「あ、ねえ、ニナよ」

「止しなさいよジェイン、はやく図書室へ行きましょう」

「どうして?私別に、図書室なんか行きたくないわ」

「良いから行きましょう。ほら」


私が寮の部屋へ戻るなりジェインと呼ばれた赤毛の魔女を真ん中にして出て行った三人の後ろ姿をぼんやりと見ながら、裏口から繋がる丘に随分と昔住み着いていた三つ子の森梟のようだ、と思った。彼らはいつも私を警戒して、私がドアを開けて箒を片手に丘に飛び出していったそのたびに産毛が抜けきらない小さな羽をばたつかせて早足で丘の向こうへと逃げていった。彼らはいつしか飛べるようになりどこか遠くへ飛び去ってしまったけれど、彼女達は私が部屋に入るなり窓から飛び立つことは出来ない。こうして狭い入り口を慌てたようにすれ違い、私に背中を見つめられながら去っていくのだ。
それが何も言わず何も知らせず飛び去って行かれるよりも胸が重くなるものだと、彼女達が知っているかは定かではない。


「……ダンブルドア先生にもらったレモンキャンディー、食べよう」


ぼすんと自分のベッドに腰をおろして、ローブのポケットから杖と羊皮紙のくず、変身術の授業の終わりに拾ったヘアピン、そして目当てのレモンキャンディーを取り出す。母さんがよく買ってきてくれたそれと同じものがまさかダンブルドア先生のローブから出てくるなんて、と思いながら、今日の出来事を振り返る。
窓際の前から三番目。トムが魔法史の教科書を淡々と読むよりも眠気を誘うその席。ダンブルドア先生にとって幸運の席だと言われたその場所はくすくす妖精のいない、静かな場所だった。隣に座る綺麗なブラウンの髪をしたグリフィンドールの生徒は一言も無駄口を叩かない、真面目な魔女だった。授業が終わるなり彼女はすぐに席を立ちきびきびと誰よりも早く教室を出て行ってしまったけれど、私はその真っ直ぐ伸びた背筋がとても素敵なものに見えて、見とれてしまった。思わず立ち上がって踏み出したつま先に、彼女が落としたデイジーのヘアピンが当たるまで。


「……かわいいヘアピン…」


レモンキャンディーを口にいれて、デイジーの飾りがついたシルバーのヘアピンを灯りにかざす。きらきらと光るのは、何か魔法がかかっているからだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、私は明日使われる魔法史の教科書をベッドの下から引きずり出す。
彼女に会えたら、返そう。それから、言うんだ。私、ニナって。それから、訊くんだ。あなたのお名前はって。


「……マルフォイの、マルフォイの、ばーか…」


そう呟いて、私は同室の魔女達にまで避けられる原因となったマルフォイの顔を頭の中でぐりぐりと真っ黒いインクで塗りつぶす。いつか塗りつぶした男の子よりも雑に塗りつぶしたせいで黒の隙間から覗く彼の薄い唇が、私にむかってこう呟いた。


「お前、変な顔だな。もしかしてスクイブなんじゃないか?」


差し出しかけた手を遮るようにそう言い放った唇に、そんなことはない、と杖を突き刺してやればよかった。そうすれば今頃、スクイブなんかじゃないと証明出来ていたはずなのに。みんなの疑うような視線に緊張して、魔法が使えないなんて事、なかったはずなのに。


「…また、あの子の隣がいいな」


くすくす妖精を連れていないグリフィンドールの真面目なあの子を思い浮かべて、私はレモンキャンディーをかみ砕く。彼女がトムのように、蛙チョコレートを捕まえてくれる子なら良いのに。そんなことを私は眠りにつくまで考えていた。







ホグワーツ魔法学校というものはとても興味をそそるものでありながら、とてもつまらないものだと私は思う。母が言っていたように今まで知らなかった魔法の基礎や成り立ち、応用を学んでいくことは幼かった頃から教科書や羊皮紙に向かうことの方が多かった私にとってとても面白く素晴らしいことだが、それでもやはり、時たま目に付く同学年や上級生のつまらない人間性には呆れることがあった。
やれ鷲鼻だのやれ根暗だのやれ赤ら顔だの、そんなことをとやかく言ってなんになるのだろう。よってたかって見た目を馬鹿にして嘲り笑って、何か良いことはあるのだろうか。そんなことをするくらいなら、私は少しばかり苦手な飛行術を一日かけて練習していた方が良い。例え一日かけて上手くならなくとも、その方がずっと良い。私を真面目すぎてつまらない、と陰で言った女子に言い返すより、そうしている方がずっと気分が晴れてずっと有意義だ。


