かつかつと、大人の魔法使いと魔女の踵はとてもよく響く。姿現し、梟とイモリの書類を鞄に、魔法省勤めの彼等と彼女達が城を出入りし始めれば五年生と七年生はとうとう頭を抱えることも教科書を投げ捨てることもなくなって、箒もなしに大きな雄のエルンペントに立ち向かえと言われたかのような顔をして羽根ペンを動かしていた。大事にトランクの奥にしまったままの『幻の動物とその生息地』では、それは何でも爆発させてしまう毒液を持っているのだと書かれていたけれど、もしかするといっそ爆発された方が、とも思っているような顔にも見えた。それほど今年の梟とイモリは厳しく、難しく、そして目の前も目の前、直ぐ二日後に迫っていたのだった。


「あー……面倒くせー……」

「ヒュー、明後日にはそうも言ってられなくなるんだから、ちゃんと座りなよ」

「やる気でねえ……」


羽根ペンの先は、もう三本分も駄目にしてしまった。スクリベンシャフト羽根ペン専門店で買ったスペアミントの香りの四本目のそれを動かして、魔法史の教科書を捲っていく。魔女ヘドウィグは前の試験にも出たが、今年も出るだろうか。国際魔法戦士条約について、レイブンクローのアビゲイル先輩が四年生と五年生の時に続けて出たことがあると話してくれたのを思い出し、私は羊皮紙に魔女ヘドウィグの生涯を書き込んでいく。


「そんなにやる気が出ないのなら、マクゴナガルの様子でも見てきたら?嫌でもやらなくちゃって気持ちになれるよ」

「……嫌だ」

「図書室へ行くのも面倒だって顔だ。おっと、ニナ、これはゴブレットだよ」


インク瓶にペン先を浸そうとして、す、とインク瓶が引っ込んでしまう。何だろうか、と顔を上げるとそこにあったのはインク瓶ではなく、その代わりにゴブレットを引っ込めたサミュエルがいて、私は背中を丸めた。


「ご、ごめん、ごめんなさいサミュエル、ありがとう」

「集中してたんだね。ヒュー、君も見習いなよ」

「………………疲れた」

「……まだ何もしてないじゃないか」

「……私も、私も疲れちゃった……」

「ニナまでそんなこと……」


羽根ペンを置き、斜め向かいに座るヒューを真似て長テーブルに突っ伏せば、ゴブレットを片手にサミュエルが苦く笑う。試験の範囲を三度も回ったサミュエルは、ここも読むべきだろうか、ここも出るのだろうか、と寄り道ばかりの私のように疲れていない。私ももっと、要領よく、賢く勉強が出来ると良いのだけれど。
ミネルバやサミュエルのようにはいかないものだ、ため息を吐けば、長テーブルを半分乗り越え、ヒューが私にローブのフードを被せてくる。暗くなった視界に目を閉じた私に、仕方ないなあ、と笑ったのはサミュエルだった。


「それじゃあ、こういうのはどう?」

「こういうの……?こういうのって?」

「何かひとつ、教科を決めて三人で勝負するんだよ」

「勝負?」

「三人って、ミネルバは抜きで、三人で?」

「マクゴナガルがいたら勝負にならないじゃないか」


言いながら、サミュエルは鞄から一枚の便箋を取り出して、それを細く千切っていく。三本のそれのうち、ひとつにインクを染み込ませ、背中に隠したサミュエルはグレーの瞳で悪戯に私とヒューを見ていた。


「当たりを引いた人が勝負する教科を決める。その教科で勝ったら、何でもひとつ、命令出来る」


どうだい?と首を傾げたサミュエルに、私とヒューは顔を見合わせる。そうして差し出された三本のそれに真っ先に手を伸ばしたのはヒューだった。






ハナハッカの根の上手な干し方、真実薬を調合するのに最も適した材質の魔女鍋に、催眠豆はどのような症状が表れた際に服用すべきか。魔女ヘドウィグの生涯は前に出た半分の半分だけ。ノルウェー魔法使い達の箒の歴史に、ドラゴン乗りの歴史。マンティコアがウィゼンガモット法廷で無罪放免にされた理由。カンニング防止ペンのペン先が試験用紙を引っ掻き、突っつき、誰かのうなり声と鼾、きっと前の席で突っ伏しているジャックだ、試験の音がそんな風に重なって、漸く午後。試験の半分を終えた頃には誰もが口を閉じきることが出来ず、その中でもジェインとジャックが一際大きく口を開けていた。


「あと、半分……」


そうして私が、どうにか口を閉じられるようになったのは、教室から寮まで、風に当たろうとわざと遠回りをして城の北側の廊下を歩いていた時だ。
灰色のレディが廊下の彼方側からやって来て、品のある小さなお辞儀を残して消えていく。彼女は誰かと話していたのかもしれない。彼方側から微かに声が聞こえてきて、悪いことをしてしまった、と消えたレディを振り返った。彼女は親しくない生徒が通った時、すう、と話を途中に消えてしまうことがあるのだ。
今度レディに自分から挨拶をしてみよう、とひとり頷きながら、廊下を引き返すのも気が引けて、そのまま進む。しかしやはり、引き返した方が良かった、と思ったのは、廊下の彼方側、せり出した柱の影に隠れて泣いていた魔法使いと、そんな彼の背中を撫でる魔女がいたからだった。


