Certain day of Tamao

「気持ちいいなあ。冬なんかすっ飛ばして、このまま春になればいいのに」

ある晴れた日の昼下がり。
十二月が終わりに近付いても陽の差し込むフローリングの上は温かで、とても真冬とは思えないほどの陽気だ。

「ハロもこっち来いよ。一緒に昼寝しよう」

のんびりと寝そべりながら恋人の横顔を窺うために顔だけを上げる。
隣でソファーに座っているハロは、携帯端末の画面を静かに閉じたところだった。
ついさっきまで眠そうな顔をしてファッション雑誌をペラペラと捲っていたのに、何故か今は神妙な顔つきをしている。
一度すうっと大きく息を吸い込むと雑誌を小脇に抱え、ハロが突然すっくと立ち上がった。
そして脱ぎっぱなしの服やいつも通勤に使っているバッグ、カールアイロン、ゲーム機とそのソフト、とにかく床の上に散ばっている全ての物をせっせとクローゼットの中に運び始めた。
どうやらリビングの掃除をするらしい。

「えー、いきなり掃除? 何で?」

寛いでいたスペースを奪われ、俺は居場所を求めて部屋のあちこちをうろつくはめになった。

「俺、掃除機の音嫌いなのに……」

じっとりとした視線を向けながら取り合えずリビングの隅っこに腰を下ろし、無言のまま忙しなく動き回るハロの様子を眺めた。
……そういえば。
ふと、嫌な予感が頭の中を過ぎっていく。
前はあいつが来る時に、よくこうして慌てながら部屋の片付けをしていたっけ。

「……なあハロ。もしかして誰か来るの?」
「あのねタマオ。これからニールが来るって」
「くそ! やっぱりか! 俺へのあてつけなら頼むから止めてくれ!」
「とにかく、片付けなきゃ」

抗議の声も空しく、クローゼットの扉を閉めた真剣な顔が小さな声でそう呟く。
ハロ……お前は俺という男がいながら堂々と浮気するつもりなのか?
いくら遊びでもあの男だけはもう止めておけと何度も言ったじゃないか。
ここ半年ほどあいつの姿を見ていなかったから、やっと願いを聞き入れてくれたのだと、すっかり安心しきっていたのに。
きっとハロは妬いているのだ。
正直、俺はモテる。
家の外を歩いていると、子供から年寄りまで、異性から声を掛けられることが多い。
皆、この抜群のスタイルの良さと整った顔立ちを放ってはおけないらしい。
特に若い女の子ほど俺の魅力に参ってしまうのか、大胆にも抱き締めてこようとするから困りものだ。
今朝もそうだった。
いつものようにハロと仲良く近所の公園を散歩していたら、数人の女子高生に囲まれてしまい、皆に言い寄られた。
彼女達には申し訳なかったが、俺には恋人がいるからと、ハロの目の前でキッパリとハグを断ったのに。
別にこっちも好きでモテている訳じゃない。
モテるのは、こんな美男子に生まれてきてしまった者の宿命なのだ。
それでも出逢ってからこの二年間、俺がハロ一筋だってことくらい、本当は分かってるんだろ?
何せ、行き倒れ状態だった俺の命を助けてくれた天使だからな。
ああ……そうか。
ハロは優しいから、またあいつにしつこくされて嫌だとは言えなかったんだ。

「ここ掃除機かけるから、ソファーに上がってくれる?」
「そうだ。ちょっと寒いけど、また散歩に出掛けようぜ。今度は誰も居ない静かな路地裏とか」
「ニールに会うの半年振りだから、タマオも嬉しいでしょ」
「んなわけあるか!」
「ホント半年振りとか……どうして今更? しかも何で今日なの? って感じだよね」

そう言うと本心では申し訳ないと思っているのだろう、戸惑いがちに笑ってみせた顔がいじらしいではないか。
あー、この可愛い笑顔に俺はやられてしまうんだよ。
俺以外の男に優し過ぎるこの性格は大いに問題あり、なのだが。
惚れた弱み。
ここはひとつ、たまには違う毛並みの男と遊ばせてやれるくらいの器のデカさを見せてやらないと。

