「機嫌をとるですって?馬鹿ね、誰の機嫌なのか知らないけれど、どうしたってそんなことを考えなくちゃならないの。間違えないでアルファード、機嫌をうかがわれる側にいなくちゃあならないのよ、私達はね」


そっち側なのよ。とは、どっち側だろうか。
届いたばかりの週刊魔女を斜めに開いた姉さんの言葉に、首を捻り談話室の壁を振り返る。クリスマス休暇中、どんなプレゼントが届いたかと見せ合って以来まともに話していなかったからだろうか。暗く静かに沈むようなスリザリンの談話室には少し高過ぎる声を上手く受け止めることが出来ず、捻った首を撫でた。


「話は終わった?それなら行って、あっちに」

「あっちって何処だい?談話室の外?」

「あなたが外だと思うのなら、そうね、外だわ」


斜めに開いた週刊魔女の五頁から、姉さんによく似た、たっぷりとした黒いインクの髪の魔女が口許を押さえて笑っている。それがどうにも気に食わないのは、きつい目付きまで姉さんに似ているからだろうか。自分の目尻を中指で引っ張るように押し下げながら、俺を追い払うように右手を振った姉さんの後ろ頭に舌を突き出した。


「アルファード、あんたのすることなんて分かってるのよ」

「げえっ、姉さんってば後ろ頭に目がついてるんだ!気味が悪いよ本当に!」


週刊魔女が箒よりもはやく飛んできたのは、俺が慌てて舌を引っ込めて走り出したのと同時のことだった。
ばしん!と、俺が壁なら痛くて踞っているだろう音を立て、俺の右肩をびゅんと通り越して壁にぶつかった週刊魔女を拾い上げ、談話室の扉を抜ける。四年生だか三年生だか、医務室の臭いが染み付いた魔法使いとすれ違い、地下階段を駆け上がれば談話室から姉さんの甲高い声が俺を追い掛けてきて、俺はますます慌てて階段を上りきった。
姉さんの声以外、きっと追い掛けては来ないだろう。彼女は多分恐らく、俺が彼女を怒らせたことを忘れて戻った頃に、きつい目付きで俺を待ち伏せるのだ。


「ああ、怖い怖い。やだなあ、トムの姉さんと取り替えてくれないかなあ」


壁にぶつかったせいで折れ曲がった頁を確めながら、早足で廊下を駆ける。思い出すのは俺の部屋の前で黙って立っている姉さんの姿で、その時は確か、姉さんのお気に入りのリボンで、誰だか知らない背中の丸すぎる魔女が連れてきた猫と遊んだのだ。
特別話しはしないが、それでも悪い言葉なんてちっとも出てこないトムの姉さんの後ろ姿で、猫の爪のせいで酷い姿になってしまったリボンを頭から追い出す。どんな髪と瞳を持っているのだろう。トムのように真っ黒いそれならば、本当に俺の姉さんと取り替えたって、構いやしないのではないのだろうか。だってそれなら、間違いなくブラックだ。


「……今度、トムに写真でも見せてもらおう」


一体いくつかも知らない彼女の鼻筋だとか眉の形だとかを勝手に想像しながら、折れ曲がった頁を撫でる。
そうして、あ、と、足を止めて、週刊魔女の四頁を見つめる。隣の頁ではやはりたっぷりとした黒いインクの髪をした魔女が笑っていたが、今になってこうして見れば、彼女の方が余程姉さんよりは穏やかな瞳を持っていた。


「なあんだ、これで良いや、そうだ、そうだ、これを贈れば良いんだ!贈り物だよ、贈り物!ほうらね、素直な気持ちを伝えるにはぴったりだって書いてある!」


『吠えメール』と書かれたそれを指先で確めて、奥歯の裏側を舌でなぞる。
アブラクサスの機嫌もこれで良くなるだろうと、俺は週刊魔女を丸めて梟小屋を目指した。





「ねえミネルバ、ミネルバ、気のせいかしら。あのね、何だかミネルバ、今日はずっと、視線が泳いでるわ」


細く細く、慎重に言葉を吐き出したのは、ミネルバのいつもは真っ直ぐな視線を遮るように彼女の右手が眉間を押さえた時だった。
私の向かい側の席で、ティーカップの中身を冷ましていたサミュエルが顔を上げる。サミュエルは気付いていなかったのだろうか、不思議そうにくすんだ赤毛を耳にかけ、首を傾けミネルバを見ていた。


「……そんなことないわ。そんな。ただ、目が疲れたのよ。それだけ」

「…………でもミネルバ、今日はちっとも、本を読んでいないわ。読めていないわ」

「……この頁、難しくって、進めないのよ」


今朝からずっと同じ、先に進むことのない『太陽と七シックル』の五十八頁には、魔法使いがパンを買いにマグルの町へ出掛けたことしか書かれていないことを、私は知っている。何せ今朝からずっと、同じなのだ。隣に座る私は、彼女が昼間、オニオンスープに千切ったヨークシャープディングを沈めている間に横目にその頁を読み終えてしまっていて、思わず彼女の顔を覗きこむ。もう夕食だって終えたというのに、『太陽と七シックル』は今朝からずっと、本当に同じままなのだ。


「ミネルバ、どうしたの?気分が悪い?寒くなあい?風邪かしら、熱かしら。あの、私のローブ、膝にかける?」

「へ、平気、大丈夫!心配しないで、本当に。目が疲れたのよ、目が、それだけだから……」

「……そう?」

「……そ、そう」


けほん、とひとつ、サミュエルが喉を鳴らして口許を隠す。私よりも大きな手から、ゆるんだ頬が顔を覗かせているのは気のせいだろうか。
眉間を押さえていたミネルバの手が、まるで何処かから陽射しがさしているかのように額と睫毛を隠すように前髪の上に当てられる。私はそんな彼女の何故だか赤らんだ耳を見つめて、やはり熱でもあるのではないかと、そうっとミネルバの額に手を伸ばした。


