A future story (1)


「だから、お茶だけでいいから一度くらい付き合ってよ」

さっきから同じ台詞を繰り返して、その男は私の隣を歩き続けている。
まるでどこかの犬が餌を貰えると期待しているかのようにぴたりと横から離れず、気付けばキャンパスの門を出た所までついて来てしまった。

(本当、いい加減にして欲しい……)

余りのしつこさにため息をついたあと、私は男の目の前に左手を差し出して、薬指にはめてある銀色のリングを見せ付ける。

「私、結婚してるの」

簡潔に返答をした。
別に隠しているわけでもないが何となく機会を逃してしまった私は、大学の友達にはこの話を誰にも言ってはいなかった。

「またまた! どうせ彼氏から貰ったんでしょ? 俺は彼氏持ちでも全然構わないから!」

同じ大学に通う学生で学部も同じ。
当然講義もよく一緒になるこの男。
名前は……覚えていない。
顔立ちは整っているが、笑顔は軽薄そうだ。
どうして私なんかを気に入ったのかはわからないが、何度断っても顔を見る度にまたこうして誘われるのは、あまり気持ちの良いものではない。
尚も冷めた声で素っ気無く答える。

「これから夫と約束してるの。ここまで迎えに来てくれるから、本当に無理」
「ホントに? こんなに可愛い奥さんを迎えに来る旦那さんて一体どんな人? 俺、見てみたい!」

動揺もせずにわざとらしく驚いてみせるその顔は、まったくこの話を信用していない証拠だ。

「わざわざ大学まで迎えにくるなんてどんな彼氏? あ、それとも俺みたいな男にハロちゃんを横取りされるんじゃないかって、心配してたりして」
「だから、彼氏じゃなくて旦那様なんだけど」
「じゃあさ、その旦那様から貰った結婚指輪が本物かどうか、よく見せてくれない?」

今度はにやけた顔をして男がいきなり私の左手を握ってきたその時、わざとアクセルを噴かし大きな音を立てながら、一台の車が私達の目の前にピタリと横付けをした。
ホワイトとグリーン、二色のボディカラーのランチア・ラリー037。
運転席からこちらをじっと見ているニールの顔には、明らかに怒りの感情が表れている。

「旦那の目の前でそいつの手を握るなんて、随分と大胆なこったな」


眉間を顰めたニールが冷たい瞳で射抜くように見据えると、男はまるで固まったように動かなくなってしまった。
私はその隙に握られた手を思い切り振り払って、彼の愛車に近付いていく。
その間に、ニールがラリーから降りて助手席側のドアを開けてくれたから、この人が私の旦那様なの、と男に向かいにっこりと微笑んでシートに身体を沈めた。

「二度とその汚ない手でハロに触んじゃねえぞ」

そう言って威嚇しながらニールに睨み付けられた男が、ひくりと顔を引き攣らせる。
ニールの怒りには、妙な迫力がある。
助手席からその様子を見て、固まったままの男にほんの少しだけ同情してしまった。
運転席に乗り込んできたニールは、慣れた手付きでサイドブレーキを下ろしギアをローに入れ、クラッチを繋げるのと同時にゆっくりとアクセルを踏み込んでいく。
隣に私が乗る時はいつもこうして丁寧にクラッチを繋ぎ、滑らかな動きでラリーを走り出してくれる。
その場から動かずに突っ立ったままの男の姿が徐々に小さくなっていく様子をバックミラー越しに眺めながら、私は呟く。

「ニールってば大人気ない」

その言葉には聞こえないふりをして、明らかに不機嫌そうな雰囲気を滲ませながらハンドルを握るニールの横顔も、やっぱり凄く格好が良い。

「ところでお前さんは何やってたんだ? あんな奴に手なんか握らせて」
「あの人がしつこいんだよ! この土地の男って、みんなしつこいんだもん……何回断ってもめげないで誘ってくるんだから」
「『みんな』って他にも誘ってくる奴がいるのか? ……ったく勘弁してくれ」
「ニールだって生徒からモテモテじゃない……ねえ、せんせ?」

それを聞いたニールが一瞬だけ眉をしかめ、すぐに溜め息を付く。
高校を卒業してすぐに、私達はニールの故郷のアイルランドに移り一緒に住み始め、私が二十歳になった半年前に結婚をした。
今、私はこちらの大学に通い、ニールも相変わらずこの土地で高校の教師を続けている。
彼は以前と同じように度々女の子から手紙をもらったり、どこで調べるのか、電話やメールまでくることがあった。
昔から男女問わず人気があることは私もよく解っているし、半分諦めてもいる。
それでも、大した用事もないのに自宅まで電話してこられては、流石に面白くはない。

「お前さ、自分じゃ無自覚だろうけど……って、止めた。今日の予定は変更だ」
「映画見に行くんじゃないの? 前から見たいって言ってたのに」

ウインカーを出したラリーは国道に続く細い道に入っていく。

「一体どこに行くわけ? それともこのままドライブ?」

彼は何も答えずにただ車を走らせると、すぐに国道にぶつかり、その広い道路に合流した。
そのまま国道沿いを進んでいくと洒落た建物が見えて、そこに車が近づいた途端、ニールはハンドルをきり、建物の入り口へと車を進めていく。