「仕方ないな。今回だけだぞ? 前みたいに『泊まり』は無しだ。なるべく早く帰せよ」

ハロが俺以外に唯一ベッドで一緒に眠ることを許した男。
もしかしたら、あいつも以前は何処かで行き倒れていたのかも知れない……きっとそうに違いない。
とはいえ、ハロの一番は勿論、この俺。
二年前の冬の初め、寒さと疲労と空腹の三重苦で道端に蹲っていた俺に、手を差し伸べてくれたハロの笑顔はまるで天使そのものだった。
だから『往くところが無いなら、ずっとここに居てもいいよ』とラヴコールを送られて、俺は本当に嬉しかった。
確かに当時、ハロとあいつは付き合っていた。
しかし真実心から愛しているのは俺だけだと気付いて捨てられたのだと思う。
まあハロはあの通りイイ女だから、忘れられないっていう気持ちは分からなくもない。
それでも、奴が前と同じように馴れ馴れしくハロに触れようものなら、この手でけちょんけちょんにしてやる。
俺はやれやれと立ち上がり、素直にソファーの上に移動した。
ざっと掃除を済ませたハロは、わざわざ服を着替えて薄く化粧をした。
そうだ、それでいい。
お前の可愛い素顔を、またあんな奴に見せてやる必要はない。
ハロはさっきから落ち着かない様子で、何度も鏡を覘きながら手のひらで髪を撫で付けたり、何か考え込んでは小さな溜め息を付いている。
やっぱり気が進まないんだろ? な? そうだよな? うん。
今からでも遅くは無い。 
『私はタマオだけを愛してるの。もう二度と此処へはこないで。さようなら』と、あいつにメールを送りつけてやれ。

「ねえタマオ。あれから私、少し太ったかな?」
「いいや。逆に痩せたと思うが」
「ダイエットしようかな」
「必要ない。ハロが太ろうが痩せようが、俺の愛は変わらない」
「ニールは太ってる子と痩せてる子、どっちが好みだと思う?」
「知るか! ……なあハロ、あいつは止めておけ。お前には似合わないよ。あの男は――」

インターホンが鳴った。
途端、今まで不安げだったハロの表情がぱっと明るくなり、玄関へと駆け出して行く。
あんな風に笑った顔を見たのは半年振りだったから、少しだけ胸が痛くなった。
俺達二人の愛の巣に久々に訪れやがった男は、ドアを開けたハロを見るなり碧色の眼を眩しそうに細めた。
何故か言葉を詰まらせているハロを暫くの間静かに眺め、元気にしてたか? こっちは相変わらずだ、とか言って、早くも二人の世界に浸ろうとしている。 
その様子を横目に俺は玄関にまで聞こえるくらい大きな咳払いをした。
すぐに『あ、あの、上がって』と、少し上擦った声が耳に届き、チッと舌打ちをする。
しかし、また突然来られて迷惑だとはっきり言えない、そういう優しさもハロの魅力のひとつなのだ。
男は『悪いな。急にまたメールしちまって』などと言いつつも図々しく部屋へと上がり込み、俺の姿を見るなり邪気のない眼差しを向けてきた。
こんな人当たりの良さげな優男に見えて、こいつは色々と油断ならない。

「ようタマオ。久し振りだな。元気だったか?」
「あんたに会うまでは元気だったよ。てか馴れ馴れしく呼ぶな。早く帰れ。そして二度とハロに近付くな」
「なあに? さっきから随分とお喋りだね。タマオも久し振りにニールに会えて喜んでるみたい」
「そりゃ光栄だ」
「ハロ! 笑えない冗談言うな!」

