Until the day comes sometime

「ハロ」

後ろからその柔らかな声に呼ばれた途端、昨夜からずっと強張っていた顔が、無意識にぱっと笑顔へと変わる。
なんという条件反射……これではまるで、パブロフの犬だ。
弛んでしまった自分の頬をきゅっと引き締めてから、ベッドの上にのろのろと起き上がり、仕方なく声の方へと振り向いた。
目を合わせた瞬間、整った顔が眉尻を下げながらふわりと微笑んで、少しだけ困ったような顔をしたニールが部屋の中へと入ってくる。
そんな表情でさえ物凄く格好が良くて、つい見蕩れそうになり我に返った。

「勝手に入ってこないで」

私は虚勢を張り、そして溜息を付く。
もちろん、わざとニールに聞こえるように。
そんな態度をすぐ目の前で見ているくせに、ニールは少しも嫌な顔をしない。
いつものように、子供を宥めるような柔らかい口調で話しけてくる。

「なあ、俺は何かお前さんを怒らせるようなこと、しちまったか?」

だから! その優しさがムカつくの!!
覚えもないのに優しい言葉で伺ってくる彼に、滾る感情を必死に抑え込んだ。

「……何も。誰にでも優しいロックオン・ストラトスが、私を怒らせるようなことする訳ないでしょ?」

何とか素気ないふりをしてそう答えながら、ベッドから起き上がり部屋から出ていこうと歩き出すと、すぐに腕を掴まれて引き止められた。

「二人きりなのに名前呼ばねえってことは怒ってる証拠だろ?」
「……別に怒ってない」
「俺のこと、昨日から避けてねえか?」
「……別に避けてない」
「だったら、ちゃんと目を合わせて話せって」

この場から逃げることを諦めた私は、目の前に立っている背の高い彼をしぶしぶ見上げる。
真っ直ぐに私を見つめる真剣な眼差しに、居た堪れなくなりすぐに俯いた。
だって、あまりにも綺麗な瞳がきらきらと輝いていたから。

「目を合わせるのも嫌なのか? 俺の何がそんなに気に入らねえの?」

ん?と腰を折るようにその長身を屈め、ニールが私の顔を覗き込んだ。
茶色い前髪の向こうから、碧色の宝石みたいに澄んだ瞳が、さっきよりも近い距離で私だけを見つめてくる。
その、ど真中ストライクのしぐさに心奪われ、眩い瞳にうっとりと魅入ってしまいそうになり、堪らず背中を向けた。
いつだってこうだ。
いつだって彼の方が大人で、こんな私の我侭にも、余裕のある態度で向き合ってくれる。

「……フェルトにも教えたんだ、本当の名前」

昨日、自分だけが彼の本当の名前を知っているという優越感が、木端微塵に打ち砕かれた。
たまたま展望室の前を通りかかった時、ニールがフェルトの肩を抱き寄せるまで、一連の現場をこの目でばっちりと目撃してしまい、身体中の血が沸騰しかけた。
私より後から現れたアレルヤが、途中で二人の邪魔をしてくれたから良かったけれど。
猛ダッシュでその場から離れた私の姿に、ニールは全く気が付かなかったと思う。
アレルヤも鬼の形相で二人を見ていた私が怖かったのか、彼のこの様子からして、昨日のことは何も話していないらしい。
所詮、つまらない嫉妬なのだ。
しかも、あんなにも年の離れた少女に。

「私しか、知らなかったのに……」

そう口ごもらせてから、急に恥ずかしさが込み上がってくる。
これではまるで小さな子供みたいだ。
こんなことで昨日から避けられていたと分かれば、流石のニールもさぞや呆れているだろうと、泣き出したい気持ちになった。

「ハロ」

優しい声が私を呼んで、背後から伸びてきた腕に突然抱き締められる。

「ちちちょっ、ニール!?」

予想外の行動が返ってきた事に、私は慌てて身構えた。
咄嗟に腕を振り解こうと身体を捩ってみても、彼の逞しい両腕にすっぽりと包まれてしまい、離れる事ができない。

「ったく……あんな歳の離れたフェルトに嫉妬か?」

後ろから私の肩に顎を乗せてそう訊かれると、まるで胸の中を覗かれたような言葉に、一瞬で顔が熱くなった。
焦る私を余所に、耳のすぐ横で、小さな声が囁きかけてくる。

「心配すんな。俺はハロ以外の女に興味ねえよ」

抱き締めてくる腕にやんわりと力が入り、柔らかな毛先が揺れて私の頬を擽る。
すると、微かに感じるニールのにおい……自分のものとは違う男の人のにおいに、心臓の音と速さが、もう尋常ではない。
こんなにも高鳴る鼓動が、背中越しからも胸の前で絡められた腕からも、伝わってしまうかも知れない。
それでもきっと、私の態度が最初とすっかり変わってしまっていることくらい、ニールにはお見通しだ。
彼の唇がまるでキスをするように、耳元に掛かる髪に触れる。

「何なら今夜、俺がどれくらいお前さんのことが好きか、確かめてみな?」

ベッドの中で。
最後、ひときわ小さな声と熱い吐息を耳の奥へと吹き込んで、軽く耳朶に噛み付かれた。
全身がぞくりと震え、心臓が大きな音を立てる。
力強い腕の中に閉じ込められたまま、抱き締めてくる力が少しずつきつくなり、私は堪らない気分になった。
熱のこもった吐息が首筋へと下りていく。
筋肉の付いた逞しい身体が背中に密着する。
ニールの体温もニールの身体つきも、彼の全てを知っているはずなのに、決して慣れることなどできなくて。
急に解かれた腕が私の向きを正面に変えて、腰を引き寄せながら真顔でじっと見つめてくる。
この煌くような瞳は反則だ……視線を絡ませるだけで、こんなにも胸が詰まり、きゅっと切なくなってしまう。
ゆったりと下りてくる茶色い髪が私の視界に影を落とした。
咄嗟に目を瞑ると、すぐに柔らかい唇が触れた。
大きな掌が私の髪をたぐりよせ、角度を変えながら軽く吸うように吐息を奪われ、甘さの増していくキスに溺れそうになる。
堪らなくなり私もニールの髪に両手を伸ばすと、唇がゆっくりと離れていき、はらりと落ちた髪から覗く熱っぽい瞳に見つめられた。

「そんな顔されたら、夜まで待てねえって」

ニールは解っていない。
そんなことを言ってくる彼の視線こそ、眩暈を起こしそうなくらい魅力的なのに。
首筋に顔を埋めながらそのままベッドへと押し倒され、身体の上にニールの重みが掛かった。
肩を抱かれて無意識に力が入ると、真上から、いつもよりも少し低い声が下りてくる。

「お前さんにはいつか、俺の名前をやるよ」
「……え?」

そしてお互いの鼻先がくっついてしまうほど、端整な顔が真っ直ぐに近づいて。

「ディランディ……ハロ・ディランディ」

自分の耳を疑う間もなく唇がまた優しく重なって、呆けて薄く開いたままの唇を濡れた舌先がなぞっていく。
その先をねだるようなキスに、私は瞼を閉じて全身の力を抜いた。
慈しむように抱き寄せられた腕の中で、愛おしさに胸がいっぱいになる。
次第に深くなっていくキスに魅了されながら、私は決心する。
もうしばらくの間、彼の優しさを独り占めすることは我慢しよう。
いつか、その日が訪れるまで。


  



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -