すれ違いざま、まばからかすかに煙草の匂いがした。

もちろんまば自身は煙草を吸っていない。はずだ。
それに煙草を吸っているような人間が、特に目立った逸脱行動もせず、真面目に学校生活を送るわけもないので、やはり、まば自身が煙草を吸っているわけではないだろう、と授業中彼女の挙手する背中をぼんやり眺めながら修也はそんなことを考えていた。

修也は、元からまばに対して幾らかの好感を抱いていた。
そのせいもあって、彼女からかすかににおった香りに何らかの秘密が隠されているような気がしてならなかった。
修也は、まばからした煙草のにおいにどこか覚えがあった。
だが、それが一体どこでにおったものだったかは思い出すことができないでいた。


放課後、修也は先輩の武方に言われて、二階堂監督を体育教官室まで呼びに行くことになった。早く練習に戻りたいと思いつつ体育教官室のドアをノックして、監督の返事を待ち、部屋のドアを開けた。
ドアを開けた瞬間、ひどく煙草のにおいがした。思わず修也は息を止め、眉を顰めた。

「監督、体育教官室で煙草吸うの、止めてください。」


「ああ、すまんな」

喫煙中だった二階堂は、苦笑しつつ灰皿に吸い途中の煙草をぐりぐり押し付けた。
まったく。学校内でこんなに煙草を吸っていいと思っているのだろうか。灰皿にある吸殻の多さに思わずため息が出た。柄の悪い生徒なんて、あなたがいるから煙草を吸ってもいいじゃないかと他の先生に楯突くこともあると聞くのに。きっと監督は肺がんで死んでしまうのだろう、とぼんやり脳内で小言を言っていると、あ、と思った。
この煙草のにおい。

まばからした煙草のにおいと同じだ。


しかし、まばは二階堂と交流の多いサッカー部のマネージャーでなければ、その次に体育教官室に出入りの多い、他の運動部に所属している訳でもなく、またこの場所が掃除の担当場所という訳でもないので、二階堂が学校で唯一喫煙するこの場所にまばが入る機会などありはせず、したがって二階堂の煙草のにおいが付くようなことは、ありえないのだ。

なぜ、彼女に煙草のにおいがつくようなことがあったのだろうか。
そんなの、…

「で、どうした」

思考を中断させるように二階堂が、修也に話しかけてきて、修也も思わず、自分が考え事をしていたのを悟られまいと、不自然にならないよう、二階堂に言葉を返した。

「あ、その、武方先輩に呼んで来いと言われて…」


「そうか、わかった」

ギイ、と椅子を軋ませながら、二階堂は立ち上がり、修也を連れて体育教官室を出た。

「豪炎寺、さっきは何考え事してたんだ?」
「え、」

自分が考え事をしていたことがあっさりばれていて、豪炎寺は思わず口ごもってしまった。

「豪炎寺は何か難しそうな考え事をしていると眉間にしわが寄っているからな」

と茶化すように笑って、二階堂は言った。
自分の癖を今まで他人に指摘されたことのなかった修也は何とも言えない恥ずかしい気分で、苦々しい表情をしていた。
まさかまばからあなたのたばこのにおいがしているのがどうしてなのか考えていたんですと言う訳にもいかず、修也は黙って二階堂の後ろを付いていった。


それから、自分の気が付いた日だけではあるが、またまばから煙草のにおいがする日が何日かあった。考えれば、自分が彼女のこの謎の真実を知って何になるのだろう、別に何をしていようが、自分に関係はないだろうと思った。単なる興味だ。身近な人の、それももうすぐ答えがわかりそうな謎の真実を知りたいと思うのは人間の性であると思う。それ以外に形容する言葉が見つからなかった。


その謎が解けたのは、意外にも早かった。
ある日、監督のいる体育教官室から出てきたまばとばったり遭遇してしまったのだ。開けたドアの向こうの監督と一瞬目が合って、俺はあっと視線を逸らした。
あの煙草のにおいが、した。彼女は少し乱れた襟元をさっと直し、極めて冷静を保つように、しかし、俺と目を合わせようとはせず下を向き無言で俺の横を通り過ぎて行った。俺は直される前の襟元にあった決定的証拠を見てしまった。あまりの生々しさに思わず、生唾を飲み込んでしまった。そしてこの事実を知りたいと興味本位で思ってしまっていたことに後悔した。

真面目な生徒で有名なまばが、監督と密会をし、逢瀬を重ねていたなんて。

監督は入れ違いで来た俺に対して、流石大人だと思うが、まるで何事もなかったという風に笑って会話をした。早くこの部屋を出たい。できるだけ会話をさっと終わらせようと、一言ひとことを簡潔に終わらせた。監督は大人だからそんな俺の態度を見て、俺が何もかもを理解しているということがわかっていただろう。それでも笑っていつも通りに会話する目の前の大人が恐ろしいと俺は急に思ってしまった。自分はどうして関係のないことに首を突っ込んでしまったのだろう。監督の笑顔が無言の威圧のように思えた。このことをほかの人に言う気なんて元から更々なかったが、今後決して誰にも口外することはないだろう。自分はとんでもないことに巻き込まれてしまったのかもしれない、と監督の笑顔の仮面を見ながら修也は思った。



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