俺の叫びを完全無視して男は爽やかに笑い、土産だと声を掛けて高級スイーツ店のロゴが入った箱をハロに手渡した。
あの、いかにも胡散臭い黒革の手袋を嵌めた手で、だ。
思わず笑っちゃったね。
女子に大人気の高級スイーツ店で、今日、こいつが一体どんな顔してあれを買って来たのかと思うと。
それから男は佇んだまま、目の前に立っているハロをまた真っ直ぐに見つめ直した。
この温かな部屋の温度のせいで、ハロの頬は少し前から赤く染まっている。
あーもう、普通に暑がってる表情まで可愛いってどうなのよ。
未だ立ったままの男に小声で座ってと言いながら、ハロは淹れ立ての紅茶とケーキを二つ、テーブルの上に用意した。
おおっと……箱の中身はハロの大好物のチーズケーキだ。
しかも、小さなサンタクロースの砂糖菓子がちょこんと乗っているクリスマスヴァージョンときた。
奴め、あんな乙女心を擽る小細工なんぞしやがって。
それから俺専用のおやつを載せた皿を、ハロは何故か少し離れたキッチンに置いた。
……さては、今度こそキッパリと別れ話をする気だな?
ふっ、オーケイ。
そういうことなら心行くまで話をするといい。
本命はあれこれと口を挟まず、慌てず騒がず、此処でどっしりと構えていよう。





今夜は月が綺麗だ。
俺はひとり窓辺に立ち、夜空を眺める。
最近のハロはよくこうして長い時間、空を眺めていることが多かった。
小さな子供のように膝を抱えて座るハロの隣で、零れ落ちないようにそっと涙を拭った指先を、俺はいつも舐めてやることしか出来なかった。
だからこれから先、ハロに訪れる夜が優しければいいのにと、俺は思う。
女は、とりわけハロは、とても繊細なのだ。
そして時には残酷な生き物に変貌するのであった。
きっと、ハロはもう眠っている。
ベッドの中で、あいつ<元カレ>と一緒に。
お陰で俺はちっとも眠れやしないけど。
ハロ、俺の可愛いハロ。
少なくとも今夜、お前は泣かずに済んだのだから、それで良しとしておこう。
急激にひとりでいることが寂しくなり、ソファーの上に置いてあるハロ愛用の膝掛けに包まろうとした時、寝室のドアがそっと開いた。
一瞬、ハロかと期待した俺。

「お。まだ起きてたのか」
「……今、本気の殺意が芽生えたぞ」
「なあタマオ」
「うるさい。ハロもうは寝てるんだろ? 目を覚ますから話しかけるな」
「あー……前から薄々気付いてはいたんだが。俺はお前に嫌われてる?」
「嫌いじゃない。大っ嫌いだ」

窓辺に近付きながら、苦笑交じりの笑みを浮かべた顔が声を潜める。

「分かっちまうもんなのか? お前さんには、色んなことが」
「ああ分かるさ。お前は他の奴等とニオイが違うからな。あんた、どっちかって言うと俺等寄りのニオイがするぜ」

だからハロには近づけたくなかったんだ。
今でも覚えている。
初めてこの男を見た瞬間、いつの間にか鈍っていた野性の勘が、ざわざわと音を立てて騒ぎ出した。
男を取り囲む空気、その存在感。
表現のしようはないけれど、ハロと同じヒトで在りながら、こいつは不可解な部分が多過ぎる。
とにかく、こんな奴とは関わらない方がハロの身の為だ。

「無条件でハロの傍に居られるお前が羨ましいよ」
「当たり前だろ? 俺達、愛し合ってるんだから」
「どうしても諦めきれなくてな。正直参ってる」
「安心しろ。すぐにまたフラれる」
「俺は、あいつを……」

男は何か言いかけて口を噤んだ。
窓から入るささやかな月の光が、男の上半身を照らしている。
いつも優男に見えていたその顔が、今は心なしか哀しげに、そしてどこか辛そうにも見えた。
それからほんの少し口元で笑うと、ハロと同じような顔をして夜空を見上げた。
青白い月が照らし出したのは、澄んだ瞳。
憎らしいくらいに綺麗な碧だ。
その様子を垣間見る俺は、ハロの、あの笑顔を思い出す。
例え一瞬でも彼女をあんな笑顔にしてやれるのだから、まあ少しくらいは認めてやってもいい。
ハロに言い寄ってくる時点で女を見る目は確かだし、俺程じゃないが外見もそう悪くはない。
長めの髪をかき上げるしぐさはなかなか様になっていたし、肌は女のそれみたいに白くて滑らかでも、全体に筋肉質な体格で背は高い。
大きな肩に太い二の腕、少し細めでもしっかりと割れた腹。
今まで気付かなかったが、よく見ればこいつもかなり女にモテそうな身体つきをしている。

