I Love (3)

「遅くまでご苦労様でした。少し前から雨が降り出しましたよ?」

そう声を掛けてきたビルのガードマンに笑顔を作りながら傘を持っている右手を少し上げてみせて、お疲れ様ですと挨拶を交わし出入り口へと向かう。
この時間になると駅が近いとはいえ、オフィス街であるこの辺りは随分と人の行き来が少なくなる。
腕時計を見ると午後九時半を少し過ぎているし、雨が降っているのなら尚更だろう。
ここ何日か仕事が立て込んで残業する日が続いていたが、むしろ余計な事を考えてしまう時間を少しでも減らせると思えば、然程苦にはならなかった。
この週末、一人自宅でアルコールでも取りながら眠って過ごしてしまえば、また来週からは気持ちを切り替えることができる……そう考えながら、歩く速度を少しだけ上げる。
自動ドアを通りビルの外へ出ると、向かいの歩道に見覚えのある背格好を見つけて、私の足は驚きのあまり無意識に動きを止めていた。
雨の降っている中、傘もささずにこちらを見つめている男の表情がすぐに柔らかくなったのは、私がビルから出てくるのを待っていたという事なのだろう。
たった今、その存在を忘れてしまおうとしていたライルが突然目の前に現れて、歩道から離れ私に向い歩き始めた。
信じられないような気持ちでその様子を眺めていると、向き合うような距離にまで近づいたライルの髪先からはぽたぽたと水滴が落ちてくるほど濡れていて、スーツにはすっかりと雨が染み込んでいる。
そんな姿の彼を呆けたように眺めながら、私はただ漠然と声を掛けていた。

「……何してるの?」
「あんたの帰りを待ってたに決まってんだろ」

前髪から滴る雨が彼の白くて肌理の細かい肌の上を伝い、それを嫌うように濡れた髪をかき上げたその仕種に見蕩れてしまった胸の鼓動が、一気に速まっていく。
当然とでも言いたげなその言葉の意味が解らないまま、僅かに治まっていたはずの胸は再びズキズキと痛み始めた。
会わなくなってからまだ何日も経たっていないというのに、彼の顔を見てしまうとどうしようもないほどに気持ちが揺さぶられてしまう。

「見合いするのか?」

何故か険しい顔をしながらそんなことを聞いてくるライルが、私にはますます解らない。

「どうして……」
「二年も思い続けたんだ、そう簡単に俺が諦めると思うか?」

戸惑いを覚えながら、ただその言葉の意味を理解しようと懸命に思いを巡らせていると、あんた相当鈍いな、と呟いたライルが眉を顰めた。

「俺は、ハロが好きだ」

驚きのあまり声を出すこともできなくて、一瞬冗談ではないのかという思いが頭の中を過ぎったが、真っ直ぐに私を見つめているその瞳には少しの揺るぎも見て取れない。

「ハロが課長に昇進した二年前、本社まで辞令を受け取りに来たあんたに、俺は一目惚れしちまった」
「……冗談、じゃないの?」
「冗談半分であんなキス、出来るかよ」

端正な顔が切なそうに歪められるのを見ればもう疑う余地もなくて、嬉しさが一気に溢れ出して身体中を満たしていくような感覚を味わう。
それでもじっと見つめてくるその眼差しは、どこか不安そうに上から覗き込んでいた。

「とにかく見合いする気なら、このままあんたを奪ってでも止めさせるつもりで来た」

ライルはすぐに私の手を取ると雨の降る中を構わず腕を引くように歩き出して、近くの歩道に飾られている柱のようなオブジェまで移動すると、人目に付きにくいその裏側にまわる。  
そして私を両腕の間に閉じ込めるようにオブジェに掌を付いて、すぐ間近から見下ろしてきた。
この前逃げ出してしまった時と全く同じ状況。
射るような、真っ直ぐの瞳に心臓が今まで以上に騒ぎ出す。
 
「今日は逃がさねえから」

親指と人差し指で軽く顎を掴まれると、不意に近づいた吐息が鼻先を掠め、すぐに唇が重なる。
濡れている舌先が私の唇の合わせ目をなぞり、それが合図だったのかそのまま差し入れられた舌は、歯列を擽るように移動していった。
『逃がさない』と言った言葉が似合わないほど、そのキスは丁寧で優しい。
雨に濡れながら交わされ続けるライルのキスに酔うように、私が切ない吐息を漏らせば大きな掌が両頬を包み、舌が歯列を割って押し入ってくる。
それを受け入れるように絡められた舌先を少しだけ差し出すと、ライルは吸い寄せようと大きく顔を傾けて、お互いの舌を絡め合う、まるで恋人同士が交わす甘くて深いキスに私達は夢中になった。
明らかにこの前とは違う自分の反応が、彼にはどう映っているのだろうか。
あなたが好きだと答えたら、ライルはもう一度あの嬉しそうな笑顔を見せてくれるだろうか。
濡れたスーツの上からでも分かるほど熱くなっている身体を強く重ね合わせてくる彼が、私の背中を強い力でオブジェに押し付ける。
どこか開き直ったようにさえ感じるその強引な動きは同時に私の体温も上げていき、鼓動が今まで以上に激しく胸を叩いた。
最後、ゆっくりと上顎を舐めていきながら引き抜かれた熱い舌先に、もどかしいほどの余韻を含まされて。
唇が離れていくとすぐ耳元で『ハロ』と呼ばれ、吹きかかった吐息にぞくりと震える心と身体。

