「やあやあ、ニナもトムも、梟が忙しそうで何よりだ」


まるで自分に手紙が届いたかのように機嫌よく背中を揺らし、私と母さん、それから少しだけ後ろに仰け反っていたかもしれないトムの額にキスを残して仕事へと出掛けた父さんは、まさか自分だけが何よりだと思っているなだなんて、思いもしないのだろう。何せ、アルファードからの吠えメールが届いてからというもの、針よりも鋭い母さんの視線に刺されながら、トムが手紙の返事を書かされているその頃、父さんは魔法省の退屈な座り心地らしい椅子に座って仕事をしているのだから。


「もう少し愛想の良い返事をしてあげたら?ここのところ毎日この子から手紙が届くじゃない」

「愛想も何も、僕、彼のことをよく知らないし……一度会っただけだから……」

「あら、一度会っただけなの?一度会っただけなのに?それじゃあ余程あなたの事を気に入ったのね?」

「……その逆だと思うけれど」


肩を竦めたトムに気付かない母さんを横目に、私はひとり椅子の上に膝を立て、今朝は五通も届いたトムへの手紙の束に唯一紛れ込んでいたミネルバからの手紙を折り畳む。便箋四枚分、端から端まで隙間なく埋められた細かな字で彼女が教えてくれたことは、一インチしか背が伸びなかったこと、買ったばかりの服をオニオンスープで汚したことに、牧師館の壁に魔法でひびを入れてしまったこと。そうしてそれから、そのひびの隙間から出た芽を引き抜いてしまったということだった。
どれもこれも全て、ミネルバの小さなロバート、弟のことばかりだ。


「あら、ニナ、また梟が来たみたいだわ。そこの窓を開けてあげて」

「え?あ、本当」


私も、トムのことで埋めた手紙を送ろうか。そんなことを考えていれば、窓の向こう、母さんの言った通り、梟が飛んでくるのが見えて、私はミネルバの手紙を椅子の上に残し、慌てて窓を開けた。
ばさりと翼を大きく羽ばたかせ、手紙を窓の外から放り込み、ほう、と一声。仕事を終えたとばかりに得意気に鳴いて、お腹は空いてはいなかったのだろう、ビスケットも何もねだることなくそのまま飛んでいってしまった。


「誰からだった?」

「ええと、ヒューにジェインに、…………全部私への手紙だわ、母さん」

「あら、そう。それなら良いのよ。良かったわね、トム?」

「……僕は別に、何にも」


余程手紙の返事を書くのが嫌なのだろう。母さんに対していつも穏やかなトムが、勿論私や父さんにも穏やかだが、今日はとうとう不満を隠さない声色で返す。しかし母さんは平気な、半分からかうように片眉を上げて、先程トムがしていたように肩を竦めてみせるだけだ。


「さて、オリオン・ブラックへの返事が終わったら次は……今度はアルファード・ブラック?ブラック、ブラック、ブラック。トム、貴方もその内ブラックになるんじゃあないかしら?」

「ならないよ」


はあ、と、トムの大きなため息に隠すように手紙を背中に回して、私は窓を閉める。そうかしら?とまたからかうように片眉を上げた母さんは、此方を見てはいない。だから私は背中に回した真っ白い封筒を音を立てぬよう破り開け、その中身を取り出したのだ。
滲みのない、スペルミスなんて勿論ひとつだってありはしないそれをひと息に読みきって、元の通りふたつに折り畳み、封筒の底は直ぐそこ、目の前だというのに勢いよく押し込む。は、と振り返れば母さんはトムの羽根ペンの先、トムはペン先が進みたがらない便箋を見下ろしていて、私のことなど視界の端の睫毛よりも遠くに見えていた。
大丈夫だ。母さんは気付いていない。


