フロバーワームの粘液の効率的な集め方、ビリーウィグの針に刺されたときに対処法として用いる魔法植物。グールお化けを追い払うことに最も効果的な呪文に、アビシニア無花果の効用。カンニング防止羽根ペンが走ったり跳んだり、立ち止まったり。時折誰か、恐らくジャックの唸り声を聞きながら試験をひとつ、ふたつと終えて、防衛術の試験では筆記試験の合間に奥の部屋へと順に呼ばれ、去年と同じ、好きな魔法をとポップルウェル先生のハシバミの瞳が笑う。先生の言葉通り、去年と同じ、だけれど去年よりも量も種類も多く花を咲かせ、また羽根ペンを握る。白鳥座の真上をヘリオトロープが流れた日に起こること、猫の毛でマグル避けを作るときの注意点、それからオーストリアの魔女、ツェツィーリアの魔女裁判の内容を書き並べて、試験はまたひとつ、ふたつと終わっていく。そうして背中に張り付くものは変身術と魔法薬学の実技、それから妖精の魔法の筆記試験だけになって、大広間の長テーブルの端の端、私はひとりきり、突っ伏すように項垂れて座っていた。


「何がイモリだ!ああ!俺の夢は正に今日、終わったんだ……!魔法省よ、さようなら……」

「失神呪文を跳ね返せなかった僕の前で叫ばないでくれ、頭に響く」

「明日が最後よ、最後なの、私は出来るわ、私は魔女よ、私は魔女だから何だって出来るわ……」


七年生のイモリの叫びを聞きながら、体は起こさずそのままに、今年に入って作った魔法薬のレポートを確かめていく。イラクサの臭いが染み付いたレポートは、一年生におできを治す薬を作らせようと材料を用意していたスラグホーン先生が、その日集めた二年生のレポートの上に干しイラクサを真っ逆さまに落としたからで、私はそれに思わず眉を寄せた。ずっとベッドの下に置いていたからだろうか、埃とイラクサが一緒になって私の鼻の奥を叩いてくるかのような臭いなのだ。


「…………勉強、しなきゃ」


鼻に寄った皺を指で撫で付けて、体を起こす。右手に羽根ペン、左手に教科書という親友を揃えたミネルバは図書室に籠っていて、サミュエルはレイブンクローの談話室で先輩に明日の試験の話を聞くのだと寮に戻り、ヒューはとうとうジャックのことを放ったイアンに代わってジャックの視線の先に教科書を先回りさせる仕事がある。それぞれに皆、やるべきことをきっちりやっていた。
明日の魔法薬学の実技は、何を作るのだろうか。筆記試験にフロバーワームの粘液の効率的な集め方が出ていたから、どろりと濃い魔法薬かもしれない。考えながら、レポートをひとつひとつ、確かめていく。サミュエルと作った魔法薬はどれもこれも上手くいったのだけれど、ひとりで作ると時折分量を間違えそうになるのだ。
ふくれ薬のレポートを捲り、ぺしゃんこ薬のレポートを眺める。ふ、と、視界が薄暗くなったのは、真上を何かが通ったからだろうか。不思議に思いながら、私は喉が乾いていたことに今気付き、ティーポットだったら良いのに、と、顔を上げた。


「ご機嫌よう、ラヴィー」

「……え、あ、…………ごっ、ご機嫌よう」


しかし、そこにあったのはティーポットなんかではなく、薄く灰色がかった、白鳥座の上をヘリオトロープの星が流れるにはぴったりな、黒い瞳だった。
真っ黒い髪をひとまとめにした魔女、ルクレティア・ブラックが、変身術の教科書を手に長テーブルの向かいに立っている。何か用でもあるのだろうか。立ち去ることもせず、しかしそこに座ることもしない彼女は形の良い、ヴァルブルガ・ブラックよりは穏やかなその瞳でじいっと私を見つめていた。


「あ、あの、なあに?」

「…………似てない」

「えっ?」

「あなた、弟がいるって本当?やっぱりあれって、ただの噂?」


灰色がかった黒い瞳が、私の顔の内側まで確かめようとするかのように身を乗り出して、私の鼻先や額、頬にそうして前髪を見つめる。は、と慌てて前髪を押さえたのは、今朝、薬草学の教科書を抱いて眠ったせいだろう、ジェインの唸るような寝言に目が覚めるなり櫛を一度だって握らずに部屋を出たからだった。
手のひらのお腹に、はねた前髪が触れる。今更になって恥ずかしくなったが、レイブンクローにもグリフィンドールにも、夜遅くまで起きていて、そして朝早くに起きるなりずっと教科書を睨んでいた魔女も魔法使いもいたのだ。前髪に後ろ髪、ぴんとはねていたのは私だけではなかったことを、私は知っていた。


