Confidence (2)
打ち合わせを終わらせた後にオフィスの席でパソコンの画面を眺め、スケジュールの確認をする。
(これなら、暫くはこっちに居られるな)
プロジェクトを任された充足感は心地良いが、ハロと過ごす時間が少なくなっことは本当に辛い。
あいつのことになると、いき過ぎる所があることは自分でも分かっている。
さっきもそうだ。
目が合った途端、逃げ出すように席を離れたハロを放っておけなかった。
上司を待たせてまで恋人を追いかけた挙句、人気の無い会議室に連れ込んでキスするなんて……いかれてる。
それほど俺は、あいつに惚れてる。
自分でもどうしようもない。
「先輩、予定に何か問題でも?」
「いや、スケジュールは問題ない。ただ確認だけは毎回しといてくれ」
「了解っす」
後輩のリヒテンダール・ツエーリが人懐っこい笑顔で応えた。
見た目は少し軽い印象を受けるが、仕事に関しては申し分ない。
「それにしても、先輩が帰ってきたら女の子達がそわそわしちゃって……これだけ選り取り見取りなのに、なんで彼女作らないんすか?」
もう既に何人か、女の同僚に誘われた。
ハロと付き合ってからは勿論、女からの誘いは全て断っている。
「……ホントはいたりして」
こいつは仕事も出来るし洞察力もあるようだ。
俺は答えずに口端を上げて笑う。
リヒティはやっぱり、と言いたげに目を細めたが、それ以上は詮索してこなかった。
こいつのこんな所も、俺は気に入っている。
「まさか、隣の部署のクリスじゃないっすよね?」
はっとした顔でリヒティが口にしたその名前には心当りがあった。
確か、ハロの同僚のはず……。
「あそこの席の、茶色い髪の方」
俺の耳に顔を寄せて小声で告げながら視線を向けた先には、茶色の髪と見慣れた黒い髪の二人が見えた。
「違う違う」
その隣だ、と、言いたい衝動を抑えるが、つい笑みが漏れてしまう。
笑ったことに勘違いしたのか、リヒティは少しだけむっとした顔をした。
「先輩の好みにはかけ離れてるかも知れないけど、あそこの二人、男子社員の中で人気あるんすよ?」
俺はその言葉を聞き逃さない。
「……二人?」
「そうすよ。クリスともう一人の方がハロ。結構狙ってる奴がいるらしいから心配で……」
(おいおい、ちょっと待て! 狙ってるってなんだよ? ハロも狙われてるのか?)
「二人共か? もう片方の子も?」
「ハロなんて企画開発部のエースって言われてるグラハム・エーカーから言い寄られてるらしいっすよ? 少し前に女の子達が噂してました」
(あのグラハム・エーカーが、ハロに……?)
眉をひそめた俺を見ていたリヒティの表情が何か言いたげで、何だよ? と視線で訴える。
「もしかして……」
にやついた顔で伺うように聞かれ、ガラにもなくばれたか? と、一瞬どきりとしたが、これでハロと付き合っていることを隠さずに済むと思い、内心ほくそ笑んだ。
「彼女いるのにつまみ食いっすか? まあ、あの子ならわからなくもないけど」
「……ばかやろ、そんなんじゃねえよ(こいつもまだまだだな……)」
軽く溜め息を付いて遠くにいるハロを眺めると、隣の席のクリスと何か話をしながらキーボードを叩いている。
『あそこの二人、男子社員の中で人気あるんすよ?』
『結構狙ってる奴がいるらしいから心配で……』
『グラハム・エーカーから言い寄られてるらしいっすよ?』
全く気付かなかったし、ハロも何も言わなかった。
勝手に俺のものになったと決めつけて、安心していた。
やはり俺達のことを秘密にしておく条件は、取り下げてもらおう。
いや、無理にでも取り下げてやる。
俺のいない間、奴に……あいつ以外にも、他の男にハロを奪われるなんて冗談じゃない。
同僚と軽く談笑しながら仕事をしているハロの姿を見ているだけで胸がざわめいて、今すぐ抱き締めに行きたい衝動に駆られる。
(思春期のガキか、俺は)
自分自身に呆れつつも今夜は出来るだけ早く帰ると心に決めて、今は仕事に集中しようと気持ちを入れ変え、パソコンのキーを叩き始めた。
「お疲れ様っす」
「悪かったな、最後まで付き合わせちまって」
時計に目を向けると既に十一時を少し過ぎている。
帰国したばかりの俺にも容赦なくプロジェクトに関する書類、メール、電話、格担当者とのディスカッション……次から次へとこなさなくてはならない仕事が山ほどあった。
予想していたことだが、こうしてリヒティが付き合ってくれなければ、あと二時間は掛かっただろう。
「いいですって。これから彼女さんとデートっすか? 先輩、随分と急いでましたから」
こんなにも簡単に後輩にバレてしまうほど、俺は急いでいたのか。
確かに、何度も時計を気にしていたかもしれない。
(俺の方が、まだまだか……)
そう胸の中で独り言ちる。
途中でハロのことが気に掛かり、ミーティングを抜け出して姿を探してみたが、もう帰った後のようで彼女の机の上は綺麗に片付けられていた。
それが七時前のことだから、もう随分と待たせてしまっている。
「今度、メシ奢るからな」
リヒティに笑顔でそう言うと、絶対っすよ? と、また人懐っこい笑顔を見せた。
ビルを出た所で後輩と別れ、タクシーに乗り込む。
この時間帯なら地下鉄に乗るよりも車の方がマンションまで早く帰れる。
人気の無いオフィス街を車内から眺めながら、ハロが待ってくれているというだけで嬉しいと感じ、鼓動が速くなる。
酷く疲れているはずなのに、その肌の温もりを思い出すだけで身体が熱くなり、早く触れたいと心が逸った。
(ホントに思春期のガキだな、これじゃ……)
ビルの灯りを眺めながら小さく溜め息を付いてスマホを取り出し、ハロの名前をディスプレイに表示させてコールボタンを押した。
一回、二回、三回目のコールでその声が聞こえると、嬉しさで顔が緩んだ。
『もしもし? ニール?』
「ああ俺。今タクシー乗ったから、あと二十分位で帰れる。遅くなっちまってごめんな?」
『ううん、ご苦労様。それより疲れてるんじゃない? ご飯は作っておいたから、今日はこのまま帰ろうか?』
その言葉に俺は思わず眉根を寄せる。
「ハロは俺に会いたくねえの?」
そう言った後、まるで女みたいな台詞だと自嘲するが、『帰る』と簡単に口にしたハロに、ほんの僅かだが腹が立った。
今日一日、自分がどれだけ彼女を想い、焦がれ、この目でその姿を追ったのか。
今日だけではない。
会えなかった一ヶ月間、どれだけハロを思い出し、そして頭の中で何度その身体を抱いたのか。
そんな俺の声に戸惑ったのか、少しだけ間を置いてから、ハロの可愛い声が聞こえ始める。
『会いたいよ? すごく会いたい……ニールに』
切なげに答えた彼女が、自分と同じ気持ちなのだと分からせてくれた。
「俺も早く……会いたい。もうすぐだから、な?」
思わずタクシーの中だということを忘れ、早く抱きたいと言いそうになり、苦笑しそうになるのをこらえる。
(今夜は、本当にヤバいかもな……)
耳に流れ込んでくるハロの愛しい声を聞きながら、俺は身体がますます熱くなっていくのを実感した。