「何だ、珍しいな、マルフォイがこんな寂れたパーティーに来ているだなんて」
自分のドレスローブこそ一番高価で素晴らしいものだという顔をした魔女達の拍手が、狭くはないが広くもない、趣味の悪い大理石のキャビネットや石像が並ぶ広間に雨のように響く。それを避けるような、首を竦めた姿勢で、ホールの一番手前の特等席とも言えるその席に座っていた僕の隣、父上が座っていた席に腰を下ろしたのはスリザリンの上級生、フリントだった。
「君こそ、ブルストロードの従兄の屋敷にいるだなんて、驚いた」
「僕の姉上が別のブルストロードの従兄と婚約してね。その繋がりさ。それで、君はどうしてだ?」
「……父上の付き添いだ」
「ああなるほど、そうか、君、そういえば叱られたんだったな。それでこんなパーティーにまで連れてこられたのか」
拍手の合間にフリントを睨んだのは、ブルストロードの血筋の魔法使いだろう。彼にとっては、こんな、ではないパーティーに唾を吐かれた気分に違いない。しかし僕もまた、こんな、と思っている。だからこそフリントを咎めることは勿論せず、彼の言う通りだという顔をして適当な拍手を繰り返した。
夏休み休暇、邸に帰るなり父上が僕に言った言葉は帰宅を喜ぶ言葉でもなければ長旅の疲れを労う言葉でもなく、ただ一言、反省はしたか、という言葉のみだった。それに黙って視線を落とした僕を、父上はどう捉えたのか。休暇中、父上はどのパーティーに行くにも僕を付き添わせ、その屋敷のホストに僕を見せ、息子のアブラクサス・マルフォイだと言う。それは恐らく、僕にマルフォイ家の人間であると自覚を持たせると共に、他の純血達に顔を知らしめる為の行為だったのだろう。父上は誰の会話にも上らない、どうにかその血にしがみついているような純血の魔女や魔法使いであろうと、それらの存在を無視することはしない。あれも使える、と、そう言って、手駒にしてしまうのだ。そうして父上は、その術を、その必要性を僕に植え付けていくのだ。
この屋敷のホストは、手駒のひとつに過ぎないブルストロードの従兄の魔法使いは、今頃父上の為に応接間で一等高価なウィスキーでもあけていることだろう。舞台もそこそこに、クラッブとマクミランの魔法使い達と共に父上は僕を広間に残して此処を出ていった。マルフォイ家らしい態度でいろ、と、それだけ言い残して。
「どうだい、こんな屋敷の奴等に媚びへつらう気持ちは」
「媚びへつらう?違うな、父上は僕という存在を知らしめるために僕を連れて来たんだ。勘違いするな」
「勿論、冗談だとも。分かるだろう?」
「フリント、君の冗談は趣味が悪いんだ」
舞台の上に、銀の仮面を被った魔法使いが現れる。先程までそこで魔女や魔法使い達を従えて歌声を披露していたその魔法使いは、長いブロンドを見せ付けるように勿体振ったお辞儀をしてみせ、銀の隙間から僕を見た。魔女達の拍手が、一際大きくなる。
グリーンの瞳は、僕を見て笑っていた。
「それにしても、凄い人気だ。自分の為にオペラ団を作るだなんて、彼は随分と暇な変わり者だな。オペラなんてもの、観る為のもので自分がやるものでもないだろうに」
「変わり者は君もだ、フリント」
「ははっ、そうかな。少なくとも僕は彼のような真似はしないけれどね」
「だけれど君はドラゴンの肝を食べたがるような奴だろう」
「あれは美味しかったぞ、マルフォイ」
「食べたのか?」
最後にまた一礼、ブロンドを揺らし、ベルベット生地のローブを翻し、魔法使いは舞台の奥へと引っ込んでいく。ブルストロードの従兄の魔法使いは、この席こそ一番の特等席だと僕と父上を此処に座らせたが、もしかするとそれは間違いかもしれない。舞台の奥、銀の仮面を外した魔法使いを飛び跳ね迎えた魔女の顔は、誰よりも今日の余興を楽しんだようだった。
「カローに勧められてね。つい先日食べたばかりだ」
「……カローはどうしてる?」
「ああ、心配してるのか?クィディッチの件ではもっと上手くやれと散々身内に詰られたようだよ。彼も僕も、来年には卒業だろう?彼のお父上は今のうちに何処かのチームに売り込んでおきたかったんだよ」
「試合には勝てたが、その件ではさぞかし残念だっただろうな」
「君の評判は上々だったそうだ。カローがウイムボーン・ワスプスの監督がお父上と話していたのを聞いたらしい。ただ、自分のことに関してはそこまで気にしてはいないみたいだったな」
