華の人 | ナノ
蕾の頃





1732年 京 洛外にて



「はあ、なんと、見事な蓮だなあ」


鶴丸国永の白く細い喉が吐き出した感嘆は、のたのたと前を歩く主の男の広く丸まった背中に跳ね返り、蓮が飲み込んでしまったかのようだった。
男の草臥れた裃が何処かへ行ってしまっていないか時折視界の端に入れながら、鶴丸国永は境内に咲き誇る蓮を眺める。ちゃり、と丸石を踏みしめる音もまた風情だ、と首裏を掻きながら鶴丸国永は考えて、その足は自然と歩みを疎かにしていた。


「これ、鶴丸国永、おいで」

「ああ、悪い悪い。だが、こんなに見事な蓮を楽しまない馬鹿は君くらいじゃあないか?」

「おおお、なんと、主である私を馬鹿と?貴様、帰ったら覚えておくと良い。朝も夜もなく戦に放り込んでやる」

「や、すまない!悪かった!俺が悪かった!」


袖をぶわりと膨らませるように、鶴丸国永は両腕を大きく振って顔の前で手を合わせる。大袈裟とも言えるそれに男は皺のある目尻を親指で撫でながらちゃりちゃりと丸石を踏んで、鶴丸国永など目に入らぬとばかりに先を急ぐようにさっさと背を向けた。
──そうだ、これはただの散歩ではなかった。
今更になり、鶴丸国永は思い出す。参道から逸れて奥へと進んでいく男の背中を追い掛け、此処へ来るまでのやりとりを鶴丸国永は思い返し、また首裏を掻いた。




「主、俺達って、ちゃんと人に見えてるよね?」


事の始まりは、遠征から帰還し、その腕に抱えていた資材を男に確認させるべく部屋を訪れた蛍丸の一言だった。
京は洛外から蛍丸達と共に、そして何故だか茶葉と共に戻った鶯丸が、蛍丸の言葉に部屋を先に出ようとしていた足を止め振り返った。廊下に控えていた乱藤四郎と薬研藤四郎が開け放された襖から顔を覗かせたところで男は近侍の鶴丸国永に資材を押し付けながら顔を上げ、蛍丸を見た。


「……刀、ではあるが、人、だなあ、鶴丸国永?」

「おう。俺にもそう見えるが……まあ……」


何かあったのか、と、男は鶴丸国永の尻切れ蜻蛉の言葉を覆い隠すように蛍丸に問い掛ける。それに顔を見合わせたのは、蛍丸と乱藤四郎に薬研藤四郎であった。
刀剣男士というものは、例え時代にそぐわぬ衣服に身を包んでいても何とはなしに受け入れられるものらしい。付喪神という存在であるからなのか、只の人から見れば目に留まらないのか、乱藤四郎が脚を出していようと、京の町人達は不思議と振り返らない。しかし目に見えない訳ではなく、端整な顔立ちをした鶯丸には何度となく娘達が頬を染めて、立ち止まるのだ。
だが、それだけと言えばそれだけで、まるで刀剣男士達はその時代の人のようであった。もしかすると、京の人々にとっては少しばかり華美な裃に身を包んだ武家の人間に見えているのかもしれない。


「……今日、洛外にあるお寺まで行ってみたんだ。ほら、前に、太郎太刀達があの辺りから何かを感じるって言ってたから」

「……言っていた、かな?」

「おいおい、しっかりしてくれよじいさん」

「私はまだ四十だ鶴丸国永。寝ずに働かされたいのならじいさんと呼んでも良いが」

「いや、すまなかった、悪かった。……あれだ、十日ほど前に太郎と次郎が、何かが集まっているとか、それだろう?」


頷く蛍丸に、どうだ、と鶴丸国永は笑みを浮かべて男を見る。男は鶴丸国永を見ることはなかったが、空気の震えや匂いで読み取ったらしい。機嫌を損ねた顔をして鶴丸国永の膝を拳で叩いた男は短い悲鳴を上げた鶴丸国永を放って、ほう、と蛍丸に膝をつき合わせるように座り直した。


