first kiss

クリスマス休暇の少し前に大雪が降った。
一晩中降り続いた翌朝、徒歩通学組は辛うじて登校出来たがスクールバスは途中で立ち往生したらしく、昼前に学校は授業を切り上げ、その日は臨時休校扱いになった。
徒歩組は気楽なものだ。
学食でランチを取ったあとは適当に時間を見てまだ明るい雪道を帰る。
公園の傍を通り掛かった時、私の直ぐ前の立木からパシンッと音がした。
見上げると薄茶の幹の中程に雪が不自然なつきかたをしている。
誰かが雪玉をぶつけたに違いない。
それもたった今。

「ハロ!」

名前を呼ばれて公園の方を振り返った。
マフラーを巻いた男の子がこちらに向かって手を振っている。
あれはディランディだ。
ニールとライルの双子は私と同い年。
エイミーはその妹。
家は近所で彼らも徒歩組だ。
雪玉を投げたのはニールだと思う。
マフラーの色がダークグリーン。
ライルのは確かブルーだった。
ニールは未だ手を振っている。
というより手招きをしている。
来いということらしい。
公園は雪かきもされず、私のふとももより高く雪が積もってる。
躊躇していると、またニールが叫んだ。

「もすこし右、足跡ついてるから」

そこを辿って来いと言うニールの頭に、どこからか飛んできた雪玉が命中した。
公園の真ん中にある雪山のかげから青いマフラーの男の子が顔を出し、私に向かって軽く手をあげた。
ライルもいた。
なら、エイミーもどこかに隠れているだろう。
あの兄妹たちは仲が良い。

「ハロー!」

エイミーはアスレチック遊具の上だ。
行くしかなさそうだった。
足跡は程なく見つかった。
私より一回り大きい。
彼らがつけた足跡だとすれば、双子のうちのどちらかだろう。
遊具のまわりは雪合戦のただなかだった。
ずぼずぼと雪に足を取られながらニールが来て、

「こっち来い!」
「あ、兄さんずりいぞ」
「うっせえ、早い者勝ちだ」

こんなに雪が積もったのは久しぶりで、そんな雪の中で遊ぶのも、雪玉を握るのもなんだか久しぶりで、

「うおっ!? ハロあたま出すな!」
「隠れるとこなんかないよ!?」
「こっちだこっち! エイミーお前そこから降りろよ!」
「ここいいよー、丸見えー。ハロもおいでよ」
「え……登ってる途中狙わない?」
「狙うよー」
「ちょっと!!?」

ニールは監視哨の様なアスレチックの上にいるエイミーに手こずっているが、決して雪玉をぶつけようとはしない妹思い、というより単に双子の弟との攻防戦に熱中している。

「昨日の借りは返させてもらうぜ。そこ動くんじゃねえぞニール」
「ハッ、ライフルで俺に勝とうなんざ十年早い!」
「抜かせ、砲丸投げなら俺のが連勝してんだよ!」

砲丸投げと雪合戦を一緒くたにするのはどうかと思うが本人達が燃えているなら余計な口出しはすまいと決めた。

「ねえ次かくれんぼしよう」

決着がつかない双子の戦いはエイミーの気まぐれで引き分け。
妹は兄達の扱いが上手い。
希望通りあっさりとかくれんぼが始まり、ライルが鬼になった。
隠れる場所を探して足跡をつける。
もう雪に埋もれてもあまり気にならない。
雪に半分埋もれたアスレチックの下。
頭だけ出た公園の低い植え込みのかげ。
三つあるピラミッド型オブジェの中は冬季閉鎖中。
ピラミッドの冷たいコンクリートの壁沿いに隠れる場所を探していたら、またまたニールに呼ばれた。
今度は少し小さな声で。

「早く隠れろって。カウント終わっちまうぞ」
「ないんだもん。ていうかそこ入っちゃいけないんじゃないの?」
「かたいこと言うなって」

ひゃーく、とライルの声が遠くであがる。ニールのブーツがコンクリートの上をキュッと鳴らして近付き、こっち、とピラミッドのかげに連れ込まれた。
ここには雪が殆どない。けれど随分寒い。

「ハロ、そういやマフラーどうした?」
「ないよ」
「昨日はしてただろ、あの、白っぽいやつ」
「今朝ちょっと汚れてたから洗濯しちゃった」
「ばか、こんな日にか」

言いながらニールは自分のダークグリーンのマフラーを外して、私の首に手早く巻き付けた。
彼はこういうひとなのだ。

「よし」

巻き終えて、そう言ってぽんと頭を撫でる手が温かかった。
急に気恥ずかしさが込み上げて、ありがとうとも言えずにいた。
笑い声と金切り声のまじった声があがる。
エイミーはどこに隠れていたのか、早々に見つかったらしい。
それでも諦めずに逃げ回っている様だ。
ライルはこちらにはなかなか来ない。
声が近付いて、また遠ざかる。

「おまえさ」

声変わりが終わりかけているニールの低い声が、冷え切ったコンクリートの壁をひっそりと跳ね返る。
そういえばこんな声。
そういえばこんなに低くなったのだと、考える度に一々妙なくすぐったさがついて回る。
少し困った。

