Immorality (5)

いつもとは様子が違う私の心配をするミハエルの腕を引っ張るようにして、何度か一緒に来たことがあるホテルに入る。
私から誘うことなど今まで一度もなかったから、余計に心配したミハエルが何度もどうかしたのかと聞いてきたが、何も答えなかった。
重ねられただけの柔らかい唇の感触が、まだ残っている。
私を見つめた特別な瞳、私の名前を呼んだ切なげな声、私を求めるように伸ばされた逞しい腕。

(私には、ミハエルがいる……)

部屋に入るなり、無言のまま中央に置かれた大きなベッドまでミハエルを連れて行き、そこに腰掛けさせる。
その膝の上に跨れば、彼も何も言わないまま器用にお互いの体勢を入れかえて、私の身体をベッドに押し倒した。
私の事をいつもこうして真上からしばらく見つめるから、同じように下から彼の整った顔を眺める。
大きな二重の赤い瞳に、左目の下にある小さなほくろ。
首筋に添う藍色の髪に、そこから時々覗く両耳のピアス。
こうして何度も見上げたミハエルの顔が、なぜか少しずつぼやけていく。

「ハロ……お前、なんで泣いてんだ?」

そう言われるまで、自分が泣いていることに気が付かなかった。
すると急に目頭が熱くなり、一気に涙が溢れ出してくる。
同時に、まるで胸が押し潰されるような痛みに襲われて、呼吸さえ止まりそうだった。
懸命に涙を止めようとするけれど、後から後から零れるように流れてきて、もう自分でもどうしていいのか解らない。

「ハロ、どうした? 何があったんだよ」

強く眉を寄せたミハエルに顔を覗き込むように聞かれると、余計に胸が切なくなって痛みが増した。

「ごめん……ミハエル、ごめんね? ごめん……」

両手で顔を覆い、何度も謝る。
繰り返し、何度も。





泣きすぎて疲れた様子のハロを、俺は家まで送って行った。
やたらと大きなその家の窓には灯りのひとつも点いていなくて、人のいる気配がまったくない。
一人にしておくのは心配だったし一緒にいてやりたかったが、ハロに大丈夫だからと言われてしまい、俺はどうすることもできないでいる。
気が付けば、ハロは鞄を持っていなかった。
うっかりして学校に忘れてきたと言った。
はぐらかされているような気がして、取ってきてやろうかと訊いてみると、少しだけ慌てたように『何も入ってないし、大丈夫だから』と、答えて、無理矢理な笑顔を見せた。
今日は金曜日だし、いつもなら週末はこのまま一緒に過ごすのに、ハロは大きな玄関に一人で向かって行く。
そしてドアを開き、『ごめんね』と、もう一度謝ってから家の中へと入っていった。
閉じられたドアを見つめたまま、しばらく俺はその場にとどまる。
ハロに何かあったのは確かだった。
嫌な予感が脳裏を過ぎっていく。
いつもはクールに振舞うハロを、あんなにまでさせた理由(わけ)。
それを確かめようかと学校に向かって歩き出したが、すぐにその足を止める。
確かめたい気持ちはあるのに、踏ん切りがつかない。
堪らないジレンマを感じ、俺は眉間を寄せた。
家に入ってから大分時間は経ったはずなのに、ハロの部屋の窓を眺めても、明かりが点く気配はない。
もしかしたら泣き疲れてそのまま眠ったのかもしれない……そう考えて、俺も家に帰ろうと歩き出した時だった。
制服のポケットに入れてある携帯が鳴りだし、着信を報せる。
もしかしたらハロかもしれない、そう思い、急いで取り出してディスプレイを見ると、そこには見覚えのない番号が示されている。

「……誰だよ?」

そう呟きながら俺は通話ボタンを押して、判らない相手の声を待つように耳を凝らした。

『……ミハエルか?』

その声を聴いた途端、俺の心臓の音が大きく鳴って、そのままどくどくと鼓動が速まる。
聞きなれたその声は、ついさっき俺の頭の中に過ぎっていった男のそれで、嫌な予感がじわじわと胸に広がっていく。
ニール・ディランディ……コイツが俺に連絡してくるなんて。

「なんでアンタが俺の携帯に掛けてくるんだよ」
『お前の家に電話したら、兄さんがこの番号教えてくれた』

兄貴の奴、余計なことしやがって。
胸の中で舌打ちしながら、わざと俺は冷たい声で話し出した。

「……で? わざわざ俺に何の用だよ」
 
平静を装うが妙に心臓が騒ぐ。
俺の予感が外れていればいい……どうか、頼むから。

『お前、今ひとりか? あいつと……ハロと一緒か?』

やっぱ、そうかよ……。

「なんだよ、何でそんな事聞くんだよ。つか、アンタには関係ねえだろ? 俺とハロが一緒にいてもいなくても――」
『なくねえよ』
「は?」
『……関係なくねえんだ』

ニールの声がいつもと違う。
雰囲気が違うのか、話すトーンが違うのか。

『とにかく、ハロはそこにいるのか?』
「今まで一緒だったけど、今――」
『無事なんだなっ? あいつは!』

俺が答え終わらないうちに焦るような声を出したニールに、違和感を覚える。
普段は余裕をかまして見える奴なのに、コイツのこんな声は初めて聞いた。

「無事だよ。様子が変だったから家まで送ってやって、今、俺はハロの家の前だ」
『そうか……』

余程安心したのか、大きく息を吐いた様子が分かった。
けれどその後は押し黙り、しばらく無言のままの状態が続く。
何だよ、と文句を言おうとした俺の耳に聞こえた声は、やっぱりいつものアイツとは違っていた。

『お前に話がある。これから会えるか?』

ああ、分かった……コイツ今、教師の喋り方してねえんだ。
ハロの部屋の窓を眺めたが、相変わらず家全体、ひとつの灯りも点いてはいなかった。

「いいぜ。俺もアンタに訊きたい事あるし」

知りたかった。
ずっと胸に引っかかっていた。
ハロを好きになってから、ずっと。
俺は覚悟を決めそう答えながら、すでに暗くなっている歩道をゆっくりと歩き始めた。





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