「待って、待っておくれよトム!何をそんなに急ぐんだい!?」


競技場から城まで。ホグズミード村へと抜ける森を振り返り、広場を抜けて、真っ直ぐ廊下へ。姿現しテストセンターの役員は、村からではなくダンブルドア先生の部屋の暖炉を使い城へ来ていたと聞いたことがあったが、あの魔法使いもそうなのかもしれない。人気のない森を一瞥し、歩く速度は自然と速まり、僕の後ろを付いて回るアルファードの息はあがっていた。


「ミスター・マルフォイは?」

「ミスター?アブラクサスのお父上ならカローのお父上と一緒じゃあないのかい?今日、来てたっけ?」

「それならミスター・カローは何処へ行った?」

「知らないよ!そんなこと!」


そんなに話したけりゃあ、俺が手紙を書いてやる!
吠えるようなアルファードの声に、耳がきんと痛んで、足は止まる。僕は彼を見付けて、ミスター・マルフォイを見付けて、どうするつもりだったのだろうかと。
肩で息をし、大きく咳き込んだアルファードを見やり、僕は首を流れた汗を拭う。落ち着け、と閉じた瞼の裏に見えたものは、目をそらすことなく、観覧席をぐるりと飛んでいたブラッジャーに小さく唇を動かしたアイスブルーの瞳だけで、それ以上のものではない。杖さえ取り出すことなく、ただ、彼一人、彼だけが不自然に跳ね返りニナへと飛んでいったブラッジャーを見ていた。それだけのことだ。実際、杖を手にしていたのはカローその人で、ミスター・マルフォイではない。


「突然走り出すんだもの、喧嘩も見ずに着いてきちゃったじゃあないか……!ああ、カローはどうなっただろうねえ?トム、見たかい?魔女ってやつは猫より恐ろしい喧嘩をするんだ!」

「……戻って見てきなよ、僕は医務室へ行くから」

「ニナのことだね?分かるよ、勿論心配だとも!だけれどトム、残念だ、試合の後はチームメイト以外は怪我をした生徒以外は滅多と入れてもらえないんだよ。何せ見舞い客で医務室がはち切れるからね!」

「…………それは、最悪だね」


アフリカの魔法使いは、杖を持たず、指先に魔力を宿すという。同じ魔法使いに出来ることを、どうして出来ないわけがあるのだろう。
ニナは大丈夫だろうか。今になってミスター・マルフォイを探しに行くのではなく、ニナの元へ行けば良かったと後悔し、息を吐く。アルファードと違い、野蛮なことは苦手らしい魔女達がぽつりぽつりと競技場から戻ってくるのを横目に、僕は己の見境のなさを恥じた。


「トム」


青い顔をしたブロンドの魔女が、ブルネットと赤毛に連れられて僕の隣を通り過ぎていく。見覚えのあるその姿に振り返った僕を呼んだのは彼、箒を手にしたアブラクサスで、彼もまた青い顔をしてそこに立っていた。


「話がある」

「……今はとても話す気分じゃない」

「話があるんだ、トム」

「…………聞こえなかった?話す気分じゃないんだ」


アルファードの視線が、僕とアブラクサスの間をさ迷う。こういう時こそ、底のない明るい声で僕を連れ出して欲しいのだが、妙に頭が良いのだから困るのだ。気を遣ったつもりだろう、アルファードは何も言わず逃げるようにその場から立ち去って、残されたのは僕とアブラクサス、時折通り過ぎていく青い顔をした魔女や、荒れた空気にあてられ声を大きくした魔法使い達の話し声だけだった。


「父上がやった」


それだけ。無駄なものを何もかも全て削ぎ落とした言葉を、アブラクサスは青い顔で溢す。彼を振り返ったレイブンクローの魔女は、彼の言葉の正体を知ることは出来ない。だが、僕にはそれが何なのか、何をやったのかが直ぐに理解できて、ああやはり、と頷くことしか出来なかった。
カローの杖先は、ブラッジャーを向いてはいなかった。彼はハッフルパフのキーパーに呪文を放とうとして、しかしそれよりも早くブラッジャーがニナを襲ったのだ。
アブラクサスのお父上様とやらは、スリザリンの良くも悪くもある狡猾さを、何十年も煮詰めて焦がしたような魔法使いだった。


「……分かってるよ、そんなこと」

「………………分かっているのなら、何故だ」

「何故?」

「どうして僕を、責めないんだ」


これ以上は耐えられないという顔をして、彼は何を言うのだろう。
緑の血が流れる顔は、僕を見ているようで、きっと自身の父親を見ている。早く此処から立ち去ってしまいたくてならないが、彼がそうはさせてくれないだろう。僕の踵が動けば彼の爪先も動き、僕は思わず目を細めた。