「おまえさ……なんで最近さ……」

ニールはその、私が気持ちのやり場に困る声で、妙に歯切れの悪い言い方をした。

「なに」
「なんでっつか……なんか、避けてない?」
「だれを?」
「おれ」
「ニールを?」
「避けてるだろ」

そんなことないよ、と口だけは言ったがニールの目を直視しづらい。

「なんで?」

避けんの?
ニールはまるで私の否定なんか端から聞いちゃいない様な訊き方をした。

「だから避けてないってば」
「…………ふーん」

ならいいけど、と彼は歯切れの悪かった口ぶりを一転あっさりと切り替えた。
それから壁の向こうを覗き込み、ライルとエイミーの様子を窺った。
ノーコンライル、とエイミーがけらけら笑いながら無邪気に叫んでいる。
ライルのマジギレ五秒前。
あのねニール。
私が今もし素直に、そうだよ避けてるよって言っていたとしたらきみはどんな顔をしただろう。
どんな顔をしたあとでもいい、理由を聞いてくれただろうか。
怒らずに?
そこまでしてくれたら、私も素直になれたかだろうか。
今更の様に小さな失望感が芽生える。
ニールはあっさりと引き下がってしまった。
小さな失望感は次第に膨らんでいく。

「ニール、……」
「しっ」
「!」

いつの間にかピラミッドの反対側に来ていたライルの足音がコンクリートの壁の間を叩きつける様に響き、切羽詰まったニールの腕がさっと伸びて、気付けば手首を掴まれていた。


手首を掴んだ瞬間、ハロの体がガチガチに硬直したのが判った。
音がするほどしっかりと目が合ったのはほんの一瞬で、ハロはあっという間に俯いて視線も逸れる。
さっき首に巻いた俺のマフラーのふちに、俯いた所為でハロの唇が触れているのが見えた。
心臓の辺りが一瞬跳ね上がったが、そう浮ついていられる場合でもなかった。
学校でもここでも明らかに俺から目を逸らそうとするハロに向かって、今また俯いてしまった彼女の、さらりとした黒髪に隠れる額に向かって俺は何て言ったらいい?

「避けてないってば」

こういう言い方を鵜呑みにしてしまえる程度の浅い付き合いじゃない。
それを分かってるから、問題はもう彼女の態度ではないのだと思う。
ハロは学校じゃ割とおとなしくて、同世代の連中より少し大人びて見える。
そんな子が今日は耳も頬も、鼻先まで赤くして俺達やエイミーのこんな子供じみた遊び方に付き合ってくれたのが意外でもあり嬉しくもあった。
ただ、前はそんなこと珍しくも何ともなかった筈だった。
家が近いというだけでガキの頃は一緒に遊べたのに、最近はそうもいかない。
ライフルがある日は下校時間もずれるし、朝はいつだって彼女の方が早い。
おまけに学年があがった頃から学校の廊下ですれ違っても、曖昧な反応しか返さなくなった。
今じゃ滅多に目も合わせてくれない。
ライルはそんなもんあんたに気があるからだろアホか、などと真顔で身も蓋も無い言い方をする。
幼馴染って関係は"ししゅんき"に入ると厄介なんだよね特に女の子はさ、と妙にませた口振りでエイミーがライルに加勢する。
言ってる意味わかってんのかお前ら。
つかエイミー。

「おまえさ」

だから……いや、だからじゃなくて。

「おまえさ……なんで最近さ……」

とにかくこうしてピラミッドの壁のかげで、並んで弟妹特にライルの目から隠れてふたりきりというシチュエーションが妙に気恥ずかしくて、ドキドキして、多分向こうも似た様な気持ちでいる筈で(ハロは実際そんな顔をしているし、こいつに限って俺が読み間違えたことはない)だから……いや、だからじゃなくて。

「なに?」

さりげない返事。

「なんでっつか……」
「?」

どこ見てんだよ。

「なんか、避けてない?」
「さけて……え? だれを?」

そう来ますか。

「おれ」

わざとらしく、眉をひそめて。

「……ニールを?」

そのくせ目を合わせようとしない。

「避けてんだろ。な。……なんで」
「そんなことないよ」

即答だったがどこか視線を斜めにさげる彼女の話し相手はさっきからコンクリートの壁だ。

「こっち向けって」
「……なに?」

 あ、少しだけ。

「なんで?」
「だから避けてないってば」
「………………」
「………………」

俺が選んだのは、多分一番残酷な言葉。

「ならいいけど」

目を合わせてもらえなくて全く傷付かなかったわけじゃない仕返しをするつもりはなかったが、結果的にそうなった。
壁の向こうの様子を窺う振りをして、ハロの眉がうっすらと曇っていくのをそれとなく眺めた。
やがて彼女が絶対に俺を見ようとしないのをいいことに、彼女の額、黒い前髪、少し強張っている白い頬、きゅっと閉じられたままの口元を見つめていた。
罪悪感に、それとは全然違う昂揚感が込み上げて。
なんだ、こりゃ。
好きな子いじめて、ドキドキしてるってやつ?

