一羽の白い面梟が、滑るように大広間を飛んでいく。ご褒美に貰ったのだろう、嘴に咥えたビスケットが砕けたせいで、その下、一番壁際、長テーブルの端でレポートを書いていた魔女の頭にビスケットの粉がぱらぱらと降り落ちたけれど、面梟がそれに気付くことはない。何事か、と辺りを見回しながら髪についたビスケットを払う彼女は、その正体を知らずにクリスマスを迎えることになるに違いなかった。飛び去った面梟の姿を見ていたのは、私だけだったのだから。


「ニナ、どうかしたの?スープが冷めるわ」

「梟がね、飛んでいったの」

「梟が?もう午後の梟便の時間?」


隣でポークパイを食べていたミネルバが、天井を見上げる。それにつられるように、ひとつ空けて隣に座って古代ルーン文字学の教科書を読み直していたサミュエルが顔を上げたところで、一羽、また一羽と、梟が天井を滑るように飛んでいく。今日の梟便も、決して多くはなかった。白い面梟を合わせれば、五羽だ。
その中の一羽。胸元の黒い大きな森梟が、私の真上に影を作る。かと思えば、その脚に捕まえていた手紙をぱっと離し、ご褒美をねだることもなくそのまま去っていってしまったので、私は右へ左へ、さ迷いながら落ちてくる手紙に慌てて手を伸ばした。そうしてすっと、微かな音をたてて手紙はテーブルの上を滑る。私は、シーカーに向いていないらしかった。


「あら、手紙?」

「うん、そう、そうみたい。……父さんからだわ」


はちみつ色の封筒を開いて、珈琲の匂いがする便箋を取り出す。手紙を覗き込むようなはしたない真似をミネルバはせず、彼女はミートパイを静かに食べていた。


ーーイブの夜 父さんとパーティーへ行こう


「……ニナ?なあに?まさかクリスマスディナーがもっと酷くなるって話?」

「う、ううん、違うわ、違うの、ただ、パーティーへ行こうって、それだけよ」

「それだけ?本当に?」

「うん、本当、本当。ほら、見てもいいわ」

「……本当に、それだけだわ」


大きな便箋に、たったのそれだけだ。
左上にたったの一行。真ん中にペン先を置かなかったのは、本当は他にも何か、書くつもりだったのかもしれない。一行の最後、ピリオドがやけに滲んで見えて、私はそれを指で確かめた。
便箋を折り、封筒の中へ。スリザリンの長テーブルの真ん真ん中に、トムがいる。彼の手に、手紙はない。


「ニナと、ミスター・ラヴィーだけ?」

「……分からない。でも、そうなのかもしれない」


サミュエルの問い掛けに、私は小さく頷く。
パーティーというものは、魔女は魔法使いに腕を引かれていなければならないし、そうして魔法使いは魔女の手を引いていなければならない、そういうものだ。そうして母さんはあまり、顔も名前もはっきりとしない、そういう魔女や魔法使い達が集まる場所には行きたがらない魔女だった。
どうしても、行きたいパーティーなのだろう。だから父さんは、私の手を引いて、そこへ行くのだろう。
ふうん、と、あまり納得のいかない顔をして、サミュエルは教科書を閉じた。その音に、向かいで突っ伏して眠っていたヒューが目を覚まし、彼はのそのそと身体を起こした。


「ヒュー、おはよう。スープは?ポークパイもあるし、あっちのテーブルにはパスティもあるわ」

「……眠い」

「君、今日は寝てばかりだね。どうかしたの?」


サミュエルが言えば、ヒューはふるりと首を横に振って、スープは飲むらしい、私が途中まで飲んでいたそれをずるずると手繰り寄せて、今にも夢の船を漕ぎ出しそうな顔をしてスプーンを手に取った。湯気の上らないスープをひと口、ふた口と口へ運んでいくその手には、スプーンですらも重そうに見えた。
風邪なのかもしれないと、イアンとふたり、医務室へ連れていったのが昨夜のことだ。温室からの帰り、寒い寒いと身体を小さく丸めた彼が心配で、部屋に帰りたがった彼を殆んど半分、無理矢理に医務室へと引きずるように連れていった。だけれど彼はちっとも熱がなく、マダム・ぺぺは元気爆発薬を出してはくれなかった。急に雨が雪に変わったせいで、余計に寒く感じるのだろうと、マダム・ぺぺは言っていた。そうしてそれから、気がゆるんだせいだろうと、そう、言っていた。


「クリスマスは大人しくしておくことね」

「……ぬるい」

「ヒュー、ちょっと、起きて」


サミュエルの長い腕が伸びて、ヒューの肩を揺すぶる。少し、目が覚めたようだ。重たげな瞼をこすり、スプーンを口にくわえたまま、ヒューは辺りをぼうっと見回した。


「……なんか、妙な臭いがする」

「そう?……気のせいじゃない?」

「そうか……?……気のせいか」


ヒューの後ろを、大きすぎる、丸い背中をしたグリフィンドールの一年生が通り過ぎていく。その後ろ姿を眺めていれば、視界の端、スリザリンの長テーブルの真ん真ん中、そこに座っていたトムと、いつの間にそこにいたのか、隣に座っていたアルファードが此方を見たので、私はこっそりとふたりに手を振った。
手を振り返したのは、トムだけだった。


