華の人 | ナノ
燃ゆる頃




22××年 本丸 男の部屋にて



「そうか、まさかあの人が、あの小夜左文字を知っていたとは……」


ず、と啜った茶の湯気が男の顔を曇らせたので、鶴丸国永には男の心の内を読み解くことが出来ない。


「そもそも、志乃が審神者になるくらいなら、あの新撰組のお三方や織田の殿様がなっても良いんじゃないのか」

「いや、歴史的に"死"が決まっているんだ。それを無かったことには出来ない。それを変えぬことがこの戦争の意味だからな。そもそも、審神者になれる素質がない」

「……志乃なら、歴史に名の無い志乃なら、荼毘にふしたことにして連れて行けると。志乃一人消えようと、歴史は変わらないと」

「ああ、調べてみたが、あの人が審神者になる未来を仮定しても、過去は変わらなかった。……鶴丸国永や、お前、納得していたんじゃなかったのか」

「分かってはいたさ、だが、これ以上あの子を、…………いや」

「……あの人が何だね。鶴丸国永」


縁側に座っていた蛍丸と秋田藤四郎は、じっと黙って庭を眺めるばかりで、口を挟むことはなかった。それは男と鶴丸国永にとっては好都合ではあるが、お互いの黒いものをただ曝け出し見られているかのようで、どうにも上手く言葉を吐き出すことが出来ない。冷静ではいられるものの、言葉を選ぶことに時間がかかりすぎると、鶴丸国永は些かもどかしかった。
しかし、事の一部始終を見ていた二振りを部屋から追い出すことは出来ない。鶴丸国永は頭を掻いて、男から目を逸らした。


「……あの子が、死ぬのは、嫌だ。あの娘は、良い子だ、そうだろう?」

「あの人を殺しはしないとも。ただ表向きはそうなる、それだけだ」

「だから、そうじゃなくてだな……!」

「分かっているとも、ああ、鶴丸国永」


分かっているよ。
男の嗄れた、疲れの滲む声に、鶴丸国永は口を閉じた。男が何を分かっているのか、勿論鶴丸国永には理解出来ない。しかし鶴丸国永は男がもう何年も戦争に身を投じてきたことを知っていて、それはこの先も続くのだ。鶴丸国永と男はこの本丸では一番長い付き合いであったが、それは男が初めて手にした打刀が折れた為である。鶴丸国永に土佐訛りで話しかけてきた刀剣のことを、鶴丸国永はよく覚えている。いつでも鍛刀出来るだろうその打刀を男が鍛刀しない訳が、鶴丸国永には分からなかった。今でなら、それが痛いほどに分かる。
──志乃も、きっと、出来ない。
男よりも志乃のことを考えてしまう自分に、鶴丸国永は首を傾けながら、何とはなしに、自分は戦場で拾われてきた身だからだろうか、と結論付けた。鍛刀され呼び起こされるのとでは、また違うのだろうと。


「……だが、もうあの子が此方側につくとは思えないぞ、主」

「…………そうだな」

「……明日、行くのか」

「ああ、行くとも。まあ、明日で最後になると思うが……蛍丸、秋田藤四郎、行くかね?」


男に呼び掛けられ、二振りは静かに首を振る。横に振られたそれに鶴丸国永は内心胸を撫で下ろした。
湯飲みを置いて、男は鶴丸国永を見やる。口は閉じられてはいるものの、その目が何を言わんとしているかは分かって、鶴丸国永はこくりとひとつ頷いた。


「ついていくとも、勿論」

「……そうか、そうか」


男が、ふふ、と、笑って腕を組むのを鶴丸国永は見ながら、明日で最後だろうという男の言葉を頭の中で繰り返し、そして奇妙にも胸が軋むのをひっそりと感じ、それでも何もない顔をした。何かあっては変ではないか、と思ったので、そういう顔をした。それもまた奇妙だと、奇妙なことばかりだと鶴丸国永は眉を寄せたが、それに男も、蛍丸も気付かず、秋田藤四郎は鶴丸国永を見てもおらず、一人と二振りは一振りの刀剣がその夜布団の上で眠れぬ夜を過ごすことも知らないのであった。



