引き摺るように長い、真新しいローブが目の前を歩いていると思えば、それは小さく可愛いハッフルパフの一年生、マティ・イェーツだった。


「ニナ、あなたの時間割りどうなってるの?……あらっ、今日の午前は丸きり休みじゃない。占い学だかマグル学だかとってるものだって、私、思ってたのに」

「ルーン文字と魔法生物にしたの」

「残念だわ。ジェインもアンも、勿論私も、占い学をとったのよ」

「そ、そうなの?みんな?」

「多分、殆どの魔女がね。まあ良いわ、私が占い学を覚えてあなたを占ってあげるから。それじゃあ、行ってくるわ」


今日の午前中は、ひとつも授業が入っていない。そのため、ひとりゆっくりと朝食をとろうといつもよりもずっと、長針三十歩分は遅く大広間へと向かっていれば、占い学の教室へ向かうらしいリリスとすれ違う。
魔女は殆ど皆、占い学をとるものなのか。そういえば、ミネルバは占い学とマグル学で悩んだ末に、占い学を選んだと話していた気がする。ただそれは、彼女の父親がマグルだから学ぶ必要がないからなのだと、私はそう思っていたのだけれど。
それじゃあね、と手を振り別れたリリスの背中を見送りながら、私も占い学か、せめて数占いでもとっておくべきだったのかもしれないと考える。母さんの言った、占いひとつ出来ない魔女なんて、という言葉が、目の前をくるくると飛んでいた。


「ニナ、おはよう。ニナ、今から大広間?」


踵の裏も見えない長いローブの背中を眺め、そんなことを考えていれば、彼、サミュエルの、朝だからするりと出てこない、掠れた声が私を呼び止める。動く階段を慣れたように器用に下りてくる彼も今から朝食なのだろう。私と同じ、古代ルーン文字学と魔法生物飼育学を選んだサミュエルは、鞄も持たず、ローブも羽織らず、首もとにはレイブンクローの色もいなかった。


「おはよう、サミュエル。サミュエルも今から?」

「朝から授業がないと、どうしても遅く起きちゃうよねえ……。ニナ、一緒に食べようよ」

「うん、うん、勿論」


シャツの袖を肘まで上げて、サミュエルは大股で私の隣へと並ぶ。起きたての彼は、アールグレイがよく香る。枕にマグルの香水でもふっているのだろうかとも思ってしまうが、そうではない。髪も肩も指先も、本を取ろうと手を伸ばしたり、魔女鍋の中身をかき回したり、私の鼻先を通り過ぎる彼のどれもが香るので、彼自身がそうなのだ。
ダークブロンドの巻き毛の頭が、辺りを見回す。体に対して随分と大きな鞄を斜めにかけたその横顔は、教室を探しているのだろうか。


「マティ、マティ」


足を止め、声をかけてみる。ホームに立ち尽くしていた時と同じ、怯えたような顔が私を振り返ったが、私がマティ・イェーツの巻き毛や背中、そういった顔を覚えていたように、彼方もまたそうなのだろう。小さな口をあ、と開けて、私を見た。
左腕をさすりながら、サミュエルが不思議そうに私を横目に見ている。しかし、彼はマティ・イェーツのローブの裏地や首もとの色に気付いたらしい。ああ、とひとつ、頷いて、マティに駆け寄る私に微笑んだ。


「マティ、今から授業なの?何の授業?」

「……へ、変身術……」

「変身術ね?それならそこの、ほら、あの階段を上って、右に曲がると分かるわ。あの階段は動かないけれど、ローブを踏まないように気を付けてね」


バイオレットの瞳が、こくりと小さく、首を引っ込めるように頷く。サミュエルのやわらかなグレーの視線が擽ったいのは、私自身、年上らしい言葉や態度に慣れていないせいだ。そんな私を見られることが恥ずかしく、それじゃあね、と手を振り、逃げるように大広間へと急いだ。


