「ルクレティア、ルクレティア!お願い、防衛術のレポートを手伝って欲しいんだ……!」


談話室に入るなりそう言って私を捕まえたのは、従姉妹であるヴァルブルガの弟、アルファード・ブラックだった。
よりにもよって、防衛術の授業の後に捕まってしまうなんて。鞄の中の教科書を一目でも見られてしまえば、断ることは難しくなるだろう。アルファードはスリザリンらしい狡猾さは持っていないが、その代わり素直な押しの強さを持っていた。そうして私は、そういったものに弱いのである。何せ、周りは正しくスリザリンらしい魔法使いや魔女ばかりで、彼のような魔法使いをどうあしらえば良いのか分からないのだから。


「ヴァルブルガはどうしたの」

「姉さんになんて訊けるわけないじゃあないか。下手をすれば、実践だなんて言って呪われるもの」

「……ドレアは?いなかったの?」

「ドレア叔母さん?頼みに行ったんだけれど、どうしてかなあ?杖を向けられちゃったんだよ!」


弟、オリオンとは違い、彼は本当に素直だ。きっと、だから、ドレア叔母さん、と、そのまま彼女を呼んだのだろう。それは何も間違ってはいないけれど、大きな間違いでもある。
蛇のキングを肩に、アルファードに杖を向ける彼女の姿は簡単に想像出来てしまって、私は額を押さえる。困ったように眉を下げる彼は、姉に似たきつい目尻の真っ黒い瞳を持っているのに、姉ほどには意地の悪い、冷たい顔をしていない。きっと、よく笑っているからだろう。それをグリフィンドールの魔法使い達はにやけ顔と言っていたことを私は知っていたが、私は彼を嫌いではなかった。


「……いつも一緒にいる子は?彼、頭、良いんでしょう?」

「トム?トムはとても頭が良いよ!良いけど、あー、何だか、最近少し、機嫌が悪いから……」


多分、聖歌隊の練習に付き合わせ過ぎたんだ。
弟よりは男の子らしい、けれど一年らしく、小さな肩を落としてアルファードは談話室の隅に視線をやった。ふ、とそれを追いかけてみれば、談話室の隅、湖の底から見上げるようにそこにある窓の直ぐそばの一人掛けのソファに座る、整った横顔が見えた。アルファードも整ってはいるが、彼も、トム・マールヴォロ・リドルは、奇妙なほどに整っている。しかしその横顔は、一度だってまともに話をしたことがない私でも分かる程には機嫌が良くはなかった。


「あなた、聖歌隊の練習なんて見に行ってどうするの。そんなに面白い?」

「エインズワースさんがね!ヒキガエルはいないけれど、面白いんだ。それに、練習をしている部屋が鏡張りになっているんだよ」

「……鏡張りだから、どうしたっていうの」

「え?別に、それだけだけれど」


知らないだろうから、教えてあげたんだよ。と、アルファードがきつい目尻を下げて笑うので、何度付き合わされたのかは知らないが、これは流石に不機嫌にもなるだろうと思った。彼のことは嫌いではないが、疲れるのだ。
しかしよく付き合っている方だ。窓を見上げてソファに深く座る彼が、毎朝アルファードと談話室を出て、毎晩アルファードと談話室に戻ってくることを私でなくともスリザリン生ならば知っていて、私は思わず感心してしまう。『闇の魔術を解き明かす』を膝に疲れたように目元を押さえた彼は恐らく私と同じ、一人だろうと何処へでも行ける魔法使いなのだろうと思ったが、それ以上に面倒見が良いらしい。もしかすると、弟妹がいるのかもしれない。


「それで、ルクレティア、教えてくれるんだろう?俺、少なくとも君が姉さんよりかは優しいって、信じてるんだけれど、それを裏切ったりしないだろう?」


すっかりよそ見をしていた意識を、アルファードがつついて戻す。面倒だ、と、思ったが、けれど、たまには予習も良いだろう。私は有り難いことに、防衛術の教科書とはそこそこ上手く付き合えているのだから。