「……ニール、……」

危ねえ。
目を逸らしたいのは俺も同じか。
ダークグリーンのマフラーに触れ続ける唇は薄らと濡れている様に見える。
寒さで少し色が悪く、隙間からは白い吐息が溢れてる。
ライルの来るタイミングは良かったのか、悪かったのか。
がちがちの手首を彼女は振り解こうと思ったかも知れない。
やめろよ、そんなことされたら、いくら俺でもへこむと思う。
だからその隙を与えず、手首は捕らえたままブーツがコンクリートの床面を踏みしめた。
割と冷静だと思ってたさっきまでの状態は案外、一触即発なのかも知れないと、ようやく頭がついてくる。
ハロが目を逸らすから。
俺が残酷なことを言ったから。
それから前髪。
あと唇。

「嫌われたかと思った」  
「……なんで?」

聞くのかよ。

「絶対避けられてると思ってたから」
「だから。そんなことないよ」

そんなことないよ。

「ニールの背が伸びたからだよ」
「はあ?」

後付の理由だが、口に出してみるとなるほどそうかも知れない、と自分自身が思ってしまう。
ニールは(ライルも)学年があがる少し前から急に背が伸びた。
小さい頃からのかっこいい顔は急激に大人びて"端正な顔"に、瞳の明るい緑色は昔の方が見慣れていて、こんなに綺麗な色だと思ったことがなかった。
最近やっとそれに気付いたと言ったら、どんな顔するかな。

「だから、一々見上げるの面倒だし」
「ええ、面倒とか……ひっでえ」
「ごめん」 
「でもお前だって伸びてんじゃん」
「私はちょっとずつだもん」
「そうかあ?」

殆ど無造作に、てのひらが頭の上に落ちてくる。
何度か叩いて去年の今頃はこんなもんじゃなかった、などと言っている様だが耳には殆ど入らない。
触らないで。
触らないで。
こんな近くで。
心臓もたない。
やめてとお願いする前に、ぱたりとてのひらの動きが止まった。
止まりはしたのだが、よりによって頭の上に載せられたままだ。
ニールは何も言わない。
こんな姿勢だから今は本当に視線を合わせたくても合わせられない。
ふっと頭が軽くなり、てのひらが離れていった。
やわらかな音がしてニールが手袋を外すのを見た。
どうして外したんだろう。
色素の薄い、少しごつごつとした手がもう一度頭の上に落ちる。

「……髪、冷てえ」

ニールはそれきり、やっぱり何も言わない。
煩いくらいの心臓も少しずつこの状況に慣れてきた様で、けれども半分は怖い物見たさにゆっくりと顔をあげる。
髪の上をすべるてのひらに嫌でも意識が集中していたが、目が合った瞬間にもうどうでもよくなった。
握られ続ける手首が今更じんわりと熱くなる。
ハロ、ハロって、昔のまま呼んでくれる時の優越感が、刃物で切られるみたいに痛い切ないなんて甘い響きが似合わないくらい、辛くてたまらない。
どうして気付かなかったのかな。
こんなに綺麗なひとだもの。
皆が放っておくわけがない。
嫉妬がくだらない感情だってことくらい分かってる。
だってニールは私のことを、家族みたいに大切にしてくれる。
だからこれは"家族"じゃ我慢できなくなってしまった私の、ただのわがままなのだ。
エイミーの声が遠ざかる。
ライルの足音も随分小さくなった。
コンクリートの壁に反射する音はもう何もない。
ずっと上の方から風に吹かれて小さな雪片がひとひら、鼻先にひらひらと落ちる。
ニールの剥き出しのてのひらがぎこちなく滑り降り、私の頬にかさなった。
ニールは見たこともない様な真剣な顔で、何か言いたげな、けれどもやっぱり黙ったまま、 それから私が何度か瞬きをするうちの数秒間はまるでスローモーションの様に、ニールの顔がゆっくりと近付いてくるのが見えた。
目を閉じるより早く、あの痛々しい優越感に襲われる間もなく、唇がふれ合った。
これが男の人の唇なんだろうか。
やわらかくて、つめたくて、何の味もしない。
血液が足の裏から、頭に向かって一斉に走り出す。
目なんか開けていられるか。
そのまま浮き上がってしまいそうな足に力が入らない。
私いま、どうやって立っているんだろう。
考え込んだら足はぱたりと崩れ倒れてしまいそう。
私、 私、ニールとキスしてるんだ。
エイミーの笑い声は雪にとられて微か。
ライルの足音も、遠くへ行ってしまった。
コンクリートの壁に反射する音はもう何もない。雪片はひらひら、鼻先を舞ってとける。

「ニール」

とても静か。

「……ん?」

ニールの微かな息遣い。

「なんで、したの?」

私の心臓の音。

「ハロが好きだから」

いいな、ニールはそんな風に言えて。

「……ふうん」

彼の溜息と。

「他に言うことねえのかよ」
「あるよ」

優越感も嫉妬も、まだ残ってる。
こういう感情はそう簡単に消えるものじゃない。
だけど、もう身を切り裂かれる様な痛みは感じない。
それなら私はニールの様に、それを言葉にしよう。
ニール、大好きって。







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