(襲ってしまえよ) 頭を支配する邪な囁きに僕はじっと堪えた。 何も知らない名前は椅子に座り、薄い紙をめくっては熱心に活字を目で追っている。 彼女が今読んでいるのは僕の蔵書の内の一冊だ。 元々読書が趣味だったのが、そこへ加えて「好きな子が本好きだから」という理由で集め始めてしまい、結果ちょっとした図書室のようになってしまっている。 そんな僕の部屋に、彼女は本を目当てによく遊びに来ていた。 もちろんそれが目的で集めていたんだから、部屋に来ること自体に文句があるわけはない。 ただ問題なのは、名前が本当に「本だけ」を楽しみに来ているように思えること。 ほら、僕がこんなに近付いても気付かない。 椅子の横に立ち、座っている名前の後ろ姿を見下ろす。 文字をよく見ようと俯き気味になるから、髪が流れてうなじが見えて、 (さあ、一思いに) ごくり。音をたてて生唾を飲み込んだ。 すぐ触れられる位置に彼女がいるというのに、僕の指先はぴくりとも動かない。 いや、動かすことができない。 (いつもの短気さはどうした) ああ、うるさいうるさい! 僕は決めたんだ。 もう自分の気の短さに振り回されて大事なものを失いたくはない。 というわけで今日も一日、ゲーテやドストエフスキーに彼女を持っていかれる僕だった。 |