「お、弟なら、いるわ、ひとり」

「…………そう」


それでもやっぱり、恥ずかしく思うのは彼女の前髪がちっともはねていないからでもあって、それから彼女の瞳がまるで、あなたが誰かの姉だなんて、と驚いたように丸くなったからでもあった。
前髪を押さえて、しかし大人しく戻ることもないので、仕方なく手を離す。長テーブルに広げていたレポートをひとつにまとめながら、私は恥ずかしさが消えるわけでもないのに彼女から視線を逸らし、ぺしゃんこ薬のレポートを見下ろす。インクの中に眠気が半分、歪んだ私の文字に、彼女が気付かなければ良いのだけれど。


「……なるほど、だから」


ルクレティア・ブラックがぽつりと呟いて、私はレポートを壁に、彼女をそうっと覗きみる。何を考えているのだろうか。整ったその顔が私ではなく浮かぶ蝋燭を見ていたことに、ほうっと胸を撫でた。
だけれどそれは一瞬で、彼女は直ぐに此方を見る。そうしてまた、今度は瞳や眉、唇に髪を見つめた彼女は小さく二度、頷いて、私が思わず息を止めたことにも気付かぬ内に、満足げに笑った。
唇の端を持ち上げなれた、額縁の内側のようなそれに、私は首を傾ける。


「ブラックが似すぎているだけね、きっと」

「……あの、何の、何の話?」

「気にしないで。邪魔をして悪かったと思ってる、謝るわ。それから、ありがとう」

「え、う、ううん」


彼女は私に弟がいることを確かめて、何がしたいのだろうか。
変身術の教科書を持ち上げて、ルクレティア・ブラックが笑う。透き通るように白い肌を見ていると夏がくるだなんて思えなくて、私は彼女の真っ黒い髪を眺めていた。


「お互い良い結果が出ると良いわね。けれど、今年は負けないわ」


それじゃあね、と、一言。ルクレティア・ブラックは私に背を向けて、スリザリンの魔女達が座る長テーブルへと歩いていく。だけれどしかし、彼女はそういった魔女の群れに交わることはなく、ひとり澄ました顔をしてテーブルの端に腰を下ろし、カップを手に教科書を読み耽っていた。
私は何故だか目の奥がきんと静かで、魔法薬の分量を間違える気は杖の先ほどだって、ちっともしなかった。





「ほう、ほう、ほっほう!」


デイジーの根を多めに、萎びた無花果、ネズミの脾臓といも虫を刻んで放り込んで、一人用の小さな魔女の中身が煮立ったところで小瓶に詰められていたヒルの汁を振り入れる。とん、と一回、鍋の縁を杖先で叩けば教室をぐるぐると歩き回っていたスラグホーン先生の声がすぐ真横から聞こえて、思わず肩を揺らし、だけれど杖先は鍋に向いたまま、私はそれを縦に二回、小さく振る。大きなお腹が視界の右端でゆさゆさと揺れて、どうにも視線が右へ傾きそうになってしまうが、気を抜けば鍋の中身を焦がしてしまうであろうことは分かっていたので、私は奥歯で頬の内側を噛み、脇腹を叩きながら、ぐつぐつと煮立つそれが色を濃くするのを待った。


「ふむ、さあ、時間、時間!鍋から離れて、速やかに外に出るように!お疲れ、皆、ようくやった!」


そうして、魔女鍋の火を消して、頬の内側と脇腹が痛くなってきた頃、魔法薬学の実技、二年の学期末試験はスラグホーン先生の言葉によって漸く終わりを告げて、私はほうっと肩を撫で下ろしながら部屋を出た。
試験が、漸く全て、終わったのだ。


「……終わった…………」


直ぐ斜め前を歩いていたジャックが、試験は終わったというのに廊下に出るなり頭を抱える。かつん、と自分の踵を蹴飛ばし、廊下の壁に肩をぶつけながら歩いていく彼は魔法薬学の出来が余程酷かったのだろうか。夏用になった彼の薄手のローブからは何故だかジンジャーの匂いがして、私は、あ、と口を開ける。スラグホーン先生がそれぞれ自分で選ぶようにと用意した一人用の机いっぱいの材料の中、デイジーの根の横に、ジンジャーがひと塊、置いてあったのだ。もしかするとジャックは、それを使ったのかもしれない。


「ああ、疲れた。ルクレティア、部屋に戻ったらカードでもしない?」

「いいえ、遠慮するわ。私、図書室に寄って本を借りたいの」

「私ってば耳まで疲れたのかしら。ルクレティア、試験は終わったのよ?」

「試験が終わったから借りにいくのよ。試験勉強中に読めなかった分、読まなくちゃ」

「…………待ちなさいよっ、私も行くわ」


緑の裏地がひとり廊下を曲がって、それぞれに寮へ戻ろうと進んでいた二年生の列から抜ける。そんな彼女、ルクレティア・ブラックを瞬きふたつ、後から追いかけたのはヴァルブルガ・ブラックで、真っ黒い髪をした魔女ふたりは並んで消えていった。
ミネルバも、図書室に行くのだろうか。考えながら、廊下の端に寄って足を止め、ぴんと伸びたその背中を探してみる。しかし、彼女はとうに部屋を出て、グリフィンドールの魔女達と寮に戻ったのかもしれない。後ろに彼女の姿は見付からず、窓枠に手を添え爪先で立つが前にも彼女の背中は見えず、私は仕方なく踵を下ろし、疎らになった二年生の列の尻尾、一番後ろを歩いた。


