「……本当に書いたのか」


クリスマスティーを片手に、部屋の隅の丸テーブルに積まれたカードの山から特別趣味の悪い、子供じみたそれを取り出す。木の形をしたそれの天辺には金のインクのリボンがあり、これは恐らくツリーなのだろう、やはり子供じみているそれが誰からの物なのか考えることもせず、僕はティーカップを傾けた。
考えなくとも、丸テーブルの上にそれを見付けたその時にはもう、とうに答えは知っていた。


「……父上はもう、戻られただろうか」


シナモンにクローブ、ナツメグが香るティーカップの底に、干したオレンジが沈んでいる。少しばかり舌に感じる嫌な渋みに、後で屋敷しもべ妖精に文句を言ってやらなくてはと眉を寄せながら、僕は雪の積もらない窓の外を眺めた。雪は、降らない。魔法省官僚のパーティーに呼ばれ邸を度々留守にしている父上とは、まだ、会えていない。
母上はもう目を覚ました頃だろうか。お忙しい父上の代わりに、駅のホームで出迎えてくれた母上を考える。昨夜遅くに帰って来たことは、ベッドの中で聞いた門の閉じる音で知ってはいたが、そこに父上がいたかどうかは分からない。大人には付き合いというものがあり、ことに父上は顔が広く、どのパーティーでも必ず引き留められ、母上と僕だけでもと先に帰すことがあるのだ。もしかすると、昨夜も母上が先に帰ったのかもしれない。


「……何も、言われないと良いが…………」


夏の終わりのことを、きりきりと思い出す。ハモンドのパーティー以来、まともに顔を会わせることなく夏が過ぎ、ホグワーツへと戻ったが、父上はどう思われているのだろうか。今となってはとうに僕の前を通り過ぎていったそれも、父上の中ではまだ終わっていないことなのかもしれない。何せ僕は、あの日味わったあまりに恐ろしく冷たい父上の視線を思い出すだけで恥ずかしく、情けなくてならず、とうとう今日まで一度も、父上にも、母上にさえ手紙を書くことすらしなかったのだから。


「母上が気にしていないのは、良かったが……」


あなたも魔法使いだものね、と、ただの子供同士の喧嘩としか捉えていなかったのだろう。実のところ彼が、トムが酷くどろどろとしたもので僕の足を沈め、僕がそれにまんまと溺れるという、年相応の喧嘩とは言い難いものだったのだが、魔女というものは、母上であろうと気楽なものである。ツリーの形をしたカードを丸テーブルに放りながら、僕は良いのか悪いのか、気の強くない、細く繊細な母上の顔が青白くならなかったことに首を竦めた。母上はいつも父上の顔色を気にしては、白すぎる頬を青くしたり赤くしたり、丸い額をうつ向かせて肩を小さくするのだ。もっとも、その頬が赤く染まることは殆ど滅多にないのだが。
カードは、丸テーブルの下に落ちた。


「アブラクサス」


言葉通り正しく、山のように届くプレゼントは、邪魔にならぬようにとツリーの飾られた下の部屋にある。今年はどの家からのプレゼントが一番大きいか、くだらなくもパーティーでのちょっとした会話の始まりには相応しいそれを確めに行こうとティーカップを置けば、部屋の外から声をかけられた。父上だ。
ノックはなく、朝だというのにパーティー用のドレスローブを着込み、ステッキ状の杖をつき父上は部屋へ入ってくる。直ぐにでも何処かへ出掛けるつもりなのか、それとも今戻られたのか、父上の長い髪は乱れひとつなく、後ろに撫で付けられていた。


「午後からグリーングラスの屋敷へ行く。お前も来なさい」

「はい、父上」


答えたきり、夏の休暇以来だというのに父上は他に話すことが見つからないのか、見つけようともしないのか、丸テーブルの上に積まれたそれをただ見つめ、ステッキで爪先をこつこつと叩く。疲れているのだ、と、母上曰く父上の癖を目の前に、僕は父上の視線が丸テーブルよりも下、床に向いていたことに気付いた。
父上は、だらしのない者を好かない。この邸の屋敷しもべ妖精は、二つ頼めば一つ忘れるあれはいつも父上に叱られ泣いていた。


「すみません、落ちてしまっていたようで」

「………………」

「……あ、あの、ですが、特別付き合いのある家の者からではないので」


だから、構わないのだと、言おうとした喉が、絞まる。
父上は間違いなく、スリザリンで、マルフォイで、純血である。慌ててカードを拾い上げようとした僕を視線ひとつで止めて、僕はその場で息をのむ。こつこつと、また爪先をステッキで叩いた父上はそんな僕を尖った顎で追いやって、丸テーブルの下に落ちたカードをステッキの先でひっくり返した。
テーブルの丸い影が、黒いインクに落ちている。何が書かれているのか分からないまま、どうかそれがあの魔女からでないことを今更願い、しかしそれは無駄なことなのだったと僕は目を閉じた。父上は、杖を抜いていた。


