「良いかい、ここを真っ直ぐ道沿いに、決して灯りを消さないように。騒がず、叫ばず。夜が起き出してしまうと厄介だ。何かあれば直ぐに私か、スラグホーン先生を呼ぶように」


これは巨人か何かの胃袋ではないだろうかと思う程に大きな袋をひとつ、縦縞の寝巻きの上からローブを羽織ったスラグホーン先生から手渡される中、肩幅の広い、ケンタウロスに襲われても少なくとも逃げ切ることは出来そうな体をした森番が言う。叫ばずに呼んだって、聴こえないのではないだろうかと僕は思ったが、森番の足元にはジャック・ラッセル・テリアによく似たクラップが三匹もいたので、例えか細い声でも大丈夫なのだろうと思い直す。ただ、酒の臭いのする森番が、眠りこけなければの話ではあるが。
魔法生物規制管理部の許可は取ったのだろうかと、使い古した雑巾を丸めたようなクラップを見下ろして、僕は袋を抱える。隣とは言えない、僕から五歩は離れて立つ魔女は短く切られた尻尾を振り回し彼女を見上げる一匹のクラップを撫でたそうに見つめていたが、森番もスラグホーン先生も、そんな彼女に気付かずさっさと踵を返し、森番の小屋へと戻ってしまった。


「……………………」

「……………………」


彼女、ニナ・ラヴィーが、無言で僕を見て、それから俯く。彼女が何を考えているのかは分からないが、少なくとも良い気分ではないことは確かであった。スラグホーン先生に連れられて、誰にも気付かれずに談話室を抜け出しハッフルパフ寮まで彼女を迎えに行った時から、それは分かっていたことだった。何せ彼女は、何故だか髪に巻かずに手首に巻いた赤いリボンを指先で弄りながら、短い前髪の下に覗く眉を情けなくなるほどに下げて待っていたのだから。


「…………行くぞ」


一応、声を投げ掛けて、歩き出す。灯りを持っていたのは彼女であったので先を歩いて欲しかったが、灯りに照らされ俯く顔がどことなく青く見えたので、返事を待たずに森を進んだ。
ざくざくと、足音が重なる。揺れる灯りはしっかりと僕の足元も照らしていたので、気付かれないよう、首を掻くふりをして振り向けば、彼女は、あのダークグレーのセーターに身を包んだ、ランプを持った腕を前に突き出し歩いていて、妙な気まずさを感じ直ぐに前に向き直った。


「……………………」

「………………わあ……」


当たり前ではあるが、やはり無言のまま、少し開けた場所に出る。昼間に見れば、それはただの雑草にも見えただろう。しかし、満月の今夜だけはそこに薄らと浮かび上がる満月草が見えて、ラヴィーが僕の後ろで声を上げたのが分かった。
早く終わらせてしまおうと、袋を広げて適当な場所に置いておく。は、と、口許を押さえた彼女は本来の目的を一瞬忘れていたらしい。慌ててその袋のそばに灯りの揺れるランプを置いて、彼女はダークグレーの袖を捲り上げていた。


「…………当て付けか」


眉間に、力がこもる。彼女に背を向けて呟いたそれは、きっと僕だけにしか聞こえなかった。
僕が似合わないと言ったそれを、彼女はわざと着てきたのだろうか。考えて、僕は闇の中薄らと浮かび上がるように光るそれを手当たり次第に根元から引き抜いて、袋に放り込んでいった。
ばさばさと、森梟が羽ばたく音がする。僕が苛立つように、彼女も居心地が悪いのだろう。時おり喉に引っ掛かる、きっと恐らく何も話さないせいで絡んだ乾いた空気を咳払いで吐き出す音が聞こえたが、僕はそれを無視して手を動かす。


「…………あ、」


ふと、咳払いではない、何かを見付けたかのような声が聞こえる。しかしそれでもやはり僕は手を動かし続けて、粗方の満月草を摘んでしまった。
場所を変えて、ぶちぶちと、満月草を引きちぎるように摘む。何だって僕こんなことを、と今更無駄なことを考えてしまうのは、こんな罰を受けるのは、初めてだったからである。
指先に、満月を削ったような銀がへばりついている。それを払い落とし、思い出すのはウィルトシャーの古い邸で、僕は頭の上、木の枝に座るピクシー妖精には気付かなかった。


「……………………」


場所を変えたせいで、視界の端に、木を見上げながら満月草を摘んでいる彼女が見える。頭の隅には僕を真っ直ぐ見下ろす父上の瞳で、僕とちっとも似ていないその瞳が、僕は、瞳を、どう思っていたのだろうか。ただ覚えているのは、思い出せるのは、母上が教えてくれた歌を、彼が酷く嫌っていたことだった。だから彼は、父上は僕を。
ふ、と、睫毛を上げる。僕は今、何を考えていたのだろう。それを疑問に思うと同時に、斜め横で彼女が囁くように唇の先で歌っていたことに気付いて、僕はまた眉間に力がこもった。
あの、歌のせいだ。


「黙って手を動かせ、ラヴィー」


低く唸るように僕が言えば、彼女は肩を跳ねさせ、そして尻餅をつく。まさか僕が話しかけるなんて思ってもみなかったのだろう。ダークブラウンの瞳がゆっくりと僕を見て、木の上を見て、そうしてまた僕を見た。こいつは、まともに人の顔を見れないのだろうか。