「そうだ、マクゴナガル、いいかな。さっきの授業のことなんだけど……」

「あら、古代ルーン文字学ね、待って、私も教科書を出すわ」

「……ニナは教科書出さねえのか」

「わ、私はいい、私は、出さないわ」


教科書を片手に顔を向き合わせたふたりの魔女と魔法使いを隣に、私は銀のゴブレットを手に取る。冷たくない、ぬるい水をひと口。
トムは薄く笑って、未だ此方を見ていた。





誰がこんなところに置いたのか。恐らく忘れ物だろう、モスグリーンの革の手袋が、談話室のドアノブの銀に引っ掛けられている。持ち主は今頃もう、汽車に乗るため駅に向かっていることだろう。談話室に殆んど人気はなく、クリスマス休暇を城で過ごす生徒の数人は図書室へと避難していた。談話室にいると、忘れ物をしたと戻ってくる生徒や、汽車に乗り遅れそうだと騒ぐ生徒で何かと騒がしくなることが珍しくないからだ。
しかし、今年は思いの外、静かなクリスマス休暇の始まりだった。


「リドル、どうした、まだいたのか?」

「カロー先輩こそ」

「少し寝過ごしたんだ。ブラックはどうした?一緒じゃないのか?」

「先に行きましたよ。良いコンパートメントを取るとか言って」


荷物なんて何も詰まっていないかのように、彼、カローという魔法使いはトランクを軽々と右手で持ち上げて、珍しいな、と目を丸くする。スリザリンの生徒は、僕とアルファードが並んで隣にいないだけで、まるでそれが正しい姿ではないというような態度を取るのだ。
誰の手袋だ、と呟くように言いながら、彼はドアノブに引っ掛けられていたそれをソファに放る。ぽん、と弾んで片方だけ床に落ちたそれは、休暇があけた頃に持ち主のもとへ帰るだろう。


「急ごう、もうすぐ汽車が出る」

「はい」


地下の廊下に、風が吹いている。外は、風が強いようだ。濡れたように暗いグレーのコートの襟を立てた彼は、やはりトランクの中身は詰まっていなかった、からからと中で何かが転がる音をたてるトランクを右手に廊下を早足で急いで、階段を駆け上がっていった。
中庭まで出れば、待ち合わせをしているらしいグリフィンドールの小さな魔法使いがベンチの前に立っていて、僕は彼の苛々とした足踏みを横目に眺める。彼の足元に置かれた二つのトランクの内の一つは、彼の苛立った足踏みの原因が持ち主なのだろう。トランクの持ち手に巻かれた深紅のハンカチから目を逸らしたその時、ふと、僕は足を止めた。


「アルファード、先に行ったんじゃなかったの」


中庭を通り過ぎたその先の廊下で、ひらひらと手を振る彼、アルファードが立っていて、僕は思わず彼に駆け寄る。真っ黒い、彼の髪と同じ色をしたコートを着たアルファードは、片眉を器用に上げて不格好な笑みを浮かべていた。


「なんだブラック、リドルを待っていたのか?」

「うううんん、まあ、だってほら、皆が訊くんだよ、トムはどうしたんだって」

「……僕もカロー先輩に訊かれた」

「ははっ、訊いたな、そういえば」

「んん、やっぱりかい?俺達って、二人でいなきゃまともじゃあないみたいだね?」


アルファードの言葉に、顔がひきつってはいないだろうか。言葉を返さずため息を吐けば、アルファードは何を思ったのか、少し機嫌をよくして僕の肩に腕を回したので、僕はその腕を軽く押しやった。
大広間を通り過ぎ、廊下を真っ直ぐ。静まり返った城を出て、いくつもの靴底に溶かされた雪で汚れた道を歩く。駅へと向かう馬車の順番を待つ生徒達の頭には、薄く雪が積もっていた。


「リドル、ブラック、相変わらず青白いな」

「クリスマス休暇だっていうのに、そんなんじゃあ風邪をひくんじゃないか?」

「君達は相変わらずうるさいね」


前を歩いていたグリフィンドールの同級生が、追い付いた僕達に気付くなりそんなことを言ってくる。しかしそれは、ただの冗談だ。二人をわざとらしく鼻であしらえば、彼等は愉快そうに声を上げて笑いながら、列の最後尾へと駆けていった。クリスマスを前に、気持ちが浮わついているのだ。
馬車がひとつ、森の向こうからやって来て、生徒が三人、笑い声を上げながらそれに乗り込んでいく。ブロンドにブルネット、赤毛の魔女達に見覚えがあるのは、当たり前のことだ。一足先に駅へと向かうその馬車に大きく手を振った生徒の後ろ姿は、列に並ぶ生徒達に隠れて見えなかったが、その隣に立つ生徒のおかげで、僕はそれが誰なのか直ぐに分かった。