「あれ、ニナ」


だけれど直ぐに、私がまた立ち止まったのは、聞き慣れたその声が私の背中を引っ張ったその時だ。


「トム」

「やあ、まさかこんな所で会えるなんて。ニナももう試験、終わったよね?」

「うん、うん。あのね、魔法薬学の実技だったの、そこの部屋で」

「ああ、地下のあの部屋だと全員は入れないからね。僕は天文学だったんだ。それで、今から図書室に行くところ」


この廊下を通ると近いからね。トムの言葉に、ふたりのブラックが曲がった廊下を振り返る。いつの間にか私とトムだけになっていた廊下は、試験の後だからだろうか、何処からか魔法使いの高い笑い声が響いてきて、いつもとほんの少し違う、軽い空気に私は集中しようと叩きすぎた脇腹を撫でる。ああ、そうだ、試験は全て丸きり、やっと、終わったのだ。


「ニナ、疲れたって顔してる」

「……そう?」

「うん、まあ、少しだよ。きっと、僕にしか分からないくらい」


ジャックのように頭を抱えてしまうほど、試験が嫌なわけではなかった。だけれどしかし、レポートの山に何度も手を入れ、抜き出しては確かめ、教科書を捲っていれば、やはり疲れもするらしい。トムの真っ黒い瞳には、それが分かってしまったのだ。
私よりもほんの少し小さな一年生の手のひらが頬を挟んで、ほぐすように揉んでくる。う、と声をもらせばトムは可笑しそうに目を細めて、最後にぎゅっと私の頬を強く押し、手を離した。


「ほら、やっぱり疲れてた」

「い、今ので分かるの?」

「うん、僕にはね」

「……トムも疲れた顔……」

「あ、やめて、僕にはしなくていいから」


伸ばした私の手を、トムは笑いながら押し退ける。本当はからかっただけなのだと私にはちゃんと分かっていて、私は不満を表すように肩を大きく竦め、息をついてみせた。


「それよりほら、試験、どうだった?上出来?」

「うん、上出来、上出来だわ。魔法史はいくつか、答えが何処かに飛んでいっちゃったけど……」

「悪くないなら問題はないよ」

「ふふっ、うん。トムは?トムはどうだった?とっても上出来?」

「そうだね、凄く上出来だ」


押し退けられた手を、掬い上げるように握られる。触れる彼の指先が、いつからだろう、私よりも固くなっていて、私はトムの手を見下ろす。私よりも小さいはずのその手は、私よりも小さな歩幅で、これから大きくなるのだろう。それが楽しみで、私は踵を鳴らして姿勢を正す。まだ、私の方が、背は高い。
早く、トムの背も、伸びないだろうか。


「結果が今から待ち遠しいよ」

「そんなにとっても上出来だったの?」

「まあね。でも、待ち遠しいのは結果だけじゃないんだ」

「そうなの?それじゃあ、何が他に待ち遠しいの?」

「…………それは秘密」


私よりもほんの少し、低い視線が嬉しそうに笑う。空気が軽いせいだろう。誰かの笑い声が廊下に響いて、それがトムの喉から転がったものだと勘違いしそうになってしまった。だけれどトムの唇は、その奥に秘密を隠すようにぴたりと閉じている。
トムの手が、私の手を握って、揺らして、そうしてゆっくりと離れていく。見下ろした彼の黒い爪先は今日も綺麗で、私の爪先は、何故だかデイジーの花びらがいち枚くっついていた。多分、恐らく、デイジーの根を手に取ったときに一緒にくっついていて、足元に落ちたのだ。


「それじゃあ、僕、図書室に行くから」

「うん、それじゃあ、また」

「うん、良ければ、日記帳で」

「書くわ、勿論。今夜、書くわ」


かつんとひとつ、トムの足音が響いて、それから誰かの叫ぶような笑い声が響いてくる。それに追い付かれないように、ローブの裏地を揺らしてトムは廊下を曲がり、図書室へと歩いていった。
階段を駆け下りてくる足音が聞こえる。ぼん!と大きな破裂音は、きっと、ベジボムだ。茹ですぎたパースニップの臭いが漂ってきて、私はひとり、寮へ戻ろうと爪先を蹴る。ローブにパースニップの臭いがついてしまえば、ジェイン達三つ子の森梟が眉を寄せるだろう。ベジボムの臭いは三回、たっぷりの泡で洗って漸く流れ落ちるのだ。


「くっそ!ニック!てめえやりやがったな!」

「あっはっはっ!アンディ、ひっ、酷い臭いだ!はははっ!」

「アル!笑うな!てめえも酷い臭いだからな!」

「アルヴィと俺は臭い防止の魔法かけてるから」

「…………何だって、俺だけ!」


早足で廊下を進みながら、ぷかぷかと浮かび上がるような、軽い空気の中、考えたのは、私よりも背の伸びた彼、トムの視線と、それからぴたりと閉じられた彼の唇の向こう側の秘密のことだった。


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