「だ、だって、ピクシーと、バンシー避け……」

「ピクシーとバンシーだって?そんなもの怖くも何ともないだろう。それに、そんな下手くそな歌で避けられるとは思わないし、耳障りなんだ。分からないか?」

「でも、ピクシー妖精は、それに私、小さく、」

「ラヴィー、分からないのか」


頼むから、黙ってくれ。
僕がそう言うよりも先に、森の奥から、この世の全てを嘆くかのような声が響いてきた。
ラヴィーが、尻餅をついたまま視線を泳がせる。泣き妖怪バンシーは、この森の奥にいるらしい。一瞬、その嘆き声を受けた背中に冬の冷たい空気が広がったが、僕はそれを振り払うように頭を振って、足元の満月草を根から引き抜いた。


「あ、」


その時だった。後ろから頭を、小さな足で蹴飛ばされたのは。
ラヴィーが声を上げて、慌てたように立ち上がる。僕は前につんのめり、両手と膝をついて後ろを振り返った。
きいきいと、嫌に響く笑い声を上げてそこにいたのは、ピクシー妖精達だった。


「このっ、」


ズボンのベルトに指していた杖を、手に取る。しかしそれに気付いたピクシー妖精は厄介で、音もなく飛んでいたピクシー妖精が一匹、僕の杖先を付かんで僕から杖を奪おうとした。


「わ、駄目、駄目っ、」


ピクシー妖精を掴もうと伸ばした手を、他のピクシー妖精が蹴り落とす。そうしている間に彼女、ラヴィーは手首に巻いた赤いリボンを取られてしまったらしく、奪ったそれをひらひらと揺らして遊ぶピクシー妖精を捕まえようとしていた。
ダークブラウンの髪を捕まえて、きいきいと笑い声を上げている。一匹のピクシー妖精が彼女の耳を引っ張り、そこにあった黒いピアスをひとつ奪って放り投げるのを、僕は見た。


「も、う、もう、ルーモス!」


ラヴィーの右手が、杖を取り出した勢いのまま、杖先から光を放つ。突然の眩しさに驚いたピクシー妖精はリボンを離し、耳障りな声で喚いて飛んでいった。
眩しい杖先が、此方に向かってびゅんと振られる。杖先から離れ、放られた光は僕の杖を奪おうとしていたピクシー妖精の目玉の真ん前を駆け抜けて、小さな手に込められていた力が抜ける。それに気付いた僕は慌てて杖をピクシー妖精の手から引き抜き、そうして杖を振り上げた。


「インペディメンタ!」


辺りを飛んでいたピクシー妖精達を巻き込んで、杖を振る。ラヴィーが咄嗟にリボンとランプを拾い上げたのが見えたので、僕は空いた手でもう殆ど満たされていた袋を掴み、さっさとそれを抱え上げる。閉じていない袋の口からはいくつか満月草が銀の光をこぼしながら地面に落ちたが、気にはしていられなかった。
クラップの鳴き声が、聞こえる。森の奥、暗闇の中へ吹き飛ばされたピクシー妖精は、暫く魔法で動けないだろう。ラヴィーがランプで足元を照らしもと来た道を駆け出したと同時に、僕もそれを追いかけた。


「せ、先生、スラグホーン先生っ……」


ラヴィーの声が、囁くようにスラグホーン先生の名を呼ぶ。夜を起こすなと言われても、それは恐らく手遅れだっただろう。バンシーの嘆く声がどんどん大きくなっていたことに気付いて、僕と彼女は情けないことに、必死に走った。


「おお、おお、何事かね、一体どうした!」


漸く足が止まったのは、森を出て直ぐ、スラグホーン先生と一匹のクラップを、視線の先に見付けたその時だった。
スラグホーン先生の後ろから、残りの二匹のクラップを連れて森番がやって来る。彼はその身に合った、太く大きな杖を呪文を唱えながら森へと振りかざし、バンシーの声を遠ざけていったが、その動きのなんてのろまなことだろう。父上に言い付けてやりたくて仕方がなかったが、しかしそれより、僕が罰則を受けたことが知れてはならないと、僕は肩で息をしながら満月草の詰まった袋を地面に下ろした。
一匹のクラップが、地面にしゃがみこんだラヴィーの足元で彼女の顔を覗き込んでいる。鼻先で不安げに鳴くそれに、彼女は真っ青な顔で頷いてみせて、それからそっと、目尻を拭っていた。


「おお、おお、いやしかし、何があったか知らんが、素晴らしい、満月草は十二分に摘んだようだ。良くやった!」

「……もう、戻っても良いでしょうか、先生」

「ああ、構わん、構わんよ!さあ、それを貸して、まずはお嬢さんから送らねば。おや、どうした、立てるかね?」

「は、はい、立てます、た、立てますっ……」


地面に置いた満月草の袋を持ち上げて、スラグホーン先生は呑気に丸く出た腹を撫でている。僕はやはりこんなこと父上に知られてはならないと思いながら、クラップに指先を舐められ、そろそろと立ち上がるラヴィーを見ていた。
銀の満月の下で、酷く恐ろしい目にあった彼女の青白くなった右耳にはやはり、ピアスはついていなかった。


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