「ミスラヴィー、お手紙と見舞いの品が届いてますよ」

「……うん」

「……ここに置いておきますから、後で読みなさい。ね?」


そう言って医務室のマダムぺぺがベッドのわきに置いた手紙と小さな穴熊のぬいぐるみからは、微かに甘い香りがした。
じんじんと熱く痛んでいたおなかはマダムぺぺが塗ってくれた塗り薬で一瞬で消え、ついでにレイブンクローの監督生の彼女の震えも消え、それからとうに一時間。時折廊下を誰かが駆けていく足音や、怪我をしてしまったと叫びながら医務室に駆け込んできては医務室で走り回らない!と響くマダムぺぺの怒鳴り声をぼんやりと聞きながら、私はベッドの上に寝転がって天井を見つめていた。
もうそろそろ魔法薬学が終わり、変身術の授業が始まる頃だろうか。そんなことを思いながらベッドのわきに置かれた小さなぬいぐるみをとり、それを天井に向けてかざす。首に巻かれたオレンジ色のリボンの隙間に挟まった小さな紙切れには、タイラーとだけ書かれていた。きっと、私を医務室に連れてきてくれた彼女だ。


「……かわいい」


ぽつりと呟いて、ぬいぐるみを胸に押しつける。ぽかりと空いた何かを埋めるように瞼を下ろすが、なぜだかすうすうと胸が空いて、同時にちくちくと痛んだ。まるでそれが私にまとわりつくくすくす笑いの妖精の仕業のような気がして、私は恐る恐る目を開けてベッドから起きあがる。マダムぺぺが杖を一振りしてとってくれたスカートの汚れとともに、どうやらそれは消えてくれなかったらしい。ベッドの柵にかけられたローブの隙間から、スカートのプリーツの隙間からそれは無邪気に顔を覗かせ、私の耳元にふらりと近寄りくすくすくす、と笑いをこぼす。プラチナブロンドの嫌な笑みを浮かべたあの子が咄嗟に頭に浮かんで、私は慌てて耳元を払った。


「どこか、どこか行って…。もう来ないでっ…」


もう治ったはずのじんじんとした熱い痛みがお腹にへばりついている。溶けたヌガーのようにぺっとりとしつこくへばりつくそれが怖くて、たまらずぬいぐるみをお腹に押しつける。じんじん、じわじわ。痛くて熱くて、涙が出そうだった。


「あ、あの、」


まるで魔法で上から引っ張られているかのように綺麗に背筋の伸びた彼女が、変身術入門の表紙に顔を隠しながら現れる、その時までは。
くすくす笑いの妖精が、熱い痛みとともにぱちんと音をたてて消えた。







じっと此方を見つめるダークブラウンの瞳。今朝から変わらずくるりと毛先の跳ねた瞳と同じ色の髪。小さな手にすっぽりと収まるほどの穴熊のぬいぐるみをお腹に押さえつける彼女は、もしかするとお腹の調子が悪くて此処にいるのかもしれない。まるで窓の向こうの景色を眺めるかのように何の躊躇いもなく私を見つめる彼女が本当に腹痛を感じているのか定かではないが、私はローブのポケットに入れていたレモンキャンディーを左手でそっと握って彼女の前に立ち尽くす。
こんな時どうすれば良いのか、残念ながら私の右手にある変身術入門には載っていない。それどころか、照れ隠しに口元を隠す役割すら上手く果たせていない。じわりと熱を持ち始めた耳は、きっと彼女の視界の中にはいっているだろう。こんなことなら髪を下ろしてくれば良かった、と、ポケットの中でキャンディーを転がしながら思う。