「……良いわよ。それにしたってあなた、箒で飛ぶことしか知らないの?レポートはどれも酷い出来だって、他の一年生が言っていたわよ」

「そんなことはないよ。杖も振れるからね。ただ、羽根ペンの握り方は教わらなかったからなあ、俺」

「……そんなことじゃ、何処からも結婚を断られるわよ。今のうちに、先ずはまともな羽根ペンを手にいれておくことね」

「何だいそれ、まるで俺が魔女に好かれていないみたいに」

「あら、失礼したわ。好かれていたのかしら」

「…………トム、よりは、好かれてないよ」


それは、つまり、そういうことだ。
見栄をはるあたり、彼はヴァルブルガの弟である。思わず笑いそうにも、呆れそうにもなった自分を隠して、私は残念ねと呟きながらアルファードの背中を押す。丁度良いことに、談話室の隅、壁に沿うように置かれた黒い長テーブルには、誰もいなかった。


「と、トムだって対して好かれてないよ、ハッフルパフの魔女くらいなんだっ……」

「あら、そうなるとあなたは一人もいないってことになるわね」

「おおっと、やっちゃった!ルクレティア、今のは忘れてくれるって、約束して……?」

「クリスマスパーティーの時、私のしもべ妖精になってくれるなら良いわよ」


こそこそと、しんと静かな談話室でも響かないくらい小さな声で囁き合えば、アルファードはうっと苦いしかめつらをして、頭を押さえた。私はそれが可笑しくてまた笑いそうになってしまったが、どうにかぐっと喉の奥に押し込んで、長テーブルの真ん中に鞄を置いた。


「ねえ、これが終わったらお茶にしよう。大広間でさ、のんびり。どうだい、ルクレティア?」

「あなた一人でどうぞ」


アルファードの誘いをそっぽを向いて断って、私は防衛術の教科書を鞄から引っ張り出す。
その間彼、トム・マールヴォロ・リドルはずっと、深いモスグレーの、鼻を寄せれば埃の臭いがするに違いない『闇の魔術を解き明かす』を読み更けていた。





「牧師館の屋根が飛んだって、地元の新聞に載ったみたい」


黒とハシバミの混ざる羽根がテーブルによっつも散らばっているのは、ミネルバに宛てた手紙が届いたからだった。
真っ白い綿毛のような羽毛を撒き散らし、ミネルバの母さんから手紙を預り飛んできたらしいその梟は、私の手のひらから砕けたビスケットを啄み飛んでいく。大きな脚が掠めたのは丁度大広間にやってきたジャックの跳ねた赤毛で、驚いて屈んだ彼の後ろではイアンが立ったままオールドローズのくすんだ便箋を開いていた。封を閉じていた蝋は、レース飾りのように細やかだった。
もう直ぐ、お茶の時間は終わってしまう。厨房の屋敷しもべ妖精達がテーブルに残ったロックケーキを引っ込めてしまう前に、私はそれをよっつ、自分のお皿に乗せた。


「屋根?屋根が?どうして?」

「弟が癇癪を起こしたみたいだわ。忘却術士が嵐のせいだってことにしてくれたみたい」

「忘却術士って、魔法省の?」

「ええ、そうよ。大事にならずに済んで良かった、と思いたいけれど、十二分に大事ね……」


ミネルバの後ろを、珍しく顔をしかめたイアンが通りすぎていく。その後を追いかけるジャックの頭には羽毛がひとつ、ぶら下がっていたけれど、私が声をかけるよりも早く、彼は大広間の奥、ダンブルドア先生の座る教員席の側まで駆けていってしまった。
後でまた、彼に会えたら羽毛がぶら下がっていないか確かめなくては。考えながら、ミネルバがテーブルの端に寄せていた封筒を眺める。ミネルバと同じ、丁寧で綺麗な、けれどたっぷりと染みたインクに大人の魔女の穏やかな手の動きがそこに見えて、私はミネルバのように背の高い、けれど彼女よりもほんの少し額を丸くした魔女を思い浮かべた。封をしていた蝋は、きっちりと丸い。ミネルバの生真面目さは、母親譲りなのだろう。