「君こそ、僕をどうして責めないんだ」


僕の言葉に、アブラクサスは目を見開く。アイスブルーの瞳はぶるぶると震えるように下を向き、箒の柄を握る手には力が入り、血の気が引いていた。
レイブンクローの魔法使い、僕は彼を知っている、サミュエル・メイフィールドが廊下を駆けていき、その後ろをハッフルパフの魔法使い、ヒュー・ガーランドが鼻血を押さえて駆けていく。魔法使いが杖も使わずに何をしているのか。苛立ちから八つ当たりのように胸の内で悪態吐いて、もう構わないだろう、と僕は踵を返した。


「……父上が、間違う筈がないんだ…………」


足を止めて、彼を見る。アイスブルーの瞳は、今なお下を向いていて、それはきっと譫言だったのだろう。耳元で何かが囁いているような、ぼうっとした彼の目付きに僕は苛ついて仕方がなかった。
彼は、何を馬鹿なことを言っているのだろうか。


「ダンは紳士な、良い魔法使いだけれど、彼はいつも自分の妻の機嫌の取り方を間違えるよ」


その上、彼よりも僕の方がニナの好みを分かってる。
吐き捨てるようにそう言って、僕はその場を立ち去る。後に残された彼が何を考えたのか、そんなことは僕の知ったことではない。しかし、結果として僕の言葉は彼を大きく揺さぶり、足元から壊していったのだった。






「大丈夫ですよ、骨なら直ぐにくっつきます。勿論、一晩あればですけれどね」


折れた骨の絵の、何と不気味なことだろう。透き通る茶色い瓶のラベルに描かれたそれに眉を寄せたのはサミュエルとミネルバ、双子のアッカー達で、それぞれに鼻と頬を押さえたヒューとアッカー先輩はほっと胸を撫で下ろし、マダム・ペペに連れていかれてしまう。飲んでおくように、と渡された銀のゴブレットに注がれた魔法薬は鼻の奥に貼り付くような嫌なものだったが、骨をくっ付けなければならないのだから仕方がない。安静に、と一言、マダム・ペペは私をひとりカーテンの内側に隠してしまって、私を医務室に運んでくれたきり、メリーソート先生の部屋へと連れていかれてしまったウィリアムを迎えに行ったアンドリュー先輩とニコラス先輩とは顔をあわせることが出来なかった。
だけれどそれで、良かったのかもしれない。誰も彼もが追い出されたカーテンの内側で、私はひとり喉の奥の痛みを感じた。


「……私のせいだ」


右腕、折れた骨が、熱を持つ。横になれば涙が溢れ、枕をじわりと濡らしたがどうしたって止めることが出来ず、はしたなく鼻を啜った。
アッカー先輩の頬を引っ掻き、倍の力で頬をひっぱたかれたスリザリンのチェイサーが医務室から出ていく足音を最後に、マダム・ペペの薬品棚を整理する音と、斜め向かい、カロー先輩の魘される声だけが響いていた。ヒューもアッカー先輩も、鼻と頬の治療を終えるなり医務室を追い出されてしまったのだ。


「…………終わっちゃった」


ヒューも、アッカー先輩も、誰も、私を責めはしなかった。カローが悪いのだ、と、ウィリアムに肥らせ呪文をかけられたらしい舌に苦しむカロー先輩のベッドを彼等は揃って睨みつけ、そうして最後にはよくウィリアムを守った、と頭を撫でてくれた。だけれど、守れてなんかいない。私は何も、守れてなんかいない。
ウィリアムは結局、私に気をとられてスニッチを捕まえることが出来なかった。私が上手くクラブで跳ね返すことさえ出来ていれば、ウィリアムはスニッチを捕まえられただろう。ハッフルパフは、勝つことが出来ただろう。私は彼を、守れてなんかいないのだ。私は彼の邪魔をしてしまったのだ。私のせいで、負けたのだ。
私は、ビーター失格だ。


「見舞いですか?ミスター・カローなら彼方のベッドですよ。時間は五分です、安静にしなくてはなりませんからね」


マダム・ペペが、スリザリンの生徒だろう、箒を引きずる誰かにそう言い付けて、薬品棚の戸を閉める。ガラス戸の閉まる音に重なった足音は頼りなく、私の鼻を啜る音にも負けてしまうようなもので、私は妙な気まずさに息をとめ、鼻を啜るのを止めた。