「それで、行って、どうだった。何かあったんだろう」

「……うーん……。鶯丸」

「そうだな、確かにあったぞ。妖ばかり、寺にいたな」

「お!と、なると、化け寺ということか。敵ではなかったんだな。いやあ、良かった良かった」

「鶴丸国永、お前は少し黙っていなさい。それで、お前達はどうしたんだ」

「うーん、それが、ね?」

「ああ、な」


今度は蛍丸と鶯丸が顔を見合せる。
茶筒をこつんと爪で叩いた鶯丸は男に向き直り、双眸は右を向き左を向き、最後に天井を向いた。男と鶴丸国永は、そんな鶯丸の口が開かれるのをただ黙って待っている。急かせばわざと話を逸らし弄ぶのが鶯丸で、話す気が無いのならと主導権を奪えば顔にこそ出さないものの機嫌を損ねるのが鶯丸だった。
茶筒を包むように持った鶯丸が、ふむ、とひとつ息をつく。やっとか、と思ったのは、恐らく一人と四振り、鶯丸以外の全員であった。


「なに、寺に妖がいるとは珍しいと思ってな、乱も薬研も気になる様子だったので、見に行ったんだ。ああも怪しいから、敵の根城のようなものかもしれないからな、と。まあ、そこにいたのは俺達のことが見える髪を落とした娘だったんだが、凄かったぞ。山のように妖がいたんだ。家鳴りも小鬼もいたな。木魚の付喪神もいたんだが、頭が丸くて眩しかった。そうだ、烏天狗を見たのは初めてだ。何せ烏天狗は山を離れることは無いと聞いていたからな。恐らく大包平も驚くだろう。凄かったぞ主、烏天狗は此方に気付くなり飛んでいってしまったが、凄かったぞ」

「う、ううむ……?」

「おっと、思ったより纏まってないぞこりゃあ。蛍丸」

「結局俺かあ……まあ良いけどさあ……」



蛍丸が言うにはこうだった。
まるで妖の住処のようなその寺は山門を潜るなり空気は澄みきり、喧騒から遠く離れた場所であった。しかし妖がいるのは奇妙だと四振りが参道を進み蕾の蓮が所狭しと並ぶ境内の奥には薙刀を振るう娘とも女とも言い難い比丘尼と、それを縁側に座り見守る僧が四人とがおり、比丘尼を見守るようにして妖達はそこにいたのである。
急な来客に腰を上げた若い四人の僧は穏やかな物腰で四振りに歩みより、妖をするりと通り抜けていく。いもしない敵の足を狙うように薙刀を振るった比丘尼は時折足下で跳ねる家鳴りを器用に避けながら、そして四振りを見て言ったらしい。


「……形を成した付喪神だなんて、いるものなのね」


付喪神であることを見抜かれ焦った四振りが逃げるようにその寺を出たことで事なきを得たが、蛍丸達四振りはそれを主である男に告げる他なかった。

さて、一部始終を聞いた男はその後、蛍丸達の証言をもとに本部へと連絡したのだが、返ってきたのは「最後まで調べてから連絡してこい」との何とも冷えに冷えた言葉のみであった。表面でこそ平和は保てているものの、戦争の真っ只中、政府が人員をそちらにさく訳にもいかないのが実のところである。
件の比丘尼は審神者になりうる人材かもしれない、と両の意見が合致したのだが、それを確かめるのは男の役割となってしまったのだった。
そして、普段から重い男の腰は渋々上がり、一七三二年の京は洛外へと話は戻る。


「それにしても、その比丘尼とやらはどこにいるんだ?」

「さてな。しかし、蛍丸達が言っていたような妖は見えないが……時代を間違ったのか」


それとも、他の誰かが同じように見つけて、何かをしたか。
男の顔が思案に染まるのを見た鶴丸国永は、真似るように顎に手を当てながら境内を見回す。蛍丸達四振りが来た頃は蕾だったらしい蓮は見事咲き誇り天を見上げていて、鶴丸国永も思わず顔を天へと向ける。寺だからだろうか。ともすれば男に付き従い出向いた政府の本部よりも澄んだ空気に思えると、鶴丸国永は考えた。


