華の人 | ナノ
散ゆる頃





22××年 本丸 西 短刀部屋にて




「何だと!?おいおい、主には俺というものがありながら今日は薬研を!?連れて!?行っただと!?」


鶴丸国永の喚きに、薬研藤四郎は耳を塞ぐ。そんな薬研藤四郎を捕まえて身体を揺さぶる鶴丸国永は、端から見れば大人気なく、情けのない姿でもあった。
出陣から帰って来たばかりだというのに、よくもまあ。そういった乱藤四郎や秋田藤四郎の視線を受けながら、鶴丸国永は薬研藤四郎を離すなり唸り声を上げながらその場にしゃがみこんだ。場所は本丸は西、短刀達に与えられた部屋の前である。鶴丸国永は鶯丸が男に出陣の成果を伝えに行く代わりに、共に出陣した短刀の二振りを部屋まで送りにきたのであった。それがまさか、こんな結末になろうとは。
──今日は、行けなかった。
部屋に着くなり薬研藤四郎の持っていた茶筒が気になり、それはどうしたのかと訊ねたのは鶴丸国永本人であった。まさか薬研藤四郎が男に付き従い京は洛外を訪れたとは知らず、鶴丸国永はそれを薬研藤四郎の口から聞かされたのである。土産に持たされたらしい、いつか茶柱の立ったその茶は勿論鶯丸にもあるらしいが、それは今、鶴丸国永にとってどうでもいいことであった。


「お、おう、鶴丸の旦那、どうした……」

「どうしたもこうしたも、ああ、うう、今日一の驚きだぜ……」

「……そういや、比丘尼のあの人が鶴丸様は、と俺に訊いてきたが、成る程、いつもは旦那が付き添ってたのか」

「え!何それ!それってあのお寺のこと!?狡いよ!僕そんなの聞いてない!」

「当たり前だ、言ってなかったからな!」

「ええ!もう!酷いよ!秋田、こんなやつ殴っちゃお!」

「えっ、なになに?え?」


薬研藤四郎が、茶筒をかさかさと縦に振る。それだけで茶の匂いが漂って、しゃがみこんでいた鶴丸国永の背によじ上り拳を振り上げていた乱藤四郎と、事を飲み込めずに手を彷徨かせていた秋田藤四郎は薬研藤四郎を振り返る。そろそろと顔を上げた鶴丸国永は、沈んだ茶柱を思い出した。


「じゃあ、つまり、これはあんたに、だな」

「……俺にと言っていたか?」

「いんや。ただ、二つ用意されてたんでな。大将と、あんたの為に用意したんだろう。ま、大将は鶯丸の旦那にやるって言ってたけど」


ほら、と、薬研藤四郎は名残惜しげもなく茶筒を鶴丸国永に差し出して、鶴丸国永はそれを受け取る。狡い、とまた乱藤四郎はぼやいたが、それを嗜めたのは薬研藤四郎であった。
かさかさと、鶴丸国永もそれを縦に振ってみる。誰かが奉納したものか、それとも志乃の父親が志乃に送って寄越したものか。俗世から離れたといえど、一人娘を死んだものとして受け入れることは出来ないだろう。鶴丸国永は茶筒から立ち上る匂いにいもしない誰かを思い浮かべて、それを袖口に突っ込んだ。


「仕方ない、これで許してやろう」

「へえへえ。もう行くことはねえから安心してくれよ」

「ん?何だ、てっきり明日からは争奪戦になるかと思ったが、そうでもないのか」


もっと引き下がると思っていたが、と、鶴丸国永は潔く引いた薬研藤四郎に目を丸くする。それに薬研藤四郎もまた目を丸くし、鶴丸国永を見上げた。


「何だ、俺はあんたがわざわざ引き受けてくれてたもんだとばかり思ったんだが違うのか?」


何でまた、そんなことを。鶴丸国永が疑問に思う中、だってよ、と薬研藤四郎は続ける。


「俺が行った時、えらく真っ白い顔で震えてたから、怯えられてるもんだと……。あんたが怯えられる嫌な役を受け持ってくれてるんだと思ったんだが……」

「……ほ、ほう?」


かさかさと、首の裏を掻けば袖口の内側で茶筒が鳴って、鶴丸国永は妙にそれに気をとられながら首を傾けた。薬研藤四郎の顔はえらく真剣そのもので、とても嘘を吐いているようには見えない。笑える嘘を吐くことはあるものの、質の悪いそれを言うような薬研藤四郎ではないことは、鶴丸国永もよく知っていた。
乱藤四郎と秋田藤四郎は、顔を見合わせてその場に立っている。後であのお茶いれてもらおう、という秘密にならない内緒話が鶴丸国永の耳には届いていて、鶴丸国永はひきつったように唇の端を持ち上げたのだった。



