カローにグリーングラス、グリーングラスのその従弟から手紙が、スウェーデンに家族で出掛けているのだという同級生の魔法使いからはショートスナウト種ドラゴンの絵葉書が送られてきて、今朝届いたばかりのそれは散らかった部屋の隅、埃被った机の上、屋敷しもべ妖精の手によって順に丁寧に積み重なっていた。そして昨日、昨日の昨日、そのまた昨日の分はもうとうに返事を書き終えて、俺の手によって机の下に順もなく積み重ねられている。


「……ない!来てない!」


それを積み重ねている、ではなく、放り捨てている、と、姉は言うが。
捨ててもよろしいのですか、と屋敷しもべ妖精に今朝の分の手紙を積み重ねながら訊ねられ、これでも一応は大事に置いているのだと首を振ったのはたったの十分前のこと。そうして積み重ねられたそれを確かめるため、ベッドから落ちた枕もそのままに机の真ん前に立った今、俺はその場で大きく地団駄を踏んだ。
トムは一体いつになれば、俺に返事をくれるというのだろう!


「……アルファード、何してるの」


ドアが半分、控えめに開き、グレーがかった黒い瞳が恐る恐る部屋を覗きこんでくる。それにも構わずまた地団駄を踏み、捨てたいのならば捨てればいい、と机の下に順もなく積み重ねていた手紙を掴んでは放って、俺はベッドへと飛び乗り倒れこんだ。放った手紙の中には、一週間前、屋敷しもべ妖精に見張られながら酷く苦労して書き上げた薬草学のレポートが紛れ込んでいたような気がしたが、恐らく気のせいだろう。あの屋敷しもべ妖精は、俺の言うことは聞きやしないが、父親や母親が俺を見張れと一言言えば、俺がどれだけ睨もうが文句を言おうが頑なに側を離れようとしないのだ。挙げ句、手紙の中の言葉遣いにさえ目を光らせてくるのだから、俺からのえらく畏まった手紙が愉快だといって誰もが俺に手紙を送ってくるのだ。特に、カローとグリーングラスなんかはそういった理由で手紙を送り付けてくる。勿論教養のある俺は、そうだと分かっていながら返事はするのだが。
しかし、何故、俺よりも教養はあるだろうに、その言葉を誰が一番始めに考えたのかも知っていそうな彼が、返事を書かないだなんて失礼なことをするのだろう!


「ああ!もう!薄情なやつだ!俺がこんなにも返事を待っているのに!」

「アルファード、あんまり騒ぐとお父上様に怒られる」

「分かってるよ、分かっているとも、だけれど俺の機嫌が悪いんだ、あの人も機嫌が悪くなるといい!」

「……厄介なことを言うなあ」


グレーがかった瞳が、ベッドの横にしゃがみこみ、俺の顔を覗きこんでいる。自分もいつかこうなるのだろうか、と首を傾げ、いや、こうはならない、と首を横に振った彼は、俺とよく似て正直だ。しかし、夏の半分をお互いの屋敷を行き来して過ごす彼は、俺よりも賢くはあるが。何せ母親も父親も、俺よりも彼のことを随分と気に入っている。
彼はよく出来た、ブラックの名に相応しい魔法使いだった。


「この屋敷は埃臭くて息がつまりそうだ……。夏は短い生き物なんだ、それを楽しまないなんて人生じゃない。そう思わないかい?」

「んー、どうかな?姉さん達に訊いてみれば?」

「そこは黙って頷いておくのが正解なんだよ、トムみたいにね。……ううう、何だって返事をくれないんだ……!」


こんな古臭い、息の詰まる場所にはいたくないというのに。
遊びにいかせてくれないのならば、せめて同じ埃を吸って、ほうらやっぱり埃臭くてかなわない、と笑いたいじゃあないか。古臭いとは格式があることだと言った彼を思い出しながら、俺はベッドにうつ伏せになり足をばたつかせる。下の階からは母親の怒鳴るような声が聞こえたが、俺は足を止めることはしない。どうせ直ぐに、屋敷しもべ妖精がやってくる。