「……つ、次の授業、出ないの……?」


ここに来るまでの二分間の道のりで、何度も何度も復唱した言葉が熱のせいで喉の奥にひっかかる。耳から首筋、そして頬にまで根を広げるそれはいつもの鉄面皮を被せようとしてきて、私は内心焦りを隠せなかった。
そんな私が苦し紛れに吐き出した言葉に、彼女はちらりと視線を外す。ベッドの柵にかかる彼女のローブ、そして少ししわの寄った彼女のスカート。彼女の小さな手が微かに動いたが、それでも彼女はその手を膝に戻して、何かを振り払う真似はしなかった。きっと、彼女が気にする何かはそこに無かったのだ。


「あなた、あなたって、とっても不思議」


私が吐き出した言葉と彼女の持つその両の耳は、相性が悪いのだろうか。てんで違う言葉が彼女の唇の隙間から飛び出してきて、私は思わず教科書を持つ手を下げる。まるで自分が読みたかった本と全く違う別の本を、それも私が読んだことのない妖精とチョコレートヌガーの絵本を目の前で読まれているような、そんな不思議な感覚だった。


「あなたがそばにいると、くすくす妖精がどこかに消えてしまうの」

「………………………」

「いつもローブの端っこにしがみついて離れてくれないのに、あなたが来て、消えちゃった」


甘いチョコレートヌガーのような彼女の言葉に、胸が熱くなる。石畳の廊下をこつこつと早足で歩きながら自分の名を何度も何度も復唱していたように、もしかすると彼女も私のことを気にかけてくれていたのかもしれない。
スカートの端をつつ、となぞって再び私を見つめる彼女は、ゆっくりと瞬きをしてから目を閉じる。それからまたゆっくりと目を開けて、彼女は何か思い出したかのようにベッドのわきに置かれていた手紙をとった。お手本のように流れる綺麗なその文字は、トム、とだけ書かれていた。
彼女の唇が、へにゃりと笑う。


「ねえ、ねえ」

「な、なに……?」


一度天井を見上げて、私を見つめて、それから彼女は壁を見る。ふわふわとさまよう彼女の視線に妙に緊張してしまう自分が恥ずかしいが、それでも何故だか嫌な感じはない。私の背中を嫌らしい笑みを浮かべて見る、鉄面皮、と呟く彼女達とは比べものにならない程に、穏やかだ。


「私ね、私、蛙チョコレートを捕まえるのが苦手なの」

「…ええ」

「いつも壁伝いにどこかへ逃げて、私の手に残るのはカードだけ」

「そう」

「うん、そうなの」


素っ気ない私の返事に彼女は満足そうに頷いて、気の抜ける笑みを浮かべる。そんな彼女の笑みに、私の頭の中ではダンブルドア先生の言葉がぐるぐると渦を巻くように回っていた。
一度の板書を逃すよりも、もっともっと大きな損失。それが何なのか分からないほど私は馬鹿ではないし、ましてや鉄面皮でもない。他の誰かさん達よりは確実に表情筋が乏しいことは認めるが、そんな私を受け止めてくれるのはきっと彼女しかいないし、隣に座ってあんなにも穏やかな気持ちで授業を受けられるのも、きっと彼女だけだ。
そして、そんな彼女を失うことは、蛙チョコレートに逃げられてしまうことよりも大きな損失であると、私は思う。


「わ、私、ミネルバ」

「……………………………」

「ミネルバ・マクゴナガル」

「……ミネルバ」


一人きりで何度も何度も口にした言葉が、初めて彼女の耳に届いた。そして彼女の耳は確かにそれを受け止めて、私の名を口にする。そんな些細なことが妙に嬉しくて、私はポケットの中でぎゅっとキャンディーを握りしめた。


「あなたの、名前は?」


そしてそのまま差し出した左手に、彼女はゆっくりと両の手のひらを出す。ぽろりとこぼれ落ちた黄色い包み紙から甘い匂いが立ち上って、その匂いに彼女はまた笑う。


「ニナ。ニナ・ラヴィー」


私の名前は、ニナ・ラヴィー。
嬉しそうに繰り返した彼女の手のひらで、小さな黄色がころころと踊る。私はその時初めて、友人と呼べるものを手に入れた。




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