詰め物で大きく肥え太らせたローストターキーが十羽分も並ぶ光景を、私は初めて見た。
母さんの用意するそれよりも大きな炎を上げるクリスマスプディングは甘く、チョコレートケーキはずっしりと重く、私はたっぷりと二切れずつお腹にそれをおさめたが、トムの口には合わなかったらしい。ハツのプディングの方がずっと美味しいのに、と、屋敷しもべ妖精達が焼いたそれらを頬張る私に冗談をしのばせて非難めいた顔をして、小さな金のお皿に更に小さなフルーツケーキだけを乗せ、そんなことを言っていた。だけれどきちんと機嫌はよく、万事よく、クリスマスの夜はとっぷりと更けていった。


「それじゃあ、今夜はここで」

「うん、ここで。おやすみなさい、トム」

「おやすみ、ニナ。布団は首までだよ」

「うん、うん、分かってる。蹴飛ばさないで、首までかぶるわ、大丈夫」


そうして満たされたお腹を撫でながら、地下の廊下、ハッフルパフとスリザリンの丁度真ん真ん中、湿った壁に囲まれたそこで、トムと別れる。
今夜もまた医務室で眠らないかとトムを誘いたかったのだけれど、今朝、妖精の讃美歌の代わりに、医務室に大きな鼠が二匹入り込んだかもしれない、というダンブルドア先生の大きな独り言を聞いてしまったのだ。彼は決して私達を叱らなかったし、咎めるような視線もちらりとも送っては来なかったが、今夜また医務室で眠れば、銀の混ざる髭にクリスマス用の赤と緑のリボンを巻いて私達の様子を覗きに来ることだろう。それは杖の先、半分ほど少し、愉快そうではあったが、トムがそうした愉快そうなことをあまり好まないことを私は知っていた。
トムはあまり、大人の魔法使いにからかわれることが好きではないのだ。


「まあ、この寒いのに廊下で飛び回って、今日は外に出て、そりゃ、ああなるだろうな。放っとけ放っとけ、寝かせときゃ治るよ。それよりグレイ、俺も今夜はここで寝るからな」

「………………」

「……嫌そうな顔だな。何だよ、ソファは譲るって」

「………………」

「…………せめて、何か喋ってくれよ」


結局雪が積もることはなく、しかしよく冷える廊下から穴熊の巣穴へ。誰かが破り捨てたままの梟柄の包装紙が、ツリーの下やソファの後ろ、テーブルの下にも散らばっていて、その中でニコラス先輩がウィリアムの顔を覗き込むように腰を折っている。細く長いウィリアムの首が左に傾き、彼はニコラス先輩の視線から逃れようと必死だった。


「俺にあの風邪っぴきと寝ろって言うのか?」

「………………」

「おい、今頷いたか?グレイ、頷いたか?」


アンドリュー先輩とウィリアムも随分と仲良くなり、すっかりチームメイトらしくなっていたが、ニコラス先輩とも仲良くなってきたようだ。
邪魔をしないようにと毛の長い絨毯で足音を消し、早足で魔女達の部屋へと急ぐ。後ろからウィリアムが私の名を呼んだ気がしたが、きっと気のせいだろう。ウィリアムは、ニコラス先輩の名を呼んだのだ。


「アン、アン、ただいま。ねえ、遅くなったけれど、昼間話した占いの本、」


ドアを開けて、ぱちんと口を閉じたのは、丸い巣穴の部屋の奥、ベッドの上で、クリスマスカードではない、手紙の束を広げて、蹲るようにアンが丸くなっていたからだった。
袖の膨らんだワンピース一枚で、アンが跳ねるように起き上がる。振り返ったブルネットの髪が濡れているのは、ニコラス先輩のように殆ど溶けた雪に降られたせいではない。


「アン、どうしたの?何かあったの?」


予言者ではない、写真の動かないマグルの新聞が、一文字一文字を引き離すように細かく破られ、談話室の包装紙よりもずっと多く、床一面に散らばっている。リリスよりは大雑把で、だけれど私とジェインよりは几帳面なアンがまさかそんなことをしたとは信じられず、私は自分の靴の裏で踏んだそれは何かの間違いなのだと頭を振った。きっと、私が怒ったときのように、魔力がひとりで暴れまわったのだ。
波打つブルネットが、手紙をかき集め、それをトランクに押し込むようにしまう。あんまり慌てていたものだから、見てはいけないのだ、と、私は不自然にならないよう、床に散らばるそれを踏まないよう気を付けているのだという顔と態度でゆっくり、ゆっくりと爪先でアンに歩み寄った。彼女はトランクを閉め、また、丸くなっていた。