「ミネルバの弟って、とっても魔力があるのね」

「そうね、退屈だと思う暇もないくらいには、あの子の魔力をマグルから隠すことに必死だわ」

「仲良い?弟と、仲は良い?」

「年が少し離れているから、仲が、と言うより世話を焼かなくちゃいけないから……」


言いながら、ミネルバのぴんと伸びた背中の向こうに、ゆるやかな空気が踊っている。頬杖をついてそれを見つめていれば頬が緩んでしまって、鼻の奥では春を待つような匂いがした。


「まあでも、仲は悪くないわ。ただ、あなた達とは違うわね」


思わず深く息をしていれば、とん、と、ミネルバのアーモンドの爪が私の額をついて、私は頬杖を崩す。瞬きをすればミネルバは右の口端を持ち上げて、ぎゅ、と、少し不器用に、力を込めて片目を閉じてみせた。


「え?私、私とトムも、ちゃんと仲良いもの。仲、悪くないわ」

「ああ、違うのよ、ニナ。質が違うってことを言いたかったの」

「質が?」

「……まあ、気のせいだと良いと思ってるのだけれど」


魔女の勘が、違うって言うのよね。
ミネルバの吐き出した言葉の正体が、私には分からない。薄い膜で覆い隠したようなそれを私は何度も頭の中で回して考えてはみるけれど、膜の取り払い方も知らない私に、それはどうすることも出来ない。きっと時間がたてば溶けてなくなるものなのだろうと、いつか分かる日がくることを待つしかなかった。
便箋を折り畳み、ミネルバはそれを封筒にしまおうとした。しかし、彼女の指先は何を考えたのだろう。瞬きみっつ、たっぷりと考えて、ミネルバはその手紙をテーブルに広げ直し、足元に置いてあった鞄の中を探る。どうやら彼女は、返事を今書くつもりらしい。


「……ニナ、何かこう、梟に持たせるのに具合の良い、ついでにインクのよく滑りそうなものって、持ってないかしら?」

「便箋ね、便箋は、ごめんなさい、今は持ってないの……」

「…………直ぐに戻ってくるわ。直ぐだから。待っててくれる?」

「うん、勿論。勿論待つわ。でも、ゆっくりでも平気だからね、ミネルバ」

「いいえ、直ぐよ、ほんの五分で戻ってきてみせるわ、数えててちょうだい!」


ミネルバは、そうと言ってしまえばそうする魔女だった。きっと彼女ならば、テーブルの端にあるティーポットの中身をダージリンに変えると言えば、本当にそうしてしまうのだろう。私は、ダージリンも好きだけれど。
鞄を置き去りに、ミネルバは走っているとも歩いているとも、どちらとも言えない速さで大広間を出ていく。何処で誰に会っても、決して減点をされないその生真面目な足を見送って、私はティーポットをとった。その瞬間、私が取らなかった分のロックケーキは引っ込んでしまう。
ティーポットの中身はダージリンではなく、アッサムだった。


「ああ!ない!」


ミルクだけを足して、カップに注いだそれをかき混ぜる。ふと顔を上げると、スリザリンの長テーブルを前に頭を抱える魔法使いがいて、真っ黒い髪をした彼は、よく似た真っ黒い髪を高い位置できつくまとめた魔女の隣で項垂れていた。
魔法使いが、魔女を見上げる。その横顔に、あ、と思いながら、私はロックケーキをひとつ掴み、まだ温かいそれを割った。バターもジャムもロックケーキにくっついて引っ込んでしまったけれど、ホグワーツのロックケーキは充分にバターがきいているので、何もつけなくても美味しいのだ。


「…………今、何分だっけ」


わ、と、口を開けて、ロックケーキを放り込む前に、天井に浮かぶ蝋燭を見た。そ知らぬ顔をしている彼は、揺れる灯りの下に口が付いていたって教えてはくれないだろう。すっと風に吹かれるように私から離れていった灯りを視界の端に、私は恐らく二分も経っていないだろうとひとり頷いた。
その時だ。魔法使いの彼、アルファードの隣にいた魔女、ルクレティア・ブラックが、此方を振り向いたのは。