1732年 京 洛外にて




──ああ、なんて、美しく白い。
そうして眠れぬ夜を明かした鶴丸国永の目の下には、血色の悪い、淀んだ紫が透けている。しかしその上にある双眸には何の淀みもなく、薄い煎餅布団の上に座す志乃を爛々と見詰めていた。
鶴丸国永はてっきり、志乃は憔悴していることだろうと信じきっていたし、鶴丸国永の隣に座る男もまた、そう思っていた。だから、男と鶴丸国永は志乃の部屋を訪れた際、煎餅布団の上で涼やかな顔をして待っていた志乃に酷く驚いたものである。志乃は煎餅布団から出ることはなかったが、それでもぴんしゃんと薄く細い背中を真っ直ぐに立てるように伸ばし、まさに牡丹のそれであった。少なくとも、鶴丸国永にとってはそうであった。
ほう、と、思わず漏れた鶴丸国永のため息のような惚けた息が、志乃の衣擦れの音に重なり消える。志乃は指先の桜貝を揃えて頭を下げ、ばらりと下に垂れた髪が隠していた首筋が鶴丸国永からはよく見えた。長く此処で暮らす比丘尼の首は、この世のものではなく思えるほどに華奢なものだ。


「このような格好で申し訳ございません」

「いえ、いえ、私こそ、都合も具合も考えずに申し訳ない……。しかし、もうこれで最後ですので、どうか許して頂きたく……」

「……最後、と、仰られますと」

「いえ、ね、こんにちまで、言ってきた通りです。分かっておられると思いますが、答えを聞きたく思っておりまして……」


男が節操を貫き、話題を切り出した。もうなのか、と、鶴丸国永は胸の内で惜しむ声を漏らしながら、膝を向き直らせた男に倣い姿勢を正し、志乃に向き直った。
桜貝を膝に戻した志乃が、全てを悟ったように男を見やる。相も変わらず涼やかな顔をしていたので、まるで昨日のことなど無かったかのように思えてしまう。しかし、志乃は鶴丸国永を見、そして"鶴丸国永"を見、睫毛を震わせて頭を垂れる。
──それで良い、それで良いのだ。
頭が振られるのを、鶴丸国永は待っていた。そして恐らくこの先、いつの世になろうと自分と志乃は会うことは無くなるだろうが、それで構わないと思った。だというのに、胸にせり上がる、奇妙な痛みは何なのだろうか。自ずと握りしめた拳にはたと気付き、鶴丸国永は焦るような気持ちでその手を膝に擦り付ける。汗ばんだ掌はどこまでもひやりと冷たく、未練だらけに見えた。


「そのお話、是非に、お受けいたします」

「ああ、いえ、構わないのです、全く、いや、いや、……いや、え?」

「私なぞで役に立てるか分かりませんが、志乃、この身をかけて戦いましょう」

「いや、いや、そんな、まさか、あなた、」


鶴丸国永は、顔を上げて志乃を見る。黒目がちな双眸は戸惑い喉を震わせる男を見ていたが、鶴丸国永の視線に気付くなりゆっくりと瞬きをひとつして見せて、再度桜貝を揃えて頭を垂れる。その姿を呆然と眺めていた鶴丸国永であったが、目を見開き狼狽える男が後退る代わりに前のめりになり、鶴丸国永は志乃の肩を掴んだ。
顔を上げた志乃が、鶴丸国永を見上げ、射抜いた。鶴丸国永の手は、加減を忘れて志乃の肩を掴んでいた。


「き、君は、自分が何を言っているのか分かっているのか!」

「分かっております。審神者に、なりましょう」

「そんな、まさか、いや、分かっていない、どういうことか分かっていない!今からでも良い、取り消すんだ、やっぱりやめると言うんだ、早く!」

「つ、鶴丸国永、離せ、これ、そんな、」

「私は、なります。審神者に、なります」

「やめろ、止めてくれ!言うな!」


言霊だ。志乃は確かにその言葉にはっきりとした念をのせて、口にしていると鶴丸国永には分かってしまった。一度吐き出した言霊は取り消せず、呪いのように志乃の身をがんじがらめにしてしまう。志乃のそれは、並のものではなかった。
鶴丸国永の手が、志乃を揺さぶる。男が慌てて間に入り鶴丸国永を引き離すが、鶴丸国永は必死に志乃に手を伸ばし、目には見えぬが志乃に巻き付くそれを剥がそうとした。しかし、志乃は涼やかな顔をして口を開く。審神者になる、と繰り返す。
青白い志乃の顔は、今や紅潮し、双眸は潤んでいる。鶴丸国永は男に羽交い締めにされ尻餅をつき、荒く息を吐いた。


