまったが、彼は気にもしていなかった。


「……弟と、弟と初めて過ごす、クリスマスなんです」


頭からゆっくりおろされる彼の手に、赤い石のついた腕輪が光っている。よくよく見ればテーブルの下でくったりと横たわっている革の鞄も赤みがかっているし、バーガンディーの冬用ローブから覗く革靴も黒ではあるが光が当たると微かに赤く光って見えた。グリフィンドールであったことを誇りに思っているのか、それとも赤が好きなのか。きっと今の彼ならグリフィンドール寮の談話室に飾る絵にぴったりだと、私はぼんやり考えながら彼の目を見る。彼の瞳だけは、ヴァイオレットだった。


「弟になってくれて、家族になってくれて、私、私、本当に、嬉しくて。とっても、とっても大好きだから、初めてのクリスマスは特別な何かを贈りたいんです」


ヴァイオレットの瞳の向こうに、塀の上から私を見下ろすトムの瞳が見える。初めて会ったあの日のことを、私は覚えていた。彼に黙ってこっそりと、お気に入りのヌガーを彼のポケットに入れたあの日のことを。
インク瓶が、ぽこりと音を立てて煙を吐き出す。トムの部屋の匂いが鼻をくすぐって、胸の少し下のあたりがざわざわした。こんなに会いたくなるのは、久しぶりかもしれない。


「……初めてのクリスマスの贈り物が一生使える物なら、きっとその日のことを忘れないだろう。だって、それを見る度に思い出せるからね」


テーブルの下でくったりと横たわっていた鞄を持ち上げ、ランスさんは私の前へと歩み出る。バーガンディーが翻り、そこから微かに丘の上の匂いがして、彼はきっとそんな場所に住んでいるのだろうと考える。家の裏口から続く、あの丘のような場所に。
ランスさんの大きな手が、私の前に差し出される。銀色の小さな丸いそれはニコラス先輩から借りたカタログに載っていたそれによく似ていたが、それよりももっとシンプルで、素敵なものに思えた。


「……懐中時計……」

「そう、懐中時計さ。流行りの模様を彫ると一生使うのは難しいが、これくらい飾り気が無いものならずっと使えるからね」


まあこれは僕の物なんだけど。
そう言いながらランスさんは私の前にしゃがみ込みながら懐中時計の蓋を開け、ぐっと私に体を寄せてくる。彼の手には小さすぎるように見えるそれの蓋を彼がひと撫ですると、銀の蓋に見えない羽根ペンが走っていく。現れたのは、少し癖のある文字だった。まるで、私と彼の前髪のようだ。
黒い時計の針が、くるくると巻き戻っていく。盤の上の日付は今年の夏、九月一日を示し、そこでぴたりと動きを止めた。時計の針は、ぴったり八時だ。


「ここが始まり……?」


浮かび上がった文字を読めば、彼はにっこり笑って私を見る。後ろでダンブルドア先生が小さく笑っていたのは、きっとこの言葉の意味を知っているからだろう。細められたヴァイオレットの瞳をじっと見つめれば、彼は懐中時計の蓋を閉めながらゆっくりと立ち上がった。


「ここが始まり、この日のこの時間が、僕がこの仕事を始めた日なのさ」

「……仕事を始めた日……」

「懐中時計に日付と時間、それから言葉を記憶させてる。蓋を撫でれば、記憶させたものが浮かび上がってくる。いつでもその日の気持ちを思い出せるようにしてるんだ」


テーブルの向こう側に立った彼が、ローブのポケットにそれをしまい込む。それから彼はテーブルに両手をつき、ヴァイオレットの瞳を細めたまま身を乗り出してきた。


「さて、どうだろう。我ながら良いアイデアなんじゃないかと思うんだが……、ダンブルドア先生、どう思います?」

「ほっほっ、なかなか良いアイデアなんじゃないかの。まあ、それが二百年使えるならの話だがの」

「どれだけ生きるつもりですか……!」


ヴァイオレットの瞳を丸くして、彼はダンブルドア先生を見る。ダンブルドア先生なら、きっと二百年は生きるだろう。
ぽこり。薄い白色の煙を吐き出したインク瓶から、またあの匂いが鼻をくすぐる。それはゆっくりと私の中へと落ちていき、すとんとそこに座り込んだ。とても、胸が軽かった。


「……どんな言葉も、どんな言葉でも、記憶出来ますか?」

「ああ、君がそれを望むなら」

「…………私が、望むなら」


テーブルに肘をつき、彼は私を見つめる。ダンブルドア先生には聞こえないくらい小さな声で、君だけ特別に安くするよ、と囁いたのは、ダンブルドア先生には高い値で何かを売りつけたからだろうか。ぱちりとウインクしてみせた彼に思わず口元をゆるめれば、彼は私の答えを待つように真っ直ぐ私を見つめてくる。あとは、私がイエスと答えるだけだった。


「……包装紙も、包装紙も素敵なものが良いの。包装紙も、作れますか?」

「オッケー!勿論さ!さあ、君の望みをまずは全部書き出していこう!」


ぱん!とランスさんが大きく手を叩き、彼は私に右手を差し出してくる。慌ててその手を取れば彼はぎゅっと私の手を強く握り返し、そのまま私の指先に唇を落とした。


「素敵な贈り物を作ってみせるよ、ニナ」


トムの部屋に逃げ込んだ白い花の匂いの中で、私はこっくりと大きく頷いてみせる。ヴァイオレットの瞳はそんな私をうつし、その日一番の笑みを浮かべていた。




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