お前の調子の悪さは顔に出る、と、昔、誰かに言われたことがある。当時のクィディッチチームのキャプテンだったか、それとも図書室で唸っていればいつも現れ減点をしていったレイブンクローの監督生の魔法使いだったか。その声が若い魔法使いのものだとは分かっているのだが、それが髪の色や目の形まで浮かび上がらせてくれることはない。しかし、そうと言われたのは確かなことで、俺は正しくその通り、調子の悪さが顔に出る魔法使いで、それどころか調子の良さまで何もかも、顔に出てしまう魔法使いらしかった。


「何だ、機嫌が良いな、アンドリュー。僕はてっきり落ち込んでいるものだと思っていたが、どういうことだ?」


そうして今日もその通り、顔に出ているらしい。
オニオンスープのオニオンをニコラスの皿に移しながら、俺は向かいに腰を下ろしたアルヴィに視線を向ける。梟の時もそうだったが、特別苦手科目のないアルヴィは、他の七年生とは違い疲れ一滴滲ませることのない顔をしてそこで脚を組んでいて、珍しく疲れている、とは言え彼の疲れはイモリのせいではないが、俺のオニオンを避けることのないニコラスにもこれはどういう訳なのかと視線を送っていた。


「やっぱ、分かるか?」

「何年の付き合いだ?」

「だよなあ、分かるよなあ、そうだよなあ」


スープをひと匙。オニオン臭さの残るそれすら機嫌よく飲みながら、前髪をかき上げる。連日魔女のもとへ通い詰めているせいか、ニコラスは黙ってスコーンにクリームを塗り付け、スプーン三杯もの蜂蜜をかけるだけだった。


「その様子からすると、クリスマスはさぞ楽しめたんだろうな?」

「……あー……それは、いいえ」

「いいえ?おかしい、それならどうしてそんなに機嫌が良いんだ」

「あー、んー、まあ、それは……」


夢を見たのだと、言ってもいいものだろうか。とても良い夢を見たから機嫌がいいのだと、そんなことを。
アルヴィの顔が歪むような気がするのは、彼は魔女にヌガーよりも甘い言葉を吐くくせに、他人のそれらは許せないからだ。良い夢を見たのだと、だから機嫌がいいのだと何とも馬鹿げたことを言えば、彼の白い頬には不機嫌さが浮かぶか、そうでなければこの魔法使いはまた馬鹿なことを言っていると笑うのだ。どちらにせよ、気分のいいものではない。


「何があったんだ?」


しかし、言いたい。話したい。どれ程良い夢を見たか、自慢したい。
長テーブルに肘をつき、身を乗り出したアルヴィにそろそろと顔を近付ければ、アルヴィは、よし、と一言、形の良い大きくない耳を此方に向ける。薔薇の香油か、ブロンドの髪からは魔法使いらしからぬ匂いがして、ふと、夢で嗅いだ林檎の花の匂いを思い出した。


「笑うなよ?」

「保証はしかねる」

「……夢を見たんだよ、すっげえ良い夢」

「ほう、すっげえ良い夢」


ニコラスの手から、ぼたぼたと蜂蜜が落ちていく。それに構わず黙ってスコーンを食べ進める彼は殆ど無意識なのだろう、空いたもう片方の手はクランブルケーキをふた切れも掴んでいた。


「ニナが会いに来てくれて、好きだって、言ってくれる夢」


そうしてそれから、ニナの手にキスをする夢。
口許を手で隠し、魔女のような小さな声で林檎の花の夢を話す。指の隙間から漏れるそれを、アルヴィは半分笑ったような、残りの半分訝しむような顔をして聞いていて、結局のところ、彼は不機嫌さも出さず、馬鹿なことをと笑うこともせず、ただ片眉を上げて不可解な顔をしただけだった。


「…………つまり、熱に魘されていた時の夢だって?」

「ああ、そうだよ、悪いかよ、夢なんかでご機嫌になってさ」

「いいや、そうじゃない、……ニコラス、おいニック」


クランブルケーキを一口でひと切れの半分も食べたニコラスの腕を、アルヴィは叩く。ダークブラウンの瞳はぼうっと俺とアルヴィを見て、それからゆっくり、話すより先にクランブルケーキを食べきり、今更指についた蜂蜜に気付いたようだった。


「巻き毛に養分を吸われたらしい」

「おい、俺の頭が空っぽだって言いたいのか……!?」

「……ということは?」

「そういうことだ」


紙ナプキンを二枚、乱暴に指を拭って、ニコラスの手はドリズルケーキへと伸びる。一度喋りだした口は働き方を思い出したのだ。彼は先程よりも早いペースでそれをたいらげて、その手はまたスコーンへと伸びていた。


