木曜、午後一時にグリンゴッツ銀行前にと書いた手紙が、何かの手違いで水溜まりに落っこちて読めなくなれば良いのにと思ったのは、僕を左手に繋いだハツ、彼女の右手にニナがいたからだった。


「それじゃあ母さんは家に一度戻るけれど、本当に平気ね?四時に此処、漏れ鍋の前に戻ってくるのよ?」

「うん、分かったわ母さん。大丈夫よ。四時には此処に立って待ってるわ」

「トムも、四時にはお友達と別れて此処に戻ってきてね」

「……分かったよ、ハツ」


一人で教科書や新しい魔女鍋、クィディッチ用のグローブを買いに出掛けることが、そんなに嬉しいのだろうか。
一緒に行けないのだと伝えた日こそ肩を落としていたものの、次の日の朝には仕方がないと折り合いをつけたのか、ニナは自分も教科書を揃えるからダイアゴン横丁まで連れていって欲しいとハツに頼み、昨晩はどのスカートにしようかといつもよりも遅い時間まで壁の向こうからクローゼットやキャビネット棚の前を行き来する足音が聞こえていた。その足音の軽さに、僕は何だってアルファードと出掛けなければならないのかと布団を深く被って無理矢理に朝を迎えたのだが、今朝、背筋を伸ばしてハツに髪に香油を塗ってもらうニナを見て、僕は益々今日のことを後悔していた。
僕は、僕のために夜遅くまでどのスカートにしようかと悩むニナと、ダイアゴン横丁を歩きたかったのに。


「それじゃあ私の小さい人達、また後で。特にニナは気を付けて、一人なんだから」

「う、うん、大丈夫よ、ほら、ええと、誰かに会うかもしれないわ、友達に、ミネルバとか、サミュエルとか」

「本当にそうなら安心出来るんだけれど。トムも、気を付けて行ってらっしゃい」


ばちん!と姿を眩ませたハツに、遅れて手を振ったニナから林檎の花の匂いがする。少し高い踵の靴を履いたニナは緊張しているのか、奥歯を噛み締めたような顔をして笑っていた。
夜遅くまで部屋を歩き回り、僕のためではなく選んだそのスカートは、歩く度にしゃりしゃりと夏の音がするブルーラベンダーのスカートだった。


「トム、アルファードと何処で待ち合わせてるの?」

「…………グリンゴッツ銀行前」

「そう、それじゃあ、あっちね?確か、時間は、一時でしょう?ええと、もう二分も過ぎてるから、トム、急がなくっちゃあいけないわっ」

「ニナ、やっぱりニナも一緒に、」

「トム、急いで、アルファードが待ってるもの」


ドラゴンの鱗が並ぶショーウィンドウを覗いて、右に傾いた壁掛け時計を確めたニナは、僕はアルファードではなくブルーラベンダーのスカートを隣に歩きたいのだと言えば、怒るに違いない。ニナは僕が誰かを蔑ろにすることを、いつも酷く嫌っていた。


「それじゃあトム、四時にまた」

「……うん、また後で」


肩を撫でるように叩かれて、僕はとうとう歩き出す。マグル界で買ったのだろう、タータンのキルトをローブの上から腰に巻き付けた魔法使いが僕の横を早足に追い越していけば、振り返った先にはもうニナの姿は見えず、そこにあるのは曲がった魔女の帽子にずんぐりと大きな体に後から乗せたような幼い顔、そうして見覚えのある、グリフィンドールの同級生の魔女とその母親だった。
友人でもない、まともに話したこともない彼女を一瞥して、グリンゴッツまでの一本道を歩く。もしも本当に、万事が上手く手紙が水溜まりに落っこちて、アルファードが待ち合わせ場所に来ていなければ、僕はすぐに引き返してニナを探しに行こう。それにアルファードは、放っておけばいつまでだって眠っていられる魔法使いなのだ。今日ももしかすると昼前まで寝過ごして、午前中に済ませなくてはならなかった予定が押しているかもしれない。


「おおい、此処だよ此処!トム!待ちくたびれたよ!ざっと五分はね!」


しかし、こういう日に限って早く目覚め、手早く身支度を整えてしまうのがアルファードなのだ。そして勿論、自慢にもならないが、彼が僕を待たせてまで他の予定をこなすはずもない。
彼は良くも悪くも、僕を親友だと喉に魔法をかけなくとも声を響かせ叫ぶような魔法使いなのだから。