「インセンディオ!」


肩が、揺れる。恐る恐る開いた片目、左半分の視界の隅で、カードが燃えている。一瞬にして灰になり、灰になったかと思えばそれすらも丸テーブルから落ちる影に溶けるように消えてしまい、そこに残るのは焦げた臭いに奇妙に揺れる空気、そうして怯えた僕と、父上だけだった。
ティーカップの底のオレンジが、気味の悪い色をして此方を見ている。クリスマスティーの香りはそこにはなく、僕は頭の後ろがきんと痛んだ。


「恥知らずが」





「あらっ、ニナ、何処にいたの?一緒にプレゼントを見ようと思ってたのに、朝起きたらもう部屋にいないんだもの。こんな日ばっかり早起きなんだから」

「あー、んん、ごめん、ごめんね、アン。うんとお腹が空いてたから、うんとよ、凄く空いてたの」

「もう、ニナってば。まあ良いわ、ジェインから占いの本が届いたから、今夜やりましょうね」

「うん、分かった、今夜ね」


かりかりと、ウィリアムの長く細い人差し指が、私の代わりにボトルグリーンの包装紙を引っ掻いている。大広間のツリーでも、ベッドの並ぶ部屋でもなく、談話室のツリーの下に積まれていた私宛のプレゼントはもう半分もあけてしまってはいたが、それにしたって時間がかかる。何せ私は、包装紙をほんの少しでも破りたくはないのだ。
小さなバスケットに、ミートパイを詰め込んだのか。香ばしい匂いを談話室に残し、部屋に戻っていくアンの背中を見送って、藍色の夜空に銀の星が流れる包装紙を開く。ヒューから届いたそれは、マグル式の小さな真鍮の置物で、丸く太った穴熊だった。後で、サイドテーブルに飾ろう。きちんと飾らなければ、マグル式は直ぐに欠けたり割れたり、壊れてしまう。


「ウィリアム、ごめんね、ごめんなさい、手伝わせたりなんかして」

「………………」

「ああ、そうか、そうね、ありがとうって言わなくちゃ。ありがとう、手伝ってくれて。本当に助かっちゃった。だってね、私、何だか最近、丁寧に丁寧に包装紙を開けるのが苦手なの。昔よりもずっと中身が楽しみで仕方ないせいかしら?そうだと思う?」


首を横に、小さく頷き、また頷いて、傾ける。ウィリアムは昔の方がずっと、楽しみだったのだろうか。
壁に掛かる時計を確めて、あと二十分、と、剥き出しの本にリボンが巻かれただけのそれを手に取る。今日は一日、朝も昼も夜も一緒に食事をとると、トムと約束をしたのだ。クリスマスなのだから、と、トムがその約束を結んでくれたのだ。
つやつやと滑らかなアッシュグレーのリボンを引っ張れば、窮屈に締め付けられていたサミュエルからの『善いビーター百ヶ条』がやれやれと伸びをする。ヒューにも同じものを贈ったりしたのだろうか、と頬を緩めながら、私はウィリアムが差し出してくれた香油の瓶を受け取った。丸くくびれた、水晶のように透き通るそれは、ミネルバからだ。


「ねえウィリアム、香油だわ、これ。ええと……髪ね、髪に塗る香油。見て、林檎の花の香りだって書いてある。ふふふ、春を髪に眠れるのね。……え?花より実が好きなの?」


ラベルを指のお腹で確めながら、夢のような顔をしたウィリアムも魔法使いなのだ、とひとり頷く。小さな巻き毛のマティもまた、魔女のような顔をしながら、林檎は実が好きだと頷くのだろう。私は、花も実も、どちらも好きだ。母さんのアップルダッピーとカスタードソースが隣に並ぶのなら、迷わずアップルダッピーを選ぶけれど。
アビゲイル先輩からの詩集に、アンドリュー先輩からのレース飾りの髪留め。アルヴィ先輩からは今年はベルベットの深いグリーンのリボンで、ニコラス先輩からはハニーデュークスの魔女用詰め合わせ。アンからは便箋と封筒のセットに、リリスからは不思議な模様の羽根ペンが届き、ジェインからは分厚い背表紙の『魔法動物と巨人達』
。ウィリアムからは魔女用ドラゴンの革のグローブ、イアンからは花の刺繍のされたリネンのサシェだった。残りはひとつを除いて全て、父さんと母さんからのクリスマスプレゼントだ。


「ああー……疲れた……寒い……」


除いたひとつ、トムからのプレゼントを、自分の手で丁寧に開ける。後ろから聞こえてきた、寒さで掠れた声は誰のものだろうか。金のリボンで結ばれたクリーム色の包装紙と箱の中に静かに座っていたのは、木目調の宝石箱だった。
ピアスにロケット、ライラックの髪飾りも入れようか。耳に触れながら、もうなくさないように、とトムが笑っている気がして、蓋を撫でる。小さな四本脚付きのそれは、私のピアスを大切に預かってくれることだろう。


