「イアン坊ちゃん、お砂糖はどうなさいますか!」


屋敷しもべ妖精のその言葉に、ふ、と、カーマインをジャムのようにべったりと唇に塗りたくった魔女、僕より十も歳の離れたジーブス嬢とやらが笑った。


「……そうだなあ」


僕から見れば趣味のよろしくない、それでもきっと流行りものには目がないのだと言うジーブス嬢達若い魔女からすれば、カーマインの唇はとても洒落たものなのだろう。けれど、彼女のそれは当てになるものではないと僕は思う。何せ大人のくせに大人ぶった彼女のイブニングドレスは今日も子供じみていたし、そしてそれは去年の夏にも見たものなのだから。彼女はまだ、大人の魔女の嗜みを知らないのだ。レースの膨らんだ袖は、彼女には似合ってはいない。


「あら、お砂糖をお入れになるの?お茶の味を楽しめるようになるには、もう少しかしら?」

「…………そうですね、僕、まだまだ子供で。砂糖、ふたつね」

「はい!坊ちゃん!」


普段は決して砂糖なんて入れないし、ましてやロシア魔女のようにジャムも入れることもしない。けれど、僕はついむきになり、屋敷しもべ妖精に向けて指を二本、立ててみる。甘くなるだろうそれを僕は飲みきれる気がしないが、時間は呆れてしまうほどにあるのだ。きっと僕も、何とかそれを飲みきることが出来るだろう。向かいに座る彼女のお喋りは驚くほどに長く、そしておまけに退屈なのだから。
甘い紅茶に集中するほか、ビスケットを摘まむか、サンドウィッチに挟まれた薄切りのトマトを数えるくらいしか、その驚くほどに長く退屈な時間を乗り切る手段は無いのだ。


「おふたつですね!丁度奥様が新しいスミレのお砂糖を下ろすようにと仰られたのです!」


ぽちゃん、ぽちゃん、とティーカップに落ちた砂糖の塊を見て、ああ、と頭を抱えそうになる。今日に限ってふたつのその砂糖はスミレの花弁を一緒くたに丸めた大きなそれで、いつもの倍は大きく、そして紅茶の甘さも僕が考えていた倍になるのだ。むきになんてなるものではない、と、今更後悔した。
嬉しそうに砂糖を溶かす屋敷しもべ妖精に悪いところなんてひとつも無いことを分かってはいるが、酷く憎たらしくて仕方がない。


「はい!坊ちゃん!ご用意が出来ました!」

「……うん、下がって良いよ」

「はい!畏まりました!またお呼びください!お呼びくださいね!」


ティーカップをテーブルに並べ終えた屋敷しもべ妖精が、きいきいと金具を擦り合わせるような声を響かせてぴょんとひとつ跳ねる。彼だか彼女だか、気付いたときにはそこにいた魔法生物に僕は何の感情も持たないし、屋敷しもべ妖精を家に置く魔法使いや魔女は皆そういうものだとも分かっていたが、今ばかりは先ほどの憎しみも忘れて褒めてやりたくなる。普段何かと世話を焼きたがり煩わしい生き物ではあるけれど、屋敷しもべ妖精の素直さは、ジーブス嬢とは比べ物にならない。勿論、僕とも。
ぴょんとまたひとつ跳ねた屋敷しもべ妖精が、さっさと部屋を出ていってしまう。それと同時に門にぶら下がる来客の鐘が鳴るのが聞こえたので、きっと忙しなく玄関へと駆けていくのだろう。その姿を想像して、僕はつい眉間に寄りかけた皺を伸ばす。僕の来客はジーブス嬢か、同じようなイブニングドレスを着たその友人達だけだった。
ジーブス嬢が、勿体振るようにティーカップをゆっくりと傾ける。ぱしぱしと二度、大きな瞬きは彼女の中にあるぎらぎらと眩しい自慢話が口から飛び出そうになっている合図で、この夏五度目の彼女との酷いお茶を味わっている僕は思わず身構えた。


「そういえばお聞きになりました?次のクィディッチワールドカップに向けて、バリキャッスル・バッツが新しくチェイサーを二人入れましたのよ」


カーマインの唇には魔法がかけられているのか、ティーカップに口をつけた筈の彼女の唇はほんの少しも崩れておらず、僕は内心がっかりしてしまう。彼女にはちっとも似合わないそのカーマインを、僕はどうにかして視界の外に追い出したかった。


「チェイサーを二人?へえ、それじゃあ、期待できそうだ」

「ええ、ええ。いいえね、私、あんな野蛮なはしたないもの、好きではないの。けれどね、そのチェイサーに誰が選ばれたか、分かるでしょう?私の従弟なの、従弟が選ばれたのなら話は変わりますものね」

「そうですね、勿論その通りだと思います」

「試合もね、別に観たくはないのよ。けれど、従弟ですし、お誘いを断るわけにはいきませんから」


ガランガラン、と門の鐘がけたたましい音を立てたけれど、彼女はぎらついた自慢話に夢中で気が付かないらしい。思わず肩を揺らした僕は、あの屋敷しもべ妖精が勢いよく門を開けすぎたのだ、と奥歯でニガヨモギを噛み締める。強面の父親に叱りつけられて大きな瞳いっぱいに涙を堪える屋敷しもべ妖精の姿を、夜に見ることになるだろう。
廊下を、ドレスの裾が流れていく音が聞こえる。僕と父親、ジーブス嬢に屋敷しもべ妖精、それから母親しかいないこの屋敷をドレスを引き摺って歩くのは、ジーブス嬢が双子でない限り、母親しかいない。
半分、珍しいな、と思い、もう半分で、母親の友人だろうか、と思う。けれど、そんな考えは直ぐに消えてしまうことになるのだと、今度は玄関の扉を勢いよく開けすぎたらしい屋敷しもべ妖精にまた肩を揺らす僕は、知らないのだった。


「ああ!奥様!どうなさいましたか!奥様!このお客様は決して、決して奥様!ああ!」


母親と何かを言い争う屋敷しもべ妖精に、ジーブス嬢もとうとう気付く。かちゃん、と、彼女曰くはしたないらしいクィディッチよりももっとはしたなく音を立てて置かれたティーカップに眉を寄せながら、僕は祈った。どうかその言い争いが大きく渦を巻いて、そしてジーブス嬢が帰ることになるように、と。
しかし、そんな悪意のある、マクヘルガ家にそぐわぬ祈りをする魔法使いの願いを叶えてくれるものは、誰ひとりとしていないのだ。


「イアン坊ちゃんのお客様です!坊ちゃんのお客様なのです奥様!奥様!」


少なくとも、ジーブス嬢を帰しては、くれないのだ。



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