「見ろよ、変な顔の劣等生だ」

「スクイブって噂の一年か。あー、確かに変わった顔けど、そこまで言うほどか?」


ただ、スクイブ、と呼ばれる彼女はどうだか知らないが。
大広間にゆっくりと、どこかふわふわとした足取りで一人入ってきたハッフルパフの彼女は一体何を見ているのか、彼女の視線までもがどこかふわふわとしているように感じる。きっと両親に花よ蝶よと愛されてきたのだろう。くるりと跳ねた背中の中程まである長いダークブラウンの髪が寝癖であると気付いて、そう思った。彼女は、一人では寝癖も直せない子なのだ。きっと。


「変な顔だな、相変わらず」

「まあ、ダンブルドア先生くらいは変わってはいそうかな」


通路を挟んで向かいに座るレイブンクローの上級生二人の言葉にはとくに棘はないが、彼らが気付かぬうちにその言葉は大きな鋭い棘を隠し持っていた。その言葉が彼女の耳に入れば、おそらく彼女はその隠れた大きな棘に気付きゆっくりと瞬きをしてローブの端を払うのだろう。私は一度だけ、そんな彼女を見たことがあった。スリザリン生にすれ違いざまに同じ言葉を呟かれ、何か嫌なものを振り払うかのように何もついていないローブの端を払うその姿を。


「おはよう、マクゴナガル」

「おはようございます、ビンズ先生」


こつこつと靴の踵をならしてゆっくり教員席に歩いていったビンズ先生に挨拶を返しながらも、私は未だふわふわとした歩みで空いた席を探す彼女を見ていた。
変な顔。私には、その言葉の意図が分からない。というのも、彼女の顔を私は一度だって変だと思ったことがないからだ。
髪と同じダークブラウンの瞳。高すぎない鼻。少しばかり短い気のする前髪の下にある眉は、彼女のふわふわとした動きに似合う下がり眉で、怒る気を奪われそうなもの。唇はいつも少し開いていて、私が彼女だったら母にしっかりしなさいと背中を叩かれていただろう。しかし、変などでは、ない。少し物足りないような気もするが、それはそれで愛嬌のある顔だと私は思っていた。もしかすると変というのはその物足りなさを指すものだったのかもしれないが、それでも口に出して変な顔だと言うほどではないと思っていた。
何より、ダンブルドア先生の変身術の授業中、時折ローブの中からキャンディーの包みを取り出して幼い笑顔を浮かべていた彼女は、とても普通の女の子だと私は思った。周りと何も変わらない、普通の。
ただ、羊皮紙に走るその文字はたまにスペルが違っていたけれど。


「おはよう、ミネルバ。今日はホワイトティーかの?」

「おはようございます、ダンブルドア先生。今日は起きたときからホワイトティーと決めていたんです」


どこか楽しげに歩み寄ってきたダンブルドア先生にそう答えて、私は漸く席についた彼女から目を反らし、目を閉じてホワイトティーを口にした。いつのまにか冷たく冷めていたそれに思わず眉間にしわを寄せそうになったが、ダンブルドア先生の前でホワイトティーが冷たくなっていたことにすら気付かなかった私を悟られるのがとても良くないことのような気がして、私は何も無かったかのようにゆっくりと目を開く。
視界に入った彼女は、眠そうな顔であたたかいミルクを飲んでいた。白い湯気が、とても似合うと思った。


「のうミネルバ、今日は確か、わしの変身術の授業があったじゃろ?」

「今日も、です」

「ほっほっ。それでものは相談なんじゃが、今日もわしの幸運の席に座ってくれんかの」

「……またですか?昨日座ったじゃないですか」

「そうなんじゃ。すると驚くことに、わしにとってとても良いことがあっての」


今日も良いことがあるように、また座っておくれ。
ぽん、とダンブルドア先生が私の肩を叩いて、愉快そうに笑いながら大広間を出ていく。彼に言われた幸運の席、窓際から二番目の前から三番目の席に座って私は昨日気に入っていたヘアピンを落としたのだが、それでも嫌だと首を横に振らなかったのは、あの席が嫌いではなかったからだ。


「あ、アブラクサス、あの子あんなところで一人で座ってるわ」

「……さて、からかってやるかな」


白い湯気に包まれて眠たげな瞼をこする彼女が嫌そうな顔をしてローブの端を払う姿を見る気になれず、私はそそくさと席を立つ。
午後の変身術までにあるスリザリンとの合同授業が、なぜだか嫌で仕方なかった。




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