「……あのさ、ここってラブホだよ? わかってる?」

わざわざこんな所に連れて来られるなんて予想もしなかった私は、ニールがどこかと勘違いしているのだと思い、そう声を掛けた。

「わかってるに決まってんだろ。ガキじゃあるまいし」

思いもよらなかった答えが返ってきたことに驚いていると、駐車場に車を止めエンジンを切ったニールが助手席にいる私の方に自分の身体を向き直す。
暫しの沈黙。
いつもと違い、どこか落ち着きのない瞳に見つめられ、私は鼓動が一気に早まっていくのを感じた。

(昨夜もしたのに、また……?)

「教師がこんな所に来てもいいの? それにわざわざこういう場所に来なくても……」

ニールと二人ではこういった所に来たことがなかったから、変な気恥ずかしさからか、そんなことを口にしてしまった。

「夫婦なんだ、どこで何しようが構わねえだろ。それに、ここならお前さんの可愛い声をたっぷりと聞けそうだしな」

こちらを見つめ妖しく笑ったその顔を見れば、いつだって私の心臓は跳ねるように高鳴ってしまう。

「ずるいよ、ニールは……っ」

不意に顔が近づいてきて唇を塞がれる。
差し込まれた舌先がやけに熱くて、その温度にますます気持ちが昂っていく。
意外なほどすぐに離れていった唇が名残りおしくて、身体の奥がぎゅっと切なくなってしまった。

「大人はずるい生き物だからな。お前さんもよく分かってるだろ? それにハロももう大人だ……昔みたいに遠慮はいらねえしな」

急ぐように私を車から降ろし、ニールに手を引かれながら二人で建物に入っていき、部屋を取った。
部屋に入るなりベッドに連れて行かれ、そのまま押し倒されると性急なキスを繰り返される。
舌を絡ませてくるニールの巧みなキスが、いつものように私の身体を蕩けさせていく。
くちゅ、と水音を立てながらお互いの舌を求め合えば、彼はその長くてしなやかな指先を私の髪に埋め、頭や首筋を愛撫するように優しく撫でていった。
絡められる舌先、それを追いかけるようにして自分の舌先も懸命に動かして、ニールに教わったキスをニールとだけ交わす。 
いつもこうして長い時間をかけて、ニールはゆっくりと私の唇を味わっていく。

「ハロ……愛してる」

キスの合間に囁かれるその言葉が私の心を満たし、いつだって彼に愛されていることを実感させてくれる。
そして激しさの増したキスに息苦しさを覚えると、計ったようなタイミングで唇を解放されて、私は潤んだ目でニールを見上げた。

「……シャワーは?」
「後でいい。すぐに抱きたいって……分かるだろ?」

彼は余裕のない声でそう告げると、重なっている腰をもっと押し付けるように密着させてきた。
いつもの優しいニールとは違って、今は私にしか見せない男の顔をしている。
ぞくぞくするほど色気のある表情、それでいてその顔は男らしく、格好が良くて。 
もう何度も抱かれているのに、この顔で見下ろされるたび、気が遠くなりそうだった。
きっとこんな風に、彼に抱かれたいと思ってる女の人が沢山いたはずだ……それは多分、今でも。
だけど、こんなニールの顔を見ることができるのは自分だけで。
そんなことを考えると体温が一気に上がったように熱くなり、顔が赤くなっているのでは? と、恥ずかしくなってしまった。
私の胸元を開きながら、濡れた舌先が鎖骨の窪みをなぞっていく。
早く欲しいと言っているような、急いた様子の手の動きが彼の気持ちを表しているようで、舌を這わされた場所から痺れるような快感が走り、堪らず身を捩った。
高校を卒業するまで私の身体に触れてもくれなかったニールは、卒業した途端、まるで箍が外れたように激しく私を求めてきた。
何度も抱かれた。
それは、今までの私の全てを彼が塗り変えようとでもしているかのように思えて、それを望んでいた私も彼を懸命に受け止めた。
ニールを愛している……心から。 
あの日、ニールの本当の気持ちを知ることができた私は、同時に自分の本当の気持ちも知ることができた。
こうして心から愛する人と、抱き締め合う喜びを与えてくれたニール。
そして、そのことに気付かせてくれたのは……ミハエル。
思い出すと懐かしさと切なさで胸が苦しくなり、私は目の前の茶色い髪に手を伸ばして指を絡めた。
もっと彼が欲しくて。
もっと彼を求めたくて。

「ニール……大好きだよ?」
「ああ、わかってる。俺もハロだけだから」

そんな私をいつものように切なげな表情で見下ろしながら、そう優しく返してくれる碧の瞳に胸が震える。
本当は、ずっと前からこうして私だけを見ていてくれたのだ。
この柔らかな髪に初めて触れた、あの日から。





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