1732年 京 洛外にて




志乃は、初めて会った日と、それから三度目に会った日と同じ死装束のような白いそれを着て、鐘楼を掃き清めていた。その姿を住職である正琴と男と鶴丸国永が縁側に並んで座って、湯飲みを手に眺めていた。
男が鶴丸国永を連れて此処を訪れたのは、三日ぶりのことであった。薬研藤四郎を付き従えて訪れた二日前、志乃は酷く憔悴しきった顔をして、茶筒をふたつ、藤色の風呂敷に包んで渡すなり奥へと引っ込んでしまったらしい。どうしたのだろうか、と男は心配に思いながらも、ただ事ではない予感に試しに一日空けてみたのだが、男が石段を上ってくる姿を見付けた志乃は一瞬の間桶を手に立ち止まったのみで、後ろから一段飛ばしで駆け上ってきた鶴丸国永を見るなり、常の働き者の比丘尼の姿がそこにあった。
主と薬研藤四郎の杞憂では、と、鶴丸国永は思う。修行僧に何かを言って箒を動かす細い志乃の姿はとても憔悴しているようには見えず、季節外れの病でも貰ったのでは、と、湯飲みの中身を傾けながら考えた。


「正琴殿、志乃さんは、」

「ああ、具合でも悪かったのでしょう。昨日にはすっかり良くなりまして、朝から働いてくれていましたよ」

「そうでしたか、いや、具合の悪い時に申し訳なかった……。こうも連日来られれば、気も詰まると分かっているのですが……」

「分かっております、あの娘を此処から連れ出して下さるおつもりなのでしょう。出家をしたとは言え、あの娘を惜しむ者は多い」

「と、言いますと、」

「お父上もお母上も、よく私に文をくださる。丁稚が、今は手代でしたか、その足で届けてくださいますが、帰りには必ずあの娘を影から覗き見て、涙を飲んで帰りますよ」


正琴は丸々とした手を重ねて、志乃を慈しむ目で眺めた。冬が来れば四年、正琴は志乃を此処で見守ってきたことになる。鶴丸国永にとってそれはうたた寝ほどの年月でしかないが、正琴や、ましてや志乃にとっては長いものである。それを遠くから想う周りの人の数を考えて、出家とはなんと惨いものかと鶴丸国永は湯飲みを置いた。生きながらにして死んでいるようなそれに、飲んだ茶の渋味も甘く感じる。
──本当に、具合が悪かったのか。
怯えられた、と言ったのは、薬研藤四郎であった。弟達の面倒をよく見る、気配りの上手い薬研藤四郎である。鶴丸国永には薬研藤四郎の言葉が正しいように思えて、正琴と男を横目に後ろ手をついた。胡座をかいて座れば男は、これ、と鶴丸国永の膝を叩いたが、それ以上何を咎められるわけでもなく、鶴丸国永はそのままの体勢で黒いうねりのようにも見える烏天狗の大群を見た。鐘楼の上に渦巻くように飛ぶその姿は、一見して志乃か修行僧を拐かそうとしているようにも見えるが、実のところ、志乃をただ見守っているのである。鶴丸国永にとって、それはもう見慣れたものだった。


「ああ、終わったようですね」


正琴の言葉に、鶴丸国永は視線を下にずらす。箒を手に躑躅の緑を抜けて此方にやってくる志乃と修行僧の姿に鶴丸国永は手を振って、それに何故だか修行僧が手を振り返す。一歩後を歩いていた志乃は頭を一度垂れただけで、手を振り返すことはなかった。


「やあ、酷いな君は。折角手を振ってやったというのに、無視とは驚いた」

「申し訳ございません。和尚様、茶をいれ直しましょう」

「そうだな。しかし私の分は良い、これから出掛けねばならない。茶も他の者にいれさせよう。お前は此処で休んでおいで」

「……お見送りは、」


志乃の言葉を正琴が遮るように手を出せば、修行僧が志乃の手にあった箒をとり、私が茶を、と一言、駆けていく。出来た修行僧だ、と鶴丸国永は胡座をかいたまま感心して、自分に茶をいれることを強いた乱藤四郎を思う。
立ち上がり、それでは、と頭を垂れて行ってしまった正琴をその場で見送り、しゃり、と衣擦れの音を鳴らして志乃は縁側に座る。途端、男はぶるりと身体を震わせて、ごほんとひとつ咳払いした。


「……すまない、厠へ、いや、申し訳ない」

「いえ、本堂を過ぎて奥を突き当たりましたら、左手にお進みください」

「や、本当に、申し訳ない」


どうやらもよおしたらしい。
恥ずかしげにそそくさと立ち上がる男の草臥れた裃の背中を、志乃の涼やかな声が追いかける。右手を振って何度も謝る男の湯飲みは、とうに空だった。
──二人きりに、なってしまった。
思わぬところで二人残され、鶴丸国永はつい視線を泳がせる。本来ならば二日前、男が薬研藤四郎を連れて此処を訪れた時に、本腰を入れて志乃を此方に誘い込む予定であった。しかしそれは叶わず、今に至っている。
男が戻る前に、自分だけでも志乃を上手く説得してみようか。鶴丸国永は考えるように腕を組んで、自ずと姿勢を正す。何とはなしに鶴丸国永を見た志乃に、鶴丸国永はぎくりと妙に緊張しながら、慌てて顔をそらした。何をしているのだろうか、と、鶴丸国永はまた慌てたが、盗み見た志乃は平然と鐘楼を眺めていたので、杞憂だったかと前に向き直った。
そこでふと、先程胸の内にあった違和を吐き出してみようと、鶴丸国永は思い付く。


「なあ、一昨日、俺が来なくて驚いたか」


何と言えば良いのか、鶴丸国永は一瞬の間悩み、結局言葉遊びも何もない、くだらない会話の切れ端を吐き出した。もっと気遣うような言葉はなかっただろうか、と鶴丸国永は思ったが、口に出してしまった以上それを引っ込めることも出来ず、志乃の返事を待つ他ない。


「…………大変、驚きました。折角、土産に、以前仰られていた茶を用意いたしたのですが……」


しかし、ことのほか志乃は動揺することなく、涼やかな声で返した。鶴丸国永は内心ほっとして、志乃の方に身を詰める。


「あの茶、いれてみたがどうにも渋くなる。本当に同じものか?」

「受け取られたのですか」

「ああ、ほら、俺の代わりに来た小さいのがいただろう。彼奴は気前が良いからな、俺に、」


今続けようとしたばかりの言葉を、鶴丸国永はすっかり忘れてしまった。
目の前で、志乃の白い頬に青が透けて見える。膝に重ねてあった手は文月だというのに寒さに凍えるように震えていて、鶴丸国永はつい、手を伸ばしてしまう。寒い時は人肌がぬくいのだと、秋田藤四郎が蛍丸に教えていたことを、鶴丸国永はぼんやりと思い出していた。
掴んだ手に驚いたのは、一人と一振りであった。黒目がちな双眸が、怯えを潜ませて見開かれている。まるで盗人に出会したかのような青白い顔に鶴丸国永は訳も分からないまま窮屈な思いを感じ、掴んだ手をきつく握りこんでしまう。しかし、志乃はますます青白くなり、震え、とうとう黒目がちな双眸から、ぽろりと滴を溢したのだ。


「お、あ、俺、」


──言え、何か、言え!
鶴丸国永が意味もなく口を開閉させている間に、志乃はさっとその手を引いて、頼りなく立ち上がる。しゃり、と響いた衣擦れの音でさえ頼りなく、鶴丸国永は咄嗟に手を差し伸べたが、志乃がそれをとることはない。


「茶を、いれて、参ります」


まるで滴など無かったかのように、志乃はやはり涼やかな声で、顔で、ぽつりと呟いた。鶴丸国永はそれが志乃から作られた壁なのだと直ぐに理解し、頷くことしか出来なかった。
しゃりしゃりと、衣擦れを響かせ志乃は廊下を行く。茶を盆に乗せた修行僧とすれ違ったが、志乃はそれでも歩みを止めなかったので、鶴丸国永は背中を丸めて修行僧を迎えた。


「あの、お茶を、お持ちしたのですが……」

「ああ、すまない、頂こう」

「はい」


鶴丸国永がこたえれば、修行僧は安堵したかのような柔らかな笑みで頷き、鶴丸国永の前によく冷えた茶を置いた。文月にはちょうど良い茶が、しかし今の鶴丸国永にとっては冷たすぎる。
──さて、主にどう説明するか。
恐らくもう戻ってはこないだろう志乃を思いながら、鶴丸国永は男にどう謝れば許してもらえるのかを思案する。それに気付かず男と、それから志乃の分の湯飲みを縁側に置いていく修行僧の丸い後ろ頭を見ながら、鶴丸国永はそうっと、ため息を飲み込んだのだった。



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