「どうだい、これで僕も今日から立派なハッフルパフ生だ」


アンドリュー先輩に借りたローブに、カナリアイエローのタイ。鼻先から上半分を覆い隠す穴熊のお面をつけ、緊張のあまりミルクもふた口しか飲めずにいた私の前に現れたのは、両手を広げて唯一覗く形の良い薄い唇で半月を描いたアルヴィ先輩だった。
どうにか私にひと口でもポリッジを食べさせようとしていたミネルバの手が止まり、サミュエルは顔をしかめて彼を見る。興味がないのか、緊張をしているのか、ヒューだけはただひとり黙って食事を続けていて、お皿のブラックプディングはもうふた口も無かった。


「あ、アルヴィ先輩、本当に、ハッフルパフの応援をするんですか?してくれるんですか?」

「この格好でスリザリンの観覧席に座れとニナが言うのなら、何なりと」

「だっ、駄目です、してください、ハッフルパフの応援、してくださいっ」

「勿論、そうしようとも!」


白い歯が、こぼれ落ちてきそうな笑顔だ。
大広間の魔法の天井は、今日はよく晴れている。その下でアルヴィ先輩は流れるような動きで片膝をついたのだから、彼のブロンドはいつもよりもずっと眩しく、さらさらと揺れ、それに気をとられている間に私の手は彼に下から掬い上げられた。あ!と、もうすっかりグリフィンドールが優勝した気でいたミネルバが声を上げたが、アルヴィ先輩はそんなミネルバのことをよく分かっている。スリザリンを、アルヴィ先輩を嫌っているミネルバが何か言うよりも早くアルヴィ先輩は私の手の甲に唇を軽く押し当てて、また流れるような動きで立ち上がり、仰々しくお辞儀をしてみせた。
カナリアイエローのローブがドレスローブに見えたのは、初めてだ。


「誰かのものになってしまう前にね」

「は、はあ、えっ、」

「エインズワース先輩!」

「おお、怖い。それじゃあ、試合、楽しみにしてるよ」

「は、はい」


上級生に向かって杖先を向けるだなんて、ミネルバは余程アルヴィ先輩が嫌いなのだ。私の肩越しに向けられたそれにアルヴィ先輩は笑ってローブを翻し、何だったのだろうか、何事もなかったかのように大広間を去っていく。ハッフルパフの魔女達は彼の穴熊の姿に頬を赤らめていたが、やはり彼に似合うのは蛇の緑だ。私はそんなことを考えながら、だけれど今日だけでも穴熊でいてくれるのは嬉しいと、今日漸く三口目のミルクを飲んだ。
少し、杖一本分は、緊張が解れたかもしれない。


「あの人、何を考えているのかしら……!さっさと呪ってやれば良かったわ……!」

「呪うなら選手を呪ってくれよ、マクゴナガル」

「あらっ、試合に出たくないのなら早く言いなさいよガーランド」

「俺じゃねえよ」


ミルクをもうひと口。くすくすと笑えば、そんな私を見付けたサミュエルがポリッジのお皿を私の前へと座らせたので、私はそれをひと口食べる。杖一本分から、もう一本分。段々と緊張は溶けるように消えていき、そこにあるのはすっかり冷めてしまったポリッジとミルクだけだ。


「今日は大丈夫そうだね」

「うん、うん、平気。何だか、気が抜けちゃった」

「それは良かった」


お皿半分、ポリッジを食べて、お腹を撫でる。ハッフルパフの長テーブル、穴熊のお面は全員が持っているのだろうか、顔の上半分を隠した魔女と魔法使いに紛れるように、カナリアイエローのユニフォームを着た双子のアッカー達にアッカー先輩、ウィリアムにアンドリュー先輩が座っていて、それぞれにクランペット、マッシュビーンズを食べながら、天井を見上げたり話したり。冷たいミルクを飲み干して、私は深く、息を吐いた。
今日は、大丈夫だ。幸運の道標、白金の声も必要ない。クラブだって、手によく馴染む。


「頑張らなくちゃ」


独り言だ。だけれどそれに、そうっと優しく、ミネルバの手が応えてくれて、彼女は私の背中を撫でてくる。ちらりと見た先、スリザリンの長テーブル、カロー先輩と話すマルフォイの顔は今日も青白かったが、私はそれに気付くことなく、残りのポリッジに蜂蜜を垂らしたのだった。





「ラヴィー、待って、髪を結びましょうよ」


緊張は消えたわけではなく、ポリッジとミルクに追い出され、ほんの少し城のまわりをぐるりと歩いて戻ってきた。
観覧席の直ぐ下、誰かが始めた足踏みに心臓があんまりうるさく騒ぐものだから、胸の辺りが痛くなってくる。アッカー先輩の言葉に頷くことも出来ずに奥歯を噛み締めていれば、そんな私に気付いたのだろう、彼女は私の肩を両手で叩き、それから返事を待たずに私の髪を持ち上げた。きっと、彼女と同じ、ユニコーンの尾のようにしてくれるのだろう。
ああ、どうしよう。指先も爪先も、血の気が引いたように感覚が鈍い。