「つうか、何か着てから出て来いよ……くそ」

不意に、俺の内心に気付くはずもない男の右腕が伸びてきて、頭の上に手のひらを乗せられた。
いつもハロに触れていたような優しい素手がゆっくりと、首の後ろから背中の上を撫でていく。

「止めろよ」

意外にも嫌な感覚がしなかったことが余計に腹立たしくて、自嘲の溜め息を付き、さり気なく大きな手のひらから逃れて膝掛けの上に腰を下ろした。
つれない奴だな、と、微苦笑を浮かべた男は、もういつものへらっとした顔に戻っている。

「いい気になるなよ。お前はあくまで“まだ”二番目なんだから」
「またハロに会いに来てもいいか?」
「さあな。ハロの気持ち次第だ」
「次来る時はお前さんにも土産持ってきてやるよ。さっき美味そうに食ってた干からびた小魚、ありゃなんだ? ジャパニーズフード?」
「む。言っておくが俺はハロと違って、食い物で釣れるほど甘くはないからな」

男はソファー横の引き出しの上に、鈍く光る小さな何かを置いた。
銀色の指輪だ。
ハートの上に王冠が乗っている、あの古風なデザインには見覚えがあった。
あれはハロがとても大切にしていた指輪だ。
ハロは突然あの指輪を嵌めなくなってしまったから、きっと何処かで失くしてしまったのだろう。
それを見つけてくるとは、こいつもなかなかやるじゃないか。
そんな俺の視線に気付いたのか、目元に落ちかかっている長い前髪を後ろに掻きあげて、男はきまりが悪そうに笑った。

「直接手渡せなくてな。なっさけねェ話だろ?」
「それ、ハロが凄く大切にしてた指輪だぞ。早く渡してやればいいのに何やってんだよ」

本当に情けないからこっちはちっとも笑えやしない。

「……じゃあなタマオ。夜明け前には帰るとするよ」

メリークリスマス、そう言って男は軽く手を上げると、また邪気のない笑顔でハロの元へと戻って行った。
その姿を見届けてから柔らかな膝掛けに身体を埋め、彼女のにおいを吸い込んで目を瞑った。
そしていつものように、ハロの幸福な未来を想像しながら眠りにつく。
今日も一日、愛おしいあの笑顔のひとつひとつが俺の胸をぽかぽかと暖めたり、きゅっと苦しくさせたり、ずきゅんと真ん中を打ち抜いていった。
このままいつまでも一緒にいたい。
それでも、この息遣いも心臓の音も、ハロのそれより随分と速いことに俺は気付いている。
きっと、ゆっくりと年を重ねていく彼女を、ずっと傍で見続けることは出来ないのだろう。
瞼の裏にあの綺麗な碧色が浮かぶ。

「……すげーむかつく。……けど」

不可解なことばかりではない。
本当は初めから、分かっていたこともあった。
たとえ姿形が違っていても、真剣な想いは一緒で。
きっと、願うことも一緒で。
なあ、ハロ。
もしもおまえがこれ以上、涙を零さずに生きていけるのなら、俺はどんなことだってする。
いつだってハロの明るい笑顔を見ていたいから、ハロの願うことは全部、叶えてやりたいんだ。
これから先も今夜のような優しい夜が、ずっとずっと、ハロに訪れるように。
このちっぽけな命が尽きるまでは、いつまでも変わらずにそう思っているからな。



某有名小説のパロディ(の、つもり)です。
すみませんすみませんすみません。
駆け足で作って急遽強引にクリスマス夢にしてしまいました。
すみませんすみませんすみません。
<((ΦωΦ))>ニャ-







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