「あ、待ってよニナ、僕を放っていくつもり?」

「だって、だってサミュエル、何だか、恥ずかしいんだものっ……」

「恥ずかしい?どうして?ニナは優しいなあって、僕、親友として誇らしく思ってたのに」

「それが恥ずかしいの、そういう、私、私、ああ、ちゃんと先輩らしくなれるかしら……?」

「少なくとも、ヒューよりはずっとね」


遅くに来たからだろうか。忙しく誰かを通すことのなくなった今の時間、大広間の扉はぴたりと閉じられていて、それを両手で引きながら、後ろ、階段をもたもたと上るマティを振り返る。ローブの裾を持ち上げればいいということを、知らないのかもしれない。カナリアイエローの裏地をひっくり返らせて、小さな巻き毛の頭は私とサミュエルが大広間へと入るまでに、たったの五段しか階段を上れていなかった。


「彼女、大丈夫かしら。授業に間に合うかしら」

「彼女?彼女って?」

「さっきの一年生よ、マティよ。ダンブルドア先生は優しいから、少しくらい遅れても平気だろうけれど」

「……うん?うん、まあ、ダンブルドア先生だし、一年生だし、大丈夫だよ」


空いている席を探す必要のない、上級生が何人か、ポリッジやビスケットを未だ夢を見る頭でゆっくりと口に運んでいく長テーブルに腰を下ろし、サミュエルがふたつ、ゴブレットを取ってくれる。私はミルクの入った大きな銀のポットを手に、ひとり、いつもと同じ、よく冷えたアイスブルーの瞳をティーカップに落とす彼を見た。
特別誰かと、いつも一緒にいるわけではない。しかし、何故なのだろうか。私の瞳に、ジェインは魔法をかけてしまったらしい。アブラクサス・マルフォイが、酷く、居心地悪そうに、そこに座っているような気がした。


「ニナ、ビスケット、食べる?」

「……うん、食べる、ありがとう。サミュエル、クランペットは?」

「食べるよ。ありがとう」

「どういたしまして」


まだ温かいそれをお皿に取りながら、長テーブルの端の端、友人達に囲まれて、頭を抱えうつ向くアンドリュー先輩へと視線を移す。そうしてルバーブのジャムをクランペットに塗りつけて、私は頭を叩き、それを大きく口に頬張った。






「姉さん、俺とエディと姉さんで組めば、絶対上手くいくって思わない?何せ俺達は双子だし、姉さんは姉さんだし」

「あなた達の箒捌きがどれ程のものなのか知らないもの。上手くいくかしら……」


ハッフルパフのクィディッチメンバーのひとり、去年、チェイサーをしていた魔女が、確か二年生だっただろうか、話したことはないが、去年から何度となく見たことがある顔の魔法使いと中庭のベンチに座り、話し込んでいる。私はそれを横目に魔法薬学の教室の臭いが少しばかり残るローブをわざと大きく揺らしながら、その前を通り過ぎていく。早く臭いがとれればいいのだけれど、と、焦ってしまうのは、ホグズミードへの許可証を脚にくくりつけた梟が、私だけでは食べきれない、初めからトムの分も持たせたのだろう、バスケットいっぱいのトフィーやカスタードタルト、甘くないビスケットをサミュエルとふたり、遅めの朝食をとっている時に滑り落ちてくるように飛んできたせいだった。
タルトもビスケットも、鞄の奥の奥に入れておいたから、臭いはついていないはずだけれど。昼の間には会えなかったトムが、ローブに残る臭いに気付きませんようにと祈りながら、動く階段の前へと急ぐ。妖精の魔法の授業を終えた彼が、そこから下りてくるはずだった。


