今年の流行は、袖の細いものなのだろうか。生地はモスリンのまま、肘よりも長くレースの袖のあるドレスを着たミス・ハモンドの唇は去年よりも彼女によく似合う、落ち着いたコチニールレッドに縁取られていて、つやつやと光っている。だからだろうか、私は少しばかり、緊張の解れた気持ちで彼女に腰を折ることが出来たし、それが酷く不格好だったということもなかっただろう。
だけれどどうしたって緊張が解れ切れなかったのは、まるでテーブルの上にないはずの椅子をそこに見付けてしまったかのように、眉を寄せたり上げたり、奇妙だ、という言葉を張り付けたミス・ハモンドの父親、ミスター・ハモンドが何度となく視線を向けてくるせいだった。


「まあ、まあ、ミスター・ハモンド、どうなされたの、突然。言ってくださればそれなりの格好をしてお迎えしましたのに」

「いやあ、突然申し訳ない、梟速達を送ったつもりが、昨夜嵐にあったのか、届いてないようで……。しかしミセス・マクヘルガ、それなりのと言っても、今の貴方も十分に、随分とお美しい」

「ありがとうございます、どうも。……それで、主人はいないのですが、どうなされました?」


広すぎる玄関ホールに、ミスターとミスが横並び、私はその三歩後ろに屋敷しもべ妖精の彼女と並んで立っていて、ミセス・マクヘルガがミスター・ハモンドと話す様子を黙って眺めていた。
燕尾服のように、真ん中で割れた不思議なミスターのローブ。襟も袖も真っ白い、細やかなレースのミセスのドレス。そうして、ミス・ハモンドのコチニールレッドの素敵な唇。ちらりと見比べて、私は踵の少し高い靴の爪先に刈ったばかりの芝がついてやいないかと確かめる。
そんな私の視線をどう思ったのか、ふ、と笑ったのはミス・ハモンドで、そうして大きな瞳を煌めかせ、に、と笑ったのは屋敷しもべ妖精の彼女だった。


「やあ、用という用ではないのですが、今度のパーティー、そちらがそのつもりであればうちの娘をダンスの相手に、と、そういった話をご主人としたかったわけで」

「……生憎、主人は見ての通り留守にしておりまして」

「そうですな。それでは、さて、待たせて頂いても?聞きましたよ、あの目立ちたがり屋のグリーングラスの大叔母が競り落とせなかったゴブレットを落としたんですって?」

「………………それでは、主人が帰られるまでお茶でも如何ですか?丁度、良い具合に部屋に飾っていますのよ」


勿論、他のお客様と一緒で良いのなら、という話ですが。
ミスター・ハモンドの丸い、蛙のような瞳が、此方を大きく振り返る。テーブルの上にある椅子に、とうとう視線を逸らすことは出来なくなったのだ。
玄関ホールの向かい側、大きすぎる正面の階段の真ん真ん中を、青白い顔をしたイアンが下りてくる。彼は本当に、ミセス・マクヘルガに羽根ペンを仕方なく持たされ、私に手紙を書いたのだろう。テーブルの上に呼ばれてもいないのに上がり込んだ椅子の私には、屋敷しもべ妖精の彼女の煌めく瞳だけが頼りだった。




「やあ!見事なゴブレットだ!……失礼だとは分かっています、しかし、一体どうやってこのゴブレットを……?」


一体どういう神経をしていれば、此処にいることが出来るのだろうか。
父親よりはいくらか若いはずのミスター・ハモンドの丸い腹を横目に、バラの花びらが二つ浮かぶティーカップを手に脚を組む。
今朝早くから母親自ら選び用意させたテーブルが、五人分のティーカップは乗せられないからと引っ込められ、屋敷しもべ妖精に選ばせたテーブルに変わっている。木目が気に入らないからと使っていなかった筈のテーブルに何も言わなかったのは、そこにクロスを敷くからではなく、母親の意思そのものなのだろう。飾られたゴブレットを前に、ミスター・ハモンドにいつも通り笑みを浮かべる母親は、僕から見ればあからさまに不機嫌な魔女そのものだった。