「俺をこんなにした責任、取ってもらうぜ?」

再び掴まれた手を引かれ、私達は降り続く雨にうたれながら人通りのなくなったオフィス街を歩き始めた。


ライルは出来るだけシンプルな部屋を選んだのだろう、ここはそういった類のホテルにしては、全体の内装が割合普通の造りをしていた。
それでも大き過ぎるほどのベッドが、その行為をするための部屋なのだと主張しているようだった。
気が付けば、手にしたタオルを私の頭の上に被せたライルが濡れた両頬を優しく包み込みながらこちらを見下ろしているが、その瞳は自分の気持ちを確かめようとしているのだと思うと、恥ずかしくて顔を上げることができない。
すぐ目の前にある広い肩幅が、ライルの逞しい身体を想像させる。

「ハロ」

指先で顎をそっと持ち上げられると、見上げた先には男の色香を十分過ぎるほど漂わせている彼の顔があって、その熱い視線に心臓が跳ね上がった。
首筋に顔を埋め、もう一度耳元で私の名前を呼んだ声は少し掠れていて、それは明らかに欲情を感じさせるもので。
ぞくんと震えた身体を強張らせると突然唇を塞がれて、強引に差し込まれた舌が私の舌を捕らえ、呼吸さえ奪うような激しいキスが始まる。
ライルが唇を合わせたまま上着を脱ぐと、ワイシャツのボタンを外しながらのせわしいキスに、交じり合った唾液が奥まで届きそうなほどの舌先に押し込まれ、喉を滑り落ちていく。
自ら私に被せたタオルをもどかしそうに取り払い、ブラウスの襟元に掛かったその手が大きく胸を開くと、離れていった
唇がすぐに鎖骨の上を辿り、舌先がなぞるようにそこを舐め上げた。
性急な行為があからさまな欲望を感じさせ、それが自分に向けられたものなのだと思うと、嬉しさと恥ずかしさで気が遠くなりそうだった。
それでも私自身、この先ライルから与えられる快感を心待ちにしている。
これから彼に抱かれるのだと思うと、悦びに胸が打ち震えてくる。

「好きなんだ……ハロを、愛してる」

真剣な顔でそう告げた背の高い彼を上目遣いで見上げれば、切なそうに眉を寄せた表情が愛しくて堪らない。
雨で素肌に張り付いたワイシャツからは、均整の取れた腕の筋肉や綺麗な肩のラインが透けて見えて、とても扇情的だった。
その上半身は想像以上に逞しく、鍛えられて引き締まった肉体に思わずこく、と喉を鳴らしてしまう。
それを素早く脱ぎ去ってからライルの指が濡れた私のブラウスに掛かり優しい手付きで脱がされると、まるで溜息を漏らすような、低く男らしい掠れた吐息が聞こえた。
  
「あんたのせいだ……早くどうにかしてくれ」
  
ライルの腕が強く腰を引き寄せ、熱のこもった碧の瞳が瞬きもせず私を見つめる。
それは職場で見ていたいつものライルではない、ぞくりとした色香を感じさせる男の顔。

「ハロ」

こんなに甘く掠れた声で彼に名前を呼ばれるなんて、思ってもみなかった。
私達はベッドまでの距離がもどかしいというように、抱き合いながらそこへ倒れ込む。
胸元に顔を埋められると肌に落ちてきたライルの濡れた髪がひんやりと冷たく、反対に唇から漏れる荒っぽい息遣いと胸を這う掌はとても熱くて、それらが言いようもない感覚を作り上げていく。
覆い被さる身体に腕を回せば肩や背中の筋肉が掌から伝わり、激しく動く肩甲骨の感触に、自分はたった今ライルからの愛撫を受けているのだと実感して、私は夢中でしがみつきながらただその動きに身を任せた。




