Immorality (4)

「……やっぱり来られないみたいだな」
「そんなの分かってるでしょ? 先生も」

机を挟んで私達は、何度か同じような会話を交わす。
教室にニールと二人だけなんて息が詰まりそうだった。
実際、さっきから何だか息苦しい。

「こーゆうのに時間取られるのが嫌だから、いっぱい寄付金払ってるんだよ? ウチの親は」

ニール曰く、最終的な進路を決める大事な三者面談。
それに当然のように現れないあの人。
あの人達を親と呼ぶ自分も、何だか滑稽に思えた。

「お前なあ……そんなこと言いなさんな」

少し呆れた顔をしたニールの目はいつもより普通に見えた。
少なくとも、何かを探ってくるような視線ではない。
二人きりになること三十分……うちの都合で最後にされたから、多分このままだと時間はまだ十分にあるはずだ。

「じゃあ、そういうことで」
「待てよ」

椅子から立ち上がった私を止める声がやけに大きく響いて、静かだった教室の空気が震えたような気がした。

「三者面談にならないんだから帰ってもいい? これから用事あるし」
「ミハエルとデートか?」
「そうだけど。悪い?」

ニールは何か言いたそうに唇を開きかけたが、その動きを止めて視線を外す。

「……お前とは二者面談だ」
「何で? この前の成績だって悪くなかったでしょ? これなら余裕であの大学も合格圏内だよ? 普段も問題なんて何も起こさないし、私くらい扱いやすい生徒なんて、他にいないんじゃない?」

その言葉を聞いたニールが、ほんの少しだけ鼻で笑ったような気がした。

「とにかく座れ」

ニールが手元にある資料に視線を落としながらそう促し、仕方なく溜め息を付いて椅子に座り直す。
少しだけ俯いている目の前の顔はやっぱり整っていて、教師なんてやっているのが勿体無いくらいだと思う。
何度も見ているはずなのに見慣れることのない、端整な顔立ち。

「成績は問題ない。そこは何も言う事ねえよ」

形の良い唇が動き、そう言いながら落としていた視線をゆっくりとこちらに向ける。

「だったら帰っても――」
「学校でキスなんかするな」

一瞬言われた言葉が呑み込めなかった私の目は、数秒後僅かに見開く。
きっぱりと言い放った口調と同じく、その強い眼差しはいつもの探るような視線ではなかった。
思いもよらなかった言葉に驚いたが、すぐに理解したそのデリケートの欠片もない言い方に、少しずつ怒りが湧いてくる。
確かに学校で何度かキスをしたことがある。
ミハエルに求められれば、私は拒まなかった。
それを目の前の男は、どこかで見ていたのだろう。

「了解。しなきゃいいんでしょ? ……学校では」

私もその目を見つめながら、わざとらしい口調で答えた。

「……お前さ、あいつと一年の頃から付き合ってるよな。なんでだ?」
「なんでって……好きだから?」
「好きだから、か……。好きな男にキスした後でもそうなんだな、お前って」

どこか意地の悪そうな笑みを浮かべたニールを睨みつける。

「『そうなんだ』って何が?」
「好きな男にキスするのも、好きでもない男にキスするのも、きっと同じ顔してんだろうな……ハロは」

まただ……また、この目だ。
覗き込んでくる……私の中を。
もうずっと前からこうして見られ続けてきた。
嫌いなら、そう言えばいいのに。

「……何なの? 何が言いたいのっ!? 私は好きでもない男にキスなんかしない! するのは私を求めてくれるミハエルだけ! 他の男なんか……触るのも触られるのも嫌っ!」

私は苛立ちを抑えきれずに感情を露にして一気に言葉を吐き出した。 
こんなの全然私らしくない。
この男の前で、こんな風に自分をさらけ出すなんて。
それでも、ニールにあんなこと、言われたくなかった。
ニールは一瞬驚いたような顔をしたが、何故かすぐに眉を寄せる。

「それなら、何であの時――」

途中で抑え込んだ言葉は、言ってしまったことに自分でも戸惑っているように思えた。

「……だったら、俺がハロを求めたらどうする?」

次の瞬間、長い前髪の間から覗く碧の瞳に見つめられて、心臓がどくんと大きく跳ね上がる。
さっきとはまるで違う、どこか覚悟でも決めたような瞳。
その深く澄んだグリーンの色に胸を射抜かれたように、鋭い痛みがそこに走った。

「何それ……訳分からない。先生、何言ってるの?」

求めるって何を?
ミハエルみたいに私を求めるの?
心を? それとも身体を?
わけがわからない。
嫌いなんでしょ? 私が。
だから私だって……ニールなんか……好きじゃない……。
真っ直ぐに見つめてくる目の前の瞳が、これが冗談ではなく本心から言った言葉なのだと理解させる。
それでも信じられない。
教師が生徒に、そんなこと言うなんて。
ニールが私に、こんなことを言うなんて。
ニールの腕が私へと伸びてくる。
階段で抱き止められた、しなやかで逞しい右腕。
顔まで近づいた指先がそっと頬を撫でていき、髪に差し込まれた大きな手のひらが、私の頭の後ろを優しく引き寄せた。
そしてニールの顔が近づいてくる。
少しだけ首を傾けながら、ゆっくりと。
唇が触れ合い、重ねられる。
それは一瞬のことで、すぐに唇は離れていった。
私を見つめている目の前の瞳がいつもとは違う。
まるで愛おしむような、眩しいものをみるような、特別の。
こんな瞳で誰かに見つめられたことなど、一度もなかった。
多分私も今、特別な顔をしているに違いない。
今まで誰にも見せたことなどない表情で、ニールを見つめている。
私に向けられた彼の眼差しが、その証拠だと告げているように。

「……ハロ」

呟くように呼んだその声は、今のニールの表情をそのまま表したかのように特別なものに聞こえた。
嫌われている……ずっとそう思っていたのに。

「何でそんな顔、するんだよ」

もう一度私を求めるように、ゆっくりと伸ばされた腕。
その指先がまた頬に触れる寸前、私は反射的に立ち上がり、教室を飛び出した。
無我夢中で廊下を走り階段を下りて、逃げるように校舎を後にする。
そのまま校庭も駆け抜けて、大分離れたところまでくると破裂しそうな心臓に、ようやく立ち止まった。
そして道路わきに座り込んで携帯を取り出し、震える指でミハエルの名前をディスプレイに呼び出して、コールボタンを押した。





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