「やあトム!おや、背が伸びたかい?いいなあ、俺なんてたったの一インチも伸びなかったんだ。羨ましいなあ」

「この間と変わらないよ」

「そうかなあ?それでも、魔法使いはやっぱり背が高くなくっちゃあね。曰く、魔女をローブの中に隠してしまえるくらいになれば大人の魔法使いらしいんだよ」

「……予想はつくけれど、誰がそう言ったのか聞いても?」

「そりゃあ勿論、エインズワースさんだよ!」


グリンゴッツ前の短い階段の上で背伸びをする彼を、ガリオン金貨の覗くドラゴンの胃袋を手にしたゴブリンが迷惑そうな顔をして避けていく。アルヴィ・エインズワースは、卒業してもなおアルファードの中ではホグワーツで一番愉快で尊敬に価する魔法使いのようだ。しかし恐らく、彼はアルヴィ・エインズワースの言葉の意味を半分の半分も理解してはいない。つまりは、ローブの中に隠せるような魔女が出来れば、そういった関係の魔女が出来れば大人なのだとアルヴィ・エインズワースは言うのだ。


「そういえば君、リストは持って来たかい?俺、すっかり持ってくるのを忘れてしまってね、ほら見てご覧よ、使えもしない杖しかない!」

「……持って来てはいるけど、僕と君とじゃあ授業が違うんじゃない?三年生からは選択制の授業があるんだし」

「わあお、驚いた、俺が君のいない授業をとるだなんてスリザリン生なら誰も思い付かないとも!それに、君ってやつは殆ど全部選んでるんだってこと、俺が知らないとでも思ったかい?適当に選んだとしても君はどの授業にもいるんだってこと、知っているよ」

「……立ち聞きしたね?」

「いんや、丁度スラグホーン先生の教室の奥で書き取りの罰則をしてたんだ。授業よりも真面目に、こんな風に真っ直ぐ座って、聞いていたよ」


どの授業を取れば時間割りに無理がないか、授業が重なっていないか、スラグホーン先生に訊きに行ったその時、彼は教室の奥の準備室にいたらしい。
こんな風に、と背筋を伸ばして羽根ペンを動かすふりをしてみせた彼に呆れた息を吐けば、アルファードはにやりと笑って僕を肘でつく。もしかすると彼は、試験前になって教科書を壁に投げつけ踏んづけることになると分かっていながら、古代ルーン文字学までとっていたのかもしれなかった。


「さあさあ、教科書を買いに行こう!教科書なんてもの、部屋の机の上に勝手に揃っているものだと思っていたから、本屋だなんて初めてだ!」

「……勝手に揃うものじゃないって、どうやって気付いたんだい?」

「姉さんがルクレティアともう二人魔女を連れて買いに出掛けたのを見たからさ!そういえば、君の姉さんはどうしたんだい?ニナも誰かと買いに出掛けたのかな」

「さあ、どうなんだろうね。君が誘いにこなければ、勿論答えは知っていたんだけれど」

「おおっと、それはつまり、つまり……?」

「行くよ、アルファード」


いい加減いつまでもグリンゴッツ前、階段の上にいれば、目立って仕方がない。
鼻先が折れたように右を向いた魔法使いが大道芸でも見るかのような顔をして此方を向いたので、僕はアルファードを引っ張るようにして階段を下りる。しかし、アルファードはわざとなのだろうか、浮かれているのだろうか、跳ねるように歩くものだからどうしたって魔女や魔法使い、ゴブリンのぎょろりとした目玉が此方を向くので、僕は乱暴にアルファードの背中に腕を回して彼を前に押し出した。


「なんだ、そうか、つまり、ああ、言ってくれれば良かったのに!ニナと行くつもりだったんだろう?君達は本当に仲が良いんだなあ、俺と姉さんとは正反対に大違いだよ」

「そりゃあそうだろうね」

「そうだろうって、何か特別理由でも?」

「だって、僕とニナは血が、」


湿った笑い声が耳を後ろからなぞった気がして、は、と、僕は口を閉じた。


「血が?何だって?トム」

「……いや、大したことじゃあないよ。ただ、ほら、君の家やアブラクサスの家と違って、僕の家は色々なことに寛容だからね」

「ああ、それで君の姉さんってやつはあんなに穏やかなんだね?ハッフルパフに選ばれたのもそのせいか!正しく忠実、その通りだもの」

「スリザリンの僕は穏やかじゃないって?」

「いいや、君は真の友を得るためにスリザリンに選ばれたのさ」


そうだろう?と、アルファードは肩越しに僕を振り返り、すれ違う若い魔女達が笑ったことなど気にもしていないのだろう、歯を見せることなく品よく笑ってみせたので、僕は片眉を上げてみせた。
湿った笑い声は、気のせいだったのか。ダイアゴン横丁の端から端へ、流れるように歩いていく人混みの中から決まった声を探すことは出来ず、僕は左手で耳を隠した。