「あら、ニナじゃないの」

「あ、アビゲイル先輩」

「……あ!ああ、気にしないで、この人、パトローナスを失敗したのよ。姿現しテストは一発だったのにねえ」


魔法使い、ブルネットの髪をしたレイブンクローの彼の肩を叩き、魔女、アビゲイル先輩が私を振り返る。シャツのボタンをきっちりと、一番上までとめた彼は目元を拭いながら私を見て、ふう、と深く長く、震える息を吐いた。


「君も今から、これから、しっかり練習をしておくんだよ。もしかすると君が梟を受ける頃には、もっと難しい呪文を試されるかもしれないんだ」

「もう、自分が上手く出来なかったからって、意地悪ね」

「そ、そういうわけじゃ、…………君と同じ職場で働く夢が……」

「馬鹿ねえ、何処でだって会えるじゃない」


ブルネットの髪が、白い頬が、オペラに色付いている。アビゲイル先輩の長い指がそんな彼を撫でたので、私はぼうっとそんなふたりを眺めながら、やはり今からでもいい、引き返そうか、と考えた。どうしてそんなことを思ったのか、それは分からないけれど。
オペラの頬で、魔法使いはそんな私に気付いたのか、は、と慌てたようにアビゲイル先輩の手を下ろさせて首を振る。アビゲイル先輩はきっと、上手にパトローナスを呼べたのだろう、ひとり楽しそうに笑いながらまた私を振り返り、下ろされたその手は彼の手首を掴んだ。


「まあでも、本当に、守護霊の呪文は練習しておくべきよ」

「は、はい」

「それじゃあ私達、寮で反省会があるから、またね。残りの試験、しっかりやり切りましょう」

「はいっ、アビゲイル先輩」


魔法使いの手をとって、殆ど引きずるような格好で、アビゲイル先輩達はその場を後にする。レイブンクローの生徒は皆、試験の後に反省会だなんてものをしているのだろうか。ミネルバに教えてしまえば喜んでレイブンクローの談話室に忍び込んでしまいそうな気がして、私は彼女には伝えないでおこうとそっと口を結んだ。
アビゲイル先輩が廊下を曲がり、入れ違いに、彼女と同じような、誰かを引きずり歩いてくる生徒が見える。そろそろ部屋に戻ろうかと上げた爪先を戻したのはそれがトムだったからで、私は彼が此方に気付くなり手を振りそちらに駆け寄った。


「トムっ」

「ニナ。試験はどう?」

「んん、多分、それなりに、上出来。トムと、……アルファードは?」

「僕もそれなりに上出来」

「………………俺のことは無視してくれて良いんだよ、今ばかりはね」


引きずられていた彼、アルファードはそう言って、トムの後ろでしゃがみこむ。余程それなりに上出来とは正反対だったようだ。肩を竦めて呆れた顔をしたトムに、私は眉を下げて笑うことしか出来ない。


「こんな所で何をしてたの?」

「風に当たりたくて歩いてたの。そしたらね、さっき、トムも擦れ違ったでしょう?アビゲイル先輩達が守護霊の呪文を練習しておくようにって」

「ああ、さっきのレイブンクローの?それにしても、守護霊は早過ぎやしない?」

「うん、でも、もしかすると守護霊の呪文よりもずっと難しい呪文を試されるかもって」

「そうなんだ」

「とんだ試験だね!全く!俺は試す側でいたいよ!」


しゃがみこんだまま、その場で不満そうに叫んだアルファードをトムが踵で軽く蹴れば、彼は膝に顎を乗せ黙りこむ。わん、と響いた彼の大きな声は壁にゆっくりと吸い込まれ、何処かから吹き込んだ風がトムの前髪をさらさらと揺らしていた。


「残りの試験も平気そう?」

「うん、うんん、うん、多分、残りもそれなりに。昨日うんと勉強したから」

「へえ、それじゃあ心配はなさそうだね」

「んんん、うん、多分……でも、どうだろう、負けるかもしれないわ」

「負ける?」


腕を組み、そう、と頷けば、トムは不思議そうな顔をして首を傾げる。
三本のそれ、インクを染み込ませた細く千切った便箋を引いたのは、サミュエルだった。魔法史を選んでいれば、彼が勝っていたはずだというのに、彼は何処までも優しい魔法使いだ。誰も頭の飛び抜けていない、引っ込んでもいない天文学をサミュエルは選んで、ヒューは昨日も一昨日も、今朝だってイアンから借りて書き写した星図とマグル学の教科書、それから防衛術の教科書をぐるりと順番に繰り返し眺めていた。


「ヒューとサミュエルとね、やるのよ。天文学の試験でね、一番高い点を取れた人が何でもひとつ、命令が出来るの」

「……何でも?」

「うん、そう、そうなの。何でも、」

「それなら早く寮に戻って、勉強して」

「えっ、ええ、う、うん、はい、わっ、分かった……」


何でも、とは言っても、バタービールを買ってくるだとか、魔法史の授業中に眠らないように見張るだとか、そんなことなのだけれど。最後まで言い切ることは出来ず、背中を押され、もと来た廊下を歩く。弟というものは、姉が誰かに負けてしまうのを嫌うものなのかもしれない。
振り返り手を振れば、早く、と書いた顔で、だけれどちゃんと手を振り返してくれて、私は大人しく寮へと向かう。サミュエルが勝てばバタービールを、私が勝てば魔法史の授業の見張りを。ただひとり、勝つまでは言わないと言ったヒューのことを思い出しながら、私はその夜、天文学の教科書を枕に眠ったのだった。


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