「ねえ、ラヴィー、あなたのそのティーポット、中身は何かしら」


彼女、ルクレティア・ブラックの瞳は、ヴァルブルガ・ブラックよりは涼やかで、雨が降った後の夜を湿った空気と一緒に混ぜこんだような、深いグレーの瞳を持っていた。
細い脚を動かして大股で目の前にやってきた彼女を見上げる。ちらりとロックケーキを見下ろした気がしたけれど、私はティーポットを差し出しながら、けほんとひとつ、咳払いをした。


「……あ、アッサム、だけれど……」

「本当?良かった。どのテーブルのものも全部片付けられちゃったから、あなたが良いのならそれを分けてもらえると嬉しいわ」


教員席の真ん前で、ジャックがじいっとこちらを見つめている。いつでも立ち上がる準備の出来ている、もしかするともう立ち上がる気でいるのかもしれない彼は隣で手紙を小さく破り捨てていたイアンの肩を杖の先で突いていて、私は早くこのやり取りを終わらせなくてはと、額の上で考えた。
少なくとも、ヴァルブルガ・ブラックと仲のよくないミネルバが、戻ってくる前に。


「あ、あの、勿論どうぞ」


ヴァルブルガとルクレティアは、全く別の魔女だけれど。
まだお腹の重い、持てばたぷんと中で揺れるティーポットを差し出せば、彼女は小さく頷き手を伸ばしてくる。その向こうではアルファードがミネルバよりもずっと器用に片目を閉じてみせていて、私はそれで漸く彼女を前にして頬がゆるみ、そして、どうやら私は緊張していたらしいと、今になって気付いた。
そうして、ゆるんだからだろうか。やっぱり彼女がロックケーキを見下ろしていたことに今度は気付いて、私は残りみっつのそれを、押し出すように差し出した。


「あの、これも、ロックケーキも、食べる?バターもジャムも、引っ込んじゃったんだけれど……」


ジャックの瞳には、私が無理にティーポットとロックケーキを奪われているようにでも見えているのかもしれない。いよいよ立ち上がった彼の隣では、イアンが落ち着いた様子で此方を眺めていて、しかしやはり彼の手にも杖は握られていた。
ルクレティア・ブラックのアーモンドの瞳が、ぱちりとひとつ、瞬きをする。ロックケーキなんて、いらなかったのだろうか。そう考えた瞬間、私は頭の後ろが冷えていくのを感じたけれど、それは一瞬のことだった。
品のある手首が傾いて、私の差し出した、今日は銀のお皿を受けとる。彼女のグレーの瞳は、とても濃かった。


「ありがとう、そう言ってくれないかって思っていたところだったの」


彼女の口は、あまりお喋りではないらしい。けれど、とても素直で、分かりやすい。
それだけ言って、さよならは言わずにティーポットとロックケーキを手にスリザリンの長テーブルに戻っていった彼女の背中を眺める。その向こうではアルファードが今度はキスをひとつ投げてくれていて、私はまた頬がゆるんだ。
ルクレティア・ブラックとすれ違うように、ミネルバが此方にやって来る。本当に五分だったのだろうか。長かったような、しかし瞬きの隙間ほどだったような時間に、私は妙な疲れを感じながらミネルバに手を振った。


「ああ、ミネルバ、お帰り、お帰りなさい」

「ええ、ありがとう。待たせてごめんなさい。ねえ、ニナ、どうだった?きちんと五分だったでしょう?」

「多分ね、多分。それくらいだと思うわ。だって私、ロックケーキを食べていて、ちゃんと数えられなかったから」

「あら、残念。時計か何か、持っておくべきだったわね」


私の手を掴まえて、ミネルバは隣に座る。私はそんな彼女の皺ひとつないローブに鼻先を寄せて、目を閉じたのだった。
濃いグレーの瞳は、正しくスリザリンの色をしていながら、それでもしかし、アブラクサス・マルフォイやヴァルブルガ・ブラックよりはずっと、素敵だった。



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