何でも、ハッフルパフのビーターから手紙を貰ったらしい。
漸く疎らになった拍手に、フリントは今更思い出したように拍手を重ね、脚を組む。オリーブグリーンのローブは安っぽく見えたが、それが彼のこの屋敷への評価なのだろう。グリーングラスや他のパーティーではまともなドレスローブを用意してくる彼は、退屈そうな顔をして天井を見上げていた。
「ハッフルパフはとんだお人好しだな。骨を折られて庇うやつがあるか?」
「……カローは何もしていない」
「君も庇うのか?あの魔女も変わり者だが、君もそうだな」
「フリント、さっきも言ったが、君もそうだ。それに僕は事実を言っただけで、変わり者じゃあない」
首周りをはしたなく出した若い魔女が、僕達の話を聞いていたのか、まるで自分も対等な立場にいるかのような態度で笑っている。僕達はそれには目を向けず、互いに目を見合わせるだけだった。
「……まあ、あいつが変な奴だということは、同意する」
フリントが肩を竦め、そうだろう、と視線で頷く。恐らくそれは、僕の方が彼よりもずっと早く、知っていたことだろう。変な顔をした、変わり者の、スクイブではなくなった、ニナ・ラヴィー。
マルフォイ家らしい態度を求められた僕は、舞台の奥、そこにいる彼女には視線をやらず、黙ってフリントに肩を竦め返すだけだった。
「凄いっ、凄い凄い!アルヴィ先輩、素敵でしたっ!」
「そうだろう?はははっ、良い気分だ、もっと誉めてくれ!」
「凄いですっ、本当に凄かったです、凄く、とっても、素敵でした……!」
名前も知らない誰かの、大きな屋敷の中庭。魔女はチョコレートと紅茶を仲間に、魔法使いはチェリー酒や煙草、ウィスキーを仲間に屋敷の中でお喋りをしている中、陽のあたるそこで、腰まであるラベンダー、中庭を覗く二階バルコニーから垂れ下がるウィステリアだけを仲間に私はアルヴィ先輩の目の前で跳ねていた。
銀の仮面を被った彼の歌声は、魔法使いの言うところのヴィーラの歌声なのだろう。ベルベットの重いローブを汗ひとつかかず翻し、舞台をおりた彼は今、さらりと流していたブロンドの髪をひとつにまとめ、ユニコーンの尻尾のように背中に垂らしていた。汽車をおりたその後、ひっそりと何処かで歌いながら妖精の尻尾を探すと話してくれた彼は、私が思っていたよりも派手に歌いながら、妖精の尻尾を探していたのだった。
「今日は楽しんでくれたかな?」
「はいっ、とっても!本当に、とっても!」
「僕はそんなに素敵だったかい?」
「はい!凄く、素敵でしたっ!」
「素直な良い子だ!」
グリーンの目を細め、アルヴィ先輩は私の手を取る。ベルベットのローブを脱ぎ捨てた彼は、まるで昔風の伯爵のようなフリルのついたシャツの袖をまくり上げ、機嫌が良いのだろう、私の指先に唇を寄せた。あの子は確かに魔女贔屓だが良い子だよ、と、父さんは母さんに話してくれたが、正しくその通り、そんな魔法使いだ。私にでさえ、彼は優しく魔女の扱いをしてくれるのだから。
長い睫毛が、光ってみえる。今頃若い魔女達は、舞台に立っていたあの魔法使いは何処に行ったのかと彼を探していることだろう。アルヴィ先輩はいつだって、魔女の頬をオペラに染めさせる、そんな魔法使いだった。
ただ、その魔女の両親は魔女と魔法使いでなければならないのだけれど。
「アルヴィ先輩、あの、今日はどうして、私を誘ってくれたんですか?」
「ん?……ああ、アンドリューの奴が途中で放り出したものだから、今の内に手をつけておこうかと思ったんだ」
「………………ええと……」
「……不思議そうな顔をされると、冗談だとも言えなくなるな」
そう言って、アルヴィ先輩は脱ぎ捨てていたローブの内ポケット、拡張魔法のかけられていたらしいそこに深く手を突っ込んで、何かを探す。そんなに物を入れているのか、何処にやったか、という顔をして、瞬きを四回、漸くアルヴィ先輩は目当ての物を見付けたらしく、それを取り出すより早く私に向き直り、小さく微笑んでみせた。
「ニナ、そこに立って」
「そこ?ここですか?」
「そうだ、それから裾を持って、回ってみせて」
「回る?回るって、こう、ですか?」
「もっと楽しそうにだ。そこに、誰か、その可愛い裾を見せたい相手がいるように」
アルヴィ先輩は、何がしたいのだろうか。