深く沈めた腰を緩慢な動きで揺らせば、俺を見上げている潤んだ瞳がねだるような視線を送ってくる。
今まで見たことも無かったハロの艶やかなその表情に、我慢しきれずその身体を思い切り突き上げたくなった。
はぁ……と切なく吐息を漏らして俺の肩に指を伸ばしてくるハロをじっと見下ろしながら、わざと意地悪く一度だけ大きく腰を揺すり上げた。
短い喘ぎ声を上げて跳ねるその腰を強く掴んで引き寄せれば、自分が確かに今、彼女の中にいるのだと実感する。

「ライル……、もう……っ」

涙声で懇願してくる汗ばんだ額に唇を押し当てれば、吸い込んだ甘い匂いに脳まで溶かされてしまいそうになる。

「好きだ……ハロ、好きだ」

何度好きだと告げても足りない。
一目見たときからずっと、この想いは募るばかりだった。
この腕に抱いてみれば、まるで少女のように身を委ねる年上の彼女が、今まで以上に愛しくて堪らない。
二年間何も出来ず見続けてきたハロが俺を受け入れているその姿に夢中になり、貫くたたび突き抜けるような快感に眩暈さえしそうだった。  
それでも拭えない思いをこうして言葉で確認してしまう自分は、愚か者なのだろうか。

「見合い、断るよな?」

反応を見ながらの焦らすような動きに、今にも泣き出しそうそうな瞳で俺を見上げるハロが何度も大きく頷いた。
雨で湿った髪から仄かに香る、この甘さ……俺は手に入れたのだ、彼女を、ハロを。
もう自分は二度と他の女など抱けないとそんな考えが脳裏を横切り、それならばこの先、目の前の身体も自分と同じようにしてしまえばいいと、どこか狂気じみた考えさえ浮かぶ。
組み敷いているその身体が、自分を強く求める。
俺もそれに応え、何度も激しくハロを突き上げる。
腰の動きに合わせるように、喉を反らせ浅く呼吸しながら断続的に上げる短い声が酷く艶かしい。
突き上げの速さを増せば、激しい責めのなか涙を溜めながら俺を見上げて喘ぐ甘い声も、一層淫らなものに変わる。
その声に、その表情に、言葉に出来ないほどの快感と充足感が全身に広がっていく。
きつく目を閉じて背中を仰け反らせたハロの身体が、痙攣したように小刻みに震えた。
深く繋がったまま肌を重ね、互いの唇を求め合えば、二人の想いも深く繋がったと俺は確信できた。



少し前までの熱が嘘だったように部屋の中は静かで、ベッドの上で抱き締めた腕の中、収まっている身体の温もりが重なり合う肌から伝わってくる。
もうほとんど湿り気の取れたハロの髪に指を絡ませながら、つい何十分か前に年上の彼女が自分の前で見せた淫猥な表情を思い浮かべた。
視線のすぐ下で喘ぐその姿は、想像以上に艶やかで、淫らで。
もう俺のものだと抱き寄せて額にキスをすれば、恥ずかしそうに肩をすくませる仕種がいっそう愛しさを感じさせる。

「本当、年上とは思えねえ」
「……そんなに何度も言わないで」
「可愛いんだから仕方ねえだろ?」
「嘘も言わないで」
「嘘なんか付くかよ。ハロは誰よりも可愛いって」

当然といった顔でこたえると、瞬時に耳まで真っ赤になってしまった彼女の唇に、軽くついばむようなキスを落とす。
何度か目を瞬かせると赤い顔のまま俺を見上げて、睨みつけてくるそんな視線さえ愛しくて、自然に頬が弛んでいく。

「あの日、あんたは本当に嬉しそうな顔をして、本社のロビーをさっそうと歩いてた」
「……嬉しかったから。一生懸命に仕事してきて、それが認められて」

表情を変え、ふっと笑った唇にもう一度自分の唇を重ねる。

「俺は少しでも早くハロに追い付きたくて、必死だった」
「そうなの? でもライルの歳で課長昇進はすごいと思う。噂は支社にも届いてたし……」
「まだ昇進して半年だけどな。まあ、ハロと肩を並べるために頑張ったって訳だ」

化粧の取れた顔ではにかんだその愛らしい黒い瞳を吐息がかかるほど間近に見つめれば、視線の中いっぱいに存在するハロの姿に、胸の中に何か熱いものが込み上がってくるのを感じた。
もっと触れ合いたい……まだ、愛し足りない。

「ハロ、愛してる」

これ以上の言葉が見つからなくて、俺はもう一度同じ言葉を繰り返す。

「愛してる」

ハロだけを。

「私も……ライルを愛してる」

少し恥ずかしそうに顔を摺り寄せてきたハロの身体に優しく、壊れ物を扱うように掌を這わせていきながら、俺は最高の幸せを手に入れた悦びを味わった。

【END】
 



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