「…………ハツ、これ、」

「返事はイエスよ、勿論ね」

「………………けど、」

「他に選択肢が欲しいのなら、喜んで、でも、僕が誘うつもりだった、でも。どちらでも選んでちょうだい」

「だけど、………………」


ノーの二文字を、トムは書くことを許されない。眉間や口許、目や鼻先にまではっきりと不満を張り付けトムは母さんを見たが、それでも彼は自分が悪いのだと分かっている。分かっているからこそ、だけど、のその先を口にすることはなかった。
黒い瞳が、一瞬、余所見のついでのように私を見る。彼は母さんではない。見付かったところで何も問題はないというのに私はその一瞬でぴんと背筋が伸びてしまって、壁に立て掛けた箒の気持ちになってしまった。しかし、それは一瞬だ。トムは奇妙な顔をして、直ぐに私から視線を逸らし、頭を掻きながら返事を書き進めていく。私はそんな彼と、そうして此方を見てはいない母さんを確め、スカートのポケットに手紙を押し込んだ。
嘘はどこからが嘘で、隠し事はどこから隠し事なのだろうか。この夏、母さんには正直に話そうと決めていた私のスカートのポケットの内側には、恐らくその約束に引っ掛かるだろう手紙が入っていた。


「……母さん、私も返事、書いてくるわ。上で、書いてくるわ」

「それが賢い選択だわ。便箋は足りてる?」

「うん、平気、足りてるわ、大丈夫。ありがとう母さん」

「どういたしまして」


しかし、訊かれていないのだから、わざわざ言うことでもない。母さんがもしも、万が一に、ポケットの内側にいるのは誰のインクかと訊きさえすれば、私はきちんとポケットを裏返し、隅に溜まった糸屑までも一緒に母さんに見せてしまえる。
ただ、母さんが訊かなかっただけだ。


「あ、ニナ、」

「それじゃあトム、あのね、アルファードに、手紙によろしくって、書いておいてね」


リビングから早足で逃げ出して、ぎしぎしと軋む階段を駆け上がり、部屋へと飛び込む。そうしてベッドに飛び乗って、首をぐっと伸ばして床下、リビングに耳を澄ます。母さんは、私のおかしな様子に気付いてはいないようだった。


「……何で、どうして、隠れなくっちゃあいけないんだろう……」


やっぱりこれは、嘘で、隠し事なのかもしれない。
うつ伏せのまま取り出した手紙を三通、カードのように広げて、私は息を吐く。嘘で隠し事だから、妙な具合に胸は弾むのだ。ヒューからの薄い封筒、ジェインからの花の絵が描かれた封筒。それから、この夏初めて届いた、真っ白いそれ。
ミネルバと同じ、丁寧で綺麗な文字が、ニナ・ラヴィーと、私の名前をはっきりとそこに書いていた。


「………………あ、ミネルバの手紙、置いてきちゃった」


呟きながら、私はベッドから起き上がり、また床下へと耳を澄ます。椅子の上に置き去りにされたミネルバの手紙がアルファードの吠えメールのように吠えだしやしないか、暫く彼女の背筋の伸びた声を聞けていない私は少し期待したのだった。





──そういう訳で 少し時間を作るので もしよければ教科書を一緒に買いに行きませんか? 出来れば早めの返事を待っています
あなたの友人 マクヘルガ


「……どうしよう」


ダイアゴン横丁でリリスが年上の魔法使いと歩いていたのだというジェインの手紙には従兄じゃあないだろうかという返事を書き、叔父さんが私の分まで新しいクラブを買ってくれたのだというヒューの手紙には休み明けの練習が楽しみだと書いて、ヒューの叔父、ヴィヴへのお礼に、家の外、直ぐ裏で摘んだ花を手紙に入れた。ミネルバの長い長い弟の話のお返しは勿論私の弟、トムの話で、手紙の返事をわざと書かなかっただとか、そのせいで吠えメールが届いただとか、お陰で今日も母さんに見張られ返事を書いているだとか、そして少し、一インチよりも多く伸びたかもしれないだとかをたっぷりと便箋に書いた。
しかし、彼には、イアンには、何と返事をすれば良いのだろうか。


「…………トムとも約束があるし……」


すっかり乾いたペン先を指先で確かめて、諦めるようにインク瓶の蓋をゆっくりと閉める。母さんが新しく買ってくれたインク瓶はマグル製品正規取扱店で買ったものらしく、傾けるとインクが溢れてしまうので、私は開けるのも閉めるのも、ペン先を浸すことですら慎重になっていた。
夏のはじめに指折り約束したことを、トムは覚えているだろうか。外へ出ることを許されなかった私のために四本指の約束をしてくれた彼を思い浮かべながら、私は机に頬杖をつき、首を傾ける。