「アン、どうしたの?……お腹、いたいのね。きっとプディングを食べ過ぎたんだわ、だって、甘くて美味しかったものね」


膨らんだ袖の裏側で、ぶるぶるとアンが震えている。どうしたものかと思いながら、トランクに隠された手紙のように、無理矢理に訊いてはならないものなのだと私は理解して、アンのベッドの縁にそうっと腰を下ろした。
大きな瞳が、窺うように私を見上げる。長く、跳ね上げるような睫毛は濡れていて、私はその目尻に親指をはわせた。


「アン、何か飲む?ジンジャーティーとか、蜂蜜をたっぷりと垂らすの。ミルクでも良いわ。ミルクにもね、蜂蜜を垂らすのよ。私、取ってこようか?ね?」

「……ニナ」

「でも、何か上に羽織らなくちゃあならないわ。そうじゃあなきゃ、布団をせめて被らなくっちゃ。だってアン、寒いでしょう?」

「ニナ、違うの」


アンのやわらかな手のひらが、布団を掴んだ私の手首を取る。屋敷しもべ妖精は、明日の朝には床一面を綺麗に、初めから何も散らばってはいなかったかのように掃除をしてくれることだろう。だけれど私は今すぐ、杖をひと振り、これをどうにかしなくてはならない気がした。
どうにか繋がっていた文字は、インクは、英語ではなかった。


「私、アナスタージアって、いうの。私の名前は、アナスタージアなの」


夏に届いた彼女からの手紙が、頭の中で行き場を無くし漂っている。アナスタシア、だと思っていた彼女の名前は、違ったらしい。だけれど何が、違うのだろう。


「そう。アナスタージアっていうのね」

「ええ、ええ、そうなの、私、だから、」


アンの白い首が、苦しげに呻いている。今にも泣き出しそうな顔をして、しかしそれでも、アンは私の前では涙を流さない。リリスやジェインなら、違ったのだろうか。此処にいない彼女達のベッドを横目に、私はアンの背中を撫でた。


「アナスタシアでも、アナスタージアでも、アンって、呼んでも良いんでしょう?」


膨らんだ袖の裏側で、また、ぶるぶると震えている。抱き込むように肩に腕を回せば、アンは大きな瞳でしっかりと私を見つめ、そうしてふと、困ったように笑った。
私には、アンの伝えたい言葉の半分の半分も、分かっちゃあいない。アンもまた、そんな私に気付いたことだろう。けれど、私は困ったようなそれだとしても、良かったのだ。
クリスマスの夜は、泣いて過ごすべき夜ではない。あたたかくして、やわらかな毛布にくるまれて、そうして穏やかに過ごさなくてはならない。


「……今夜のこと、ジェインとリリスには、言わないで。私は、アナスタシアよ、アナスタシアで良い、アナスタシアじゃなくちゃ、いけないの」


アナスタシア。アナスタージア。波打つブルネットが魅力的な、アン。
トムがリドルであるように、彼女の名前にも大きな何かが背負わされているのかもしれない。やわらかな、三年生の魔女らしい背中に額を寄せれば、アンは目尻を手のひらで拭いながら、今更何かが可笑しくてならないのだろう、ふふふ、と笑って、鍵をかけたトランクを床に放った。
ごとん!と、耳の奥を揺らす音を立て、トランクは床に転がる。細かく破り捨てられた新聞がひらひらと踊れば、アンは今度は声を上げて笑って、背中に私がいることも忘れて後ろに仰け反った。私は彼女のベッドに、倒れこんだ。


「ああ、くだらない、ニナと話してたら、どうだってよく思えてきちゃった!良かった、一人じゃなくて」

「寂しいわ、クリスマスにひとりきりって、寂しいものね」

「ええ、そうよ、寂しいものだわ、きっと」


けれど、あなたがいたわ。
トランクに押し込まれた手紙の束。床一面に散らばったマグルの新聞は細かく破り捨てられ、彼女の名前は、アナスタージア。それを全て丸めて飲み込んで、私はベッドに倒れこんだまま、アンの腰にしがみついた。
トムよりもやわらかな、母さんのような、少し違う、甘い魔女の匂いは、とても穏やかなものだった。


「ニナ、さあ、今夜は寝かせないわよ。私、あなたの好きな魔法使いが誰なのか占おうと思ってたの」

「い、いないってば。ねえ、だからアン、私は別に、」

「また弟だなんて誤魔化すつもり?止めてよ、騙されたりなんかしないんだから!大丈夫、二人には秘密にするし、勿論私は、協力するわ」

「……いないのよ、本当に、いないのに」


大きな瞳が瞬きを繰り返し、睫毛はきらきらと笑う。しかし私は文句は言わず、これもまたクリスマスの夜には相応しい魔女の会話なのだろうと肩を竦めて、ジェインとリリスがいたら決して出来やしない、アンの膝に頭を乗せて、私達はその夜、クリスマスが静かに立ち去るまで『魔女の占い学』を広げていたのだった。



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