「ねえ、私達確か、去年一度、お会いしたわね?」


母親の真っ直ぐな鼻筋に、笑う度に皺が寄る。何のクリームだか、そこまでは知らないが、老いを恐れるように毎晩鏡の前で鼻筋に塗り込むその姿を僕は知っていて、可哀想に、と、他人事のように考えていた。
ほう、と、息を吐き顔を上げたラヴィーは、バラの花びらに見とれていたに違いない。ジーブス嬢の派手な唇を見て、瞬きをした彼女はゆっくり過ぎるほどゆっくりと頷いて、それからテーブルの上、用意されたまま使われそうにない二人分のティーカップを見た。
ラヴィーの耳には、この部屋に響く声が全て、ビンズ先生の平らな子守唄の声に聞こえているのだろうか。


「そうよね、良かったわ、魔女違いじゃあなくて。ええと、名前は……」

「ミス・ニナ・ラヴィーですよ、ジーブス嬢」

「ああ、そうだったわ、確かにそんな名前だったわね。ミス・ラヴィー、あなた、ホグワーツでは仲の良い方なの?」

「友人として、仲良くしていますよ」

「イアン、私はあなたに訊いているわけじゃなくて……」


ダークブラウンの瞳が、僕を見て、ジーブス嬢を見て、す、と低くなり、それから彼女の横に控えていた屋敷しもべ妖精へと向けられる。耳はビンズ先生の子守唄を聞いていても、肌はこの空気を感じるしかないのだろう。居心地の悪そうな、テーブルの上のスコーンや積み重なったトフィーにも手を出さず、ラヴィーは小さくないはずの椅子の上で窮屈そうに体を小さくしていた。
低い視線も、伸びない手も、そうして窮屈そうな座りかたも、どれもこれも、ハモンドのせいで、母親のせいだ。


「ねえ、このお砂糖、素敵ね……?今日のはバラなのね……?」

「はい、そうでございます!スミレがよろしかったでしょうか!」

「あ、ううん、いいの、いいの。これがいい。素敵だわ、ありがとう」


小さく小さく、声を潜めて、ラヴィーは屋敷しもべ妖精と話をする。それがおかしいのか、いや、おかしいのだ、屋敷しもべ妖精と話をし、礼を言うだなんて、普通ではおかしいのだ。ジーブス嬢は派手な唇をおさえてくすりと小さく笑い、ラヴィーから視線を逸らす。ラヴィーがそれに、気付かないわけが、ないのだ。
何かしただろうか、と、不思議そうな、居心地の悪そうな顔をしたラヴィーが、僕ではなく屋敷しもべ妖精を見る。屋敷しもべ妖精はただラヴィーを見て、バラの花びらの砂糖漬けが半分入ったガラスの器を持つだけで、一人と一匹はまるでおかしな光景だった。


「……ラヴィー、ねえ、そういえば僕、君に借りてたものがあったんだ。返したいから、少し、僕の部屋に行かない?」


だが、僕がそんな彼女を笑うことは、出来ない。
僕もまた、ラヴィーをそんな風に居心地悪くさせている一人に違いないのだ。


「えっ」

「すみません、ジーブス嬢。少しですから、構いませんよね?」

「ええ、勿論。ホグワーツでのことも話したいでしょう?ゆっくりで構わないわ」

「ありがとうございます。それじゃあラヴィー、行こうか」

「えっ、」


ティーカップを手に立ち上がったラヴィーの手から、バラの花びらだけが残っていたそれを取る。屋敷しもべ妖精に渡せば喜んで受け取り、僕は空いた手でラヴィーの手を取り大股で部屋を出ていく。
ゴブレットを前に話していた二人の魔女と魔法使いは、僕達を見ただろうか。それとも、見たところで何とも思わなかったのだろうか。もしかすると母親だけは安心しているかもしれないと、母親の酷く気に入りの彼女の手を引き廊下を歩きながら、僕は襟の釦をひとつ外した。
今になって気付いたが、随分と、息が苦しかったのだ。


「あの、イアン、私、イアンに何か貸した?」

「ごめん、ラヴィー」

「えっ、と」

「ごめん、本当にごめん」


趣味の悪い、父親好みの豪華過ぎる穴熊の姿見の前で、立ち止まる。背の高いそこに映るラヴィーは先程よりもずっと不思議そうな顔をして僕を見上げていて、僕はたまらず顔をふせることしか出来なかった。