「ラヴィー先輩、緊張してる?」

「…………う、うん」

「それなら良いことを教えてあげようか。あのね、ウイムボーン・ワスプスってクィディッチチーム、知ってるかい?」


そこの監督が、今日、観に来てるんだ。
緊張なんてものを知らないブルース・アッカーが、私の左耳に囁きかける。そんな彼の脛を蹴りあげたのは私の髪を揃いのユニコーンの尾に結んだアッカー先輩で、ブルース・アッカーは痛みのあまりその場に転がり、私と同じ、緊張を知りすぎているエディ・アッカーにぶつかり、彼の脚にしがみついていた。


「何てことするんだい!痛いじゃないか!」

「余計なことを言わないで!エディとラヴィーが緊張しやすいって分かってるくせにそんなこと!」

「だから言ったんだよ!監督に見られているだなんて楽しいと思わない!?」

「このっ……この!分からず屋さんのブルース!」


監督、の言葉に顔を青くしたエディ・アッカーの肩を、ウィリアムが撫でている。そうして私の肩はヒューが撫でてくれて、エディと私は揃って眉を下げ、ふたり並んでその場にしゃがみ込んだ。
監督に、プロチームの監督の前で失敗をしてしまえば、どうなるのだろうか。月間クィディッチのインタビューで、あの学校の生徒は酷いなんてものじゃあないと答えたりするのだろうか。
真上、床板を踏み抜く勢いで、ハッフルパフの観覧席から足踏みが響いてくる。遠くから近付いてくる稲妻のような、お腹の底を引っくり返すような重い響きを、スリザリンチームも感じているだろう。ちらりと覗いたスリザリンの観覧席、その横の来賓席に座る魔法使い達の中にウイムボーン・ワスプスの監督がいるのだと思うと心臓が嫌な具合に騒いで、私はそこに座るプラチナブロンドの髪をした魔法使いには気付かなかった。
トムはどこだろうか。トムはいるだろうか。目を凝らして、彼を探す。しかし、途端に蛇が滑るように、観覧席に座っていた魔女と魔法使い達が波打つように腕を動かし長い旗を揺らしたので、私に見えたのは蛇が穴熊を食べるそんな魔法だけだ。なんてものを見てしまったのだろうか。


「おい、落ち着けよ」


アッカー先輩がブルース・アッカーの頭を鷲掴んだその瞬間、しん、と、波のない、穏やかな声が耳を撫でた。
ドラゴンのグローブを両手に、箒を肩に預けたアンドリュー先輩が競技場を覗き、蛇に飲み込まれた穴熊を見る。おお、と苦く笑った彼はそのまま私達を振り返り、練習の時と同じ、いつものように手を叩き、箒の柄を握った。


「キャプテン、今日は何を言うんだい?」

「言わねえよ、何にも。もう分かってるだろ」

「言ってくれなきゃいけないなあ、だって、俺達みんな馬鹿だも、痛い!姉さん!痛い!」


ブルース・アッカーの頬は、とても幼くやわらかい。アッカー先輩が思い切り引っ張ったそれにアンドリュー先輩はぎょっと目を丸くして、だけれど彼はキャプテンだ、咳払いをひとつ、彼は直ぐに真面目な顔をそこに貼り付けて、私達を見た。


「ハッフルパフが一番だ。そうだろう?」


自信なんて、この先ずっと、持てないかもしれない。そんなことを考えてしまうような大きく重い緊張を、アンドリュー先輩は一言で遠くへと追い払ってしまう。
頭の上の床板が、今にも抜け落ちそうだ。そこにミネルバとサミュエルはいるのだろう。アルヴィ先輩だって、愉快だと笑ってニコラス先輩とふたり、足を踏み鳴らしているかもしれない。
スリザリンの観覧席、一番後ろ。波打つ旗に飛び跳ねるアルファードの隣に、彼は、トムはちゃんといた。


「蛇が穴熊を一飲みに出来るか、試してやろうぜ」


メリーソート先生の笛が鳴り、放送席のグリフィンドール生が杖先で喉を突っついた。拡声呪文の支度を終えた彼を横目に、誰からともなく箒に跨がり、私は黙ってクラブの感触を確かめる。
コメット180は素直な良い子。クラブの調子は万事よく、緊張はほんの少し、残っている。だけれどきっと、大丈夫だろう。


「ニナ、いいか?」

「うん、うん、大丈夫だわ、ヒュー」


緑のフラッグが揺れている。トムはひとり、それを振ることなくそこに座っていて、私にとってはそれだけで充分、大きな声援になったのだった。



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