「教科書、一緒に買う約束、したけれど」


お隣さんがどれほど遠いか、ずっと前に確めた。丘ではなかったけれど、午後の夕暮れ時や夜遅く、ミントの浮かぶレモネードのガラスのゴブレットを片手に七百はある内のいくつかの反則技を話せば、今度からはそれを確かめてみると心底興味深そうな顔をして頷いてくれた。エルダーフラワーは、そろそろ実になる頃だろう。トムの食べたがったジャムは、休暇が終わるまでに間に合うだろうか。
三本指まで約束を数え、私はまた首を傾け、薬指を曲げては伸ばし、口をすぼめる。四本指の約束は、本当はどれひとつとしてきちんと結んだものではないことを、私はちゃんと知っていた。
あの約束は、どれも全てトムが私を元気付ける為の慰めだったのだから。


「…………一応、訊いておこう」


慰めだったと分かってはいるが、トムは優しい魔法使いだ、本当に四本指分、全て守ってくれるつもりかもしれない。
トロールのようにゆっくりと立ち上がり、部屋を出る。ミネルバへの返事を書いている間に、トムはアルファードへの返事を書き終えたらしい。いつもよりも重く引きずるような足音が隣の部屋へと吸い込まれていったことを私は覚えていて、階段を下りることなく隣の部屋、トムの部屋のドアを叩いた。
こん、とひとつ、こんこん、と続けてふたつ。耳を澄まして暫く、母さんの針よりも鋭い視線に刺されて疲れてしまった彼は、寝ていたのかもしれない。


「……ニナ?」

「うん、そう、私。入ってもいい?」


掠れた声が私の名前を呼んだので、ドアの前で頷けば、ベッドの中からなのか、どうぞとくぐもった声が返ってくる。ぎしぎしと軋むドアを開けば、しかしどうやら私の予想は外れていたようで、トムはベッドの上にはいたもののただうつ伏せに寝転んでいただけ、疲れきった父さんのような姿になっていただけだった。
母さんの針よりも鋭い視線は、ホグワーツですら罰則なんてものを受けたことがないのだろう彼にとっては、拷問に近いものなのかもしれない。


「トム、大丈夫?」

「……大丈夫じゃない」


珍しい、と目を丸くしたのは、未だ不満を隠さずに、眉を寄せた彼が私を見たからだ。
大きく寝返りを打っても床に転がり落ちることのないベッドの上に倒れ込むように寝転がったまま、トムは起き上がろうとしないので、私はそんな彼を視界の端にベッドに腰を下ろす。顔だけを此方に向けた彼は、とても不機嫌な目をしていた。


「……僕、謝らないといけないことがあるんだ」

「謝る?謝るって、誰に?アルファードに?」

「アルファードだって?何だって彼に謝ることなんか、むしろ彼に謝って欲しいくらいなのに……」


アルファードでないのなら、誰なのだろう。ブラック、ブラック、ブラック、と母さんが言っていた、もう一人だろうか。
肘をつき身体を起こしたトムは、やはり不機嫌な、とても謝るつもりには見えそうにない目のまま私を見上げて、ぐ、と眉を寄せていた。


「僕が謝るのは、」

「ねえトム、オリオンって、オリオン・ブラックって、アルファードの弟?それともお兄さん?」

「えっ、し、知ってるの?」

「ううん、知らないわ。名前だけだわ。だって、毎日手紙が届くでしょう?」


しかし、その眉は直ぐに驚いた顔になり、トムは目を見開いて私を見た。
アルファードよりも丁寧な、だけれどあまり小さくない文字。封筒も便箋も、ブラック家の魔法使いは皆同じものを使わなくてはならない決まりでもあるのだろうか。いつも決まった、飾り気のないそれが手紙の束の中に一通、アルファードからの手紙がある時は二通、そこに挟まれていることを私は知っていた。


「でも、オリオン・ブラックだなんて、ホグワーツにいないわ。あんまり上の学年は知らないけれど、でも、多分、やっぱりいないでしょう?」

「…………アルファードの弟じゃないよ、オリオンは、ルクレティア・ブラックの弟なんだ」

「ルクレティア・ブラックの?トム、彼女と仲が良いの?」

「違う!違う、違う、そうじゃなくて、アルファードに会いに行ったら、オリオン・ブラックもいたんだよ……!」


誰と仲が良いとしても、それはトムの自由だというのに。
慌てたように起き上がり、首を振った彼の耳には、私の声が尖って聞こえたのかもしれない。そうしてもしかすると、ヴァルブルガ・ブラックと私が上手くはいってない、いや、認めよう、仲が良くないように、ルクレティア・ブラックともそうなのだと思っているのかもしれない。
しかし実際のところ、私と彼女はどういった関係なのだろうか。
ふらりと現れてはくすくすとお喋りをして、機嫌が良いかと思えばつまらないと言って去っていく。澄ました顔をした猫だって、もっと穏やかに歩み寄ってくるだろう。そんな彼女だから私は、ルクレティア・ブラックと自分との関係に名前を書いたラベルを貼り付けることは出来なかった。


