「…赤ちゃん、できちゃったの」
私は緊張で過呼吸気味になりながら目の前に座っている彼に重大な事柄を打ち明けた。
なのに彼はこちらの顔を見ようともせず、
「ああ、堕ろせよ。
金と病院はこっちで用意しておくから」
と、なんともない風にそう言ってのけ、先程からずっと読んでいる本を読み続けた。
私は拳を強く握った。
「…やだ」
小さく言った言葉がやけに強く室内に響いた。
彼はそれを聞いて怪訝そうな顔をして、こちらのことを漸く見た。
「そんなの…産んでどうする」
「…何で…幸次郎の子供なんだよ?
殺せるわけないじゃない!」
はあ、と大きく溜め息をつく幸次郎。
本に栞を挟み、パタンと音をたてて閉じた。それをサイドテーブルの上に置き、そして私の隣に移動してきて、私の右頬を愛撫した。
私が未だに過呼吸が治らず少し気分が悪いのはお構い無しだ。
「ゆいは俺だけのものだ。」
なのに、今ゆいのお腹の中に居る奴がそれを独占しようとしている、
そんなの我慢できるわけないだろう、と続けて彼は言った。
私は愕然とした。
…やはり、狂ってる。
「ゆいは、俺のこと、愛しているんだろう?」
そう言いながら、左手の人差し指を掴んだ。
私は無意識に震え上がった。
以前幸次郎の言うことをちゃんと聞かなかった私はその指を折られたことがあったのだ。
「いいな?」
私に優しく言って聞かせようとしているが半ば脅しだ。
「…やだ」
彼の目の色が変わるのが、はっきりと分かった。
どんどんと怒りの感情が彼の表情を支配していく。
そこで私は強く目を瞑った。
何故かというとその直後に先程まで私の頬を愛撫していた手が私を打つのがわかったからだ。
そして案の定、次に目を開けた時には私の右頬にはじんじんと痛みが走っていた。そして更に冷静さを失った彼が私の目の前に居た。
「…何で、言うことを聞いてくれないんだ…
俺はこんなに愛してるのに!
理不尽だろ!!」
「幸次郎は私のことを愛してなんていないわ!
ただ私を自分の言うことを聞いてくれる良いお人形に仕立て上げたいだけ!」
「違う、黙れ!」
もう一発、私の顔を平手打ちした。痛い。
何より心が痛かった。
今では私を苦しめることしかしないこの手が、私を優しく包んでくれていた時もあったということを思い出したからだ。
私は幸次郎の温かい手が好きだったから、彼に告白された時、恋人になろうと決めたのに。
もう何もかも変わってしまった。
つう、と頬に何かが伝わっていくのを感じた。
「泣いたって、駄目だ」
「泣いてなんかないわ」
その返答が彼は気に入らなかったようだ。私はソファーから強い力で突き落とされた。
毛の長い絨毯の感触。
見上げた幸次郎の顔が不気味な笑みで歪む。
「そんなに子供を産みたいのか」
とん、と彼は足の爪先で私の腹部を突いた。
これから私に何をしようとしているのかわかった。そしてパニック状態に陥った。
「…いや、やだやめてごめんなさいゆるして」
「俺を怒らせた罰は必要だ
わかるだろ?」
幸次郎の怒りが収まるまで私は腹部を何度も蹴られた。
赤ちゃんの命は、もはや絶望的だなあ、と彼に蹴られながら遠退いていく意識の中で、ぼんやりと考えた。
「ゆいは俺のものだから。
頼むからこれ以上俺を怒らせるようなことはしないでくれ…
俺だって辛いんだ…」
恋人のことになると、どうにも自分を止められなくなっている幸次郎は、足下で気を失っている恋人を見て、胸が苦しくなり泣いた。