*設定:高校生
082.鎖の続き



「デンジの彼女さ、また、ゆいって名前なんだろ?
デンジ、その名前がそんなに好きなのかよ。」

別段仲がいいというわけでもないクラスメイトが、嫌な笑いを浮かべながら聞いてきた。
馬鹿みたいだ。いや、こいつは馬鹿だ。

「……」

相手にしていられないな。
デンジはクラスメイトを無視し、鞄を持って教室を出ようとした。

「おい、無視かよっ!」

そんな叫びがデンジの背中を叩いた。


階段を上がって


放課後。ゆいは提出物を届けに職員室に入った。

「失礼します。」

出し忘れた宿題を早く届けたいなあ、と担当の先生の机を探した。
そして先生の姿を見つけたので、そこまで歩みを寄せていると先生たちの世間話が聞こえてきた。

「しかし、大丈夫だといいんだけどねえ、ゆいちゃん。」

え…?
ゆいは驚いた。自分の名前を呼ばれた…?
思わず足を止めてしまった。
が、すぐに自分のことではないと気がついた。

何故なら、その先生はゆいの学年を受け持っていない、関わりの無い先生だったからだ。

なあんだ。ちょっと吃驚しちゃった。

そう思ってまた歩き始めた。
私と同じ名前。

あれ、デンジ先輩の学年団だ。
何となく嫌な予感がした。

先輩の学年。
ゆいという名前。
私と同じ名前。

先輩の前の彼女の名前。

そう。何という因縁だろう。
私とあの女(ひと)は同じ名前だった。

私はそのことを知っていた。
知らない訳が無い。だって先輩のことなんだもの。嫌だって、そのことを思い出す。ゆいという名前を呼ばれる度に。

ゆいは先生の世間話にこっそり耳を立てた。

「上手くいったら今まで通り目は見えるって話らしいですよ。」

「そういくといいけどね。」

「でも、こんな時期にこんな病にかかるなんて、本当に可哀想ですよ。」

「手術が終わったら担任の私と学年主任は一度見舞いに行かないといけませんね。」

話を聞いていくほど私の直感は音をたてていた。
同じ名前の人なんて幾らでも居る。
でも、私はその”ゆい”という人が私の思っている人であるということを確信した。

私の中でいろいろな事が繋がっていく。ゆいさんがデンジ先輩に突然別れを切り出した理由が想像できた。

でも、だからといって?
このことを、先輩に伝えるの?

それは、私が先輩といることを諦めるということ。
それは嫌だとじわじわ感じる。
でも…私は、ずるいわ。

そのことを知って伝えないなんて。

それに薄々感じていた。
悲しいけれど、今、デンジ先輩の傍に居るべきは私ではない…

デンジ先輩の心はいつだって#name3#さんに向いていた。
私が幾ら傍に居ても。

もう、終わりにするべきだ。
私だって、もう十分悩んだわ。

私は急いで職員室を出た。自分が提出物をまだ手に持っていたことは後で気づいた。
でも、それよりデンジ先輩に会わなければ。
デンジ先輩、まだ帰ってないといいな…。

そう思いながら階段を2段飛ばしで駆け上がっていった。

 先輩、何処にいるの…

左右を見回すと、丁度先輩が教室から出てきた。
私はぎゅっと強く拳を握った。

言わなきゃ、
言わなきゃ…

「デンジ先輩!」

大きい声でそう叫んだ。

周りの先輩たちが一斉に私のことを見た。
私は少し怯んだ。

「何?」

デンジ先輩は怪訝そうな顔で私を見た。

怖い。
私はそう思った。

言わなくちゃ、いけない。そのために走ったのに。

デンジ先輩の顔を見ると急に声に出来なくなってしまった。

「……移動するか。ちょっと目立ちすぎている。」

それを見かねたデンジは、ゆいをそのフロアの隅の方へと案内した。
ゆいは黙ってその後を追った。

「で、…何だったんだ? 随分急いでいたみたいだったけど。」

デンジ先輩はすごくどうでも良さそうに見えた。
きっと私の考えすぎなんだと思うけれど。
私は落ち着かない心臓をなだめながら、ゆっくりと口を開いた。

「……せ、んぱいの、前の彼女さんの、ゆいさん…」

前の彼女、という言葉を耳にした後、デンジは眉をひそめた。

「……それがどうした。」

「…さっき職員室に居たときにちょっと聞こえたんです。
…ゆいさん、病気で手術するそうです。
もしかすると、手術の結果では目が見えなくなってしまうみたいで…」

 その言葉を聞き終えた後、先輩の様子は変わった。

  「……目が、見えなくなる…?」

やっぱり、知らなかったみたいだ。少し焦っている様にも見えた。
私は少し胸が痛んだ。

「多分、デンジ先輩にそれを知られたくなかったのと、そんな状態で付き合ってデンジ先輩の負担になりたくなかったから、だからゆいさんは先輩と別れたんだと思います。」

自分の思ったことをそのまま伝えた。
辛くないといえば嘘だ。
でも、今のこの状況を、そのことを知りながら続けていくことのほうが辛かった。

「俺、あいつに嫌われたんだよ。」

吐き捨てるようにそう言った。

「…違います。
それに、先輩はゆいさんのこと、ずっと考えてるじゃないですか。」

「……」

今、この瞬間も。
先輩の心の中はゆいさんで一杯だ。

そうだ。
最初から私が入る場所なんて、無かった。

「だったら、好きな人の身体のこと、気にならないんですか?
今、デンジ先輩は自分のことのように不安になってる筈です。なら、行くべきです。」

心が痛い。
悲鳴をあげていた。

「……でも、俺、お前と付き合ってるんだぜ。」

もう、そんなこと言わないで下さい、先輩…
私が言わなくちゃ、いけなくなる…

「…じゃあ、…別れますか?」

どんなに自分に心が向いていないと分かっていても、流石にこの言葉を自ら発することは辛かった。
でも、いずれは言われてしまうこともわかっていた。

「……」

デンジ先輩も決心をしたみたいだった。

「やっぱり、先輩が好きな人と一緒に居て欲しいんです。」

私なんかじゃダメだ。
名前は同じだけど、あの女(ひと)の代わりに先輩の心を埋めることは出来なかった。

だから、最後に私が出来る精一杯のことを、先輩にした。

「ゆいさんの所に行ってあげて下さい。」

まずい、少し泣きそうだ。
それが見えない様に下を向いた。

そうして沈黙をしていると、頭に優しい重みを感じた。

「ゆい、ありがとな。」

頭をぽんと撫で、そう声を掛けられた。
今までで、一番優しい声だった。

それがゆいという一人の人間として、デンジ先輩に認められた最初で最後の瞬間だった。

さよなら、デンジ。

私は去っていくデンジの後姿を見て、堪えていた涙を流した。
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