「ミネルバ、無理しないでね、だってミネルバ、何だかほら、熱いもの。風邪をひいたんだわ、きっと。だってそうじゃなくちゃ、私に読める頁がミネルバに読めないはずがないんだもの」


けほん、とまたひとつ、サミュエルが喉を鳴らす。それを拾い上げたのはミネルバで、彼女はほんの少し真っ直ぐ過ぎて先の尖った視線をサミュエルに向けて、それから次に、先を丸めた視線を私に向けた。


「……ごめんなさい、ニナ、嘘は駄目だわ。私、あなたに嘘を吐きたくない」

「ほら、やっぱり風邪なんだわっ」

「違うの、違うのニナ、それは嘘じゃあないのよ、そっちじゃないの」


額に触れた私の手を、ミネルバは包むようにとる。そうしてそのまま私の手は彼女の膝の上に下ろされて、私はいつもよりもほんの少し熱い、彼女の手のひらを右手の全てで感じていた。
長い睫毛の下で、ミネルバの視線が泳ぐ。溺れはしない、だけれど行き場の無いそれは酷く疲れきった様子で私のもとへやって来て、ミネルバは一度肩を大きく上げて、ため息と共に下げた。


「私が今から話すことは、ここで、一度だけ。これから二度と、この話を私の前にちらつかせもしないって、ニナ、約束して」

「…………ちらつかせるのも、駄目なの?」

「駄目よ。駄目。絶対に」


けほん、とまたまたひとつ、サミュエルが喉を鳴らしたので、私はそこで漸く、気のせいではなく彼の頬がゆるんでいるのだと気付いた。
眉間に寄せられた皺を、伸ばしてはいけないだろうか。ミネルバの手の内側で指を動かすけれど、彼女はそんな私の手をしっかりと握りこんでいて、私はミネルバの眉間に寄せられた皺を見つめることしか出来なかった。


「今朝ね、今朝、上級生の魔法使いに、言われたのよ」

「な、何を?酷いことを?」

「ええ、酷いわ、本当に酷いことよ」

「え、え、そんな、私、言うわ、酷いことを言わないでって、その魔法使いに言うわっ」

「駄目よっ、待って、止して、ニナ、聞いて」


立ち上がりかけた私の手をきつく握って、ミネルバは言う。眉間に寄せられた皺は深く、あんまり真剣に私を睨むので、私はスカートを整えることなく、黙って彼女の膝に自分の膝を寄せた。
サミュエルは、喉を鳴らす代わりに肩を揺らして、声を出さずに笑っていた。


「カードを贈るって、言われたのよ」

「……カード、カードを?」

「ええ、そう、カードよ、……バレンタインの、カード」

「バレンタインの、カード」


繰り返す私に、サミュエルは肩を震わせ親指で目尻を拭う。何がそんなに面白いのだろうか。不思議に思いながら、だけれど訊くことは出来ずに、私はまたぽつりと同じ言葉を繰り返した。
バレンタインの、カード。


「…………ご、ごめんなさい、ミネルバ、私、あんまりきちんと覚えてないの。あのね、あの、バレンタインカードって、名前は、秘密にするものだって……」


ミネルバの秘密の信者、ミスター・バレンタインから届いたカードを前に、不機嫌そうな、困ったような顔をしていた彼女を思い出す。ローズミストとピンクアーモンドのカードに結ばれていた金のリボンはとても、素敵なリボンだった。
図書室の奥の奥、サミュエルにこっそりと訊いたミスター・バレンタインの正体を引っ張り出せば、サミュエルは楽しそうにグレーの瞳を細めて私を見る。引っ張り出したそれは、間違ってはいないのだろう。小さく顎を引くようにサミュエルは頷いたので、私は大きく頷き返した。


「つまり、そう、それじゃあ、」

「…………返事を、待ってるって」

「返事、へ、返事って、バレンタインカードに?バレンタインカードって、だって、ラブレターなんでしょう?それに返事だなんて、」

「止めてっ、大きな声で言わないで!そこにいるのよ!」

「ふっ、あははっ!ま、マクゴナガルの方が、声が大きいよっ……!」


ミネルバの右手が、私の口をばちんと勢いよく塞ぎ、私は彼女の勢いに押されるように後ろに仰け反る。
そことは、何処なのだろう。隣のテーブルか、それとも隣の隣のテーブルか。慌てたように大広間を見回して、まるでそうすることで姿が見えなくなると信じているかのようにミネルバは肩を縮め、背中を丸めていた。
とうとう笑い声を上げたサミュエルを横目に、私はミネルバにバレンタインカードを贈るらしい上級生の魔法使いを探す。だけれど彼は見付からず、代わりに見付けることが出来たのは、今日はローブのフードを被っていないヒューだった。


「何だよ、楽しそうだな。こっちはイアンのせいで疲れてんのに……」

「ふふっ、ヒュー、ねえ、ニナとマクゴナガルがさ、」

「止しなさい!駄目よメイフィールド!駄目!」

「ふはっ、だってさ、ヒュー。ごめんね、これ以上話すとニナが窒息させられそうだっ……!」

「何だよ、本当に楽しそうだな……」


仰け反った私の背中を起き上がらせて、ヒューは言う。そうして何故だか被らされたフードのせいで半分になってしまった視界で見付けたのは、ハシバミの瞳を細めて笑う上級生の魔法使いと、アルファードと並んで座り、笑いそうになる唇を噛みこっそりと私に手を振るトムの姿だった。


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