ラベンダーの前に立ち、レース飾りのついた裾を持ち上げ、私は首を傾ける。だけれど特別断る理由もなく、私は大人しく姿勢を正して、そこ、目の前に、ほんの少し、母さんが私をこの屋敷に送り届けるまでの短い時間しか話すことの出来なかった彼、トムを思い出した。
アルファードの家に遊びに行った彼は今頃、何をしているのだろう。折角の夏なのだ。庭小人の髭よりもずっと、一瞬のように短いそれを、楽しめていると良いのだけれど。
「……良し、最高だ」
バシャ!と、聞き慣れない音が響いたのは、裾を持ち上げくるりと回ってみせたその時だ。
アルヴィ先輩は、何処でそれを手に入れたのだろう。カメラを右手にアルヴィ先輩は笑っていて、私は目を丸くして彼を見る。アーガス社のカメラだ、と得意気に言うアルヴィ先輩はそれをまたローブの内ポケットの奥の奥へと押し込んでしまって、私はそこに立ち尽くすだけだった。
「大丈夫だ、これは魔法族向けのカメラだから、写真はちゃんと動く」
「な、何ですか?どうして撮ったんですか?」
「アンドリューに送ってやろうと思ってね」
「アンドリュー先輩に?」
私が繰り返せば、そうだ、と言いながら、アルヴィ先輩は私を手招く。ウィステリアの花弁が風に吹かれ、彼の頭にそっと触れたが、彼はそれを気にすることなく、私の手を取った。
「あいつはこれから、忙しくなる。クィディッチもオペラも、大切な娯楽だ。僕達はどんな時代になろうと、その娯楽を無くしてはならない。分かるだろう?」
「…………お菓子も、ハニーデュークスのお菓子も、大事です」
「ああ、そうだよ、そういうことだ」
地面に片膝を立てて座るアルヴィ先輩の睫毛が、楽しそうに笑っている。何のことなのか、アルヴィ先輩の話す言葉の半分は風に吹かれ、ウィステリアの花弁と共に飛んでいってしまったようで、私にはその正体を掴むことが出来なかった。
「兎に角、あいつがへなちょこにならない為に、可愛い妖精の写真が必要なのさ」
「……私で良いんですか?」
「ニナ、君は知らないかもしれないが、アンドリューは君を一番に可愛がっていたぞ」
私を、一番に。
何故だろうか、嬉しい筈だというのに、一瞬、駆け抜けるように寂しさが胸を突いて、私はつい黙りこんでしまう。そんな私を見付けたのか、アルヴィ先輩はまるであやすように私の手をゆらゆらと揺らし、ニナ、と、歌うような声で私の名を呼んだ。
「ニナに何かあっても、あいつはもう、君の所へ直ぐに飛んできてやれない。だから今度からは、僕か、ニコラスに話すんだ」
「何か?何にも、大丈夫です、何にもありません」
「あったら、だよ」
「……私、私はもう、四年生です」
「そうだ、四年生だからこそ、心配なんだ」
アルヴィ先輩はそう言って、こんな言葉は知っていかい、と首を傾げる。薄い、バラのように色付いた形の良い唇が続けたそれを、私は知らなかった。
「男の子はぼろきれやカタツムリに子犬の尻尾。女の子は砂糖にスパイス、素敵な事柄」
「………………」
「……君の周りの魔法使いは、何で出来ていると思う?」
言われ、私は瞬きをする。ぼろきれにカタツムリ、子犬の尻尾。考えて、それから私はゆっくり、頭を横に振り、しかし直ぐにそれを止めて、首を傾けた。
サミュエルは、違う。ヒューには子犬の尻尾は、あるかもしれない。他の魔法使いは、どうだろうか。
トムは、何で、出来ているだろう。
「難しいかな?」
「……サミュエルは、違う気がします」
「あの子はそうだろう。それはつまり、男の子じゃあなくなったということだ」
「えっ」
「……分かるさ、もうすぐ、分かるようになる」
男の子じゃあなくなって、そしたらその後、何になるのだろうか。
驚く私の手を取ったまま、アルヴィ先輩は立ち上がる。ウィステリアの花弁がまた風に吹かれて降ってきて、今度はそれを左手でつかまえながら、彼は長いブロンドを揺らして私を見下ろした。
「まあ、魔女はいつまでも、砂糖にスパイス、素敵な事柄だ。幾つになってもね」
「……アルヴィ先輩は、何で出来ているんですか?」
「そうだな……バラにシナモン、ヴィーラでどうかな?」
「……出来てそうです、それで出来てそうです」
「うん、やはり君は素直な良い子だ!」
白い歯を覗かせて、アルヴィ先輩は珍しくくしゃりと笑う。そろそろ帰ろうか、と、柔らかな声で私の背中を撫でた彼を見上げながら、私はぼろきれやカタツムリ、そうして子犬の尻尾の意味を、ぼんやりと考えていた。