「まあ、いい。一度奥で訊いてくるとしよう。鶴丸国永、お前は此処で待つように」

「何てこった、こんな何も無いところで俺を待たせるつもりかい?」

「何も無い、ということもない。見事な蓮だろう。それを楽しまぬは馬鹿、だったか」

「…………君は根にもつなあ。分かった、此処で待っている」


草臥れた裃の背中が愉しげに揺れたのを、鶴丸国永は見逃さなかった。しかし鶴丸国永は黙ってその背を見送り、腕を組んでその場に立つ。
やはり蓮は、見事だった。
白い爪先で先へ進んで、蓮のすぐ側に立つ。此処を掘れば美味い蓮根がとれそうだとも考えながら、鶴丸国永は蓮の花を上から覗きこんだ。そして、鶴丸国永の白い顔はみるみる紅潮する。
──なんと、この蓮は生きている。
覗きこんだそこに惚けた顔で座っていた小さなそれ、蓮の命そのものである、自分と変わらぬ存在に驚きと奇妙な喜びで染まった頬を抑えるように口を引き結び、鶴丸国永は食い入るように蓮を見つめた。蓮の中に座る、付喪神とはまた違うがそれに近しい存在は鶴丸国永に気付きはしたものの、蓮と同じく天を見上げただけで、何を言うでもするでもない。


「その子に触れられませぬよう、御武家様」


ちょい、と思わず指先を差し出した鶴丸国永を止めたのは、涼やかな女の声だった。
鶴丸国永が振り返った先に、白く粗末な、死装束にも見える小袖で身を包んだ比丘尼が立っている。いつ髪を落としたのか、中途に伸びたまま纏められることもなく肩よりは下で泳ぐ髪をした比丘尼は黒目がちな双眸で鶴丸国永を見ていた。
その時鶴丸国永が天を仰いだのは、比丘尼の話を聞いていないわけではなかった。ひらひらと落ちてきた黒い羽に気付いたためである。そしてそれは、音もなく風に乗ってやって来た烏天狗達のものであったと、天を仰いだまま鶴丸国永は蓮のように惚けた顔をした。


「……こいつは、驚いた……」


声の通り、涼やかな双眸が鶴丸国永を見ている。薙刀を習った帰りだろうか、境内の何処かで振るっていたのだろうか、比丘尼は薙刀を白いその手に持ち、石突きには家鳴りが二匹、くっついている。比丘尼の足下に転がるのは、猫又であった。蓮の沼からは、黒く淀んだ顔をした沼の主が顔を覗かせていた。
鶴丸国永が、あ、と言う間もないままに、境内は忽ち妖で溢れかえっていた。


「君が、蛍丸の言っていた、比丘尼だな?」


頭に降り積もる黒い羽を払い落とし、鶴丸国永は問い掛ける。比丘尼は相も変わらず、初めからそれしか持ち合わせていないかのような涼やかな顔で、鶴丸国永に答えた。


「蛍丸、とは、いつかの形を成した付喪神のことでしょうか?それとも、昨日拐かしに来た稲荷のことでしょうか?」

「ははっ、それさ、付喪神さ!いやあ、参ったな、主、主を呼ぼう、じっくり話そうじゃないか、その稲荷のことと、それから、君のことを」


ぱん!と手を打った鶴丸国永に、比丘尼、志乃は首を傾ける。鶴丸国永はさあさあと言いながら家鳴りを爪先で追い払い、迷うことなくその白い手首を掴んだ。
黒目がちな双眸が一瞬の間に陰ったことに鶴丸国永は気付かないまま、境内は妖で溢れ、そして、陽は昇っていくのであった。




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