「分かって、いない、分かっていないんだ!君は、死んだことにされるんだぞ?この世から離れた場所で、戦の為に飼い殺されるんだ!」

「分かっております」

「もしかすると、死ねないかもしれない、歳もとれず、縛り付けられるかもしれない、終わらない戦の中で、命を燃やすことも、枯らすことも、」

「はい。分かっております」


掴まれていた肩を、桜貝の指先が撫でた。鶴丸国永はそれでも志乃に手を伸ばし続けたが、主には逆らいきることも出来ず、情けないことに声を震わせることしか出来なかった。


「会えなかったら、どうする?会えたとしても、覚えていなかったらどうする?」

「これ、鶴丸国永、もう、」

「"小夜左文字"が君を必要としていなければ、どうするつもりだ!」


──やってしまった。
鶴丸国永が気付いたのは、志乃の双眸が揺れ、唇が白く噛み締められたのを見てからだった。しかし、鶴丸国永は吐いた言葉をやはりどうすることも出来ないし、否定することも出来ない。


「……それも全て、承知の上のこと」


志乃の双眸から、滴が落ちることはなかった。
ぶるぶると身体を震わせ、志乃は牡丹のそれになる。膝に重ねて置かれた白い手は徐々に震えを潜め、志乃はゆっくりと息を吐いた。そうして初めて鶴丸国永は、がんじがらめであった言霊が志乃を牡丹のそれにしているのだと、漸く気付いたのである。
志乃は、生きていた。


「もとより、四度目の冬、私は自害するつもりでおりました。和尚様も、妖達も、承知のこと。私は、あと五月で、そうするつもりでおりました」


ふ、と、息をひとつ。志乃は瞼をおろし、胸を押さえ、鳩尾に手を当てる。男と鶴丸国永は、そこに在ったはずの刀が見えるかのようだった。


「例え私の元に来なくとも、会えずとも、私があれの為に戦えるのであれば、何と幸せなことでしょう。あれが私を必要としていなくとも、それでも良いのです。いえ、卑しいことを言うと、会いたいというのが本音でありますが、けれど、それでも、私は、私は、」


いもしない何かを抱き寄せるように志乃は腕を動かして、また鳩尾に手を当てた。鶴丸国永はおかしなことに、視界が揺れて、酷く息苦しくてならなかった。胸の内で、自分が強く叫んでいる。しかしそれを声にしてはならないと、鶴丸国永は分かっていた。


「私は、あれの為なら、小夜の為なら、死ねるっ……」


──ああ、俺も、この娘に想われたい。
初めからきっと、鶴丸国永はそうだったのだ。緩まった男の腕から放されながら、鶴丸国永は頭を抱えた。そうして漏らした嗚咽ともため息とも区別のつかない空気の震えは押さえきれない思慕で、鶴丸国永はどうしようもなく喉の奥が痛んだ。
美しいと思ったのは、そういう訳であったのだ。此方側に引きずり込むことを良しとしないにも関わらず切なさに食い殺されたのは、つまりはそういう訳であったのだ。鶴丸国永は、すとんと自分の気持ちが落ちるところに落ちた音を聞いた。おさめ処を知ったところで何が出来るわけではなかったが、奇妙だと感じていたもの達は奇妙さを消して、鶴丸国永の内に落ちていった。
男が、草臥れた裃をしゃりしゃりと鳴らし、前のめりに膝を揃えた。鶴丸国永はその場でだらしなく胡座をかき、肘をつく。


「しかし、審神者になれば、本当に、もう、此処には……」

「……あれと、約束を、しました」

「約束、ですか?」


志乃が、美しく笑う。鶴丸国永は頭を掻き毟りたくなる衝動を抑え、ふふ、と笑う志乃を見詰めていた。


「はい、ずっと共に、一緒にいると、約束しました」


──小夜がそちらにいるのなら、私は迷いません。
志乃は言って、目を細める。男と鶴丸国永は何も言えず、息を飲む。お上に下りもう会えぬと知った志乃は比丘尼となり俗世を離れ、そして"小夜左文字"のためにこの世を離れ、戦に飛び込むことを厭わない。志乃はもう決めたのだと、男と鶴丸国永は分からずにはいられなかった。


