現代少年と千年の人魚姫


※童話人魚姫をもとにした人魚姫パロ。



アナタを深く愛しているのだと、内なる想いを明けた少年に、人魚姫はただ言葉を失ったのでした。

十日ほど前のことでした。人魚姫はまさに今、海に沈もうとしていたとあるひとりの少年を、ただの気まぐれで助けてあげました。姿を見せず立ち去るつもりでしたが、目を覚ました少年に見つかってしまい、それから二人は奇妙な関係を続けることになったのでした。

少年は毎日岸辺にやって来て、人魚姫に地上のあらゆる花を贈りました。
薔薇や百合、芍薬に牡丹、菫、睡蓮、菊、梔子、竜胆、桜、梅。
藤、桃、紫陽花、朝顔、桔梗、薊、菖蒲……。

美しいものが好きだった人魚姫は、その息も止まるような美しい花々を見てとても喜びました。それが嬉しくて、少年はただ純に人魚姫へ花を贈り続けました。

語り合い、歌い笑いをして時間を共有していくうちに、それは特別なものになっていきました。たとえその意味を違えていようと、少年にはそれを説き伏せてしまえるだけの自信がありました。
ある日少年は、その胸に秘めた恋情に焼け爛れた想いを、酷く甘ったるく人魚姫に囁きました。鈴の音のように軽やかで、透き通った声を持つ人魚姫ですら、その切ない声音には惹かれてしまいそうになります。
三色菫、百合、薔薇、スイートピーなどの花々が散らばった岩場に手をつき、濡れほそった艶やかな顔で、人魚姫は少年を静かに上目見ました。少年の瞳の中で、自分が焼き尽くされていくのが見えます。

人魚姫は濁りのない碧と翠の瞳を細めました。厭う珊瑚礁の海を切り取ったのような、熱帯魚が泳ぐ雅な水槽のように美しい瞳。そんな瞳で、人魚姫は人間に問いました。

おまえは、私がおまえに愛を囁くことはもちろん、糸のようにか細いガラス玉の声で、音ひとつも奏でられなくなれば、きっと私を厭うでしょう?
上手に歩くことが出来ない無様な私の有様に、おまえはきっと羞恥を覚え、そしていつか私を棄ててしまうでしょう?

それを聞いて少年は目を見開き、悲しげに表情を歪めると、そんなことは絶対にしない、信じてほしい、と懇願するように言いました。
人魚姫は今にも水に溶けて消えてしまいそうな亜麻色の髪を耳にかけ、それなら、と少年の手の甲にそっと指を添えました。

それならば、おまえは私に、ナイフでえぐられるような痛みを与えたいというの?

何時だってオレが抱き上げてあげるよ。

そんなこと、いつまでも出来るはずないわ。

それでも、アナタには絶対に辛い思いをさせないと誓うよ。

そんなこと、信じられるはずがないわ。

それでも愛しているんだ。

ええ、きっと。

きっと・・・。
人魚姫は淋しげに笑い、静かに少年の手から指を離します。
その瞬間。少年は人魚姫の細く青白い手首を掴みました。薄桃色の綺麗な爪。体温は酷く冷たいのでした。
驚く人魚姫の形は、なんと美しいことか。厭うものかと、少年は前に乗り出し人魚姫を抱きしめました。

ならばオレが海で生きよう。
アナタの傍にいられるなら、泡になったって構わない。
どうしてもダメだというのなら、いっそ海に引きずり込んで、オレを殺してくれないか。

濡れることも厭わず、少年は人魚姫の艶やかな髪と柔肌を掻き抱きました。
少年の温かな体温に包まれて、ちりちりと皮膚が焼けていく火傷の痛みを感じながら、人魚姫は遠い故郷の海を想いました。雪のような泡の中で、揺れる栗色の髪と漆黒の髪が溶けていきます。それはそれは美しく、悲しいその光景。人魚姫は忘れることが出来ません。

今にも泣き出しそうに、二人は互いに想うものを違え、切なさに身を焦がします。
少年の胸に抱かれ恋情にも似た淋しい表情を浮かべた人魚姫は、そんなこと出来ない、と言い、細い指先で僅かに少年の肩を押しました。
しかし少年は首を横に振り、いま手を離せばアナタはもう二度とオレに会ってはくれないでしょう、と、涙を流して人魚姫をより一層強く抱きしめます。
その言葉に人魚姫は、否定も肯定も出来ませんでした。

ひどいひと。

人魚姫は、至極甘い声で少年にそう囁きました。
そして少年の腕からするりとうまく這い抜けて、少年の頬を両の手で包み引き寄せると、濡れた唇を少年へと近づけ、ゆっくりと静かにそこに触れました。

暫くして、唇を離したとき。
少年と人魚姫の触れた唇から、ひらりと落ちた百合の花びらが宙を泳ぎます。
鼻を掠めた芳しい花の薫りに、少年は目を丸くして茫然としました。
そうして少年が口を聞けないのを利用して、人魚姫はじっと少年を見つめると、何も口にせずまま、ただただ静かに、海の中へと消えていってしまいました。

薫風が通り過ぎていくほどに呆気なく、別れを告げた花も厭う美しいキミへ。
少年はしんと静かな深い海の底を見つめながら、口惜しと目を細め、痛々しく笑いました。

「アナタの方がよっぽど残酷で、ひどいひとじゃないか」


いたづらに土を這う百合の花びらを拾い上げ、少年はそれに口づけます。
花びらからは、じわりと甘い海の味がしたのでした。







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