「……まだ、来てない」


しかし、妖精の魔法の授業は、まだ終わっていないらしい。
幸いに、と、鞄を肩に、ローブを叩く。ぱたぱたと揺れるそこか、それとも私の鼻か、いつまでも臭いが染み付いている気がして仕方がない。気付け薬は決して失敗はしなかったのだけれど、私は教科書に書かれていた量よりも半分も多く、ニガヨモギの粉末とマンドラゴラの根を鍋に放り込んでしまったのだ。
すん、と、鼻を鳴らして、袖を口許に持ってくる。何度確かめても、不安も一緒にくっついてしまったせいか、どうしても気になってしまい、だけれど、もうどうすることも出来ず、私は細く息を吐き肩を落とした。もう、諦めよう。トムならばきっと、魔法薬学の授業だったのだと言わなくとも気付いてくれるだろう。


「…………あのう、先輩」


その時だ。こつこつと、階段を下りてくる足音がして、私は振り返る。トムだろうか、と瞬きをした先にはトムではない、グリフィンドールの魔女がそこにいて、しかし彼女は私に用があるらしい。真っ直ぐ私を見下ろして、丸い背中でそこに立っていた。
ゆっくりと、階段が首を傾ける。こつこつと、彼女は慌てて階段を下りきって、私から箒二本分、話すには少し多く距離をとり、鞄をお腹の前に回し、辺りをぐるりと低い視線で見回した。


「あの、ニナ・ラヴィー先輩ですよね……?」

「う、ん、うん。そうよ」


二年生だろうか。汚れてはいない、だけれど真新しくもないローブに包まれた彼女の声は、雨の日のように湿って感じる。何の話なのだろう。一度だって話したことのない彼女を前に、私は首を傾け黙っている階段を見上げる。トムの姿は、まだ見えない。


「…………スリザリンの」

「スリザリンの?」

「……スリザリンの二年生に、弟がいるって、本当ですか?」


湿った声が、右へ向き、左を向き、窺うように、私を見る。ぼそぼそと、誰かに聞かれてはならないのだという様子の彼女に、私はつられるように腰を屈め、声は小さく、彼女を見た。


「ええ、いるわ。スリザリンの二年生に」


細過ぎる肩が、内側に丸くなる。鞄をきつく抱えた彼女は瞳まで湿っているかのように、じとりとした視線で私を見上げていた。
薄い唇が、微かに歪む。こつこつと、遠くから足音が聞こえて、私は一瞬だけ、その唇を見た。


「…………トム・リドルですか……?」


階段にはまだ姿を現さない足音から、湿った声へ。彼女のきちんと丁寧に分けられた前髪に、私はつい自分の前髪を確かめる。酷く残念なことに、今日も私の短いそれは右端が跳ねていた。


「ええ、そうよ。そう。自慢の弟なの」


どうにも直りそうにないそれを押さえたまま、私は笑う。そうして、とうとう階段を下りてきた足音に気付き、私は振り返った。
緑の裏地が、ひとり、鞄を肩にひっかけて、階段が気紛れに首を傾げてしまう前にと下りてくる。黒い瞳は直ぐに私を見付けてくれて、手摺に這わしたその左手を嬉しそうに小さく振っていた。


「………………そうですか」

「えっ、うん、あ、」


手を振り返す私の左耳に、湿った声が小さく呟く。そうして、まるで逃げるように彼女はローブを翻し廊下を駆けていってしまって、私は恐らく間抜けに違いないだろう顔をして、そんな彼女の背中を見送る。
一体彼女は、何だったのだろうか。ボガートのように恐ろしくはない、だけれど不思議な何かに化かされたような気持ちで、私は手を下ろした。何だか、ピクシー妖精に後ろ頭を叩かれたかのようだ。


「ニナ、ごめん、アルファードがしつこくて。待たせたよね?」

「あ、ええと、……ううん、今来たところだから、大丈夫」

「本当?……そういえば、誰かと話してたみたいだけど、僕、邪魔した?」

「ううん、ううん、平気。心配しないで」

「そう?ニナがそう言うのなら」


こつんと、箒一本分もないその距離に、トムが立つ。湿っていない、穏やかなその声に胸を撫で下ろした私は、やっぱり気付け薬の臭いがするような気がするローブを揺らし、鞄の奥の奥から母さんの焼き菓子を取り出したのだった。
丁寧に包んだそれは、甘い匂いだけがした。


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