「どうか、私を審神者にしてくださいませ、柳様」


そ、と垂れた頭に、男は慌てたように膝で立つ。男に顔を上げてくれと頼まれた志乃はふふふと笑い、そうして鶴丸国永を見た。
鶴丸国永は、ただただ美しくそこにある志乃を見詰めていた。


一七三二年、師走である。
髪を切り落とし直したばかりの志乃の後ろ姿を眺めたまま、鶴丸国永は白く上る自身の息を手で払う。本堂の奥で正琴と男は志乃のこれからを話し合っていて、笠を頭に蓮の沼を見下ろす志乃の背中は待ちくたびれているようにも見えるし、名残惜しんでいるようにも見える。鶴丸国永はそんな志乃に歩み寄り、隣に立った。白く化粧のされた丸石は、足音を立てなかった。


「いよいよだな。やあ、どういう気持ちだ?楽しみか?それとも怖じ気付いたか?」


意地の悪いことを、と鶴丸国永は思ったが、しかし自分の胸の内に蓋をして隠した気持ちががたがたと煩く騒いで口を勝手にそう動かすのだから仕方ない。文月から師走まで、志乃が本来この俗世から消えるつもりであったこの日まで男とあしげく通った鶴丸国永は、すっかり意地の悪い付喪神となっていた。
志乃は笠を持ち上げて、鶴丸国永を横目に見る。薄く笑んだその顔に怯えはなく、穏やかだった。


「……初めてお会いした時のことを、思い出しておりました」

「…………ああ、そういえば、あの時俺はここに立って、そうだ、君は冷たく、それに触るな、なんて言ったな」

「冷たくなど、……ありましたかね」

「ああ、冷たかったとも」


──本当は、涼やかな声だと、思ったが。
沼の底から、主がぬっと顔を出す。志乃をその目にうつし、ゆっくりと沈んだそれは、二度と志乃を忘れはしないだろう。そうして志乃もそれを忘れはしないのだ。
鶴丸国永は、そっとそこにしゃがみこみ、明日には凍るだろう沼を眺めた。また夏になれば蓮がそこに咲き誇るが、志乃も鶴丸国永も、それを見ることはない。もの悲しさを覚え、鶴丸国永は頭を振った。


「あの時、私は酷く、後悔いたしました」

「後悔?」

「はい。……きっと、触れることは出来ぬのだろうと、私もあれも、信じきっていたので。もしもそうでないと信じていれば、どう、なっていたのだろう、と」

「…………すまない、よく分からないんだが」

「ふふふ、それで良いんです」


笑って、志乃は鶴丸国永から目を逸らす。ふと振り返れば本堂から男が出てきたところで、和尚は小さく志乃に頭を下げ、志乃もまたそれに応えるように笠を外し、頭を垂れる。それから志乃は視線を上にずらし、そこにうねる烏天狗の群れを見た。最後まで、あれらは志乃を見守っていた。
文月よりは草臥れていない、綿入りの裃に身を包んだ男が歩いてくる。男は機嫌良く目を細め、志乃の肩を叩き石段を下りていった。石段を下りきって山門を潜れば、そこはもう政府の本部である。志乃はそこで暫く身を寄せて、審神者になるため育てられるのである。とは言っても、もう殆ど教えることはない、というのが政府の見解であったが、志乃は現代語が分からない。故に、志乃が教わるのは現代語のみというおかしな話であった。男の機嫌が良いのは、それを任せられたのが自分だからである。これで戦の負担が減る、というのは、鶴丸国永にとっても楽で良い話だ。
志乃と鶴丸国永は、並んで石段を下りていく。そうしながら鶴丸国永が思い出すのは先程の志乃の言葉で、今更ながら、あ、と思うものがあった。
鶴丸国永は、蓮の沼の前で、確かに志乃に触れていた。


「なあ、もしかするとさっきの話は、初めて会った日の話か?俺が、君の手をとった時のことか?」


志乃の長く真っ直ぐな睫毛が、此方を向いたので、鶴丸国永はそれに見とれて足を滑らせぬよう、一度立ち止まる。一段先に下りた志乃もそこで立ち止まり、鶴丸国永を振り返った。