「やあ、いかにもクリスマスって感じの寒さだね。首が寒いや!」

「そう言うわりには元気だな。マフラーはどうした?」

「首が窮屈なのって、あまり好きじゃあないんだ。カローこそ、マフラーはどうしたんだい?」

「部屋に置いてきた。寝過ごしたせいで、あまり荷物を詰める時間が無かったんだ」


隣に立つ生徒は、くすんだ赤毛のあの生徒は、背が高い。列の先頭に立っていても、彼の頭は七年生かのように飛び出していて、それだからだ、隣を振り向いた彼の嬉しそうに笑う横顔が、僕からはよく見えた。
良かったな、と、僕に声をかけた魔法使いがいる。顔も覚えていない、覚える気なんてない、スリザリンのあの七年生は、僕が胸を痛めているに違いないと、そう思い込んでいた。
そしてそれは、きっと、彼だけではない。良識のある者ならば、魔女であろうと魔法使いであろうと関係なく、誰しもが彼と同じように、思い込んでいるはずだった。
あの、アブラクサス・マルフォイがそうであったように。


「ああ、やっと馬車が来る。寒いなあ、早く汽車に乗りたいよ」


馬のいない馬車に一足先に乗り込んで、くすんだ赤毛の生徒が後ろを振り返り、当たり前のように手を差し出す。迷わずその手をとったのは、何もしてはいけないと、僕が呪ったはずの、その手だった。ニナの、その手だった。
自分の番はまだかというアルファードの言葉が、ため息が、白くなって、溶けて消える。そんな彼と目が合えば、彼はなんて嘘が下手な、素直で哀れな魔法使いなのだろうか、不格好な笑みを浮かべて、それを誤魔化すように僕を肘でついたので、僕はそんな彼に頬をゆるめた。
サミュエル・メイフィールドの行方を、誰が報せたのか。それ自体は僕にとって、さしたる問題ではなかった。


「そういえば、結局パーティーには叔母と?」

「……止めておくれよ、考えたくないんだ!」

「なんだなんだ、急にどうしたんだ?」

「ああカロー、トムって魔法使いは酷いんだ、哀れな俺を見て楽しんでいるんだよ!」


頭を抱えたアルファードに、笑いが溢れる。いらぬ後ろめたさを勝手に感じている彼は、もう二度と僕を裏切るような真似はしないだろう。それがアルファード・ブラックという、素直で哀れな、義理堅い純血の魔法使いなのだから。サミュエル・メイフィールドの行方を報せたのが自分だと気付かれてしまえば、言ってしまえば、彼は自分が憎まれてしまうと、そう思っているのだ。僕がアルファードを憎むと、そう思っているのだ。
僕は、最後の最後まで彼女を呪いきれなかった僕が、憎かった。そして、どうしたって僕に呪われなかった彼女が、ニナが憎かった。


「ほら、馬車が来た。ブラック、リドル、乗れ、乗れ」

「うううう、」

「アルファード、早く乗ってよ、汽車に遅れる」


ニナを乗せた馬車が、森の奥へと消えていく。それを追い掛けるように、僕達を乗せた馬車が走り出して、しかし、ニナの姿はもう見えなかった。この馬車が彼女を乗せた馬車に追い付くことは、ありえなかった。
からからと、中身の詰まっていないトランクが馬車に揺られてうるさく音をたてる。雪の重みに耐えることが出来なかった枝が折れて、地面へ向かって落ちていく。その様子に、僕は胸の辺り、そこから少し下で気持ちの悪い、焦げ臭さにも似た嫌な臭いのする感情が渦巻くのを感じた。


「……憐れだね」


何も知らない魔法使いと魔女は、クリスマスの浮き足立つ空気に胸を踊らせている。良かったなと僕に声をかけた魔法使いは、僕がニナのことで胸を痛めているに違いないと思い込んでいる。アブラクサス・マルフォイは、お前はニナの友人ではないという僕のたったの一言で、呪われている。アルファード・ブラックは、僕を裏切ってしまったのだと勝手に自分を呪って、僕を裏切れない。
僕は自分が、泥に溺れて死んだ鼠よりも寂しくも惨めで、憐れな、醜いものに思えた。
ニナはいつだって、僕に呪われてはくれなかった。思い通りには、ならなかった。


「お、俺のことを、哀れんだね!?」

「ブラック、落ち着け、馬車が揺れる」

「何を言っているんだい、揺れない馬車なんかないんだ、はじめから!」


アルファードの叫び声を、森は飲み込んでしまう。遠く、森の向こうから聞こえる汽笛の音が、虚しく響いていた。
僕は、僕の胸の辺り、そこにある焦げ臭さにも似た嫌な臭いのするそれに、どうかニナが気付きませんようにと祈りながら、蓋をした。
鍵は、かけられなかった。



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