「それに別に、彼女の弟とも別に仲良くないよ……」

「そうなの?手紙、毎日届いてるのに?」

「……多分、嫌がらせだろうね。僕のこと、嫌っていた様子だったから」

「嫌う?トムを?そんなことないわ、有り得ないわ。だって、どうしたってトムを嫌いになれたりするの?」


そんな彼女の弟、オリオン・ブラックと、私の弟、トムは上手い具合にはいっていない様子だった。
嫌われている理由を、トムは分かっているらしい。わざとらしく視線を横に、どうしてだろうね、と首を傾げたので、話す気はないのだと理解する。聞いたところで、私はそれを飲み下すことは出来ないに違いない。何せ私はトムを嫌いになれるだけの理由を、明日の朝まで考えたとしても何ひとつとして考え付かないのだから、きっとどんな理由を聞かされたとしても納得出来やしない。


「そんなこと、別に良いんだ。それより僕が謝らないといけない相手は、あの、……ニナなんだ」

「私?私、何にも謝られることなんてないわ」

「…………教科書を買いに行く約束、覚えてる?」


ぎしりと鳴ったのは私の心臓ではなく、ベッドのはずだ。
トムの黒い、母さんのように鋭くない視線が、しかし私を刺している気がして、私は頷くふりをして自分の爪先を見る。トムは、覚えてくれていた。約束はきちんと約束で、あれはただの慰めではなかった。だというのに、私は何という酷く無責任なことを考えていたのだろうか。
私が思っていたよりもずっと、足りない程に優しい彼に、痛いような、重いような、チョコレートケーキを食べ過ぎた後のような感覚を、何故だか肩や背中に感じる。
これを罪悪感と言うのだと、私は知っていた。


「ご、ごめんなさい、トム、私、」

「ごめん、ニナ、一緒に行けなくなったんだ」

「えっ?」

「え?」


爪先から、黒く長い睫毛の先へ。形の良いトムの瞳が、私の言葉を遮ったことに申し訳無さそうに此方を見ていたので、私は何も言ってはいない、気のせいだという顔をして首を振る。
トムは今、何と言ったのだろう。


「さっき、アルファードへの返事を書いてたんだ。手紙には次の木曜日に一緒に教科書を買いに行こうって書かれてて、ほら、ハツが許してくれるのはイエスか勿論だって、知ってるよね?」

「あ、ああ、うん、分かった、今朝の、分かったわ、知ってるわ」

「それで、本当にごめん、ニナとは行けなくなったんだ。約束したのに、ごめん」


罪悪感がトムの目に見えていたら、私はもっと酷い気分だっただろう。しぼむように小さくなったものの、それは割れた小石のように角があり、トムが酷く残念そうな声で謝る度に私の肩や背中、胸を突っついて、ベッドが骨で出来ているかのように居心地が悪かった。
トムは、楽しみにしていてくれたのだ。私も勿論、覚えてはいたのだけれど、それは守られなくてもそういうものだと頷ける程度の約束なのだと思っていたし、本当に行けたら素敵なことだと、夢で読んだ招待状のように思っていたのだ。トムは夢の話なんて、していなかったというのに。
私はなんて酷い魔女で、姉なのだろうか。


「本当にごめん、もしニナが別の日に行くのなら、勿論喜んで、ハツに言わされなくても喜んで、一緒に行くから」

「ううん、ううん、あの、わ、私こそ、ごめんなさい…………」

「どうしてニナが謝るの?悪いのは僕とアルファードだ」

「……んんん」


思わず落とした肩にトムが右手を寄せて、私は曖昧に首を傾けたり頷いたり。目玉キャンディを買ってくるよ、と言ったトムにまた肩が落ちて、結局のところ心配事は無くなったというのに、私はその日、返事の手紙を梟に渡してしまってもまだ罪悪感は消えないのだった。


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