「トムめ、親友を放っておくだなんて酷いことを……!俺だっていつまでも紳士じゃあいられないんだ……!」


次に返事を寄越さなければ、そうだ、吠えメールを送ってしまおう。そんなことを考えた俺の足に、ばちん!と姿現しで現れた屋敷しもべ妖精が押さえつけるように座り込んで、俺は力なく項垂れる。素直なグレーがかった瞳は俺のどこが紳士だったのかと不思議そうに見ていたが、恐らくのところ、彼としてはそれを隠して澄ました顔をしているつもりなのだろう。頬杖をつき俺を見ていたその顔は、まだまだ幼い、魔法使いにもなりきれない、シグナスと同じ子供の顔だった。
ルクレティア・ブラックの弟、オリオン・ブラックは、賢く、素直な、自信に満ちた子供だった。


「アルファード、紳士ってどんなものか、知ってる?」

「……少なくとも、この屋敷で最も一番それらしいのは舌が熱くならない、火傷をさせない冷めた紅茶だとも」


俺の言葉に、彼、オリオンはグレーがかった瞳を丸めて、澄ました顔で笑っていた。






「……茅葺き屋根!トム、茅葺き屋根だわ、この家の屋根は茅葺き屋根だったんだわ!」


家の裏側、僕とニナの部屋の窓から見えていたゆるやかな芝を、遠くに見える林檎の木を目指して進みながら、ニナは僕を大きく体ごと振り返りそう叫ぶ。昨日、ダイアゴン横丁からの帰りには僕の視界にはとうに入っていた筈なのに、しかし僕自身その屋根に見覚えがないのは家の玄関から出てきた魔法使いが、嫌な意味で僕の目をひいたからだろう。家の外壁も道のうねりも、うんと遠いらしい隣の家が何処にあったのか確かめることもせずストロベリーブロンドの後ろ頭を見つめていた僕は、ニナと同じように、ダンが新しく用意した家の屋根が茅葺きだったことを今初めて知ったのだった。


「トム、早く、早くっ、あそこの木まで!」

「走ると危ないよ、ニナ、前を見て」

「平気!平気!大丈夫!」


そう言って、僕を三度も振り返り一番背の高い林檎の木を指差したニナは、まさか僕が屋根を見ることが出来なかった原因、イアン・マクヘルガがハツを焦らせ、彼女が予定していたよりもずっと早く外出を許されたのだとは思いもしないのだろう。
ハツはどうやら、余程、イアン・マクヘルガの母親が嫌いらしい。昨夜ベッドの下、リビングから漏れるように響いていたハツの声を聞いていた僕は、Fの付く言葉にニナが気付きやしないだろうかと何度となくニナの部屋に行こうとして、しかし夜は遅く、眠っているだろうと思い直して大人しくベッドに寝転んでいた。母親がヴィーラなら息子もそうだ、と唸ったハツは、彼が心配をして来てくれたのだと話したニナをこれ以上家に閉じ込めてはおけないと考えて、とうとう今朝、前髪を跳ねさせた彼女に外に出ることを許したのだ。イアン・マクヘルガはハツの嫌う彼の母親とは別物だと、勿論ハツは常識ある魔女だ、分かってはいるようなのだが、少しでも彼女と繋がりのある糸をニナから切り離したかったのだろう。これであの女も来ないはず、と、跳び跳ねて喜ぶニナを尻目に呟いたハツが恐れていたのは、多分、僕と似たようなことだ。


「……イアン・マクヘルガか」


届くはずがないというのに、林檎の木と背比べをするようにその下で背伸びをしていたニナを見ながら、僕は彼の澄ました顔を思い出す。ゆったりとローブを翻し城の廊下を歩くその姿を、僕は何度見たことだろう。アブラクサスにも似た、しかし何かが違う勝ち気そうなその空気は、生まれもってのものなのかもしれない。ニナは彼を優しく紳士な魔法使いだと、みっつのパイを食べながらダンに話していたが、僕の目にはそうは映らなかった。
ハツが彼の母親をヴィーラと呼ぶように、僕は彼を優しい紳士なだけの魔法使いだとは思えない。マクヘルガの魔女と魔法使いは、ラヴィーの魔法使いと魔女を連れ去りたがるようだ。
ハツはダン・ラヴィーがヴィーラの魔女にどうにかされてしまわないか、恐れているのだ。


「トム、トム、見て、林檎の木!」

「うん、そうだね」

「あっちにお隣さんが見えるわ、トム!こっちに来て、お隣さんが見えるの!」

「今行くよ」


ダンもニナも、そんなところまで似なくとも良いだろうに、こちらの気も知らないで呑気なものなのだから困ってしまう。
手を大きく振ったニナに小さく手を振り返し、僕は芝を進む。隣の家の魔女と魔法使いは未だ会ったことがないが、ヴィーラを抜けば人のいいハツは上手くやっているのだろう。時おりテーブルにパイやスープ、マッシュビーンズを並べながらお隣の魔女が、と、どちらのお隣か分からない魔女の話をすることがあるので、僕は何も心配をしていなかった。


──やあ あの家に越してきた魔法使いの家族かな?