「……起きているんだろ」


しかし、開いたカーテンは、カロー先輩ではなく、私のベッドだった。
後ろ手にカーテンを閉め、緑のユニフォーム、マルフォイが青く白い顔をして、足音も小さくベッドの側へとやって来る。枕に埋めていた顔を上げれば、マルフォイはベッド側の丸椅子に座りながらそんな私を片手で制し、箒を壁に立て掛けた。
何の用なのだろう。彼の目には、私がカロー先輩に見えているのだろうか。枕に顔を埋め、マルフォイを見上げる。長いプラチナブロンドの髪が静かに流れて、彼の顔を半分隠して光った。


「……お前の父親は、間違ったことを言うか?」


そうして言ったのは、そんな言葉だ。
鼻を啜れば、マルフォイは黙って眉を寄せて、まさかユニフォームのポケットからハンカチを取り出すだなんて思いもしない、彼はシルクのそれを引っ張り出して私の顔に放ってくる。ひとつ、ふたつ、いくつも驚くことがあって、私は目を見開いたまま、しかしそのハンカチで鼻を押さえた。
マルフォイが私のベッドに来るだなんて。ユニフォームだというのに、ハンカチを持っているだなんて。そのハンカチを私に貸すだなんて。
そしてその上、何て当たり前のことを言い出すのだろう。


「父さんは、私の父さんはたまに間違ったことを言って、母さんを怒らせるわ」


私の答えは、彼にとって正しいものだっただろうか。色素の薄い睫毛が震え、頬に影をさす。そうか、と呟き、うつ向いた彼は何を求めていたのだろう。分からないまま、医務室にはマダム・ペペの尖った踵の足音がして、私はいつの間にか涙が止まっていたことに気付いた。


「もう、止めだ」


額を押さえ、マルフォイは言う。何をだろうか、と思いながら、私はそれを訊けずにハンカチで鼻を撫で、まるで恐ろしい何か、音のない暗闇から逃れられたかのように小さく笑う彼の薄い唇を見ていた。
ハンカチからは、冷えたリリーのような匂いがした。


「ラヴィー、スリザリンチームは、何もしていない、何も悪くないんだ。お前に怪我をさせた選手はいないんだ。信じたくないかもしれないが、どうか信じてくれ」


丸椅子の、なんと似合わないことだろう。真面目な顔をした彼に不釣り合いな丸椅子を視界の端に、私は枕から顔を上げて小さく頷く。だって私は、カロー先輩の杖先が私を見ていなかったことを、きちんと知っていたのだから。
頷くだなんて、思ってもみなかったのかもしれない。マルフォイは驚いたように目を見開き、しかし直ぐにそうかと頷いて、何かを奥歯で噛んでいた。


「……ハッフルパフが負けたのは、お前のせいじゃない」


ヒューやアッカー先輩と同じ言葉を、スリザリンの魔法使いが言う。瞬きをすれば睫毛の先に涙が光り、私はそれを指で拭って、マルフォイの尖った小さな顎を見つめる。


「ハッフルパフが負けたのは、いいか、僕が、スリザリンのシーカーの腕が良かったからだ」


そうしてその尖った小さな顎は、笑うような、得意気な顔をして私を見下ろした。


「…………ウィリアムは、本当ならウィリアムが、勝ってたもの」

「あのシーカーはチームメイトを気にしすぎるんだ。そこがあいつの弱点で、だから負けた」

「……私が上手く、私が打ち返せていたら、良かったんだわ」

「ビーターは体を張って他の選手を守るのが役目だろう。シーカーの役目は、それを無駄にせず、スニッチを捕まえることだ」


斜め向かい、カロー先輩の魘される声に、マダム・ペペが駆けつける。何か飲まされているに違いない。咳き込む音に私は銀のゴブレットの中身を思い出し、鼻の奥が痛んだ気がした。
魔法薬は、よく効いている。右腕は殆どちっとも、痛まない。今夜のうちに、くっ付いてしまうだろう。


「お前は、良いビーターだよ、ラヴィー」


私は今夜、枕を濡らさないだろう。
丸椅子から立ち上がり、マルフォイは箒を手に私を見る。プラチナブロンドの髪を耳に引っかけた彼は、きっちり五分、生真面目に医務室を出ていくらしかった。


「早くその腕を治せ。君に寝込まれるだなんて、医務室のベッドは君みたいな馬鹿のための物じゃないんだ」


いつか聞いたような、それよりもずっと柔らかな声で、マルフォイは言う。小さく頷いた私を見た彼は、しかしそこに棘を含ませることを決して忘れず、その汚いハンカチは捨てろ、と吐き捨ててカーテンの向こうへと消えたのだ。


「……来年は、絶対、勝たなきゃ」


マダム・ペペの足音に踏み潰された私の声は、私だけが聞いていた。
そうしてハッフルパフは、ビンズ先生のガリオン金貨虚しく、しかし何年ぶりかの優勝杯争いに大いに盛り上がり、クィディッチシーズンに幕を下ろしたのだった。


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