「俺の姉さんは寛容とはほど遠いからね。たまに思うんだよ、ああ、どうして家族なんだろうって!勿論トムは思わないだろうけれど」

「……思わないこともないよ」

「あ、トム、見てご覧よ、あの店に透明マントが売ってあるだろう?透明マントっていうのは、本物と偽物とがあるらしいんだ。これはドレア叔母さんから聞いたんだけれどね、何が違ったんだったか、んんん、トム、知ってるかい?」

「あまり興味ないから」

「そうだろうとも、ドレア叔母さんに確かめるしかないみたいだ!」


店先に並ぶくたびれた色をしたローブを指差したアルファードは、僕の頷きも見えていなければ、呟きを拾い上げることもない。それを僕は分かっていたので、馬鹿なことを呟いてしまったのだ。
隠した耳を、何かがなぞる。振り返り、先程も見ただろうか、辺りを見回しながら歩いていくずんぐりと大きな背中が見えて、この横丁には目に見えない魔法生物が住んでいるに違いないと前を向き直った。


「あの店、カフェ・フォーテスキューから出てくる魔女も魔法使いも、みんなアイスクリームを食べているね?カフェと言えばティーカップじゃあないのかい?」

「さあ、どうだろうね」

「フリントの家のシェパーズパイみたいに味気がないなあ……そんなにニナと来たかったのなら、後で呼ぶかい?どこかこの近くで煙突飛行が使えるのならだけれど」

「…………いいの?」

「良いとも、だって、俺の姉さんと君の姉さんとは別だもの。けれど後で、だ。勿論、少しは親友と二人きりの時間があったって許されるべきだと思うんだよ!」


そうだろう?とまた振り返ったアルファードは今度は白い歯を覗かせていて、背中を押す僕の右手首を下ろさせ隣に並ぶ。相変わらず跳ねるように歩く彼の隣を歩くことはやはり目立って仕方がなかったが、僕はそれには目を瞑ることにして、大人しく彼の隣を歩いた。
視界の端に、グリフィンドールの魔女がいる。彼女はいつからそこにいて、いつまでそこにいるのだろうか。


「いいよ、それじゃあ二人きりの時間で何を話すつもり?」

「そうだなあ、ゴイルがノルウェーの魔法薬店で買ったトロールの足の裏の皮の話はどうだい?こんな話、ニナの前では出来ないだろう?」

「それは、確かに、……そうだね」


いつも壁の代わりにしているダークブロンドの魔女を連れていない彼女は、今日は母親だろう魔女を壁に、此方を覗いていた。
もっとまともな話があるだろうに。酷い臭いがするんだよ、と話す彼は本屋を通り過ぎ横丁の端へと向かっていたが、今慌てて教科書を買い揃えたところで、ゴイルのトロールの話は底をつかないのだろう。まさかニナにそんな話を聞かせるわけにはいかず、恐らくニナは嫌な顔せず目を丸くしてどんな酷い臭いなのかと訊ねるのだろうが、僕がニナにそんな話をして欲しくなかった。


「鼻の奥に腐ったピクルスを詰め込まれたような臭いがするんだ、信じられるかい?剥がれ落ちた皮だっていうのに、凄いんだ!」

「そりゃあそうだよ、トロールはシャワーなんてものを知らないからね」

「山トロールだったから尚更さ!川トロールならほら、川の水で流れていくらかまともな臭いになるだろうから。それでね、その皮を何に使うかなんだけれど……」


漏れ鍋の前まで、そうして振り返り、再びグリンゴッツ銀行へと。愛想よく相槌を打ちながら、数えてみれば五回、ダイアゴン横丁を端から端まで往復したのだが、僕はせめてアルファードの口から出る言葉が妖精ではないにしろ、ドラゴンもしくはヒッポグリフになるのを待って、早く隣にブルーラベンダーのスカートが揺れないだろうかと本屋へと駆け込むのだった。


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