「ええ、そうですよ」

「そうか。……今度はちゃんと、触っておくんだぞ。手を、離してはならないぞ。まあ、会えたら、だが」

「ええ、そういたします。もう、触れられます」


言って、志乃は石段を下りていく。一番下で待つ男は一人と一振りを見上げていたが、急かすことはしなかったので、志乃も鶴丸国永も、随分とゆっくり下りていった。
鶴丸国永は、志乃の言葉にまた念がのせられていることに気付いていた。そうして自分を支えているのだと思うと鶴丸国永はどうにも苦しくなって仕方ないのだが、志乃の背中を見下ろすことしか出来ない。志乃の言霊は、強かった。だからこそ、今まで"小夜左文字"に触れることが出来なかったのだろう。そういうものだと、志乃も"小夜左文字"も信じていたのだから。


「なあ、志乃」


あと十段、というところで、鶴丸国永は志乃を呼び止めた。志乃は笠を持ち上げ振り返り、どうなされましたか、と微笑んだ。
鶴丸国永は、そうっと息を吐く。それは一見して、ただの息であったし、何存在意義ももたない。しかし鶴丸国永はそこに明確な意志をもって、念を込めて、志乃を見下ろしていた。


「必ず、会える。志乃は必ず、小夜左文字に、会えるさ」


志乃の双眸が、ゆらりと光り、震えるように頷いた。鶴丸国永の言霊は、志乃の背中を支えるに価するか、志乃も、鶴丸国永ですらも分からない。しかし鶴丸国永が志乃に出来ることはこれのみであって、他には何も無かった。
鶴丸国永は志乃に追い付いて、一人と一振りの足が揃って石段を下りていく。それを見た男は一足先に朱色の山門を潜り抜け、そうして其処から消えた。
揺らぐ景色の向こうを見て、鶴丸国永は奥歯を吐く。志乃とは、また会える。しかし此処を出てしまえば何かが変わってしまうのは明らかなことで、酸いばかりではあるが鶴丸国永にとって手放し難い日々は、過去のものになるのだった。


「あ、そういえば、」


ぴたりと山門を前にして足を止めたのは、志乃であった。
山門を潜ろうとしていた足を、鶴丸国永は慌てて引っ込める。何だ何だと少しばかりさめた気持ちで志乃を見やれば、志乃は鶴丸国永を天辺から爪先まで眺め、口許を押さえた。その意味が鶴丸国永にはてんで分からず、はて、と首を傾ける。


「なんだ、どうかしたのか」

「いえ、そういえば、小夜と別れたあの日、嫁いだあの日、私は金糸の鶴を纏っていて……」


志乃はそこで言葉を千切り、鶴丸国永を見つめる。鶴丸国永はくしゃと破顔し、まさか俺を縁起の悪いものに思っているのでは、と志乃の背中をどんと叩いた。


「それなら、一度切ってしまった縁を結ぶのもまた、鶴かもしれんな!」


言って、鶴丸国永は志乃を見る。ふふふ、と笑った志乃はやはり鶴丸国永にとって美しく、鶴丸国永は、せめて何処かの自分が志乃と小夜左文字とを繋ぐことを願って、がたがたと煩い胸の内の蓋を押さえつけた。
志乃の頼りのない肩に腕を回し、鶴丸国永は志乃の横顔を盗み見た。白い頬に唇を寄せたくなるのは、花を愛でるように、歩く姿が百合のそれに見えるからだろう。そうでなくてはやるせないと、鶴丸国永は此方に笑ってみせた志乃を見る。


「鶴の取り成す縁とは、さぞ美しいものでしょうね」


昔は随分と神に嫁ぐ娘が多かったのは、人も妖も神も混沌としていたからかもしれない。鶴丸国永はそれでもどうしようもない、くだらぬことを思いながら、志乃の椿の匂い立つ髪に鼻を寄せ、笑いを抑えるような声で言った。


「そういえば志乃、気付いていないようだったが、君を何度か拐かそうと来ていたあの稲荷、小狐丸という刀剣だったんだぜ?驚いたか?」

「……そんな、あれが、」

「はっはっはっ!さてさて、まずはあれとの縁を結んでやろうか。あれは良いぞ、審神者ならば誰もが欲しがる素晴らしい太刀だ」


目を丸めた志乃に、鶴丸国永はひっそりと笑い、一人と一振りは山門の向こうの揺れる景色に飲まれて消えた。




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