恐らくニナも、顔さえ合わせれば上手くやれるのだろう。まだ見ぬうんと遠い隣の家の魔女達に何かを話すニナの横顔が浮かんだその瞬間、しゅうしゅうと息を吐く声に話し掛けられ、僕は歩みを止めた。


「……やあ、そうだよ。初めまして」


その声の持ち主は、爪先の先、低いその地面から僕を見上げる大きな蛇だった。
丸い瞳が僕を見て、笑ったのだろうか、しゅうしゅうと息を吐き、舌をちろりと覗かせる。首をもたげ、蛇はニナを振り返り、そうしてまた僕を見た。


──この間彼女が叱られているのを見たよ 窓から身を乗り出していた 妹かい?

「違うよ、彼女は僕の姉さんだ」

──そうかい それはそれは ご立派な姉だ

「…………梟の餌にされたいの?」

──おおっと それはいけない これから仲間と会うのでね ちょっとした冗談だよ 許しておくれ パーセルマウスの可愛い坊や


何せ自分は嫌われものの蛇でね、直ぐに人を驚かせたりからかったりしてしまうんだ。
首をもたげ、蛇は言う。誰か、魔法使いが飼っていた蛇なのだろうか。僕をパーセルマウスと呼んだその蛇は、可愛い坊やとはどういうことか、と眉を寄せた僕に直ぐ様気付き、音もなく逃げるように芝を滑り消えていった。


「……坊やか」


林檎の木にもたれ、ニナが僕を待っている。今年の夏は暑くなく、風はぬるいがそこまで不快なものではない。この地域は霧が多いのか、朝夕はよく辺りに霧が立ち込めて、それがまた気温を低くしているようにも感じた。
しかし、今は夏らしく、晴れている。林檎の木の下で眩しげに顔の上に手をかざしたニナが僕にまた大きく手を振ったので、僕はそこに蛇の尾が残っているつもりで地面を踏みつけ歩いた。


「トム、お話ししてたの?蛇でもいたの?」

「まあね、ろくな蛇じゃなかったけれど」

「どんなお話しをしたの?」

「挨拶だけだよ。パーセルマウスなんだねって言われたぐらいだ」


可愛い坊やは教えずに、木陰に入ればニナが笑う。羨ましいわ、と、ニナは恐らく本心で言ったのだろうが、僕はそれに答えることはせずニナが見えると言ったうんと遠い隣の家を眺めた。
同じ茅葺き屋根。二階建てではない平屋のそこと、ダンの用意した家とを隔てる柵はない。ひとつふたつ、壊れかかった柵がどうにか立ってはいるが、あれは隔てにはならないだろう。細くうねる家の前の道を辿れば確かにうんと遠い、遠回りになるのだろうが、芝を突っ切ってしまえばそこはそれほど遠い場所ではなかった。
腰の曲がった年老いた魔女が、家の裏に肘掛け椅子を持ち出し、短い夏を味わっている。それよりももっと此方に近い、柳の木の下で奇妙に細く長い、腕の長さほどもある双眼鏡を持っていたのは、そんな年老いた魔女と住む魔法使いだった。


「……ニナ、イアン・マクヘルガが紳士なら、僕は何?」

「えっ?なあに?どうしたの?」


双眼鏡も長ければ、真っ黒い蝙蝠のような色をしたローブも長い。引き摺るように家へと戻り、それきり出てこなかった魔法使いから視線を逸らせば、ニナは不思議そうに僕を見る。それに特別意味はないのだという顔をしてみせれば、ニナはそれを信じたのだろう、考えるように視線を彷徨かせ、そうして当たり前のような顔をして木を見上げていた。


「弟よ、トムは弟。賢くて優しい、蛙チョコレートを捕まえるのが上手な弟」


可愛い坊やは、強ち間違ってはいないのかもしれない。
蛙チョコレートがそこに混ざるだけで間が抜けて思えるな、と笑いながら、僕は足元の芝を踵で潰す。その日ニナが着ていた袖の細いワンピースは、また背が伸びた彼女を一層細く長く見せたので、僕はひと跳びに、大人のとは言わない、ひとつでも年上の魔法使いか、同い年の魔法使いになれやしないだろうかと考えたのだった。



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