「林檎はうさぎの形じゃなきゃ嫌だ」
居間で林檎を切り始めた彼にそう言った。私の隣に座っている彼は私の注文を聞くといつものように微笑んだ。
全く前が見えていないように見えるけれど毎回指を切ったりしないあたりあなたには見えているらしい。(すごく不思議だ)
普通こういうのは女の方がやるべきなのかもしれないけれどお互いにそんなことを気にする性分でもないので私は机の上に頭を垂れて彼が綺麗に切り分けていくのを見守っていた。
しゃりしゃりと林檎を切り分ける瑞々しい音が響く。林檎を切り分け終えると博之は次に私が言った通り林檎をうさぎの形に飾り切りしていった。
博之が私のために手をかけてくれるのが嬉しかった。
可愛らしい不細工なうさぎが出来上がっていく。
「これ、…うさぎ?」
博之は微苦笑を浮かべる。
馬鹿だなあ、私。何でこんなこと言っちゃうんだろう。不細工なうさぎだってすごく愛しいと思うのに。
博之は先程よりも時間をかけて丁寧にうさぎを作っていった。
私はそのまま黙って一匹、また一匹とうさぎが白い皿の上に現れていくのを見守った。
彼の手から生まれていく小さなうさぎたち。私のために博之が心を込めているのがひしひしと伝わってきた。
全てを飾り切りし終えた博之が包丁と手を洗うためにこの場から離れようと立ち上がろうとした。行かないで欲しい。彼の服の袖を掴んで引き留めた。
「食べさせて」
隣にいて、何処にも行かないで。私は心の中でそう言った。だけどそんなこと、到底口にできない不器用な私。それを知ってか知らずかあなたはいつものようにただ優しく微笑み、包丁を握っていた綺麗な方の手で私の頭を撫で、再び私の隣に座った。
博之はうさぎに爪楊枝を突き刺して私の口に運んだ。
手をかけて作ったばかりのうさぎをもう食べてしまうなんて、なんだか勿体無い気がした。だってとても可愛いらしいんだもの。そんなこと口にはしないけれど。一口、かじると林檎の爽やかな酸味と甘味が口内に広がっていき、私の体の中に染み込んでいった。
「美味しいですか」
「うん」
程よく口の中が空になったのを見計らって博之は残りを私の口に運んだ。
「僕、ゆいさんの我儘なところ、結構好きですよ」
私は吹いた。
「何、いきなり。
何かあった?」
「いつも通りですけど」
「ていうか私のこと我儘だと思ってるのね、博之」
自分でもそう思うけど。でも言われると何となくむっときてしまう。私は博之から顔を逸らした。
「我儘…随分手の掛かるお姫様ですよ」
「言い換えてもあんまり嬉しくないよ」
自分でも拗ねるなんて馬鹿馬鹿しいことだとわかっているけど。でも一度自分で逸らした顔をもう一度元に戻すなんてできなかった。
ふと温かいものに包まれた。
博之が背後から私を抱きしめたのだ。そして耳元でこう囁いた。
「でもそんなゆいさんが可愛くて仕方がないんです。」
だってゆいさんは僕以外に我儘を言うことなんてないのですから。博之はそう言った。
ずるいな。博之は私のことを全部わかっていたのだ。
目を瞑って私はしばらくこのまま心地よい温もりに抱かれていようと思った。