「夢と現実の区別もつかない頭なら山トロールと取り換えた方がずっと良いだろ」

「ははっ!なるほど、それは良い!」

「いやいやいや、何だってよりにもよって川より臭い山トロール……!……………………ミスター・ブラウン?」


山トロールの前、ニコラスは、彼は何と言っただろうか。
皿に乗ったオニオンに気付いたニコラスが、それを俺のスープに戻しながら、浮かぶティーポットを手招きする。アールグレイのそれを金のゴブレットになみなみ注いだ彼は、まあ、好きって言ってもお前のそれとは勿論違うけど、と溢し、スコーンを割ることもせず狼のようにかぶりついた。今日も彼は、薄い腹でよく食べる。


「見舞いに来た、ちゃんと。夢じゃない」


ルバーブのジャムを山盛り二杯、かぶりついて半分になったそれに乗せるように塗り付けて、ニコラスは言う。アルヴィは普段は滅多としてみせない真っ赤な顔をして笑い転げていて、そうして俺もまた、真っ赤な顔をして頭を抱えていたのだった。
俺は、クリスマスでもないのに、宿り木もないのに魔女にキスをしてしまった!






「……アルヴィ先輩、楽しそう」


歌うような滑らかな笑い声に耳を傾けながら、ヨークシャープディングを飲み下す。今日のグレイビーソースはローストチキンの肉汁で、飲み下した後も舌の上にはチキンの味が残っていた。
アルヴィ先輩は、何をあんなに笑っているのだろう。長テーブルに突っ伏して頭を抱えるアンドリュー先輩と、その隣で狼の口のスコーンを割るニコラス先輩を横目に首を傾ける。ミネルバは図書室へ、サミュエルはレポートを仕上げるために寮へ、ヒューはマグル学の本を両腕に五冊も借りて談話室のソファから動こうとせず、ひとり大広間で昼食をとる私に誰も答えを教えてはくれなかった。


「イモリの勉強、してるのかな……」


他の七年生とは違い、特別くたびれた様子のない三人の魔法使いから視線を外し、スリザリン生の座る長テーブルへ。五年生は六年生に、七年生は教科書とゴブレットの隣に積み重ねた本に試験に出るであろう魔法薬の作り方や魔法植物の上手な摘み方、ペルー・バイパーツース種ドラゴンの捕獲に効果的な呪文を訊いているのだろう。サンドウィッチを片手に羽根ペンを握る魔女と魔法使いは数年後の自分なのだと思うと、私も図書室へ行かなくてはと背筋が伸びた。多分きっと、食事を終えて廊下に出た途端、背筋は丸くなるのだろうけれど。


「……カロー先輩といる」


教科書を開いたまま、恐らくそこに書かれた文字に視線を向けてはいない、スリザリンのクィディッチチームのキャプテンでもあるカロー先輩の隣には、マルフォイが座っていた。
私の視線に気付いたカロー先輩が、器用に右目だけを瞑ってみせ、私は小さく頬をゆるめる。プラチナブロンドの頭は、此方を向くことはない。
マルフォイは、あれからちっとも、一度だって私をきちんとその目に映すことはなかった。


「……私、何て、書いたっけ」


もしかすると、私は間違って酷く失礼なことをカードに書いてしまったのだろうか。もしかするとそれは特別失礼な言葉ではないにしろ、彼にとってはそうだったのだろうか。
何と書いただろう。羽根ペンの先が残したインクの足跡を思い出そうと前髪を撫で付けながら、ぷかぷかと浮いていたティーポットを掴まえる。今日の中身はアールグレイで、ほう、と、胸が満たされるように心地の良い匂いがした。だけれどそれは、一瞬だ。


「ど、どうしよう俺!?どうすりゃいいの!?責任とる!?」

「責任……?まさか、口にしたのか?」

「そんなもんアンディに出来るかよ。手だよ、手」

「ふ、ははっ!せ、責任っ……!はははっ!」


アルヴィ先輩の笑い声が、また響く。本当に一体、何の話をしているのだろうか。
マルフォイは何だって、私を見もしないのだろうか。
何も言わずに通り過ぎることなんて、今までに何度だってあった。恐ろしく震え上がってしまうような視線に、俯いたこともある。だけれどそれは、今はもうないのだ。彼は私をラヴィーと呼び、私は彼をマルフォイと呼ぶ。そこにミネルバ達とのような、やわらかに甘いものはないものの、私達の間には少なくとも、私は少なくとも、以前のように冷たく鋭い、刺されば抜けなくなってしまうような棘はないのだと、思っていた。
今は、何もない。棘も、やわらかに甘くなるだろう何かも、何もかもがない。
マルフォイは私を、私のことを、以前よりもずっと遠くへ押しやっているような気がした。