「ごめん、こんな筈じゃ、無かったんだよ……」

「イアン?どうしたの?どうして謝るの?」

「本当は、ジーブス嬢は、ハモンドは来なかった筈なんだ。それでも、母親はいたんだけれど、それでもさ、本当はもっとまともなお茶が飲める筈で……」

「まともな、お茶」

「そうだよ、少なくとも、あんな、気分の悪い、嫌な、お茶じゃあなくて、」


母親と三人、飲むお茶は、本当に、まともなのだろうか。何故だか知らないが、ラヴィーをこちら側へ連れてこようとする母親に、僕は殆ど逆らうことが出来ず、彼女に手紙を書いてしまった。母親がどうしても、と、クリスマスに彼女を誘ったときと同じ言い訳をたっぷりと付け加えて。
ラヴィーのダークブラウンの瞳は、カナリアイエローによく合う、やわらかな色だ。正しく忠実で、忍耐強い、苦労を苦労と思わない、真実を知る色だ。


「……僕は、君と二人で、お茶がしたかった」


僕は、彼女のハッフルパフらしいその瞳が、嫌いではない。
何故だか喉が奇妙に乾いて、声は猫に引っ掛かれたかのように掠れている。それが恥ずかしく、思わず視線を逸らしたが、逸らした先に姿見に映るラヴィーがいるのだから何の意味もない。
ラヴィーは真っ直ぐ、ハッフルパフの瞳で僕の赤く染まった顔を見上げていた。


「良かった、私、いても良かったのね。会いに来ても、良かったのね」


私、テーブルの上に乗った椅子になった気分だったの。
眉を下げて、おかしいでしょう?と、ラヴィーが笑う。僕は姿見越しではなく、そんな彼女を正面から見てしまったせいで、どうしてもうひとつ釦を外しておかなかったのだろうかと後悔した。
何故だろう、この屋敷は夏中ずっと、断熱魔法がかけられている筈なのに。


「……いてよ。僕に、会いに来てよ。だって、そうじゃなきゃ、僕の夏は散々だ」

「うん、うん、それじゃあ次は、ヒューも連れてくるわ。ヒューもきっと、此処に来たがるから」


部屋に行く必要はないと、分かったからだろう。ラヴィーは僕の手首をとって、引っ張るように歩き出す。今になって彼女の着ていたラベンダー色の刺繍のワンピースや、少し高くなったのだろうか、見慣れない踵がとても素敵だと気が付いて、しかし何故だかそれはいつものように声になって出ることはなく、僕は彼女の後ろで首の後ろを掻いていた。


「ねえ、バラの花びら、とっても素敵ね。トムはね、弟はそういうの、嫌いでもないけれど、でもね、いらないなって顔をするのよ。だからね、母さんが作ってくれたスミレのジャムも、全部私にくれるの」

「そ、っか、」

「そうなの。でも、嫌いではないの。だから本当は、わざといらないなって顔をして、私が全部食べても良いようにしてくれるの。……あのね、バラの花びら、もう少し、お茶に浮かべても良い?」

「うん、勿論、もう、全部、浮かべてよ」

「ええっ、それは多いわ、全部は無理だわっ。イアン、ふふっ、おかしいっ」


くすくすと、派手ではない唇が、僕の手を引きながら笑う。僕はそんな彼女をどこか遠くから眺めるようなぼんやりとした気持ちで見ながら、二度と母親を言い訳にしてはいけないと、何故だかそれだけははっきりと、頭に浮かんでいた。

不機嫌そうに、しかしいつも通りに笑ってみせる母親と、ミスター・ハモンドが席につくことはないまま、ラヴィーはジーブス嬢を年上の魔女に向ける純粋な尊敬の眼差しで見つめ、特別居心地の悪さを見せることなく、その日、たっぷりと魔女同士、そうして僕とのお茶を楽しんだ彼女は、ハモンド親子よりも一時間早く、帰っていった。
ラヴィーの残したティーカップの底にたまった茶葉は、幸運を運ぶ、兎の前足の形をしていた。




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