「お、良いじゃん、それ」

「あっ、わ、ニコラス先輩っ」

「宝石箱か。ピアスとか、なくさないように入れとけよ」


そんなことを考えていれば、誰か、ニコラス先輩が肩越しに現れ、私は驚きで滑り落としてしまいそうになった宝石箱を慌てて抱き抱える。外を歩いてきたのだろうか。朝食を終えた頃から殆ど雨に近い雪は降っては止んでを繰り返し、外の地面はもうすっかりぬかるんでいるはずだった。
濡れて色を苦く染めたココア色のマフラーを外し、ニコラス先輩はそれを暖炉にかざす。高く通った鼻筋は寒さで赤く、くしゅん!と魔法使いらしい大きなくしゃみをひとつ、吐き出した。


「お、お大事に。ニコラス先輩、大丈夫ですか?散歩でもしてきたんですか?」

「おお、ありがとう。いや、散歩というか……、アルヴィ・エインズワース風に言えば、妖精を口説きに……?」

「妖精を、口説きに……」


ニコラス先輩のくしゃみが届いてはいけないと思ったのだろう。ウィリアムの長い腕が、ニコラス先輩から遠ざけるように私を引っ張る。今日は暗く湿った水草のような色をした髪が、不機嫌そうにゆらゆら揺れていた。
妖精は、口説けるものなのだろうか。それとも妖精はただの例えで、誰か、好きな魔女のことなのだろうか。
プレゼントの山に宝石箱をそうっと座らせて、ニコラス先輩を横目に眺める。甘い、何処かで嗅いだことのあるバターの匂いが、暖炉の火にあてられて談話室を満たしていた。


「……あ?そういえば、アンディは?アンドリューはどうした」


甘い匂いに誘われて、ニコラス先輩のマフラーと同じココア色に染まったウィリアムの髪が横に揺れる。彼も私もアンドリュー先輩の行方は知らず、最後に見たのは廊下で蛇を見付けたあの時だった。それから、彼が何処へ行ったのかは知らない。
そういえば、どの先生だったかは忘れたが、蛇語を話せる先生がいるのだと誰かに聞いたことがある気がする。何もかもが曖昧に穴の空いた記憶を引っ張り出しながら、私はマフラーを放り談話室の毛の長い絨毯の上に寝転がったニコラス先輩を見ていた。ニコラス先輩の腕からは、焦げた砂糖の匂いがした。


「ニナ、リースは?」

「リース、チョコレートのリースですか?」

「ああ、いや、違う。けど、知らないなら良い。それで良い」


ウィリアムとふたり、顔を見合わせ、彼は小さく、私は大きく首を傾ける。しかしそれに気付かないニコラス先輩は、あー、と、掠れた声で呟いて、余程疲れているのだろう、そのまま瞼を閉じてしまった。
長く揃った睫毛が、穏やかに寝息を立てている。私とウィリアムはまた顔を見合わせ、ソファに置いていたウィリアムのブランケットを広げ、ニコラス先輩にかけてやる。ニコラス先輩はぴくりとも動かず、起きず、子供のように静かに眠っていた。ただ、体はもう大人の魔法使いだけれど。


「ニコラス先輩、好きな魔女がいるのかしら。ねえウィリアム、ニコラス先輩の好きな魔女、知ってる?…………私も知らないわ、知らない。……どんな魔女だろう」


ウィリアムの髪が、揺れている。ニコラス先輩のことだ、きっと優しく、甘い匂いのする、クリームのような魔女なのだろう。ふっくらと柔らかな魔女の手を思い浮かべ、ふ、と、時間を確める。もう、約束の時間はすぐだった。


「ウィリアム、私、行かなくちゃ。手伝ってくれてありがとう、本当に」

「ん。……お昼?」

「うん、お昼。あのね、弟と約束してるの。今日はクリスマスだから、一緒に食べるって約束。だからね、行くわ、また後でね」


父さんと母さんからのプレゼントは、夜にだってあけられる。カードもその時、ゆっくり読もう。マティにチームメイトのアッカー姉弟、アルファードに、そうして驚いたことに、いつかコメット180を貸したスリザリンのカロー先輩からもカードが届いていたのだ。
ニコラス先輩を起こさぬよう、足音を立てずに談話室を出る。ちらりと振り返った先、ツリーの下には小さく小さく手を振るウィリアムの姿が見えて、私は大きく手を振り返した。


「ローストターキー、あるといいな」


薄暗い地下の廊下に、浮わついた私の呟きが響かず消える。そうして曲がった廊下の反対側から、ニコラス先輩よりもずっと濡れた体を震わせ歩いてくるくすんだ赤毛の魔法使いに気付くことなく、私はトムの待つ大広間へと急ぐのだった。


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