「あああー……消えたい……俺ってば何してんだよ……」


友人ではない。そして、許しもしない。だけれどそこに降り積もるような新しい何かがあるかもしれないと、私は思っていたのかもしれない。
アンドリュー先輩が頭を掻く姿を横目に、アールグレイを飲み干す。悲しくはないが、少しだけ、杖の先ほど残念に思えて、私は細く息を吐いた。私のクリスマスカードは余程、酷かったらしい。


「あ」


そんなことを考えていれば、腕を組み並んで大広間へとやってきた魔女、ルクレティア・ブラックとヴァルブルガ・ブラックが、マルフォイの元へと駆けていく。ルクレティア・ブラックは、彼に用があったらしい。小さな唇が何か、笑い話ではないのだろう何かを話し、マルフォイはそれに何度か言葉を返しながらティーカップを傾けていた。
そうしてそれから、真っ黒い真夜中の瞳を持つ彼女、ヴァルブルガ・ブラックが私を見たのは、その時だ。


「え、」


べ、と、舌を突き出されたのも、その時だ。


「あれ、ニナってば、姉さんと仲良くなっちゃったのかい?」

「えっ、わっ」


小さな魔女がするような、不機嫌さを父親に見せ付けるような、此方に向けて出された舌に驚いた途端、真後ろから声がする。それにまた驚き思わず長テーブルに伏せると、面白かったのだろう、はははっ、と、私を伏せさせた彼、ヴァルブルガ・ブラックの弟であるアルファードが目尻を細めて笑い、私はそのまま長テーブルに頬をつけた。
ブラック姉弟は、良くも悪くも嵐のようだ。


「アルファード……、トムは、今日はトムは一緒じゃあないの?」

「トムなら図書室だよ。俺はマダムの頭痛を減らすためにここにいるんだ。それで、ニナ、姉さんと仲良くなっちゃったのかい?」

「ええっ?」

「姉さんがこーんな風に、舌なんて出すの、従姉妹相手か、そうじゃなきゃあ余程嫌いな相手だけだもの」


例えば俺とか、けちで意地の悪い伯父さんだとかね。
舌を出してみせたアルファードの言葉に、それなら私もその余程嫌いな相手の内のひとりだ、と、胸の内側でそうっと頷く。彼女の気持ちを何度ひっくり返したとしても、私を好きになることは絶対にあり得ないのだから。恐らくのところ、彼女の中では生きたトカゲの尻尾よりも下の下、地中深くに私はいるのだろう。


「姉さん達、誰と……あー、カローとアブラクサスかあ。アブラクサス、落ち込んでるからだろうね、俺の相手をちっともしてくれないんだ」

「……落ち込んでる?」


わんわんと泣くマンドレイクの根っこの足よりも下に埋められる私の姿が、ぱちんと消える。後ろに立っていたアルファードは昼食を取りに寄ったのだろう、紙ナプキンを広げ、そこにサンドウィッチを重ねながら、そうなんだよ、と私を見た。ローストビーフのたっぷりと挟まったそのサンドウィッチは、私も彼も、好物だった。


「父親に叱られたんだって、確か。理由は忘れたんだけれど、忘れたってことはつまり、俺にとっては大した理由じゃあなかったってことだと思うんだよ。それに何より、ボンボンが美味しくて!」

「ボンボン?ボンボンショコラ?」

「そう、ボンボンショコラ!甘過ぎなくてね、美味しかったんだあ。あれって屋敷しもべ妖精が作ってるのかなあ」


言いながら、アルファードの長い睫毛の先にはボンボンがぶら下がっているのだろう。アルファードは頬をとろけるようなオペラに染めて、サンドウィッチを片手に大広間を出ていく。私はそんな彼の背中を見送りながら、彼の言葉を耳の奥で何度も繰り返し聞いていた。
父親に、叱られた。理由は分からないが、そうか、それなら落ち込むのも仕方がない。
もしかするとそれだから、彼は私を見ないだけなのかもしれない。


「……よし」


母さんに叱られて靴の紐がほどけたことにも気付けなかった私は、その夜母さんが抱き締めてくれるまで、私を慰めようと部屋の前で四度も私を呼んだ父さんに背を向け、ベッドにもぐり込んだ。聞こえていなかったわけではない。だけれど、はっきりきちんと、聞こえていたわけでもない。母さんのことばかりを考えてしまって、どうしたって父さんのことを隙間にも考えることが出来なかったのだ。
マルフォイもきっと、そうなのだ。


「カード、送ろう……」


スリザリンの長テーブルに、彼はいる。しかしやはり、此方を見ることはなく、ルクレティア・ブラックに笑みを見せるでもなく、ティーカップに視線を落としたきりの彼にどんなカードを送ろうか考えながら、私はそれが勘違いだと気付く術もないまま、ローストビーフのサンドウィッチを手に取ったのだった。


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